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六歳児、夏。体育祭「完全に無意識だった。」

年内の更新間に合いませんでした。無念です。

この話は短編の「転生ヒロインの強制イベントは恐ろしい。」とリンクしています。

 六月の日曜日。天気は梅雨とは思えぬ見事な晴れ。

 本日は体育祭日和也。




「快晴ですねー。おば様」

「ふふ。そうね」

 目を細めて眩しそうに空を見上げる私の横で、おば様・夏志さんの母君が上品に微笑んだ。

 私は本日も王山学園に来ている。今日は体育祭だ。おば様に誘われて夏志さん達の雄姿を見に来た。もちろん八神母と赤井ママも一緒だ。

「文化祭ならともかく、体育祭って保護者以外の部外者も見学に来ていいもんなのかね?」

「細かい事は気にしないの」

 素朴な疑問を呟くと、弟と手を繋いだお母んがアッサリとした返答をしてくる。なんと今日はお母んも一緒である。

「さも関係者ですって顔をしていれば、こういう人が多い空間はだいたい誤魔化せるものよ。今後の潜入する機会に生かしなさい」

「なるほど」

 真面目な顔で変な教えを説いてきた。さすが私のお母ん。つーか、今後の私の人生に潜入の機会なんてあるのだろうか?


 周囲は王山の生徒と、応援に来た保護者であふれかえっている。お母んの言うとおり天川家(親父除く)が紛れた所で分かるまい。……中高の体育祭ってこんなに保護者が見に来るものなんかな?

「なんで梅雨真っただ中の六月に体育祭やるんだろ?秋じゃないんだね」

 雨天中止になりそうなのにさ。スポーツの秋って言うし。

「それはアレでしょ。インドア文化系体育祭とかマジメンドイって言うもやしっ子達に、少しでも希望を持たせる為よ。もっとも希望の分だけ晴れちゃったりするんだけどね」

「なるほど」

 お母んの悟り顔での答えに、素直に納得する。

「いやいや、おばさん。なに言ってるんですか(汗)」

「あ。直兄」

 直兄が我々親子の会話にツッコんできた。その表情はたいへん微妙なものだ。

「まだ始まんないのー?」

「もうすぐ開会式が始まる」

「ちなみに体育祭はこの時期だけど、球技大会は秋にやるんだよ。花乃ちゃん」

 直兄の後ろには夏志さんと赤井さんもいる。どうやら開会式の前に声を掛けに来てくれたらしい。話を聞いていたらしい赤井さんが爽やかに説明してくれた。


 しかし、この人たちが集まると目立つなぁ。美人揃いの母親トリオだけでも目立ってたのにさ。不特定多数に顔を覚えられると面倒だから、あんまり目立ちたくないんだよね。

 とは言っても、今回はあんまり心配ないかな。……あいつらいるし。


「すっごーい!カワイイー!!」

「紫田君の妹と弟ー?超似てるー」

「双子なの?ホントすっごくカワイイ!」

「「ありがとうございます」」

「「「「「カワイイーーーーーーーーーーーーーー♡」」」」」


 少し離れた所で人だかりができている。二人の子供を取り囲むように王山女子生徒が集まっていた。そう。同じく応援に来た紫田ツインズが人目を集めまくってくれている。そこらのチビッ子とはレベルが違う可愛さ(見ためのみ)に、お姉さん方はメロメロ(笑)だ。そりゃまぁ紫田さんの弟妹で、紫田さんそっくりで、しかも双子なんて存在を王山女子が構わないわけがない。チヤホヤされて双子もご満悦な様子である。愛想をふりまいている。……紫田さんは傍で困ってるみたいだけど。

 初対面の時も思ったけど、年上には礼儀正しいんだよな。直兄達にも普通に挨拶してたし。同年代には礼儀の欠片もないけどさ。晃希…私と弟をド突いた事、まだ忘れてないぞ。


 まぁ、いいさ。そのままお姉さん方にチヤホヤされまくるがいい。お前達が注目されればされるほど、私と言うモブが目立たなくなる。お前達は光。私は影だ。


「別に見に来なくてもいいっつったろ。お袋」

「小学生じゃないんだから…」

「中等部の時も毎年きてたし。母さんも暇だなぁ。」

 直兄達は体育祭を見にきた母親に照れくさそうに文句を言っている。こういう所は年相応の男子高校生だ。なんかホッとする。

「あらあら。そしたら花乃ちゃんと草士君も応援に来てないわよ?」

「私達が帰るなら花乃ちゃん達も一緒よ?」

「花乃ちゃんも草士ちゃんも、お兄ちゃん達のカッコいいところ見たいわよねー?」

「「「………」」」

 母親トリオの余裕の返しに三人そろって黙り込んだ。悔しそうな表情で口を噤んでいる。母は強しとはよく言ったものだ。つーか、この返しに黙るってどうかと思うんですが…。


「あ。赤井さんは組が違うんですね」

「ああ。俺はA組で、二人はB組だからね」

 赤井さんだけ鉢巻の色が違う。赤井さんの鉢巻は赤で、直兄と夏志さん白だ。


 王山学園の体育祭は中高合同で、紅組と白組に分かれて行われる。王山は中等部が六クラス、高等部が十クラスあり、紅組は中等部のACE組と高等部のACEGI組の生徒で、白組は中等部のBDFと高等部のBDFHJ組の生徒だ。


「いつものメンツってチーム分けどうなってんスか?」

「えーと、俺と同じ紅組に白鳥先輩と紫田、あと桃山がいるよ」

「緑川先輩と青柳が白組だな」

 紅組に白・赤・紫・ピンク。白組に黒・緑・青か。黄島先生は先生だから仕方ないが、カラフルな人達は紅組が一人多いのか。まぁ白組には直兄もいるけど。て言うかこれって……。

「夏志さんと冬樹さんが同じ白組って、パワーバランス的に大丈夫ですか?」

 黒宮道場門下で、超人的身体能力の持ち主の二人が同じチームって!

「あ~。正直それは俺も思った」

 赤井さんが難しい顔で同意する。紅組としてはキツイだろう。

「まぁ、他の道場の奴らは散ってるから」

 夏志さんが頭をポンポンと撫でた。


 王山に通う黒宮道場門下生は夏志さんと冬樹さんだけではない。立地的な近さから、王山に入学する者は多い。とは言っても現王山学園在学中の門下生で、夏志さんと冬樹さんは別格なのだが。


「あーーーーーーーーーーー!花乃っちじゃーん♪」

 夏志さんに他の兄弟子たちの組み分けを聞いていると、陽気な声が響く。

「この声は…」

 振り返ると大型犬……じゃなくて、桃山さんが大袈裟に手を振りながら突進してきた。相変わらず全身で「俺、超元気!」と語って、いや叫んでいる。

「花乃っちー!やっほーーー!!」

「どもっス。桃山さんは相変わらず一人で賑やかですね」

 すっごい高いテンションのまま抱え上げられた。体育祭が楽しくて仕方がない様子だ。そう言えば以前、自分で体力バカ属性とか言ってたな。

「紅組には桃山がいるんだよな」

「あ~」

 突如現れた桃山さんを眺めながら、直兄が腕を組んで難しい顔をしている。夏志さんがその横で頷いた。

「なになに?なんの話??」

「紅組と白組のパワーバランスの話だ。こっちは夏志と緑川先輩がいるから心強いって話してたんだけど…」

 直兄が苦笑まじりで答えると、桃山さんが目を輝かせて直兄の言葉を遮る。

「ふっふーん!残念!!そうはいかないんだぜ!なんてったって紅組にはこの俺がいんだかんねー♪」

 桃山さんは私を抱えたまま自信満々に胸を張った。

「黒宮!今年も体育祭の主役はもらっちゃうぜ!負けねーかんな」

「今年もじゃねーだろ。去年も一昨年もその前も、別にお前に負けた覚えねーからな」

 心底楽しそうな桃山さんの宣戦布告に、夏志さんはウンザリした態度でツッコむが、妹弟子には分かる。あの眼は夏志さんもやる気満々だ。目の奥が燃えている。さすが負けず嫌い。

