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吉光里利の化け物殺し 第一話  作者: 由条仁史
第2章 天地指定
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 私がようやく地面に重力を感じ取ることができたのは、それからしばらくしてからのことだった。草むらの中だったがしばらくぶりの地面だった。地面からの垂直抗力とやらが本当に働いているのかは、授業を聞いている間はなはだ疑問だったが、今ようやくとけたかもしれない。


 数時間くらい飛翔していた気がする。なかなかない経験だろう。そこらのスカイダイバーとかよりも長い時間だ。どのくらいの時間になるのだろうか?物理は習っているはずだが、計算の仕方はわからなかった。


 しかしおそらくそんなダイバーたちとは比べ物にはならないくらい、私は衰弱していた。ぶっつぶれていた。二日酔いが泣いて逃げ出すくらいの気持ち悪さに、正直言おう。吐いていた。

 おええ、おええ。


 泣いて逃げ出すのは私だった。本当に泣いていた。どうして泣いているのだろう。怖かったからか、それとも地面のありがたみか。少なくともあの化け物のことで泣いているわけではないということが分かった。逃げだすほどの気力もなかった。もう限界だった。いろいろと、いろいろと。


「お前ーだいじょうぶかぁー? 1分も飛んでないぞ?」


 ……1分も飛んでなかったのか。体感時間の長さでは最悪に長かった。だれだっけ。ストーブの上に手を置く1分と、女の子と話している1分の長さが違う、ゆえに絶対的な時間なんてものは存在しない……だっけ。なんかいろいろと違う気がする。

 そしてそんなこともどうでもいい……とにかく気持ちが悪い。少し吐かせてくれ。


「おいおい。そんなに吐くことはねぇだろー。俺そんなに運転悪かったかー?」


 運転。この空中飛行は彼の運転によるものだったのか? となると、やはり彼が関係しているのか。あの化け物に吹き飛ばされた衝撃というのではなく、彼が自発的に飛ぼうと思って飛んでいたのか。


 やばい来る。


「ごほっ、ごほっ、ごほっ」


「ほーらしっかりしろい」


 彼は私の背中をさすっていた。気安く女子にそういうことはしてはいけないんじゃないか、と私は思っていた。

 甘えるしかないけど。



「……で、何があったの?」


 しばらくして気分が落ち着いてきて、あたりを見渡して言った。山の中のようだ。近くにちょっとした丘のような山があったっけ。そこだろう。少し開けた場所だ。こんな場所があったのか……まあ、特に何も思い入れなんてものはないんだけど。普段通る場所じゃないから。

 日が傾いてきて、木々が橙と黒のコントラストを生み出している。草原はきらきらと光っているような気もする。どこまでも自由な場所のような気がした。そんな中に、私たち二人だけが乱入したような。こんな場所にいるのは少し場違いのような気がする。

 彼は夕日をなんでもないように目をやって、笑いながら私のほうを見る。


「ははは。何があったって、逃げてきたんじゃねえか」


「……あの化け物から」


「そう。あの化け物から。ちっ、無様にも逃げてきたんだ」


 彼は悔しがっているようだった。彼は一体、何者なのだろう?


「えっと……あの化け物は、何?」


 彼のことを聞こうと思ったが、口から出てきたのはまずあの化け物のことだった。そんなにあの化け物のことが気になるのか、と自分で自分が嫌になった。


「あの化け物のこと、ねぇ。さてな、俺が知りたいくらいだ」


「…………」


 質問の裏の意味が伝わっていないようだ。やはり直接的に言わないと伝わらないのか。特にこの人の場合は。


「どうしてあの化け物と、戦っていたの?」


「戦いじゃねえ。俺があいつを殺すだけだ」


「……それってどう違うの?」


「戦いじゃお互いが攻撃して、お互いが防御するように聞こえるだろ? そうじゃなくて、俺がただ、あいつに攻撃して倒すだけ。一方的なのさ。そんなのは戦いとは言わないだろう?」


 先ほどの化け物が攻撃して、それを受け流していたのは何だったのだろう。あれは明らかな防御の動作だったのではないか?


