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ヒーローネイティブ(習作)  作者: 熊猫殺油地獄
魔法少女のそれから
2/4

悪いニュース

バトルシーンはまだお預け

「あ? なんだよ、邪魔なんだけど」


 怪人との間に割って入ると、金髪の少女は不快感もあらわに言い放った。

 同性から見てもずいぶんと美しい少女だ。尖った顎とすらりと通った鼻梁がやや中性的だが、二重(まぶた)の長いまつ毛と厚めの唇が挑発的でなんとなく(なまめ)かしい。何より目を引くのは大きな真紅の瞳と、金属質な光沢を放って輝く金糸(きんし)のようなその髪だ。腰まで垂らした長い二本のおさげが朝風に絡んで踊っていた。


「ガンくれてんじゃねーぞ」


 故郷でこそ私のような黒髪の者も稀であった、しかしこの国では金色の髪を見るほうが珍しい。無作法と知りつつ、彼女もどこか異国の生まれかと、ある種シンパシー混じりにまじまじ見つめてしまい、案の定怒られる。

 眼で殺すとはこのことであろうか。隠す気がないのか、隠し方を知らないのか、恐ろしく殺気のこもった眼で睨みつけられ、少し驚く。真紅の双眸はまるで獲物を狙う猛禽類のそれだった。


 奇妙なことだったが、この世界にきてからは敵意や殺意といったもろもろの“悪意”というものに遭ったことがなかった。まともな人間は悪事を働こうともせず、故に子供の喧嘩以上の暴力や、出来心以上の犯罪は滅多にない。どこからか湧いて出てきた怪人が大雑把に名乗りを上げて大雑把に悪事を働き、あげくヒーローにやはり大雑把に退治される。そういった事件は日常的に、わりと頻繁に起こることだったが、しかしそれがこの世界の悪事のすべてに見えた。それは常識といったレベルでなく、むしろこの世界のもっと根本の、法則のようなものらしかった。

 それが理由かはわからなかったが、それらの悪事に一切の悪意や、あるいは悪意のようなものですら感じることはなかった。


「おまえもこいつの仲間かよ、違うよな? どうでもいいや、まとめてぶっ殺してやるから」


 しかしこの少女からは明白な敵意を感じる。それこそ戦場でもなかなかお目にかかれないほどの濃厚なものだ。

 そこでふと違和感を覚えた。

 この違和感は何だ。あるいは彼女の不自然さのせいだろう。彼女の不自然さはしかし、人形じみて必要以上に愛らしい顔や、妙に金属質な光沢を持つ金髪のせい、それだけであろうか。

 いや、戦いの記憶が「そうではない」と言っている、戦士の感が「違う」と言っている。戦場にいた者の、血の匂いを知っている者だけが持つ感が、この少女は危険だとシグナルを鳴らしている。

 長くしなやかな手足は凶器だ。透き通るような白い肌には返り血が映えるだろう。ルビーのような瞳の、その輝きは獣のようであまりに尖い。桜色の唇からは牙が伸びてはいないか。