「…そもそも去年は夏志と桃山、同じ組だったしな…」

「それでも味方同士で張り合ってたけど」

 闘志を燃やし合う二人を眺めながら、直兄と赤井さんは溜息をついた。…去年も見てみたかったな。


「桃山さんってそんなに運動神経いいんスか?」

「スポ―ツは夏志と張るくらい出来るな。球技なら夏志よりも上手いかも」

「そりゃすごい」

 夏志さんと火花を散らしている桃山さんの腕の中から救出されながら直兄に尋ね、その返答に感心する。桃山さんってただのバカじゃないんですね。

「へっへーん!絶対活躍しまくるから、花乃っち応援よろしくなー♪今年の優勝は紅組だぜ!」

「…………んんー。何に出るんですか?」

 桃山さんが夏志さんから私の方へと顔を向け、ハイテンションで応援をご所望してきた。落ち着きがない人だ。とりあえず、返事は曖昧に種目を尋ねる。

 正直、直兄と夏志さんの手前応援するとは言いづらい。と言うか、紅か白か。どっちを応援するのか、それが問題だ。なるべく話題にしない様に気を使っていたと言うのに、このKYが。夏志さん睨まないで下さい。直兄も胡散臭い笑顔やめろ。応援するとは返事してないだろうが。赤井さんを見習え!見てください。あの「花乃ちゃんは気を使わずに、好きにしていいんだからね」と言わんばかりの爽やか笑顔。あれが真のイケメンですよ。


「えーと。俺が出るのは短距離と中距離と玉入れとー、障害物と借り物と騎馬戦と綱引きー、あと大玉転がしと応援合戦。あ、リレーもだ。それから…」

「あ。もういいです」

 出場種目を指折り数える桃山さんを止める。なんだろう。聞くだけで疲れる。どんだけ出るんスか?

「頼りにしてるからな。桃山」

「おう!まかせとけー!」

 赤井さんが桃山さんの肩を叩き、鼓舞する。

「夏志。今日は勝つぞ」

「当たり前だ」

 直兄と夏志さんも気合を入れている。


≪開会式を始めます。生徒の皆さんは整列してください≫


「それじゃあ行くか」

「花乃。草士。あとでな」

「頑張ってくださーい」

「むい」

 スピーカーから響いた放送に、直兄達は校庭の中心に向かって駆け出した。その背中に弟と一緒に手を振る。ちなみに弟は会話中ずっと赤井さんの足にしがみ付いていた。安定の弟である。


「青春ね~」

「若いわ~」

「青い春なのね~」

 後ろでお母様方がしみじみとしている。止めてあげてください。そういう発言が思春期の御子息方に嫌がられる原因なんですから。……分かっててやってるんだろうな。


 心の中で兄貴分達を憐れんでいると、開会式が始まった。乙女ゲームの世界とはいえ、特に変わった事のない開会式ではあるが、幼稚園に行っていない私にとって初めての運動会である。ちょっとワクワクしてきた。

「なんかワクワクするわね」

 私の心を見透かしたように、お母んが微笑む。お見通しですか。さすがお母ん。

「うん」

「それが血がたぎるって感覚よ」

「うん?」

 素直に頷いた私にお母んは、「人間の闘争本能って奴よね」と慈愛に満ちた微笑みで頷いた。


 お母ん。たぶん、それ違う。(汗)

 一度、私達をどう教育したいのか話し合った方がいいかもしれない。




「こんな所にいたのね」

「相変わらず地味で目立たないな」


 特にやる事もなくボーっと開会式を眺めていたら紫田ツインズが近寄ってきた。どうやら紫田さんやチヤホヤしてくれるお姉さん方が開会式に行ってしまって暇になったようだ。

「ちわっス。瑞希、晃希」

「……」

 とりあえず片手を上げて挨拶する私の横で、弟は黙って晃希にメンチを切っている。お前も根に持ちやすいな。このメンチの切り方は天然か、道場の兄弟子達仕込みか。…後者だった場合は師範に密告だな。

 四月の初対面から二か月。紫田さんの願いにより何度か交流を重ねたが、弟の晃希嫌いも双子の嫌味も解消される気配はない。むしろ弟の晃希を睨む表情がどんどん露骨になっていく。


「あいかわらずパッとしない格好ね。私を見習ったらどう?」

 瑞希は白いレースのワンピースを見せびらかすように、ゆっくり回った。スカートがふわりと広がる。

「瑞希は可愛いからそういう服すごく似合うね」

「ふふ。そうでしょう。当然よ♪」

 私の言葉に瑞希は上機嫌になる。目をパーッと輝かせて勝ち誇った。

「なんなら、か、貸してあげてもいいのよ?花乃がどうしても着てみたいって言うなら」

 そしてモジモジと照れくさそうにチラチラと私を見る。

「別にいいよ。私が着るより瑞希が着てるの見る方が、私は好きだな」

「っっっ!そうよね。分かってるじゃない」

 瑞希はニヤニヤしそうになるのも必死に堪えてツンと澄ました。顔が真っ赤だ。


 歩み寄る欠片もない弟たちとは別に、瑞希と私の関係は………まぁマシになっている。

 この二か月で学んだ瑞希との接し方は、素直に褒めれば機嫌がいい。機嫌が良ければそこまでひどい嫌味も出ない。と言うものだ。幸いな事に、実際に超美少女の瑞希は褒める言葉に困らない。

 嫌味や上から目線もこういう奴だと分かっていれば、まぁ流せる範囲だと思う。オタクに属する私からすれば、ツンデレと思えば可愛いもんだ。問題があるとすれば………。


「ははは。地味ブスのお前じゃ着ても似合わないだろうしな」

 ………こいつだ。


「お前にはその地味な格好が分相応だぜ」

「…………」

 晃希はフフンと挑発的な笑みで嫌味を吐き出し続ける。腰に手を当て胸を張って、言葉も態度も上から目線だ。

 この双子との付き合いで知ったのだが、どうやら私は女のツンデレなら三次元でもいける口だが、男のツンデレは三次元ではダメらしい。二次元なら…まぁ、うん。

 三次元の男ツンデレはただただイラッとする。メンドクサイ。殴りたい。マジで。

「おい。聞いてるのか?地味女!」

 ……そもそもこいつのデレを見た事ないや。あれ?じゃあコイツただの失礼なツン?本当にただのメンドクサイ奴じゃん。うわあ。

「っ!おい。返事くらいし…わっ!?」

「晃希。いい加減にしなさい」

 可哀想なものを見る目で見ていたら、突然晃希が後ろに引っ張られた。晃希の背後で晃希の腕を掴んでいる人物。紫田兄妹の母君である。


 紫田さんや双子と同じ金髪と碧眼。作り物のような白い肌。超モデル体型。双子と同じく海外映画に出ててもおかしくない美人だ。超絶美人な母親トリオが母親カルテットになった。


「ごめんなさい。うちの子がひどい事言って。晃希、謝りなさい」

「なんで俺が!本当の事言っただけだろ」

「そういう意地悪はもう言わないって約束したでしょ。学校でもまだ言ってるんじゃないでしょうね?」

「が、学校では言ってない」

「だったら花乃ちゃんにも言うのはやめなさい」

「………」

「晃希。花乃ちゃんに謝りなさい」

「……………」

 紫田マザーに怒られ、晃希は黙り込む。さすがに母親には逆らわないらしい。この辺が育ちの良さだろうか。だが謝罪の言葉が出る気配はない。ムスーッとして無言で私を睨んでいる。おおかた「お前のせいで怒られたじゃないか。この地味女」とか思っているのだろう。自業自得である。逆恨みも大概にしてほしいものだ。


