Ⅱ
ルートはその言葉に納得したようで、ジャックもそれなら仕方ないと引き下がった。紗那はせめて準備運動はさせてほしいと、今はストレッチをしている。
「紗那って、足速かったっけ?」
他クラスであろうと体育の授業は同じ時間帯に、同じ場所で行う。だから紗那の走りは見ているはずだが、いかんせん他人の走りなんかに興味はない。そんなものを見る気力なんてない。体力がない人間にとっては、体育は嫌で嫌で仕方がないものなのだ。他人を見る余裕なんてない。
「一応、平均並みにはね」
「それを言うなら私も平均並みだよ」
「あー。でもさとりよりは速いはずだよ。この間追い抜いたから」
そうなのか。体育の授業の中身を覚えているのなら、それなりに余裕があるということだろう。それなりに得意と言うことに違いない。文化部だが、女子の場合それはあまり関係している気がしない。文化部であるといっても足の速さは普段の生活がだいじになってくるから関係はあまりないのだろう。紗那は結構運動が得意そうなイメージがある。
「別に得意ってわけじゃないけどね。ただ、それなりに毎日走ってはいるかな……」
「え? なんで?」
「朝が遅くてさ、バスと追いかけっこすることが、まあ結構あるわけだよ。あははー」
朝が遅いとは、低血圧か? いや、紗那は低血圧なんてものではないだろう。ただのずぼらだと思う。いや、違うのか。漫画か。一枚の絵を仕上げるのにだって時間がかかるのだろうから、あの分量を仕上げるためにどれだけの時間が費やされたのか。それを考えると夜更かしをしているようだと考えるのはそう難しくはなかった。
「よしっ、じゃあ行きますか!」
「頼んだぞ」
「無理すんなよ」
ルートとジャックからの応援だ。ルートは瞳の奥でせめて無事でいてくれと思ってくれているのだろうか、ちょっとは顔つきがやわらかい気がする。ジャックは本当に心から心配しているようで、いつでも助けに行けるように、彼自身も少しは準備している。
「大丈夫?」
私も心配してみる。
「平気だって。それに、ここで見せつけてやらないとね! 私も、その……
何団だっけ?」
「『生活維持組』だ」
「生活維持、かぁ……ちょっと別の名前にしたいかな。その組って、ルートさんのとこにいるその、ヤクザさんもいるんですよね?」
ヤクザさんって。その言い方はどうかと思う。まずヤクザなんて言葉をその目の前に言ったことのほうが驚きだ。
「まあ、そうだな」
ルートさん認めたよ。自分がヤクザだって。自分たちのまとめている組織がヤクザだって。それでいいのかヤクザ!? 私が知ったことじゃないけど。
「じゃあ、この4人だけのメンバーの名前考えようよ!」
「名前?」
「うん。今ここにいる四人のこと。私もメンバーの一員になるんだから。その入団試練ってやつだから、モチベーション上げて置こうって思って。ま、あとでだね。私がその化け物を引き付けて、そして二人が倒すんだよね」
「おう、走ってきたら俺が引き上げてやる。さっさと手を握れよ。離れると力が出ねえからな」
「4人分の重力……そんなことできるの?」
単純に思いから難しいのではないかと思ってしまう。なんでもないかのようにジャックは答えた。
「ああ、そのくらいなら大丈夫だぜ。何回かやった。大量に人間を運ぶことくらいはできる」
「じゃあ、心配いらないですね」
「それから、色を見て俺かジャックか、どちらかが倒す。この流れで行く。準備はいいか?」
「十分余分。あまり余ってるよ。恐怖もやる気も、どっちもね」
気力に満ち溢れているものの、やはり恐怖は隠せないのだろう。素直に怖いと言う紗那。正直者だ。
「じゃあ、行ってきます……はぁっ!」
少し叫んで、紗那は駆けていく。私はそんな紗那の様子を後ろから見守る。ジャックの左腕を握る。ルートさんは……ジャックがその腕をつかんでいる。大丈夫そうだ。しかしこの二人の関係性はとても奇妙だなあと思う。