「戦いって言葉をどうしても使うんだったら、攻勢一方の戦いってわけだな」


 全然そうは見えなかった。


 彼はあの戦いをどんな風に感じていたんだろう。当事者なのに。不機嫌になって舌打ちをするくらいには防戦を強いられていたように、私には見えたが。当事者ならそのくらいのことを把握していてもらいたい。どうやら、この人は相当にあの化け物と戦い慣れているみたいだし。実戦経験は十分にあるのだろう。

 ただ、現状を把握する……というか、自分に都合のいいように物事を認識してしまう。そういうきらいがあるようだ。出会って数分だが、私の彼に対する第一印象はそれだった。


 つまりバカ。


 ……バカに助けられたのか。私は。


「えっと……そういえば、名前は?」


「おーっと、ちっちっち。そういうのはよくないなあ」


「へ?」


 にやにやとして、指を振る彼。いかにもチャラそうな振る舞いだ。あまり褒められたものではないと思う。コンビニの前でぎゃははと騒ぐヤンキーたちをたまに目撃するが、それと似たようなものを感じる。迷惑だから本当にやめてほしい。

 同じように、これも迷惑だ。うざったい。


「ひとに名前を尋ねるんだったら、まず自分から名乗らなきゃなあ?」


「……なにそれ」


「いやー一回言ってみたかったんだよなーこのセリフ。ちょうどいいタイミングだったんで使ってみたぜ」


 使いたかっただけかよ。


 なんというか子供というか……どうしようもなく他人のこととか、一般的な常識とか、そういうのとかけ離れている気がする。あの化け物もいざ知れず、この人もかなり日常からは逸脱した人間だと思う。

 でもまあ、真面目に反論して、名前を言えと命令こともできないので、というかしたくないので、私は素直に名前を言うことにした。


「吉光、里利」


「よしみつ、さとりか……漢字はなんて書くんだ?」


 私の当初の質問を無視して、彼は私の名前に興味を持つ。ちょっとしつこいんじゃないかと思いつつ、私は手帳とペンをポケットから出し、さらさらと書く。


「大吉の吉が光って……これ、なんて読むんだっけ?」


 彼は私の名前の、名前を指さす。ああ、下の名前のことね。里利という二

文字だ。


「さとり」


「さとり……ああ、里利か。はぁーん……」


 腕を組み、じっと私の名前を見つつ、彼は何かを考えている。一体何を考えているのか。私の名前に何科変なところでもあったか。今どきはやりのDQNネームじゃあないぞ。キラキラネームとかそういうのでもないぞ。自分の名前に興味を持たれたことがなかったから、私は内心動揺していた。どうして彼はこうも真剣そうに考えているのだろう。


「……どー読んでも『リリ』だよなぁ……?」


 そこかよ。


 まあ確かに、リリと読める。ケータイやパソコンで里利と一発で変換できたことはあまりない。実際、本名を使いたくないネットサービス(一時気まぐれで登録して、今はもう使っていないのだが)ではリリと名前を設定している。ニックネームというやつだ。小学生時代の時はよくそう読み間違われていた。


「さとり、ってなんかかわいらしい名前だが、こりゃあそうは読めないぜー」


 それは失礼な言葉だ。別に気に入っている名前というわけではないが、自分の名前をけなされるのには少しの怒りを覚えずにはいられなかった。

 別になんというわけでもないけど。


「お前のこと、リリって呼んでもいいか?」


「リリ……。うん、まあ、べつにいいけど」


 否定できるだけの情熱があるわけでもない。彼の心の中での決定を覆すだけのものはない。


「リリ、リリ。うん、いい名前だ」


 読み方は違うけどな。


 自分の名前を良いと言われたことはなくて気恥ずかしいが、読み方が違うばかりに素直に喜べない。なんというか、バカにされている感覚もある。


「……で、私は名乗ったから、あなたの名前を教えてほしいんだけど」


「ああー、俺の名前か。俺の名前は、ジャックだ」


「じゃっ……え?」


 何か今、とんでもない名前が聞こえた気がするぞ。とんでもなく痛々しいDQNネームが現れた気がするぞ。なんだって? 惹句だって?