「本当にごめんなさい。うちの子、口が悪くて…」

 一向に謝る気配のない晃希に困りながら、紫田マザーが私とお母んに申し訳なさそうに頭を下げた。

「気にしなくていいですよ。うちの子全然ダメージ受けてないんで」

 それに対するウチのお母んの反応はあっけらかんとしたものだ。ケラケラと笑っている。

「今だって晃希君に言われてる間、ノーダメージで失礼な事でも考えてたみたいだし」

 お見通しですか、お母ん。確かに残念な奴とか思っていました。


「晃希。もっと考えてしゃべりなよ。お前の言動で一番困るのは親なんだから」

「う、うるさい」

 そのまま話し出したお母ん達の横で、晃希に注意する。当然反発されますがね。だが晃希も母親が謝る姿に、何も思わないわけではないのだろう。いつもの勢いはない。

「学校ではどうなん?友達できたの?」

「ぐっ!」

「うぅ!」

 私の質問に双子は苦いものを噛んだような顔になった。まぁ、友達ができてたら自分から自慢してきてるだろうしな。

「ふん!周りがガキすぎるんだ」

「私達と釣り合う友人ともなると、なかなかいないのよねぇ」

 晃希は腕を組んでそっぽを向き、瑞希は頬に手を当てて目を逸らす。本当に難儀な奴らだ。

「お前ら、懲りないね…」


 本人たちの言葉を信じるなら、嫌味は言わない様に気をつけているのだろう。だが、身に沁みついた高圧的で偉そうな態度やエリート思考、それに自慢話等、友達ができない理由はいくらでもある奴らだ。せめてもの救いはイジメられてない事だろう。あと、双子だから互いの存在のおかげで一人にはなるまい。


「それに友達がいないのはお前もだろう。仕方ないから、しばらくはお前らと遊んでやるよ」

「私達に他に友達ができたら、花乃も淋しいでしょう」

 晃希は「しょうがない奴だなぁ」といった顔でやれやれと首を振り、瑞希はどこか得意げな顔でお姉さんぶった。

 確かに私は幼稚園にも保育園にも言っていない為、そういったコミュニティから外れているし、近所の子供達とも友達と言い切れる仲ではない。おそらく直兄達から紫田さん経由でその辺を聞いたのだろうけど……。

「確かに私ら近所の子供たちの輪から外れてるけど、道場に友達いるよ」

 友達がいなかったのは道場に入る前の話で、道場に入ってからは小学校低学年組の兄弟子たちが友達だ。それより上の兄弟子たちは友達と言うより兄貴分だからな。それに近所の子供達とだって遊ぼうと思えば遊べる……と思う。

「「!!!」」

 私の言葉に晃希と瑞希が目に見えてショックを受ける。こいつら、ウチら姉弟もぼっちだと思っていたのか。まるで裏切られたような目を向けてくる。

「あ。でも女の子の友達は瑞希だけだ」

「!!」

「……」

 ふと道場の友達を思い出していたら女の子がいない事実を思い出した。そのまま口に出すと、瑞希がパァッと顔を輝かせた。晃希は何かに耐える様に黙って拳を握りしめている。

「ふふん。今度人形遊びをしてあげてもいいわよ」

「あー。じゃあ今度ね」

 人形遊びに不満はないが、晃希や弟も一緒に遊べる遊びの方がいいんじゃないだろうか?しかし瑞希が隠しきれないほどウキウキしているので、とりあえず肯定で返す。考えてみたら、日本に来てからほとんど晃希としか遊んでないんだもんな。女の子の遊びとかずっとしてなかったのかも。

 ただ、瑞希の人形遊びって、瑞希がお姫様で私が召使いって感じになるんだろうな。別にいいけど。


「……ス」

「ん?」

「どうしたのよ?晃希」

 黙っていた晃希が何かポツリと言ったが、聞き取れなかった。瑞希も首を傾げている。

「ブス!!」

 晃希が突然暴言を叫んだ。これには皆ビックリだ。まさか紫田マザーの前でまだやるとは…。

「こら!晃希…!!」

「バーカバーカ!地味女!ブ――――ス!!」

「ちょっ!?晃希!?待ちなさい!」

「何処行くん!?」

 紫田マザーがまた叱ろうとしたが、晃希は私に暴言を叫びながら一人走り去った。え!?ホントにどこ行くんだ?お前!?

 突然走り出した息子に紫田マザーも慌てる。晃希の背中が人ごみの中に消えようとしていた。

「こ、晃希!?すみません。あの子ったらまた…!後で謝らせますから。瑞希行くわよ」

「はい。お母さん」

 紫田マザーは私とお母んにまた頭を下げ、瑞希の手を引いて大慌てで晃希の背中を追いかけて行った。

「またねー」

 瑞希に手を振りながら二人の背中を見送る。………お母さんって大変だな。

「………なんだったんだ?晃希の奴」

「むい」

 私の隣で弟が肩をすくめた。そうだな。考えても仕方ないよな。


 双子と騒いでいた間に開会式は終了したようだ。体育祭の競技が始まる。まず最初は短距離走だ。出場する生徒たちがスタート地点に並び始めた。




「花ー乃っち。見ててくれたー?俺の雄姿♪」

 応援席で短距離走を眺めていたら、走り終わった桃山さんが訪ねてきた。男子が走り終わって今は女子が走っている。

「見てましたよ。圧勝でしたね」

「まぁね!ただ黒宮とは違うグループだったのがなぁ~。勝負したかったのにさー」

「あ~」

 桃山さんは子供っぽく頬を膨らませて不満を訴えている。

 おそらく確実に一位を取って得点を稼ぐために、周囲が桃山さんと夏志さんの対決を避けたのだろう。夏志さんと対決できなかった桃山さんは余裕のゴールを決めていた。余裕すぎてゴール前で側転しながらゴールして、風紀と実行委員に怒られていたくらいだ。危ないからやめましょうね。

「桃山さん。次の綱引きにも出るって言ってませんでしたっけ?」

「おお。出んよー。今、集合場所に向かってるとこ」

 私の質問に桃山さんはニッカリと笑う。どうやら移動の途中で寄ってくれたらしい。

 話題を変えたらさっきまで不満顔だったのに、コロリと笑顔になった。こういう所が憎めない馬鹿なんだよなぁ。……いかん。こんな考えでは今後のテストでも面倒を見る羽目になってしまう(恐)

「ずいぶん出ますよねー。出場数の制限ってないんですか?」

「ないない。有ってもゴリ押しで出るし♪」

 桃山さんはカラカラと笑った。いや。ゴリ押しちゃあダメだろう。本当にやりかねないな。

「あー。毎日が体育祭だったらいいのにな~。じゃなきゃ授業みんな体育!」

「いやいや。どんな学校ッスか?そんなんで跡継ぎとか大丈夫なんですか?御曹司」

 桃山さんの体力バカ全開の発言に呆れてツッコむ。勉強も頑張ってくれ。

「ははは。なんとかなるさー♪あっ!花乃っち。跡継ぎとか御曹司って呼び方は止めた方がいいかも」

 桃山さんは私の言葉にさらにカラカラと笑うと、ピタッと笑うのを止めて人差し指を立てて注意してきた。

「すみません。嫌でしたか?」

「んーん。別にそういうんじゃないんだけどさ。ほらこの学校、俺以外にも御曹司いっから。御曹司とかお坊ちゃんとかボンボンとか、そーいう呼び方だと当てはまる奴がけっこういるからややこしいんだよね。試しに大きい声で御曹司って読んでみ。振り返る奴けっこういっから」

 桃山さんは周囲を指してニシシと笑う。

 なるほど。言われてみたら王山ってそういう学校だった。

「花乃ちゃんの知ってる奴でもけっこういるっしょ?白鳥先輩とか緑川先輩の親もシャッチョサーンだし。青柳もお坊ちゃんだろ」

「そうなんですか?あの三人から家の事って聞いた事なかったんで知りませんでした。でも白鳥さんは如何にもって感じですね」

 外見と内面から溢れるエリートオーラ。如何にも英才教育を受けてきた育ちのいいお坊ちゃまって感じだ。むしろあれで一般家庭の子供って方が驚く。なんかもう、キラキラしてるもん。いるだけで空気が変わるって言うかさぁ。


「と、そろそろ短距離も最後のグループになるか。次の綱引きに行ってくんねー♪」

「はーい。頑張ってきてくださーい」

 桃山さんはブンブンと勢いよく腕を振りながら走り去って行った。私も腕を振ってその背中を見送る。

「元気な子ねぇ」

「うん」

 それまで傍観していたお母んがしみじみと言った。桃山さんは元気すぎるくらい元気です。

「むい」

「どうした?草士」

 ずっと競技を眺めていた弟がピクリと反応し、後ろを振り返った。何かを察知したらしい。つられて振り返ると新たなイケメンがコンビでやって来た。


「おーッス。花乃、草士」

「今日はよく来たな。花乃君、草士君」

「こんにちはー」

「うい」

 冬樹さんと白鳥さんだ。二人の頭にはそれぞれ白い鉢巻と赤い鉢巻が巻かれている。この親友たちは、チームが分かれたからって別行動にはならないらしい。直兄達もそうだったしな。

「白鳥さんも短距離に出てましたね。二位、惜しかったです。あと少しで一位だったのに」

「さすがに陸上部には勝てなかったな」

 私の言葉に白鳥さんは肩をすくめて軽く微笑んだ。桃山さんの全開笑顔と違って白鳥さんの笑顔は本当に微笑むって感じだ。大人な雰囲気だなぁ。


 余談だが白鳥さんを抑えて一位になった陸上部だが、ゴールした瞬間に一部の女子からブーイングが起きかけた。しかし白鳥さんの冷え切った視線を受け、女子達は静まったのだ。女って怖い。

 視線一つで場を治める。白鳥さんと直兄の差はデカいなぁ。本当に直兄はカリスマ教師になれるんだろうか?