「うおおおおおああああ!!!」
ばたばたと大きな足音を立てながら、紗那は戻ってきた。見ると、かなり足が速い。私の日じゃないくらいに。というか陸上部並みじゃあないか? ただの謙遜だったのか、それとも火事場の馬鹿力が働いてこんなに速く走れているのか。
「橙色です! オレンジです!」
紗那は走りつつ叫んだ。
「捕まれ!」
ジャックが右手を差し出す。手を握った瞬間に上昇するだろう。私はそれに備えてぎゅっと足を引き締めた。地面を踏みしめるというのか、自分の立っている場所をちゃんと持つというか。なんとなく立たずに、意識して立つようにした。
「うおおおおーっ!」
雄たけびを上げつつ、紗那はジャックの手を握る。その瞬間に、予想通りに重力が変更された。
「天地指定――」
私たちは上昇する。私にはもう慣れてきたようなもので、それほど抵抗はないのだが、はじめての紗那はやはり相当の違和感を覚えずにはいられない。前に少しは練習しておいたほうがよかったんじゃないか? いや、私の時にも練習時間なんてものは与えられていなかったのだから、何とかなるものか。
「うお、うぉおお!」
「いちいち驚いてんじゃねえ!」
「は、はい!」
先輩後輩の関係が出来上がっている。部活のようだった。ジャックに対して紗那はタメ口だったはずだが、こと戦闘になると話は違うか。そりゃあ、命をかけるのだから先輩の言うことには絶対的に従ったほうがいいだろう。
「橙か……暖色系、じゃあ、俺の出番だな。おいジャック」
「ああ?」
「俺だけを下ろせ」
「へえ、てめえだけ戦うのか? 大丈夫か?」
「大丈夫だ。あの色なら相性はいい」
寒色系、暖色系で考えるならば確かにそうだろう。しかし、そんなあいまいなものを信じていいものかどうか……。しかしそれ以外に信じられる情報がないというのだからしかたがない。
「じゃあ、行くぞ、ほーれっ!」
ルートさんは落下していく。自分から落下していくか。
「わあ……すごい」
紗那は空を飛んだ感動と、ルートさんが落下していくことに純粋に驚いていた。目をキラキラと輝かせている。漫画の作成に役立つのだろうか。空中写真とかで見たりするのだろう。しかし実際には見たことないから、とても驚いたに違いない。もしくは見えない力で浮いている奇妙な感覚に驚いているのかもしれない。
……気持ち悪くはないのだろうか。少なくとも今ここでは紗那が気持ち悪がっているようには見えない。私の反応はやはりやりすぎだったのだろうか。
「あそこに着地するぞ。しっかり立てよ」
「う、うん」
マンションの屋上、ルートが着地した場所が見えそうな場所に着地する。私は慣れたように、そして紗那は慣れていないようで少しよろめくように着地した。わたしみたいにへたりこむことはなかった。運動神経と言う面で言えば私とは比べ物にならないほどいいのではないか?
と、初めての飛行を終えた紗那に少し目をやって、私はルートさんのほうを見る。化け物との戦い。ルートさんの能力、拡張生命を使った戦い。一度見ているのだが、やはりあの戦い方をするのだろうか……。
「拡張破壊――」
例の手裏剣が刺さって、それが化け物の内側で破裂するように化け物は飛び散る。飛沫と言うか、そういうものをまき散らしながら、化け物は苦しむ。
つまり、この間と同じだった。
……えぐい。
さすがにあの化け物に肩入れするつもりはないが、痛ましさを感じずにはいられない。同情せずにはいられない。
「……うわぁ」
紗那も同様に思ったようで、ひきつった顔をしていた。ジャックは慣れた様子で、どうとも思っていないようだった。
と言うわけで、これが今日の化け物退治だった。
紗那が仲間になった。それが今日の収穫だ。




