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吉光里利の化け物殺し 第一話  作者: 由条仁史
最終章 少し楽しいことかもしれない
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 どうしてこんなところに化け物がいるのか、どうして学校で現れたのか。そんなことはどうでもいい。そこに化け物がいるということ、そしてその化け物が私に向かって近づいてきているということが重要だ。化け物の足はそんなに速くはないと言っても、すぐ近くにいるならばそんなこと関係ない。


 すぐそこにいるのだから。すぐ、そこに――


 色彩の奇妙な、透明か不透明かもわからないけれど、その形だけははっきりしている。輪郭だけがはっきりした、内側と外側で世界が違うような存在。この世界の物質では構成されようもない異常な姿。奇怪な姿。ドラゴンともカエルともほかの獣も混ぜ合わせたような、何とも形容しようのない、何とも形容できてしまうような姿。この世界にあるすべてを混ぜきったような、それでもこの世界とは全く違うもの。


 この世界の常識が通用しないもの。

 その化け物は、私たちの日常を切り刻む。人を傷つけ、人を殺す。


「……っ!」


 もちろんそんな化け物が目の前に突然現れて、反応できようはずもなかった。そもそもベンチに座っているのである。すぐに動ける状態ではない。動くにはまず席をたたなければならない。そんなことをしていては、とても間に合うものではなく――


「さとりっ!」


 紗那の声が聞こえた瞬間、私はドンと言う音と平衡感覚のゆらぎ、態勢が変化していることに気付いた。ベンチのよこから突き飛ばされたのだ。転倒している間、私のことを突き飛ばした紗那が見えた。中腰で私を両手で突き飛ばした。その瞬間が私には少しだけ時間がゆっくりと流れるように感じられた。

 地面に肩から着地する。衝撃に体を硬くする。二回、どんどんと体のどこかが地面にぶつかった。相当の痛みに私は動けないと瞬時に悟る。視界の一瞬の暗転。

 それでも私は痛い体を何とか動かし、地面にふしながら何とか体をよじり、化け物のほうを見る。


「ぐ、ああああああああっ!」


 紗那の悲鳴を聞いた。私にははっきりと見えた。化け物が、紗那の体を傷つけている様子を。背中を割かれている。制服は赤く染まりだし、そもそも鮮血がぱっと噴き出している。


「あああああああああああっ……!」


 言葉にならない、それでも言葉にせずにはいられない叫び。痛み。化け物に攻撃されるという、痛み。私は今まで何度も化け物に出会い、そして戦ってきたが実際に誰かが攻撃されているところを見るのは初めてだった。


 人が、傷つけられる。


 言葉ではわかっていても、そんなものただの振りでしかなかったことに気づかされる。本当は何もわかっていなかった。人を傷つける、化け物という存在。化け物に対して大規模な組織を形成したというルートの組。化け物を引き付けるというその特性。すべてが非現実だと言って、ただ切り捨てていなかったか?


 そんな切り捨て方なんか、甘かった。

 非現実と言う言葉に逃げてはいけなかったのだ。


 だって、この紗那の血は、赤々ときらめいている、じわじわと広がっているそれは、まぎれもなく現実だったのだから――!


「あ、あ、あ……」


 私の叫びは声にならなかった。紗那のことが心配だとか、そういうことじゃない。私の薄情さによるものもあるかもしれないが、そんなことを言っているんじゃない。人間として――生物としての純粋な恐怖。


 死。


 死への恐怖。


 これは、死んでしまうという恐怖。


 まずい、まずい、まずい。


 どうしてこんなところに化け物がいるんだ? どうして学校に? あの路地にばかり現れているからあの場所にしかいないのではないか?


 そう思い込んでいただけか?


 ただ私の発見した化け物が、ただあの路地にいたというだけで。ただそれが数日間にわたって続いただけで。いきなり学校に来るなんて、想像もしていなかっただけで、十分にあり得たことなのだ。


 ジャックは言っていた。


 いや、違う、私が言ったのだ。

 化け物は、神出鬼没だと――


「わああああっ!」


 ずり、ずりとシューズが石畳に擦れ、足が抜けるような感覚を皮切りに、私は走り出した。走り出したその時はとにかく無我夢中だった。なんで走り始めたのかさえ分かっていなかった。ただ本能のままに動いていたというのか。

 数歩走ったところで、この化け物をどうしようかというところに思いがめぐり始めた。このまま学校に放っておくわけにもいくまい。私はすぐにどうすればいいのか思いついた。

 私も、能力を使おう。


 化け物を――引き付けよう。


 学校の敷地から出して、そこでルートさんの応援を待とう。そう思い、私は携帯電話を取り出す。連絡先、ルートさん。走りながらのタップはなかなかに難しい。ちらりと後ろを振り向く。化け物は私のことをわかっているようだったが、追うべきかどうするべきか、化け物らしくもなく悩んでいるようだった。どうすればいいのか、わからなくなっているようだった。

どうすればいいのかわからない? どうって、何がどうなるんだよ! 

紗那を傷つけてはいけない。ただでさえ紗那は怪我をしているのだ。これ以上傷つけてたまるものか。下手したら死ぬかもしれないだろ――


「こっちだっ! 化け物!」


 私は大きな声を張り上げる。私の存在を誇示するように。私が今ここにいることを、見せつけるように。


「私を追うんだろ? なら、こっちに来いっ!」


 久方ぶりに大声を出した。いつぶりだろう。いや、最近のいろいろで叫んでいたからむしろ喉は慣れているのだろう。やけにはっきりとその言葉を言うことができた。


 化け物は私の言葉に反応したらしく、紗那には興味を失って私のほうにやってくる。

 そうだ、そうだ、近づいて来い……!


 私にしては少し血気盛んな行動だ。でも今は仕方がない。本能的な衝動で化け物に向かわなければしょうがない。


 そうこうしているうちに、ルートさんへの電話はつながる。


「どうした、リリ」


 ルートさんの声。いつモノトーンだ。私が電話をかけてくるなんて珍しいから驚いたのだろうが、今はそんなこと気にしている場合ではない。本題から入らなければならない。


「大変です。化け物が出ました」


「何……っ!」


 狼狽している様子が電話越しにも伝わってくる。この緊迫感が、電話の向こう側にも伝わっていればいいのだけれど。


「学校の中庭にいます。いまから外に、人気のないところに移動させます――引き付けます。できるだけ早い応援をください」


「わかった」


「あと、紗那が重症です。……やられました」


「何だと!?」


「お願いします。すぐに」


 そう言って私は、言葉足らずのまま電話を切った。ルートさんには申し訳ない。

 今は目の前のこの化け物に注意しなくてはならない。私との距離も近くなってきた。


 私は踵を返し、もう一度駆けだす。


 そのとき一瞬紗那が見えた。私のほうを見て、少し悲しそうな微笑みを浮かべているようだった。


 化け物の足音が、速くなった。

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