「さっきまで桃山さんが来てましたよ」

「走ってくの見えた。次の綱引きにも出んだよな、あいつ」

 出すぎだろ。と冬樹さんは呆れた様に呟く。

「ぶっちゃけ夏志さんと桃山さんの対決って、意図的に避けてます?」

「……分かるか?夏志には今日は得点稼いでもらわねぇといけないからな」

「こっちも桃山には活躍してもらう必要がある」

 私の質問に二人は一瞬顔を見合わせ、肯定した。本人には言うなよ。と口止めされる。

「得点重視も大事ですけど、二人の対決を避けてたら盛り上がりに欠けませんか?」

「だいじょぶだ。騎馬戦で思いっきりやり合わせてやるし、障害物競走で同じ順番にしてあっから」

 そう言って冬樹さんは何かを企んでいるような笑みを浮かべた。……なんだろう?

「………」


≪綱引きが始まります。まだ集合してない生徒は急いで集合してください≫


「綱引きが始まるようだな。あれは桃山か?」 

 ジト目で冬樹さんを見つめていたら、次の種目開始の放送が流れた。白鳥さんの言葉で視線を校庭の中央に戻す。視線の先には、綱引きの列に慌てて走って行く桃山さんの姿があった。どうやら放送で言われていた≪まだ集合していない生徒≫のようだ。

「?遅れないように集合場所に走ってったはずなんですけど」

「あいつの事だから、寄り道でもしてたんだろ」

「そーっすね」

 冬樹さんの言葉に納得。友達多そうだし、誰かと話してたんだろうな。

「まったく。余裕をもって行動できないのか」

 白鳥さんは眼鏡を指で上げながらため息を吐いている。まぁまぁ。


「そーいえば桃山さんに聞いたんですけど、お二人の家も会社経営していらっしゃるそうですね」

「おー。つーか、なんでそんな話してんだよ?」

「王山には御曹司や跡取りがけっこういるから、その手の呼び方はしたい方がいいって注意を受けまして。その流れで」

 私の説明に冬樹さんは「ふ~ん」と頷いた。

「まぁ確かに俺らもお坊ちゃんではあるけど、跡取りではないからなぁ」

「俺も緑川も兄がいるからな」

「冬樹さんのお兄さんはあった事あります。道場に来たことありますよね」

 以前道場に顔を出した冬樹さんのお兄さんを思い出す。近くを通ったからと冬樹さんを迎えに来たのだ。爽やかなイケメンで、気さくなお兄さんだった。冬樹さんと似てなかったな。

「でも妹さんは見た事ないんですよねー」

「「………」」

 アハハと笑いながら言ったら、お二人の顔から笑顔が消えた。何やら沈痛な表情で俯いてしまった。なに?この無言。

「!???(汗)」

「ああ!悪い。なんでもねぇから」

「はぁ……」

 二人の様子に混乱する私に気付き、冬樹さんが作り笑いをする。白鳥さんは心配そうに冬樹さんを見ていた。

 前々から思っていたが、どうも妹さんの話題は地雷っぽいんだよなぁ。


 突然だが今回の体育祭、私には応援とは別の目的がある。それはご存知、ヒロインを探せ!だ。

 この学園のどこかにいるであろうヒロインを今日こそ見つけ出してくれる。普段とは違う体育祭と言う学校行事。何かしらイベントがあるはずなのだ。

 実は冬樹さんの妹さんの事も、ヒロインではないかと疑っている。なにやら兄弟ものというジャンルも昨今珍しくないようだからな。しっかし、王山は顔面偏差値が高いなぁ。学祭の時にも思ったけど、かわいい子多いんだよね。ヒロイン探しは難航しそうだよ。入学条件に顔面審査もあるんじゃないだろうな。だとしたら私、将来入学厳しいぞ!


「次の中距離出っから、そろそろ行くわ」

「あ、はい。頑張ってください」

「ああ。しっかりな。組は違うが応援してるぞ」

「おー。サンキュー」

 力なく手を挙げて集合場所に向かおうとする冬樹さんを、白鳥さんと一緒に見送る。

「………」

 校庭から響いて来る綱引きの掛け声をBGMに、白鳥さんと私の間に気まずい沈黙が出来る。一際大きく聞こえる掛け声は桃山さんだな。

「白鳥さん。冬樹さんの妹さんって……」

「冬樹――――――――――――――――――!!」

「「!!」?」

 白鳥さんに声を掛けようとしたら、甲高い声が響いた。綱引きの掛け声にも負けない耳をつんざくような甘ったるいソプラノだ。

 ギョッとして目を向けると、集合場所に向かおうとしている冬樹さんに一人の女子が抱きついている。


 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?誰!?冬樹さん!その女子、誰!?

 その光景にさらにギョッとして、女子の正体を尋ねようと白鳥さんに顔を向けたら白鳥さんの表情が怖くて余計にギョッとした。白鳥さんは苛立たしそうに女子を睨んでいる。絶対零度の表情だ。心なしか肌寒くなってきた気がする。誰か私に暖かいスープと毛布を!!


「冬樹ぃ♡組別れちゃったね。マジあり得ないんだけど。でも冬樹のこと応援してるから。冬樹もあたしの応援してね♡」

「………あー。もう行かねぇと。話してくれ、紗新(サニィ)

 女子は冬樹さんに抱きついたまま甘えるようにしゃべり続けている。冬樹さんはウンザリしたような表情だが、無理やり引きはがす事はしない。なんか対応が甘い気がする。問答無用であしらいそうなのに。


「見ろよ。緑川妹、またやってるぜ」

「相変わらずのブラコンっぷりだな」

 らしくない冬樹さんの様子に呆然としていると、近くにいた男子生徒たちの会話が耳に入った。どうやらあの女子が件の妹さんのようだ。周囲を見ると、王山の生徒たちは「またか」と苦笑している。いつもの事らしい。

 あの女子が冬樹さんの妹さんか……。じっと観察してみる。


 ゆるくウェーブのかかった長い茶髪。小さな顔にぱっちりとした大きな目は少々気が強そうな印象があるがたいへん可愛らしく、校則ギリギリの化粧が施されている事から、オシャレに気を使っているのが分かる。背は少し高めでモデル体型だ。カワイイしキレイだ。美少女と言っていいだろう。つーか、美少女だ。冬樹さんと並ぶ姿は絵になるっちゃなる。

 …………でも、絶対にヒロインじゃないな。うん。


 私のオタクとしての知識と勘がそう言っている。彼女はヒロインじゃない。

 理由は簡単だ。見た目である。いや、見た目で判断するってどうかとも思うけどもね。確かに可愛いしきれいだし美少女なんだけど。ヒロインのキャラデザじゃないんだよね。すっごいイメージ的な先入観でしかないアレなんだけど、ライバルポジションのキャラデザなんだよ。学園ものの少女漫画にいそうなタイプ。王道な少女漫画好きな人ならイメージ出来るんじゃないかな。もしかしたら、実際にライバルなのかもしれない。……冬樹さんルートのライバルなのか?近親相姦?そう言えば冬樹さんの妹なんだから、彼女も白鳥さんと幼馴染なのかな。まさかの白鳥さんルートライバル!?

