005
鬼種の吸血鬼と、獣人種の狼男、
王権争いで、その種が勝てば、王様になる可能性のある第一爵位。
2種族、それぞれ純血種である、バンピーロとホンブレ。
そんな彼等直々に、保護される事になったファーシルとシンセロは、
予定を大幅に狂わせ、バンパイアの城の塔の上に居た。
塔の上層部、色付き硝子の窓の外には、広大な森の中央に大きな塔。
「エルフの森」と「季節を司る女王が住む塔」が見える。
『ねぇ~さん、目的地を上から望む後景に一言!』
シンセロは出口も入り口も無く、階段も扉も無く、
窓しか存在しない部屋の中を歩き回り疲れ、
「季節を司る女王が住む塔」を望む窓辺の椅子に座っていた。
ファーシルは、自分の知らぬ間に着替えさせられていたネグリジェ。
今まで人生の中で、着用した事の無かったネグリジェと、
その下が裸である事に心底、戸惑い。
自分の左頬に貼られたシップに触れ、
頬に感じる痛みに、情けなさを感じ、全身に感じる筋肉痛と倦怠感、
不可解な場所の状況に不安を感じて、眼尻に涙を滲ませる。
ファーシルもシンセロも、
何故、自分達が、こんなに開放感のある閉鎖的な空間に居るのか?
どうやって、こんな場所に自分達が存在しているのか?
何一つの情報も無く、何も知らなかった。
ファーシルは苛立ち紛れに、
『煩い!!私だって、こんな意味不明な塔の上に、
丸腰で閉じ込められるとか思ってなかったし!』と怒鳴る。
『じゃぁ~、どうなる予定だったのさ?』
ファーシルはシンセロに、
獣人達に付いて行った時、自分が想定していた事を訊かれ、
一瞬、言葉を無くし、深呼吸してから、
間違いの無い筈の確実な、最近の記憶を辿り
『最初に私が声を掛けた「お兄さん」は、
狼を牛耳れなかった時、同情を買って泣き落とすターゲット。
狼は…ウェアウルフとは、交渉できると思ってたんだけどな。』と、
言葉を濁す。シンセロは話を促す事無く黙っている。
ファーシルは黒と赤を基調とした天蓋付きの大きなベットの上、
「……殴られた後、どうなったんだっけ?
聖水とゴールデンパイライトをくれたマザー・ソンリッサに、
感謝したのは、現実?それとも夢?」と不安に飲み込まれ、
膝を抱えて座り、額を膝に押し付けた。
ファーシルの記憶に強く残るのは、移動して直ぐ、行き成り殴られて、
ブレて歪んだ視界。
眩暈がして視界がぼやけ、回避行動が上手く出来なくて、
壁際に追い込まれ、複数の生温かい毛深い手に、
強い力で、乱暴に押え付けられた感触。
其処から生まれた恐怖のみが、ファーシルの心を支配し、
身体に緊張と震えを起こさせて
ファーシルから普段の行動力を奪い、思考の停止を促していた。
誰かがファーシルの頭を撫でる。
『脳震盪を起こしたのに…寝てなきゃ駄目じゃないか……。』と、
シンセロ以外の声が唐突に聞こえてきた。
2人、互いしか居ないと思っていたファーシルとシンセロが、
体をビクつかせて驚いていると、
冷汗を掻く程に緊張してしまっていたファーシルの身体が、
抱き上げられる様に、ふわりと宙に浮き、
空中に出現した影の深紅の瞳に、ファーシルの意識が囚われ、沈み、
夢現の中にたゆたう。
『何も恐れる事は無い、安心して眠れ』と
ファーシルを包む様に出現した影は、ファーシルに囁き掛け、
『でも、気分が悪くなったり、吐き気がしたら言うんだよ』と言い、
実体を持つ姿を現したバンピーロは、
赤から黒に戻った瞳をシンセロに向けて一度、微笑を浮かべて、
聞き分けの良い幼い子供の様に
大人しくベットに寝かされてくれるファーシルの額にキスをした。
シンセロは『触るな!』と叫び、座っていた椅子を持ち上げ、
バンピーロを見上げる形で身を屈め、
『ねぇ~さんから、離れろ!』と、
唐突に現れ、ファーシルを寝かし付けた男を威嚇する。
バンピーロは『これは困ったな』と苦笑いした。
それを見ていた蝙蝠達が、天井から、
『ワッシラの主に危害を加える気かえ?』
『そないな事しいたら、致死量のチィ吸うたるしぃ~』と、
口々に喋り出す。
この場に蝙蝠が居た事。蝙蝠が喋る事に驚いたシンセロは、
驚き過ぎて後ろに下がり、壁にぶつかり更に驚いて、
後ろに振り返り様に滑って転んで尻餅を突く。
囀る様に喋っていた蝙蝠達が、今度は笑い出した。
赤面して怒りを露わにするシンセロ。
バンピーロは笑う事無く『少し落ち着こうか……。』と、
怖がらせない様にゆっくりと手を差し伸べる。
そうされても、なかなか手を取ろうとしないシンセロ。
バンピーロの影から出てきた黒猫が、
耳と尻尾を生やした細身で長身の女性の姿に変身して、
苛立たし気に、シンセロから椅子を取り上げて置き、
呆然とするシンセロの腕を掴み片腕だけで立たせてから、
シンセロの膝裏を引っ掛ける様に蹴り、
痛みに呻くシンセロをその椅子に強引に座らせた。
蝙蝠達は、黒猫の性格を知っているからか?黙り込み、身を潜める。
バンピーロは顔を引き攣らせた。
『ガートネグロ…、それはちょっと、乱暴だよ……。』
『いいえ、坊ちゃま!
