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吉光里利の化け物殺し 第一話  作者: 由条仁史
第8章 紗那の葛藤
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 私はいつも通り、化け物に会いに行った。あの路地の前にはいつものとおりジャックとルートがいた。私が帰ってくる時間に合わせているというのか。


 ……こんないつも通り、私は望んでたわけじゃないんだけどなあ。毎日化

け物に出会うなんてそんな日常は送りたくなかった。じゃあどんな日常なら送りたかったのかと言えば、そんなものは特にないんだけど。

 特に何もないのが日常と言うのか。


「おお……」


 そんな、見ようによってはヤンキーとヤクザ。もしくは身長差から考えて兄弟にも見えかねない二人、ジャックとルートを見て紗那は感嘆の声を漏らしていた。やはりびっくりするのだろう。私も初めて見たときはびっくりした。


「は、はじめまして。星宮紗那です。えっと……高校2年生です。さとりとは小学生時代からの友人で……」


 丁寧に自己紹介をする紗那。ジャックとは初対面ではないが、ルートとは初対面か。さぞかし驚いているだろう。自分の友人がまさかこんなヤクザみたいな人とかかわりがあったなんて。

 もちろん私のほうが関わりなんか持ちたくなかったのだけれど。成り行きでそうなってしまったというのは恐ろしいものだ。

というか、私のことをそういう風に紹介するか。別に小学生の時に友達だった記憶はないし、中学時代、そしておとといあたりまでは顔も知らなかったのに。まるで昔からの友達みたいに紹介してくれるな。


 ……今は、友達なのか。

 新鮮な気分だった。


 そんな挨拶にルートはなんでもないかのように答える。


「プロフィールはいい。お前のことは調べさせてもらった」


 不穏な言葉が聞こえた気がする。


「調べ……えっ?」


「星宮紗那。17さい。両親と妹と住んでいる。将来の夢は漫画家になるこ

と、趣味はカラオケ……まあ、ほかにもいろいろ調べた」


 ルートの口から、およそプライバシーなんてあったもんじゃない言葉が発せられる。どうやって調べたのだろうか? ルートのほうの事務所(ヤクザが詰めているイメージ)で調べたのか。どうやって調べたのだろう。なんか、知ってはいけない部分かもしれない。

 にしても家族構成を知っているのか。となると結構ディープというか、そこまで個人情報がおおっぴろげになるものだろうか。家族構成なんて別に人に話すようなことでもないが……誰も何も言わないわけではない。

 靴箱を見ればわかるというか。


 ……家が監視されているのかと思うととても犯罪の香りがする。


 妹がいるのか。初耳だ。


「ははは、犯罪だー。プライバシーガン無視かあ? 本当に偉くなったなぁルート。よくそんな権限を発揮できるようになったもんだ。警察に言ってやろうか? そうしたら箱の中で暮らせるぜ」


「箱の中で暮らしたいわけがあるか。豚箱のなかになんぞ入るものか。ふん。別に警察に言ってくれてもかまわないぞ。犯罪行為は何もしていないからな」


 その言葉がより犯罪臭いんだよなあ。

 本当にプロと言うか。ヤクザというか。そういえばこのヤクザは本物だったか。本物のヤクザ、なんて現実では見たことはないが……やばいな。さすがヤクザ。


「それに俺を訴えたら、お前はもれなく路頭に迷うぞ。それでもいいのか?

 俺が箱に行ったら、お前も道連れになるかもな」


 ジャックもルートの傘下の組織に入っているため、もしルートに何かがあったら、ジャックも無事ではいられないのだろう。生きるための資金やら寝どこやら、衣食住はすべてその組織に依存しきっていると聞いた。やはり無職というわけだ。

 いや、無職ではないのか。ルートの組織、思い出したぞ。なんとか組だ。肝心なところが思い出せないが、そのなんとか組は、もはや会社のようなものなのだろう。社会的集団であることは間違いない。そこにルートという社長と、ジャックという従業員がいるのだから、それだけで立派な会社な気がする。