 まさかと思って白鳥さんを見ると、白鳥さんの表情は絶対零度のままだ。妹さんを見る目はとても友好的ではない。つーか、怖い。


「……私、妹弟子としてご挨拶してきた方がいいんですかね?」

「…いや、必要ないだろう。緑川の為にも彼女とはあまり親しくならないでやってほしい」

 白鳥さんは意味深な言葉を吐いて、未だに騒いでいる緑川兄妹(騒いでるのは妹のみ)の方へと歩いて行った。

 ………仲悪いのかな?

 そのまま眺めていると白鳥さんは冬樹さんと妹さんの間に入って二人を引きはがした。そして不満全開の妹さんに何かを言っている。何と言っているのかは聞こえないが、おそらく何かしら注意しているのだろう。その隙に冬樹さんは集合場所へと走って行った。あの白鳥さんに対して全く物怖じしない妹さんは、恐れ多くも白鳥さんに言い返していたが、冬樹さんがいなくなっているのに気が付くと、不機嫌なのを隠すことなく白鳥さんに背を向けて去って行った。白鳥さんも疲れた様子でため息を吐いている。


「すっげー。白鳥さんにあの態度……」

 正直感心した。見習いたいとは思わないが。

「花乃。綱引きの決着が付いたよ。桃山君だっけ?大活躍ね」

 綱引きの応援そっちのけで冬樹さん達を眺めていたら、お母んに声を掛けられる。それと同時に紅組勝利の放送が流れた。校庭に目を戻すと桃山さんが大喜びで跳ねまわっている。


≪綱引きの参加者は移動をお願いします。中距離走に参加する生徒は至急集合してください≫


 次の長距離走の集合の放送が流れた瞬間、跳ねまわっていた桃山さんがまたも大慌てで駆け出した。退場する綱引きの参加者達とは逆方向に向かっている。そう言えば、中距離走にも出るって言ってたな。観覧席から笑いが起きた。多分、毎年恒例なんだろうな。桃山さん。

「まったく。どうして集合への移動時間も考えて出場種目を選ばないんだ」

 白鳥さんが桃山さんに呆れながら戻ってきた。その後ろには直兄と赤井さんもいる。

「一緒に夏志たちの応援しようと思って来ちゃった」

 赤井さんがすかさず飛びついた弟を抱っこしながら、爽やかな笑顔で私の隣に座った。直兄も私の後ろに座る。

「夏志さんも中距離走に出るんですね」

 赤井さんの言葉におば様に視線を向けると、おば様はウキウキとした様子でカメラを構えていた。

「ふふふ。しっかりビデオに収めないと。晩御飯の時に家族みんなで一緒に見るんですもの」

 さっきの短距離走もバッチリよ。とおば様は楽しそうに呟く。

「………おば様。たぶん夏志さんすっごく嫌がると思います。それ」

 男子高校生な息子の体育祭ムービーが流れる家族団欒。反抗期であり思春期である高一男子な夏志さんには耐えられまい。せめて本人抜きで見てあげれませんかね?

 居た堪れなくて一応待ったをかけたが、おば様は何も語らず、ただ母性溢れる慈愛に満ちた微笑みを浮かべるだけだった。まさに菩薩の如しである。

 ………………もう、何も言うまい。


 夏志さんの本日の晩餐を思うと居た堪れないのは、私だけではないようだ。直兄と赤井さんも顔を引き攣らせて遠い目をしている。白鳥さんでさえ俯いていた。

「花乃。夏志の事、思いっきり応援してやってくれ」

「うん。全力で応援するよ」

 直兄は遠い目のまま私の頭を撫でる。全力で応援しよう。夏志さん頑張ってください!体育祭が終わった後も!!


 中距離走が始まる。当然のごとく一位を独走する夏志さんに力いっぱいの声援を送った。おば様が構えるカメラに気付くことなく真剣に走る姿に、目頭が熱くなったのは私だけじゃない。

 夏志さんの後に走った桃山さんも当然一位だ。

「桃山さんって部活は?」

「あいつは何処にも入ってないよ。あちこちでスケットやってる」

「ほとんど全運動部かけもちしてるようなもんだよな」

 もったいない。

「緑川の番だ」

 白鳥さんに言われて校庭に視線を戻す。冬樹さんがスタートラインに立っていた。合図とともに走り出す。

「冬樹さ―――――――――………」

「冬樹――――――――――――――――――!!頑張って――――――――――――――――♡」

 冬樹さんの応援をしようとしたら、聞き覚えのある声援に掻き消された。

「!!?」

「冬樹―――――!カッコい――――――――――!!!」

 ビックリして声の方を見ると、冬樹さんの妹がハイテンションで声援を送っている。彼女の頭には赤い鉢巻が巻かれているのに何の躊躇もなく、紅組の観覧席で白組の冬樹さんの応援を全力でしていた。冬樹さんはそちらには目も向けないでゴールに向かって走っている。家族用の観覧席の前でこちらをチラリと見て、少し微笑んだ。

「冬樹さんも余裕の一位ですね」

「ああ。白組としてはホント心強い人だよ」

「………冬樹さんの妹さん、噂通りのブラコンですね」

「………あ~、うん」

「でも、以前冬樹さんがブラコンじゃないみたいに言ってたんですけど。どう見てもすっごいブラコンですよね?」

「「…………」」

 今も甲高い声で黄色い声援を送っている妹さんをチラリと見ながら問うと、直兄と赤井さんは気まずそうに白鳥さんを見た。

 ちなみに今の位置関係は、私の右隣にお母ん、左隣に弟を抱っこした赤井さん、私の後ろに直兄、直兄の隣で赤井さんの後ろに白鳥さんが座っている。母親トリオはお母んの向こうだ。私も斜め後ろの白鳥さんに目を向ける。

「…………花乃君。これからも緑川と関わる以上、キミもいつか知る時がくる。もう少し待ってってくれないか?本人の知らない所でベラベラと話せる事じゃないんだ」

 白鳥さんは私達の視線にため息を吐き、難しい顔で私に答えた。

「…はい。出すぎました。すみません」

「いや」

 どうやら踏み込みすぎたらしい。反省。


「あ、中等部の番だ」

「あれ青柳じゃないか」

 重くなった空気を変える様に赤井さんが明るい声を出す。直兄が指した先には青柳さんがいた。中等部の中距離走に出るらしい。

「そう言えば青柳さんもお坊ちゃんだって桃山さんが言ってました。確かに育ちが良さそうですよね」

「「「………」」」

 私も気分を変えて明るくしゃべったら、またもや直兄達が黙った。え?また地雷?!

「青柳の家も大きいよ。すっごく」

「家族が来てるか分からないけど、関係者は応援に来てるぞ」

 直兄が「ほらあそこ」と指した先には、確かに青柳さんへの声援を叫んでいる人達がいた。


「ボ―――――――――――――ン!!!」

「桜介坊ちゃ――――――――ん!!!」

「頑張ってくだせぇ!!俺らが付いてますぜ!!!」

「しっかりカメラに残せ!テメェら!!オヤジにお見せするんだからな!!」

「「ヘイ!!!!」」

 派手なガラシャツを着た傷や刺青のある集団が野太い声援を送っている。遠目にも分かる堅気じゃないオーラ。ちなみに桜介とは青柳さんの名前である。

「…………」

 頭の中が真っ白になった。

「青柳組って言ってな。関東では指折りの極道なんだ。そこの組長が青柳の父親」

 直兄が説明してくれる。意外すぎるだろう。

「青柳さんが組長って大丈夫ですか?青柳さん本人も心配だし、組そのものも心配なんですけど」

 草食系代表の青柳さんが未来の組長って、あきらかなミスキャストですよ!

