Ⅰ
私はとても普通な女子だと思う。
普通。そんなことを自分で言うとは驚きだ。私はとてもじゃないが普通じゃないと思っていたのに。普通とはかけ離れた、そういう存在と思っていたのに。私はそういう、他人とは全然違う人だと思っていた。だって友達はいないもん。クラスで浮いていると言えよう。いわゆるぼっちだ。トイレでお昼ご飯を食べることはないにしても、休み時間に話をする友達もいない。もちろん、それ以外で話をする友達もいない。
そういうわけで、いつも帰り道は一人だった。
年頃の女子が一人で帰宅するのは危険だと、何度か学校の全校集会でも言われていたが、そんなことは私には全く通用しなかった。いつも一人。人通りは少ない。そんなところで不審者が出てくるという話も聞いたことはない。実際、数年間その道を通ってきたが、いまだにそういう人に出会ったことはない。
出会いたいわけじゃないけれど。
不審者で思い出したが、自分には女性的な魅力がないと思っている。ないというのは大げさなのだろうか。鏡を見ればわかるのだが……まあ、わかるか。本当にないことは。女性的な魅力、つまりかわいさというのがかけらもない。顔も不細工だと思う。たまにクラスメイトと目が合うが、その時は「うわ、こいつ浮かない顔してんな。いつも。浮かない顔してクラスで浮いてんな」と思われるような顔をされる。
……浮かない顔してクラスで浮いてる。
嫌な言葉だ。
でも、それが私という人間を的確に表している言葉なのだと思う。
私、吉光里利という人間を表している言葉なのだと思う。
そんな浮かない私は、そんな浮いてる私は、帰り道に得体のしれないものにであった。
いつも通りの帰り道。ゴミが散乱し、薄汚れたコンクリートブロックが雑に置かれている。小学生時代はそれで遊んでいたりしていたが、今はそれを触って汚れることが嫌だ。……いや、そもそもこんな道を通るというだけで汚れている。
汚れた人間だ。
そんな汚れた私が私にふさわしい道を歩いていると――目の前に、いた。
音もなく、突然現れた。
色は……なんと形容したらよいのだろうか。透明のように見えるがほんのり黄色であり、透明でないようにも見える。私はこのような色を人生で一度も見たことはない。というか、この世界に存在するのかどうか、疑問に思わざるを得ない色だった。きれいなのか、汚いのかもわからない。透き通っているともいえるし、透き通っていないともいえる。とにかく、非現実的な色、非現実的な物質でできているようだった。
現実感がないというのは、今更言うまでもないのか。
それは……どんな形をしていると言えばよいのだろうか。ドラゴンのような、ゴジラのような、カエルのような、そんなわけのわからない形をしている。体に対して前足が長く、後ろ脚が太く。四本足、どちらにも爪があり、頭の部分は比較的小さいような――いや、全長が私の倍近くあるそれ(、、)に何を言えたものか。おまけに翼が生えている――歪に、それでも収まり良く。
その形、シルエットだけははっきりしていた。透明か不透明かはわからないが、ガラスのように境界だけははっきりしたもので、それ自体は実体のあるもののように見えた。
でも、ただ、なんというのか普通の反応かもしれないが――
「……ば」
誰もいないのだから、こんな人通りのないところで声を発することなんてなかった。クラスでも全く話さないのに、こんなところで喋るわけもなかった。私は独り言をつぶやくタイプではない。
ましてや、大きな声を出すタイプでもない。
「化け物だああああああああ!!」
その言葉を発しながら、私はもつれる足を何とか動かしながら、方向転換をする。静止状態からの急な動作。私の体は何とか追いついてくれて、千鳥足になりながら走ることができた。荷物になんか構っていられず、放り出して走る。
そういうわけで私は帰り道を逆走していた。マンションの間を抜ける。駆け抜ける。普段走ることなんて、体育の受持業以外にはまったくないのに。
「なんでなんでなんで私があっ!?」
どうしてこんなことをされるのだろうか。化け物に何を言ってもどうしようもないけれど、こんなことをされる謂れはない。そのはずだ。学校でどれだけ浮いていようと、それはこんな化け物から追われる理由にはならないはずだ。
「ってか、なんで追われてるの!? やだっ、こないでっ!」
私は彼(化け物のこと、便宜上彼と呼ばせてもらおう!)のテリトリーを侵害したかもしれない。ただ踏みにじってはいないはずだ! たいていの動物、テリトリーというものを持つ動物は、入るものを拒みはするが、出るものも拒むことはなかったはずだ。いや、彼(化け物のこと)はそんなことを了解してはいないのだろう。だって動物じゃないし! あれ絶対この世のものならざるものだし!
後ろを振り向く。彼(化け物のこと)は脚だと思われる部分を前にずんずん出しながら、私を追いかける。私は全力で走っているものの、彼(化け物)からの距離は変わっていないようだ。ただ無駄に息を切らし、足を疲れさせている。
というか、本当に運動不足が顕著だ。あと1分も走っていられない。
「ひぃぃぃ!」
命の危険! 逃げなきゃ!
後ろを振り返るたびに、どうして、とか、どうやってとか。自分の身体能力のこととか、そんなことを考えられなくなってきた。疲れが脳にも来たか。恐怖心だけで私は走っていた。
「な、はっ、はっ……も、もう……」
限界だ。
もう走れない。
足がぴきんと張り、平衡感覚がぐりんと狂う。視界が一瞬で変化する。つかの間の浮遊感を味わった後に、胸からアスファルトに突っ込む。腕で顔をガードしようとしたが遅かったようだ。どざん、という音。頬を擦りむく。思考がまったく回らない。転んだ、イコール命の終焉という方程式を作り上げてしまった。
恐怖。もうおしまいだ。ここで私、吉光里利の人生は終わってしまったのだ。震える手足で必死にはい回りながら、命からがら後ろを振り返る。
そこには、あの化け物が――
「あ、あれ……」
あの化け物はいなかった。そこにはいつもどおりの薄暗く、誰もいない路地があるだけだった。周りを見渡した。誰もいなかった。息を切らして、足を疲れさせ、擦り傷をした自分だけがいた。
間抜けに転んだ姿で。