 それはまるで、在りし日の戦場で見た魔王軍の兵士だ。


 その瞬間、鼻孔を血の匂いがかすめた。

 ざわざわと、背中の産毛が逆立つ。

 脳が興奮物質を吹き上げる。

 歓喜した心臓が激しく鼓動する。

 血が沸き立ち、体中を駆け巡った。

 筋肉が音を立てて軋み、右手が剣を探し彷徨っている。


――そうか、ここが戦場でないから。


 平和ぼけした世界とは、不釣合いでちぐはぐな少女。

 ここが戦場でないのなら、この少女はまるで、この世界にとっての異物だ。


――ああ、そして私もまた、居場所を失った異物なのだ。


 ならば、あるいはここが戦場にしてしまえば、こんな違和感など感じなくても済むのではないか――


「……おまえ、大丈夫かよ」


 少女の声でユリは我に返った。

 金髪の少女が目を細め怪訝な顔でユリを見つめる。


「おねぇちゃん」


 つぶやくような声を聴いてユリが振り返ると、チーター怪人と目が合った。怪人は小春を、まるでなにかから庇うように抱きしめている。

 その腕の中で、小春が怯えていた。


 ユリは大きく息を吸ってから、ゆっくりと吐き出して、そして誰にでもなく「すまん」といった。


「高山 ユリだ」

「あ?」


 調子を取り戻したユリが向き直っていうと、少女は面食らって口を開けた。


「名乗った。先ほど君が問うただろう」

「お、おう」

「故あって高校生をしている」

「なんだか含みのある言い方だけど、そうか、うん」

「たかやま、こはるです! しょーがくいちねんせーです!」


 いつの間にか再びユリの尻にしがみついている小春が、姉に倣って自己紹介を始める。


「チーター怪人です! 恋人募集中です!」


 怪人は完全に場の空気に流された。後半に口走ったのは不要な情報である。

 こうなると皆の視線は、いまだ名乗らぬ正体不明の金髪少女に集まる。


「ふ……ふふふっ、ふはーはっは!」


 そして突然、彼女は笑い出す。


「アタシの名前はアサギリ!」


 それはとても嬉しそうな笑顔だった。


「おまえらずるいぞ! アタシだって“名乗り”をあげさせろ! 」


 まるで、やっと「よし」をもらった犬が嬉しそうにしっぽを振っているようだった。


「わかるか? これはロマンだ! 特権だ! 様式美だ!」


 なぜならそれは。


「なぜならアタシは!」











 説明しよう、謎の金髪少女アサギリはヒーローである。


 幼少の頃のアサギリを一言でいうなら“空っぽ”であった。彼女は口を利かず、そのうえ泣くことも笑うこともしなかった。玩具にも絵本にも興味を示さず、放っておくと一日中窓の外を見ている、そんな子だった。


 同年代の子供らと触れ合えば、あるいは何か変化があるのではと、親代わりだった人間が「お外で遊んできなさい」といえば、彼女は言われた通り公園に行き、ベンチに座ると日がな一日子供らの遊ぶ姿を眺めた。何日も何日も。しかしやっぱりそれだけだった。

 子供たちは新しい友人(アサギリ)を幾度となく遊びに誘ったが、それでも当のアサギリというと、まるでわからないというふうに不思議そうな顔で首を傾げるだけなので、いつしか彼らもすっかり飽きてしまって、そんなこともなくなってしまった。


 それは、子どもたちがアサギリのことを公園のオブジェかなにかだと認識しはじめた、ある日のことだった。サッカーボールを持った中学生たちが、横暴な態度で公園の独占的使用権を主張し、ひときわ体格の良い少年が、抵抗する気の強い男の子を突き飛ばしたのだ。

 それを見たアサギリの背筋に小さな火花が瞬いた。

 得体のしれぬ衝動に彼女は駆け出し、男の子にさらなる制裁を加えようとしている少年の腕を掴むとそのまま、ポキリと折ってしまった。


 その後の大騒ぎをアサギリは覚えていないが、その晩のことはよく覚えている。


「あなたは普通の人よりもずっと強い。その力を使えばなんでもできる。でも、目的のない力は必ず、あなた自身を傷つけてしまう。力を何に使うか、その力を使って何になるか、よく考えなさい」


 その言葉はアサギリの心の奥底を(くすぶ)った。


 日曜の朝、外出禁止となったアサギリはテレビを観ていた。テレビの中で、色違いのスーツを纏った5人組がロボットに乗って戦っていた。


――強い力だ、なんでも出来る力だ。


 昨夜の言葉が脳裏に蘇ると、またもやアサギリの背中に火花が瞬き、心の中の燻りが小さな火となった。暗い過去を背負った改造人間がキックを放てば、その火は勢いを増し燃え上がる炎になる。