「あ。それは大丈夫。青柳、次男だから。将来は家の仕事とは関係ない道に進むんだってさ。家族からもそうしろって進められてるらしい」

 私の心配に赤井さんが頭を撫でながら答えてくれた。すでに兄君が跡を継ぐのが決まってるらしい。良かった。考えてみたら、青柳さんがその世界に向いてない事は家族が一番分かってることだよな。


 青柳さんが一位でゴールした瞬間、野太い喝さいが響き渡った。どうやら桃山さんと同じく、これも毎年恒例のようだ。特に気にしている生徒はいない。新入生を除いてだが。



 女子の中距離走が始まり、走り終わった夏志さん達が戻ってきた。

「お疲れ様でーす」

「夏志、一位おめでと」

「おう」

「俺のカッコいいとこ見ててくれたー?」

 夏志さんとハイテンションな桃山さんが並び、その後ろを冬樹さんと青柳さんが歩いて来る。

「青柳さんって足速いんですね」

「そんなことないよ。先輩達に比べたら僕なんて…」

 私の言葉に青柳さんは照れくさそうに微笑む。青柳さん。それは比べる対象が可笑しいんです。

「青柳んち毎年賑やかだよな」

「すみません。度が過ぎるようなら注意してきますから」

 ニヤニヤ笑う冬樹さんに、青柳さんは慌てて頭を下げた。

「そんなに気にする程じゃないだろ。緑川は青柳をからかうな」

 白鳥さんがすかさず冬樹さんを窘める。冬樹さんなりの後輩への愛情表現なのは分かっているのだろう。白鳥さんの表情は厳しいものではないが、呆れ気味だ。


「あ、天使がいる」

「は?」

「上野さん、中距離走出るんですね」

 後ろから聞こえる会話を聞きながら女子の中距離走を眺めていると、我が心の天使・上野さんを発見した。思わず心の声をそのまま言ってしまい、隣の赤井さんから怪訝な目を向けられてしまう。失敗失敗。

「上野ってあんまり運動得意なイメージないよな」

 上野さんへ大好きオーラを送りまくっている私をよそに、夏志さんがポツリと言う。

 確かに上野さんって三つ編み眼鏡で真面目な内気と言う、いかにも典型的な大人しい女の子である。文芸部とかにいそうなイメージだ。俊敏に動くところは想像しづらい。

「……正直、得意ではないです。上野は体力もそんなにないし、体育は苦手教科なんです」

 青柳さんが眉を下げて、心配そうにしている。ちなみに上野さんの鉢巻は白です。

「そういう子って、だいたい綱引きとか玉入れとか団体競技に参加するよな?それか借り物競走とか二人三脚とか純粋な運動神経だけで勝敗が決まらないようなやつとか」

「そっちに入れなかったのか?」

「中距離走に出たがる女子が少なくて、上野…断れなかったんです。真面目だから」

 直兄と赤井さんの質問に、青柳さんは困ったように答えた。上野さん、優しいからな。でもなんだろう?嫌な感じがするぞ。

 そうこう言ってるうちに上野さんが走り出した。

「上野さ―――――――――ん!頑張って下さ――――――――い!!」

「頑張れ上野―――――!」


 多分、今日一番の応援をした。体育祭はまだまだ続くがこの応援を超えることはないだろう。

 上野さんは最下位だったが、懸命に走り切った。可愛いから良し!!


「もう中距離走終わるな。次の借り物競走に行かねぇと」

「あ、俺も」

「俺も」

「俺もー!」

「俺もだ」

「僕もです」

 どっこいしょと腰を上げた冬樹さんに直兄・赤井さん・桃山さん・白鳥さん・青柳さんが続いた。どんだけ出んのさ!

 借り物競走っていかにもイベントありそうな種目だよなぁ、と皆の背中を見送った。この場に残ったのは夏志さんだけだ。夏志さんは赤井さんから弟を受け取り、膝に乗せる。ちょっと嬉しそうだ。おば様のカメラの事は黙っていよう。今だけでも平穏にお過ごしください(涙)


 恋愛ゲームの定番的な種目、借り物競走が始まり校庭はいっそう賑やかになった。「ハンカチ貸してくださーい!」とか、「三人兄弟の人いませんかー!?」など叫び声が響いている。

「夏志さんは出なかったんですね。借り物競走」

「うちの借り物競走はふざけてるからな。毎年『好きな奴』とか『気になる異性』とかいうお題が混ざってやがんだ」

 夏志さんは「出てたまるか」と吐き捨てる。心底嫌そうだ。……なんと言うか、露骨なまでに乙女ゲームの世界だなぁ。この学校、恋愛脳すぎだろ。

「……夏志さんの場合、参加しないからって無関係じゃないですよね。そのお題を引いた女子が夏志さんを借りに来るんじゃないですか?」

 私が気の毒そうに言うと、夏志さんはハッとし、すぐに苦虫を噛んだような顔になった。まずは男子の番だから女子の番になったら何処かに隠れる事をお勧めします。借りに来るっていうか、狩りに来るっていうか…。


 毎年って言ってたけど、その伝統は私が入学するまで残っているのだろうか?絶対借り物競走に出るのは止めておこう。


「あれ冬樹君じゃない?」

「「ん?」」

 夏志さんと話していたらお母んがチョンチョンと肩を叩いて校庭を指差した。見ると冬樹さんがお題の紙を開ける所だった。その瞬間、女子の空気が色めき立つ。

「どんなお題引いたか、女子の期待と不安が入り乱れますな」

「メンドクセー」

 しみじみ呟くと夏志さんはゲンナリする。カラフルな人達がお題を引くたびにこうなるんだろうな。

 冬樹さんは開いた紙を見てすぐに走り出した。女子がそわそわしている。

「……なんかこっち来てません?」

「…来てるな」

 いつものニヤリとした笑顔で冬樹さんが走って来た。ドドドドと一部の女子が冬樹さんに合わせて移動してくる。なにこれ?恐っ!!

「ちょっと!?なんでこっち来るんですか?」

「なんでってコレ見てみ」

 目の前にやって来た冬樹さんに尋ねると、冬樹さんはお題の書かれた紙を見せてきた。

『かわいいもの』


「………」

「俺のお題はカワイイもの。はい。つーわけでカモン」

 うわぁ。って表情の私に向かって冬樹さんは両手を差し伸べてくる。そうきたか。

 まぁ自分、幼女ですから。可愛いのは認めますよ。人生で胸を張って可愛いって自惚れられる時期ですからね。いや、でもさぁ……。

「冬樹――――――――――――♡」

 すごい勢いですごいのが来てるし。

「ちょっと冬樹!お題は何なのよ!?あたしじゃダメなの!!?」

 冬樹さんの妹が先頭切ってこっちに突っ込んで来る。美少女の必死の形相は怖いな。近くにいた無関係な生徒たちが逃げ始める。

「ほら!面倒なのが来るから早く!!」

「あんたの所為で面倒なのが突っ込んで来てんだろうが!」

 両手を振って急かす冬樹さんに夏志さんが怒鳴る。確かに面倒だ。つーか怖い。

「なんだよ夏志。カワイイチビッ子独り占めか?なんならお前を連れてってもいいんだぞ」

「ふ・ざ・け・ん・な!!」

 いや、夏志さん連れてってもお題クリアにならないでしょう。……なるのか?いや、落ち着け。ならないって。

 そうこうもめているうちに妹さんと女子達が迫ってきている。早く冬樹さんには立ち去ってもらわないと。

「どうぞ」

「むい?」

 私は夏志さんに抱っこされていた弟を抱き上げ、冬樹さんに差し出した。冬樹さんは一瞬考えてから、まぁいいかと頷いて首を傾げている弟を受け取る。

「そんじゃ、借りてきます」

 冬樹さんは弟を肩車してお母んに一言いってからゴールに走って行った。あの妹さん達の目の前で冬樹さんに連れられていく勇気は私にはない。弟がいて良かった。忍法身代わりの術。


「緑川先輩のお題って『かわいいもの』だったみたい!」

「なによそれ!あたしを連れてきなさいよ!!」

 妹さんのヒステリックな声が背後から聞こえる。ゴールに向かって走る冬樹さんを見つめながら、集まっていた女子達は肩を落として解散していった。妹さんだけは肩を怒らせてだったけどね。

「こえぇぇぇぇ」

「相変わらずスゲェ女。花乃、ああはなるなよ」

 ご安心ください。絶対になりません。

 振り返って見てみると、突っ込んできた妹さん達に逃げ遅れた生徒が弾き飛ばされたようだ。可哀想に。後姿で顔は見えないが、ポニーテールの女子が膝をついている。幸い大きな怪我はないようで、近くにいた友人に助け起こされた。多分あの妹さん、風紀の取り締まり常習者なんじゃないかな?あ!その風紀が冬樹さんだ。うわぁ…。


 冬樹さんは弟を肩車したまま一位でゴールを決めた。そのまま順位の得点を記録されると、さっさと歩いて行く。

「……なんか反対の方向に歩いて行ってません?」

「返す気ねぇのか?あの野郎」

 家族用の応援席とは逆の、体育祭の本部テントが並ぶ方へと歩いて行っている。ちょっと冬樹さん?