「ジャックだ」


 カタカナだった。


「ジャ……ック?」


「おうそうだ。ジャックだ。ははん、いい名前だろ」


 いかしてる名前だね。うん、いいと思うよ。そんな心にもない言葉は心の中に閉じ込めて、口からは出ることはなかった。


「ジャック?」


「そうだ。ジョーカーのジャックだ」


 数字が違う。

 トランプの話でもない……。


 そうだ、化け物の話だ。そして、空中浮遊の話だ。もともとその話をしようとしていたのだ。名前の話だけでこんなに盛り上がってしまったが、本来の筋からは外れている。


「あの……空中浮遊って、なんだったの?」


 自分でも聞き方が瞬時には思いつかなかった。あれは、いったい何だったんだろうか。あのスカイダイビングは一体、何がどうなっていたのだろうか。本当にわからない。どうして、どうやって。なぜ。ひたすらにわからないことだらけだった。だから聞き方がおかしくなってしまった。


「飛行だっつーの」


「飛行?」


「そう。空を飛ぶ。飛行だろ」


「……空中浮遊と何が違うの?」


 違いがよくわからなかった。そんなのただの言葉の違いだろう? 些細な違いだろう? 別に気にするようなことではないと思うが。


「はあ? 空中浮遊だと止まってる感じがするだろうがよ。俺の力はそういうもんじゃねえんだよ。そんなおとなしいものじゃあねえんだよ。もっとこう、びゅーんと飛んでいくものなんだよ」


 びゅーん。


 彼はそういうジェスチャーをした。子供っぽく。


 ……訳が分からない。つまりは表現を変えただけじゃないか。ただ気に入っている言葉というだけの話じゃないか。しかもそれが飛行って、飛翔とかもうちょっといい表現もあっただろうに……と思わざるを得ない。


「リリ。お前、特殊能力って信じるか?」


「……は?」


 特殊能力? あの、漫画とかアニメとかであるやつ? よく知らないけど。最近そういうのもなくなってきているとクラスでは話題になっていた気がしなくもないけれど。あ、ドラマでこの間見たようなやつか? 内容は忘れたけど。


「なにそれ突然。まさか特殊能力で飛んだーとか言うの? 空中浮遊の能力とか、そういうやつ?」


「飛行だ」


 どっちでもいいだろう。


「まー、その表現も少し正確じゃあないんだがな。俺の能力、俺の特殊能力には、名前を付けている」


 名前?


 彼は私に背を向ける。

 彼の姿は夕日に照らされているが、青と黒のコントラストを保っている。周りの雰囲気には従わないような――いや、まるで彼のまわりが、彼に合わせるように行動しているような。草も、光も、風も。


 ざっ、と一瞬風が鳴る。


天地指定(マイグラビティ)――」


 彼は風もないのに、ふわっと、浮いた。周りの草は不気味なほどに静寂を守り、彼が浮いたことをほかの誰にも悟らせまいとしているようだった。草も光も、風も。彼の異常を感じさせないように気を使っているようだ。いや、気付いていないだけなのか。彼が重力の法則を無視しているという異常に。いまだ気付いていないのか。

 そう、私は感じた。


 彼の足は地面から離れて、1メートルほど浮いたところで止まった。影だけは彼に気付き、地面から離れたところにその姿を映していた。私はその様子に、言葉も出なかった。

 彼は、空中で振り向いた。


天地指定(マイグラビティ)――重力を操る。それが俺の能力だ」


 ……飛行じゃなくて。


 空中浮遊、しているじゃないか。

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