――アタシはこの力を何に使う。


 アサギリは自らに問う。魔法使いの少女が愛の力で仲間を救った時には、高く立ち(のぼ)る炎がアサギリの心を満たし、焦がし、そしてついに焼きつくした。


――この力を使ってアタシは何者になる。


 再び自身に問うた時にはすでに答えが出ていた。


 次の瞬間アサギリは部屋のドアを蹴破り、ついでに玄関も蹴破り、そして全速力で走っていた。公園までたどり着くとジャングルジム上にひらり飛び乗って、唖然としている子供たちを見下ろし、日を背負い右手の拳を天に掲げ、そして言った。


「アタシはアサギリ! アタシは――」











「――でね、言ったの。ヒーローだー、って!」


 昼休みの教室で短いおさげを揺らしながら、園田 八千代(やちよ)が両手を広げる。

 今朝方の騒動の一部始終をユリから聞き、件の金髪の少女と知り合いだという八千代が、小柄な体をいっぱいに使ってオーバーアクションな身振り手振りを交えつつ語ったのは、金髪の少女――アサギリがヒーローとなった、その顛末であった。


「そうか、八千代は彼女を知っていたのか、狭いものだな、世間は」

「うん! 友達だよ!」


 大きな目を輝かせ、やわらかな頬を興奮気味に赤くする八千代に、ユリは小春の姿を重ねてしまう。


「そりゃアンタにしてみれば、顔さえ知ってりゃ友達でしょうよ」


 そう憎まれ口をたたくのは、八千代とは対照的に長身の九条 アリサだ。

 細身に似合わず大食いなアリサは、二つ目の菓子パンを頬張りながらいう。


「まぁ、有名だよねこの辺じゃ、アサギリちゃんと遊んじゃいけません、なんて」

「悪い人間では……ないようだが」

「歯切れが悪いなぁ、私としては、事あるごとにアゴ割っただのハナ折っただの、それで正義の味方とかいわれても、どうよ? って感じだけど、で……その、男の子はどうなったの?」

「ん?」

「腕を折られた中学生」

「あー、なんかね、すっごく綺麗に折れてて、すぐにくっついたって!」

「そういう意味じゃないんだけど」


 屈託なく話す八千代にたいして、アリサは不愉快そうに太めの眉を寄せ眉間に皺をつくる。正義感の強い彼女は暴力そのものに不快感を示しているのだ。


「でも前より丈夫になったって自慢してたよ!」

「だからそういう意味じゃ……」


 アリサがいよいよ苛ついた声を出して長い黒髪を乱暴にかき上げる。

 ユリはちらりとそれを見ながらいう。


「彼らとは和解できたのだな」


 真面目で気の強いアリサと、活発で大らかな八千代の凸凹コンビは、小学校からの付き合いだという。そんな彼女らは事あるごとにこうやって“喧嘩”をする。八千代が笑いアリサが怒る、それは容姿も性格も正反対な二人の、なんとも咬み合わない喧嘩なのだ。

 こじらせると3日は口を利かなくなるので、そのフォローはもっぱらユリの役目となっていた。


「うん! サッカー教えてくれた!」

「うむ、良いことだ」


 満面の笑みで、何故か誇らしげにいう八千代に、ユリは腕を組んでうんうんと頷いた。


「いいのかなぁ……」

「傷も遺恨も残らなかったのだ、上等だろう」

「まぁそうか……いや、ああ、またユリの謎の説得力に論点がずらされる……」


 亡国の某王女は学校生活においても生来のカリスマ性を遺憾なく発揮していた。あるいは年頃の敏感さからか、とくに神経質なアリサはそれに強く“あてられて”いるらしい。

 そのアリサがこめかみを揉みながらユリに尋ねた。


「あっ、それでユリの方は? ネコ怪人と自称ヒーローはそれから?」


 ユリは二人に「ネコ男と出会った」と伝えている。本当はチーター怪人であるのだが、件の怪人が、ユリにすればあまりに弱々しくむしろ可愛らしくすら思え、それのモデルが猛獣だとは気付いていなかった。