「次、直兄と赤井さん一緒のグループなんですね」

 冬樹さんに呆れながら次の走者を見ると、直兄と赤井さんが並んでいた。またもや女子が色めき立つ。二人はほぼ同時に紙を拾い、同時に紙を見て同時に走り出した。

「なんかまたこっちに来ますね」

「そうだな」

 女子がまた集まってくる!とは言ってもあの妹さん程の勢いがある人はいないけどね。

「「夏志!」」

 直兄と赤井さんが同時に叫んだ。

「なんだよ?」

「「これ!!」」

 二人は同時に紙を掲げる。

『『親友』』


 お題被っちゃったんですね。

「………」

 夏志さんが困った顔で目の前の親友二人を見ている。同じ白組という事で直兄の手を取るか…。いや、でもそれじゃあ赤井さんはどうする。直兄と赤井さんも困り顔だ。そうしているうちにも他の生徒はゴールに向かっている。

「よし!」

「「?」」

 赤井さんがニッコリ笑って二人の手を握った。自身の右手で夏志さんの左手を握り、直兄の左手と夏志さんの右手を繋がせる。ようは夏志さんを真ん中にして三人で手を繋いでいる状態だ。

「そんじゃあ、ゴールしますか」

「このまま行くのかよ!?」

「仕方ない。行くぞ夏志!」

 赤井さんは爽やかな笑顔、夏志さんはぶっきら棒な照れ顔、直兄は開き直った笑顔で駆け出した。

 仲良く手を繋いで走る三人の姿に、王山が沸いた。カメラのシャッター音が連続で響きわたる。母親トリオもカメラを構えていた事は、三人には伏せておこう。知らない方がいい事ってあるよね。ちなみに私も撮りましたが何か?

 手を繋いでゴールを決めた三人に、盛大な拍手が起こった。スタンディングオベーションだ。なんだコレ?


 しかし弟は連れてかれ、夏志さんも行ってしまった。

「お母ん。ちょっと草士のこと迎えに行ってくるね」

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

 もう何度か遊びに来ている勝手知ったる王山学園だ。お母んは特に止めることなく私を見送った。まぁ、人目ありまくりだしね。

 ぐるりと応援席を迂回して本部テントの方へと向かった。


 冬樹さんはすぐに見つかる。実行委員のテントの横にある救護テントで、弟のほっぺを突きながら寛いでいた。

「何してんですか?」

「いや~。あっち戻ると煩そうだからさ」

 冬樹さんは特に悪いと思っていない顔で、私にイスを勧める。まぁ確かに今戻ったら、あの妹さんが煩そうだ。


「何をしているんだ?」

 白鳥さんが救護テントにやって来た。眉を寄せて冬樹さんを見ている。怪我人でもないのに居座っている事を視線で注意してくるが、冬樹さんはどこ吹く風だ。

「どした?怪我か?」

「違う。借り物だ。すみません、湿布を貸してください」

 白鳥さんはお題が書かれた紙を見せながら、テントの奥にいる先生に声を掛ける。白鳥さんは湿布を受け取ると、すぐに踵を返してゴールに走って行った。その姿を眺めながら冬樹さんに勧められた椅子に腰かける。

「風紀委員会のテントもあるんじゃないんですか?なんで救護用テントに?」

「そっちじゃすぐに見つかるだろうが。ほれ。これでも飲め」

 冬樹さんは机の上に置いてある麦茶を紙コップに注いで差し出してくれた。保健委員でもないのに完全に我が物顔である。先生も慣れているのか、気にするそぶりはない。

 一瞬家族用の応援席に戻ろうかとも思ったけど、急いで戻る必要もないかと思い、少しここで寛ぐことにした。

「いただきます」

 麦茶の入った紙コップを両手で受け取り、借り物競走を眺める。



 ボーっと校庭を眺めていると、青柳さんが黄島先生を引っ張って走って行く。お題何だったんだろう?

「まだここにいたのか?」

「あ、白鳥さん。お疲れ様です」

 いつの間にか走り終えた白鳥さんがテントに戻ってきていた。借りた湿布を返しに来たらしい。

「おー白鳥。見てみ。青柳がすげー頑張ってんぞ」

「青柳さん。お題なに引いちゃったんでしょうね?」

 確かにまったく急ぐ気のない黄島先生を青柳さんが一生懸命引っ張っている。なんでよりによってその人借りちゃったんですか?

「はぁ…。そんな事よりも怪我人でもないのに此処に居座るのは……」

「お前も座れよ」

「………」

 ため息交じりで注意しようとする白鳥さんの言葉を遮り、冬樹さんは白鳥さんにイスを勧めた。白鳥さんが無言で冬樹さんを睨む。

「女子共の借り物競走が始まったら応援席でなんて寛げねーだろ」

「………そうだな。少しの間、休ませてもらおう。ただし怪我人が来たら退くぞ」

 冬樹さんの言葉に白鳥さんが折れた。複雑そうな表情でイスに腰を下ろす。女子の借り物競走ってそんなにすごいんですか?


 二人の会話を聞いてるうちに青柳さんは無事にゴールしていた。結局お題は何だったんだろう?


「あ――――――!白鳥先輩だー!丁度いい所に!!」

「白鳥さん。御指名ですよ」

「………」

 お馴染みのハイテンション。桃山さんがブンブンと手を大振りして突進してくる。その姿は大型犬の如し。尻尾が見える気さえする。

「あ。花乃っちと草士もいる」

「………っ」

 私の頭に手を伸ばし、豪快に頭を撫でてくる。もうこれは撫でると言うより振ると言った方がいい。脳ミソがシェイクされる。気持ち悪い。

「借り物のお題を借りに来たんじゃないのか?急いでるんだろ」

「そうだった!」

 白鳥さんが私の頭を振る桃山さんの手を叩き落とした。ありがとうございます。助かりました。

「何がいるんだよ?白鳥が持ってるものか?」

 冬樹さんが桃山さんに尋ねる。眼鏡とかかな?

「コレっす!!」

 桃山さんが元気よく紙を掲げた。みんなで覗き込む。


『薔薇』


「………?」

 なんで救護テントに来たし?つーか持ち歩いてる人いないだろ。白鳥さんと冬樹さんも首を傾げている。

「あいにく俺は持っていないんだが…」

「普通、持ってねーよ」

 冬樹さんの言うとおり。なんで白鳥さん指名した?