 それであれば、ルートが捕まったら、芋づる式にジャックも捕まるだろう。なるほど当然のことだ。


 ……あれ。芋づる式だというのならば、私も捕まるんじゃないか? 特に何かをそのなんとか組からもらっているわけではないが、命は助けてもらっている。何よりも大切な命を守っていただいている。

 つまり私も、そのなんとか組の、実質的な一員か。嫌だなぁ。


 ……そして、紗那も、それに加入しようという話なのか。


「物騒な話はそこまでにして、紗那といったか。お前は、あの化け物とどんな関係があるんだ?」


「まったく物騒な話が終わってねえぞー」


 ジャックの言うことももっともだ。物騒な話であることは何も変わっていない。確かに現実的には化け物によるリスクより法を犯して警察に捕まるリスクのほうが高いというものだ。だが、それは私たちが文明の利便性に依存しきっていて、生命の危機と言うものをほどんど感じなくなっているからだろう。化け物の場合は命を落とす危険がある。下手をしたら、死ぬ危険性がある。

 ……やはり紗那を巻き込んでしまったのは間違いだったか。


「昨日、あそこの……あそこですね。あそこの展望台から、見てました」


 紗那がある建物を指さす。私はその先にあるものが何なのか、覗き込むようにして眺める。なるほど、あれか。建物というより塔のようなものだが、あそこには展望台があったはずだ。中心街からは離れてしまうものの、この場所もちゃんと見えるのだ。視線が通っているのだから。こちらからあちらが見えるのならば、あちらからもこちらが見えるのは当たり前のことだった。


「化け物に、直接会ったことは?」


 ルートの質問。声が低いため、たった数個の質問でも質問攻めにされているような、そんな雰囲気さえ覚える。


「……直接は、ないです。でも、何か役に立つことがあれば、何かできないかと思って、ここに来ました」


 紗那の腹をくくる声。勇気を振り絞った、そんな声。あんな声、私に出せるような気がしない。ただの声色の話じゃなくて、決意の話として、そんなことできるわけがない。あんなに決定的な決心をしたことはない。今ここに化け物を倒そうと集まっているのも、私は何も決心していない。ただ成り行きに任せてしまって、ここにいる。


 中途半端な決心だ。


 確かに化け物がいると私の生活に不便が生じる。いつも命の危険を感じながら逃げるわけにはいかない。利害は一致しているが、腹をくくったことはない。あんな決意をして、私はここにいるわけではない。

 ジャックもルートも、腹をくくってきたのだろう。ここまで来るために、相当の、並々ならぬ葛藤があっただろう。そしてその葛藤を乗り越えて、いまここにいるのだ。化け物を、倒すために。そしてその葛藤はちょうど、紗那が先ほど……いや、昨日から今日にかけてやってきたことなのだろう。ルートに連絡をしたときにすぐに決断を求められた――化け物を倒すことに協力するか、しないか――そして紗那はしばらく葛藤した後、やると力強く言った。

 あのときの紗那の葛藤の表情は、すさまじいものだった。言葉が思いつかないが、とても神妙な顔つきだった。あの空気が張り詰めた様子は、正直言って恐ろしいと思った。


 今もそんな感じだ。


 ルートは紗那の言葉を聞いて、本当にその決意があるのかどうか計っているようだった。冷ややかな目つきだ。


「ふん、本当かどうかは、試せばわかるな」


「試すって?」


「おい、紗那と言ったか」


「はい」


「よし、今から行ってこい。この路地の向こう側に、化け物がいるか、見てきて、いたら逃げてこい」


 ルートの指示した命令は、ハードなものだった。

 いや……待て、これは、ただ言葉のままに聞いていいものじゃない。穏やかに聞いていいようなものじゃない。これは、まずい。この命令は、さすがにまずい。


「……おいおいルート、そーゆー冗談はやめておけよ。いくらなんでも、覚悟を知るために命を落とさせる気か。てめえ、責任とれんのか? いくら組にも、そういうことができるわけじゃねえだろ。死んだ人間を、死んでないように見せることはできねえだろ……こいつはまだ高校生だぜ?」