アタクシの坊ちゃまに、椅子の脚を向ける愚行は許し難き事!
喰い殺されなかった事に感謝して欲しいくらいですわ』と、
黒猫の姿に戻り、ガートネグロは、バンピーロの影に戻って行く。
バンピーロは大きく溜息を吐き、
一瞬で起こった余りの出来事に、茫然自失、
放心状態になっているシンセロに対して、『大丈夫か?』と
心配そうに話し掛ける。
話し掛けられたシンセロは、バンピーロの影から、
時々、黒い猫の尻尾の先が出たり入ったりしている為に、
バンピーロの影を警戒し『…だ……大丈夫です。』とだけ、
返事をした。
シンセロは、結果的に、とても緊張し、身を固くしながら、
バンピーロの話を大人しく聴き、しっかりと相槌を打ち、
精神をすり減らしながら、
「ファーシルが殴られ、脳震盪を起こした事」を聴く。
脳震盪は、起こした後、また直ぐに脳震盪を起こす。
「セカンドインパクト・シンドローム」と言うのがあり、
それが「危険である」と言う事だった。
バンピーロは、ファーシルの髪を撫で付け、
『私が許可を出すまでは暫く、数日間は絶対安静!
ファーシルを死なせたくなかったら、これ、厳守だぞ?
私には、仕事があるから、付きっきりの看病は出来ない。
弟のシンセロ君、ファーシルを頼むよ?』と言う。
シンセロは其処でやっと、緊張した体を緩め、
『はい、分かりました。それと、ごめんなさい。
僕はてっきり、貴方が、ねぇ~さんを人質にして、僕に、
無理難題を押し付けてくる気なんだと思ってました。』と正直に、
今まで思っていた事を伝える。
バンピーロは少し申し訳なさそうに、
『君達を保護する名目に「ブリーダー権限」を使ったから、
何時かは「御見合い結婚」をして貰う事に、なったりもするかも、
しれないけどね』と、乾いた笑いを漏らした。
『は?御見合い結婚?……。は、理解できるとして、
そもそも、「ブリーダー権限」って、何ですか?』
シンセロの疑問に、
『何だい…知らないのかい?
見たまんま、本当に、無知な御子様だねぇ~……。』と、
バンピーロの影の中から顔を出した黒猫ガートネグロが答える。
『「ブリーダー」と言う。言葉の意味は知っているのかい?』
『ペットの交配や出産、繁殖及び、血統書を管理して、
ペットを流通させる仕事の人、ですよね?』
『それを知っているなら、理解できる筈だよ』
ガートネグロに話に寄ると、バンピーロが属する吸血鬼や、
エルフ等の「若いまま長く生きられる長寿な種族限定」で、
種族が絶滅しない様に、純血種の御見合いを管理したり。
基本、繁殖能力を持たない異種混血の中から、
繁殖できる者を見つけ出し、その中から更に選別し、
ハイブリット種と呼ばれる。
2種族以上の良い所を併せ持つ種の種族を安定させ、
新たな種族を作り上げる。そんな仕事があるらしい。
話が終わると、バンピーロは煙の様に実体を無くし、
『必要な物があれば、蝙蝠達に頼むと良い』と言い残して、
窓から出て行ってしまった。