「ネコ男は、そのアサギリとかいう少女が長々と口上を垂れている間に逃げていたようだ、天知る地知る何とやら、などと早朝の通学路で拝聴するとは思わなんだ、慌てて追いかけていったが、はて、どうなったことか」

「おもわなんだ! あはは! おもわなんだって!」


 突然笑い出したのは八千代である。箸が転げても可笑しいを地で行くような八千代は、時たまユリの言葉遣いがツボに入るらしく、こうして笑い転げるのだ。


「八千代笑いすぎ、ユリはまだ直らないね、言葉遣い、前よりよくなったけどさ」

「あはは! はて? とかいわないよぉ! うははー腹筋いたーい」

「そんなに可怪しいだろうか」

「まぁ、最初の頃よりは良くなったよ、はじめて合った時なんて、サムライか! ってツッコミそうになったもん」


 出自がやんごとないうえに、ましてや時空レベルで一般人のそれとかけ離れているからか、ユリの言葉遣いはやや硬く、いささか古い。初対面の人間には大抵笑われてしまうし、同級生からもからかわれるので直そうとしているのだが、直そう直そうと四苦八苦してるうちに、結局なんだかおかしな具合になってしまっている。癖というものはなかなかに正せるものではないと、これに関してはユリはもう諦めているのだった。


「最初の頃? あれ、いつだっけ? あれ?」


 腹をおさえ笑い転げていた八千代が涙目を拭いながらいう。

 ユリは背中に氷を落とされた気がした。


「だから入学してから、えっと……ん?」


 二人が同時にユリを見る。

 八千代もアリサも、何か困ったような、複雑な表情をして固まっていた。

 捨てられた子犬でも見つけたら、二人はきっとこんな顔をするのだろうと、ユリは思った。 


「ほう! 八千代の弁当はいつ見ても美味そうだな!」


 震える手を強く握りしめて、ユリはできるだけ大きな声を出す。


「自分で作るのだろう? 見事なものだ! 早起きは大変だろう?」


 まるでゼンマイを巻き直したカラクリのように、八千代がいつもの笑顔に戻る。


「う、うん! でもお料理好きだから、楽しいよ!」

「……八千代、手先だけは器用だもんね」


 アリサが夢から()めたように(まぶた)(しぱた)かせている。


「だけ、は余計だよぅ、ユリちゃんは褒めてくれたから玉子焼き進呈でござる」

(たまわ)った」

「たまわれた! あははは!」

「あ、私はベーコン巻きがいいな」

「いじわるアリサはバランでもしゃぶってろい!」

「これバランっていうんだ……」

「あはは、今までなんて呼んでたの?」

「えっ……草?」

「く~さ~! うはははははは!」


 ユリは二人の友人が好きだった。

 ユリは二人を裏切りたくなかった。嘘をつきたくなかった。

 それは高山家の、小春の両親にしてもそうだ。

 彼らに知られるわけにはいかなかった。それが魔法で与えた、些細なきっかけで綻ぶ不完全な記憶だと。彼らの家族が、友人が、本当は卑劣な方法で思い出に割り込んだ侵入者だと、知られるわけにはいかなかった。