 ジャックが、いつもより少し低いトーンでルートに苦言を呈する。少し怒っているのだろうか。いつものおちゃらけた雰囲気が少し消えた。

 紗那は、ルートの指令とジャックの言葉に、驚いたようだ。息を詰まらせている。そりゃそうだ。自分で選んだこととはいえ、死ぬ可能性のあることを自分から進んでやる奴なんていない。高校生というのはそういうことだろう。未来のある、将来有望な人間。新人賞にも応募するような、こんなところで命を落とすべきでない人。

 紗那は唾を呑む。目の置き所が、はっきりしない。


「それを言うならお前も高校生の年齢だ」


「そういうことじゃねえよ!」


 そう言ってジャックはルートの胸倉をつかむ。身長差があり少し威圧感が足りないような気がしたが、そんなことはお構いなしだった。ジャックがキレた。怒号だ。いつものようにルートを小ばかにするような話し方ではない。本気で怒っているようだ。


「……どういう問題だ? 俺たちはあの化け物を殺すために集まったんだ。中途半端な気持ちの奴は要らない。本気で向かい合う気持ちがあるのならば、逃げおおせるはずだ。そして、そんな気持ちのない奴は、ここで辞退

してもらったほうがいい。腰抜けは、いらない」


「――っ、てめえ! サニーがどんな気持ちで協力したいって言ったのか、わかってねえのか!? こいつは友人を守るために、大事な友人を守るために化け物と戦う覚悟を決めたんだ! そうやって死にさらすようなものじゃねえ! 命を粗末に扱うな!」


「中途半端なところで命を落として何が協力したいだ。そうなったところで感謝するやつなんていない。どうして自ら死地に踏み込んでしまったのか、そういう真似をしてしまったのかと周りの人間が悲しむだけだ。自分が止めてやればよかったと、な」


 ルートはそこで紗那の顔を見る。紗那はひっ、と顔をこわばらせる。


「友人のことを助けたいと思うのは褒められるべきことだ。しかしそう決めて行動するのはお前の勝手だ。ただのわがままだ。お前は、自分の行動の理由を他人に求めているだけに過ぎない……お前に、お前だけのモチベーションがあるのか。確固とした、強い意志があるのか。それを示してもらわないと困る」


「て、てめえええ!!」


 ジャックがさらに腕の力を強くする。背広の胸元の生地が目いっぱいののびる。下手すると破れるんじゃないかと。私はそんな様子に、どうしたらよいのかわからずただ突っ立っているしかなかった。


「や、やめてください!」


 紗那は叫ぶようにそういった。ジャックはそれを聞いて、少し力を緩めた。私はその言葉で、紗那のほうを向いた。少し涙目になっているようだ。


「私は……行きます」


 紗那は声を震わしながら、それを悟られまいとして言った。


「確かに怖いです。遠目で見ただけでも、怖くて、私は腰が抜けました。怖くて、打ち明けた時に思い出して泣いてしまいました。でも、私は、立ち向かうんです」


 何に、立ち向かうのだろう。私にはわからないけれど、紗那は何を背負っているのだろう。私にはわからないけれど、なにがあるのだろうか。なにかがあるのだろうか。

 漫画を描いているのだ。何か思うことがあったとしても不思議ではない。


「行かせてください。私はもう決めたんです。決めたことには、迷いません」


 まっすぐだ。そう思った。ここまでまっすぐな人間を、私は見たことがあったか。今までいろんな人間を、クラスの端っこから見てきたが、ここまでいい人はいなかった。どんな人も、人格者とは程遠かった。みんな他人をけなしてばかりで、何かをするかと思ったらすぐに飽き、すぐに意見を翻す。嫌な人間ばかりだった。私も相当嫌な人間だとは思うけれど、それでも、ほかの人よりはましだと思う。そう思ってきた。


 でも、紗那は違うんだ。

 紗那は、自分のやりたいことがあって、それに向かって一直線に頑張っている。漫画を描くということも、止める人はいっぱいいただろう。でもそんな反対を押し切って、紗那は自分の夢をかなえようとしている。行動している。夢を夢で終わらせない。決断して、実行している。

 私は紗那のことを、純粋に強いと思った。私は初めて、他人に心を動かされたかもしれない。


 紗那は、とてもまぶしい。私を焦がすほどに。


 ちっぽけな私なんかを、壊すように。

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