Ⅱ
翌朝は遠回りをした。あの薄暗い路地はもう安心して通れる場所ではないのだ。
ただ一人、私しか通らない道だったのに。
でもまあ、仕方ないか。不良とか、ヤンキーとかに通せんぼされるようなものだ。全国各地でよく起こっていることなのだろう。特段に私が不幸を感じるようなことではない。
学校ではいつも通り、独りぼっちだった。
周りのクラスメイトは昨日のテレビのこととか、よくある人間関係とかについての話をしていた。まったく興味がない。テレビの内容とかそういうのはろくに覚えてないし、その記憶は明日には忘れてしまっている。そんな刹那的なものには興味ない。一時しか続かないものなんて、何が面白いのだろうと思う。
人間関係のことなんて、刹那的だけどぬるく続く、気持ちの悪いものだと思う。誰が何かを言ったとか、だれが何かをしたかとか。誰と誰が何かをしたとか、まったく興味ない。何が面白いんだ? どうせ誰かを悪く言って、そして終わりだろう。
何も発展しない。
……もちろん、だれにも何も関係していない私こそ、何も発展していないんだけど。
さて、こういうところでは私は読書に専念することにしよう。課題はもう家で終わらせてきている。
誰も私に話しかけてこない。
昼ご飯を食べた後、私は読書するのではなく中庭に行くことにした。
うちの学校の中庭は大学の一区画を切り取ったような、ある種の庭園のような雰囲気を醸し出している。おそらく管理人さんの趣味だろう。きれいな庭園だ。しかしそんな雰囲気にふさわしいようんリア充のカップルはいない。きれいというのも無難なきれいさではなく、ある種芸術にも似た美しさなのだ。カップル同士がいちゃつく場所としては、少し不適だ。
だからそこまで人はいなかった。もちろんいないわけではなく、そういう雰囲気なんかものともしないカップルがいるのだ。そういう人たちは私には目もくれない。
登下校時にはただ通り抜けるというか、横目に見るだけなので特に何も気にしなかったが、見れば見るほどきれいな庭園だと思う。ただそのきれいさに何の意味があるのかと思わずにはいられない。その美しさがゆえに見ている人は少なくなっているというのに。やっぱりこだわりというのだろうか。こだわっているからこそ、大半の人たちは理解できていないのに。芸術の性というものなのか。
何が楽しいのだろう。
見てもらえないものを作るというのは。
それでも数少ない同調者に見てもらいたいというのだろうか? それで欲が満たされるのか?
うーん。わからない。
そして興味がない。
ただまあ、教室よりは空気がいいので、深呼吸することにした。