 そして本物の『高山 百合』が、すでに故人だということを、思い出させるわけにはいかなかった。

 ユリはそれでも、だから裏切っていた。嘘をついていた。

 嫌われるのは構わない、罵倒を浴びせられるのなら甘んじて受け入れよう、殴ろうが蹴ろうが彼らにはその権利がある、ユリはそう思っている。


 しかし、何より彼らを傷つけてしまうのが、ユリには耐えられなかった。

 ユリは彼らを愛していた。 


「にゃははは、アリサおもしろい! やばい、ツボった、あははは!」

「笑うな! あーなんか悔しい! ムカつく! ムカつく!」

「やん! いったーい! あーんユリちゃーん、アリサがたたくぅー」

「こらっ、ずるいぞ! ユリに隠れるな! 甘えるな!」

「はは、二人は仲が良いな」

「よくない!」


 そんなものは自分勝手な感情だとユリは理解していた。

 異物として生きるくらいなら、誰かが罰してくれたほうがどんなに楽だろうと思う。

 そして、あのアサギリという少女は私を罰してくれるだろうかと、そう思った。


「た、高山は居るか!」


 いたたまれなくなったユリが、思わず二人から目を逸らしそうになったとき、担任教諭が慌ただしく教室のドアを開け、ユリの名を呼んだ。


「此処に」


「高山、君の妹さん、私立〇〇学園の生徒だったな」


「ええ、そうですが」


「ここでは少し…… と、とりあえず職員室まで来い」


 逼迫した表情の教師は少し口ごもっていう。

 何事かと八千代とアリサも顔を見合わせている。


 ユリはとても嫌な予感がした。












 妙に慌てふためく教師に先導されるように職員室に入ると、据え付けられたテレビの前に人だかりができていた。

 教師たちは私の姿を認めると、人垣を左右に割った。

 導かれるように歩み出る。


 テレビには見覚えのあるバスが映っている。それは今朝方、小春を乗せて学校へと向かったはずのスクールバスだった。

 バスの中で子供たちが泣きわめいている。その子供たちを一人ひとり、舐めるように映しながら、カメラがゆっくりと横に動く。

 心臓が波打つ。

 けして、けっして探していたわけではない、見つけたくなどなかった。

 しかし、そこに小春がいた。

 小春はバスの中、泣きわめく子供たちの中でただ一人、きつく唇をむすんでカメラを睨みつけていた。

 思わず画面に手を伸ばすと、突然、類人猿の顔が大写しになった。


「知的エリートの抹殺だとかそういうメンドクセーこといってんじゃねーんだ、金だよカネ、わかるだろ? だからさ、ほら持ってんだろ? いいっガッコいかせてんだから、……親御さん方! 同情します、世の中は非情だ! しかし我々は慈善団体ではなくて悪人なのです! 誠に不本意ながら只今から4時間ごとにバスは爆発します、もちろん中身と一緒に木っ端微塵です! なんてこった! しかしこれがあなた方に突きつけられた現実の全てなのです! だが我々は悪魔ではない、目先の欲望にと~っても弱いから金次第でなんとかなるかもしれないよ! やったね、ゴリさん太っ腹! 夢と希望がパンパンに詰まったお嬢ちゃんお坊ちゃんをハンバーグにしたくなきゃ3時間以内に100億、え~100億~?! 安ぅ~い! 今ならなんとたった100億でガキンチョ40人が無傷で帰ってくる! ご購入はフリーダイヤルよりも銀行振込でさっさとしやがれ、画面の下の方、出てんだろ? ココな? 以上、ゴリさんのテレビショッピングでしたー、イエス! イエス! シーユーファッキントゥモロー! あー……あとどうせハッタリだと思ってんだろうから1台やっとくわ」


 女性教諭が悲鳴を上げる、別の誰かが罵声を飛ばす。

 しかし誰も、何もできなかった。

 テレビには炎上するバスが映っている。

 しかし私は、何もできなかった。


「後4台あるから400億な、マジで、ガキの相手すんの苦手なんだよ」


 非現実的な画像は、そして唐突に変わり、テレビは当たり前のニューススタジオを写した。

 男性教諭が私の肩に手を置き何やらつぶやいたが、理解出来るだけの思考力などもはやなくなっていた。

 体が妙に軽い。

 私の中からなにか大事な、決定的な何かが抜けだしてしまった。

 無力感と喪失感だけが体を満たしている。しかし何を失ったのかさえ分からなくなっていた。

 ただ「まただ」と頭のなかで別の誰かが叫んでいる。


――また失った! また何もできなかった!


 何度も何度も、誰かがそう叫ぶのを聞きながら、私は私が扉を開けるのを見ていた。


 扉の前に、アリサがいた。後ろで八千代が泣いている。

 アリサは私に「嘘つき」と言った。


 その時やっと、何もかも失ったことを、私は理解した。

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