「これ、なんて読むんスか?」


「「「…………」」」


 桃山さんの曇りのない瞳と、太陽のような明るい声で放たれた言葉に空気が凍った。

 白鳥さんは無言で崩れ落ち、その場に膝をついた。冬休みの日々を思い出したのだろう。私も思い出しちゃいましたよ。冬樹さんは弟を抱きしめながら肩を震わせている。

「あれ?白鳥先輩?どーしたんスか?」

「桃山さん。それはバラと読むんですよ」

 崩れ落ちた白鳥先輩を覗き込もうとする桃山さんに、答えを教えてあげる。今はそっとしといてあげてほしい。

「ばらぁ!?そんなん校庭にないし!」

「温室まで行って来い」

「りょーか――――い!!!」

 冬樹さんが校舎の向こうを示すと、桃山さんは元気に走り去って行った。薔薇って書けないけど読めるって言う人が多い難しい漢字の代表だよね。

「ずいぶんと意地悪なお題ですね。近場で借りられないじゃないですか」

「温室なら外からそのまま行けるからいい方だろ。さっき黒板消しの奴いたぞ」

 冬樹さんと一緒に桃山さんの背中を見送る。黒板消しはひどいな。一回下駄箱で上履きに履き替えないといけないじゃん。

 白鳥さんは未だ復活ならず。


 あの白鳥さんに膝をつかせられる人はなかなかいない。桃山さん。あんたすげぇよ。


 この後、桃山さんは薔薇の植木鉢を抱えてゴールに爆走した。実行委員に「植木鉢ごとは大変でしょう。切って持ってきても良かったんですよ」と言われて、桃山さんが「そんなんで切ったら可哀想じゃん」とサラリと答えたのに少し心がホッコリしました。さすが憎めない馬鹿。



「こんな所にいた」

 男子の借り物競走が終わって女子の借り物競走が始まると、紫田さんがテントの傍を通りかかった。

「紫田か。どうした?」

「八神達がすごい探してましたよ」

 何か用かと尋ねる冬樹さんを、紫田さんは呆れ顔で見下ろす。

「なんだよあいつら。そんなに俺に会いたいわけ?」

「……先輩が借りたまま連れ去った草士君と、それを迎えにいったらしい花乃ちゃんを探してるんですよ」

 ニヤニヤ笑う冬樹さんに、紫田さんは溜息をつく。冬樹さん。分かってて言ってるよなぁ。

「それで、紫田さん。直兄たちの為に私らの事探してたんですか?」

「いや。俺も花乃ちゃんに用があるんだ」

「?」

「お昼なんだけど。晃希たちと一緒に食べてやってくれないか?」

 紫田さんは申し訳なさそうに頼んでくる。

「別にいいですよ」

「そうか。ありがとう」

 特に断る理由もないので了承する。ものすごく不服そうな弟の顔は見なかった事にしよう。つーか私はいいけど晃希が嫌がるんじゃないだろうか?まぁ私には関係ないが。


「それよりも紫田。お前、隠れる場所は決めてあるのか?逃げる準備はしとけよ」

 私と紫田さんの会話に冬樹さんが割り込む。

「隠れる場所?なんかそんな事、赤井たちも言ってたんですけど何なんですか?」

「うちの借り物競走舐めてると痛い目あうぞ。公開告白されたくなきゃ、いつでも走れるようにしておけ」

「は?」

「緑川。そろそろ行くぞ。紫田も来い」

 復活した白鳥さんが立ち上がり、冬樹さん達に声を掛ける。その眼は真剣だ。


「八神君どこ――――――――――――!」

「赤井く――――――――――ん」

「先輩達はどこ行っちゃったの!?」

「あそこ!!テントの所!!!三人いる!」


 校庭から女子達の叫びが響く。あきらかに例のお題、女子の方割増されてんだろ。

「やっべ。行くぞ」

「逃げるんですか?」

「紫田。一人受けるとそのまま受け続ける事になるぞ」

 今年入学で状況が理解できない紫田さんを急かしながら、冬樹さん達は走り出した。公開告白って、される側もきついですよね。

「待って――――!」

「紫田く―――――――ん!一緒に来て―――――!!!」

「白鳥せんぱ――――――――い♡」

 走り去る三人を女子の群れがすごい勢いで追いかけて行く。今頃直兄達もどこかに身を潜めているのだろう。なんか競技が変わってる気がする。少なくとも私が知っている借り物競走ではない。


 一人ポツンと取り残された私は、麦茶の入った紙コップを晴れ渡る青空へと掲げる。


「一切の迷いなく好きな人に特攻する乙女達の勇気に。乾杯」

 ついでに無駄にモテすぎるイケメン共に幸あれ。


 私は一人、のんびりと麦茶を飲む。


 つーか、冬樹さん。弟そのまま持ってったな。



 その後しばらくの鬼ごっこなのかカクレンボなのか分からない状態が続き、女子の借り物競走は時間切れの放送が流れた。どうやら毎年女子の借り物競走はほとんど得点にならないらしい。普通のお題を引いた女子と、例のお題を引いても友人を連れて行くなどの模範解答をする者しかほぼゴールしないようだ。だったらそんなお題を毎年入れるなと思うのは私だけじゃないだろう。



「毎年借り物競走は無駄に時間食うんだよな…」

「…プログラム見た時、変だなと思ったんですよ。やたら借り物競走と次の玉入れまで時間が空いてるから」

 無事に逃げ切った直兄達と応援席に戻って来た。あの後テントに迎えに来たのだ。

「夏志と桃山すごい入れてるな」

 疲れ切っている直兄と赤井さんは、どこか遠い目で玉入れを眺めている。同じく逃げ回っていた夏志さんと、逃げずに女子の誘いに全て笑顔で答えた桃山さんは疲れた様子もなく玉入れに参加している。体力底なしか!?

 桃山さんに至っては、あれだけ種目に参加してるのに元気いっぱいだ。元気すぎて暴投している。ものすごい勢いで投げた球が、同じ紅組の女子にぶつかりそうになっていた。寸での所で女子が回避して事なきを得たが、桃山さんがすごい謝っている。

 すごいな、あのポニーテールの女子。あれを避けるとは。遠くて顔は分からないけど。


 その後の大玉転がしでも桃山さんはやらかした。一緒に転がしていた紫田さんと、隣を走っていた直兄と夏志さんのコンビを巻き込んでコーナーでクラッシュした。夏志さんの雷が落ちた。見てる分には笑えたけどね。桃山さんは珍プレー・好プレー大賞だ。


「次は障害物競走か」

 直兄がプログラムを眺めながら呟く。確か桃山さんと夏志さんの対決が組まれてる種目だ。

「なんか朝から思ってたんだけど、直兄今日大人しくない?」

 夏志さんも赤井さんも障害物競走に参加する為、今は直兄と二人だ。目立ちたがりの直兄にしては大人しいなと思っていた疑問を口に出す。

「どーせスポーツ系は夏志や桃山には勝てないからな。俺はスポ魂じゃなくて爽やか系で売ってくのさ」

 直兄は肩をすくめた。まぁ普通の人よりは運動神経いいから活躍はしてるしね。

「なるほど。賢明な判断だね」

「だろ?」

 ちょとイラッとするが、納得だ。


 直兄と話してるうちに夏志さんと桃山さんの順番が来る。二人がスタートラインに立った瞬間、歓声が起こる。

「あの二人の対決は盛り上がるね」

「毎年の恒例イベントみたいなもんだからな。って、あれ?」

「……冬樹さん?」

 スタートラインに並ぶ生徒の中に、冬樹さんが存在する。二人と一緒に走るようだ。

「二人の対決じゃないん?」

「緑川先輩が同じ順番とは聞いてなかったんだけどな?」

「……」

 冬樹さん。直前で順番をいじったな。夏志さんがここからでも分かるくらい冬樹さんの事を意識している。桃山さんは楽しそうだ。


 三人の障害物競走がスタートした。 一回に六人走るのだが、スタートダッシュですでに勝負が見えている。夏志さんと桃山さんが飛び出し、冬樹さんがその後ろにピッタリとくっつく。他の三人は完全に置いてきぼりだ。

「速い…。つーかはっや!!?」

 障害物競走だと言うのに障害物でまったくスピードが落ちない。ハードルや跳び箱を前に、一瞬の失速もなく爆走している。動きがもう乙女ゲームの世界の住人じゃない。バトル漫画の世界のそれだ。完全に並んでいる二人の勝負に体育祭が盛り上がった。

 ……だが私としては、二人の勝負より大人しく三番手にいる冬樹さんが気になる。


 最後のコーナーを曲がって後は平均台を一つ残すのみとなった。先頭の二人がラストスパートをかけて加速する。

「平均台の上を普通に走ってる。ほんとにすごいなあいつら…」

「ジャパニーズ忍者だね」

「むう!」

 直兄と感心しながら眺める。もう応援どころじゃない。弟は興奮気味だ。おそらくテレビのヒーローを見ている感覚なのだろう。

 このまま二人の勝負と思ったが、最後の平均台でこれまで三番手に甘んじてたあの人が超加速した。二人以上の速さで平均台の上を駆けている。

「うお!?」

「テメッ!」

「兄弟子にテメェはダメだろ。夏志」

 冬樹さんはいつもの余裕の笑みで二人をアッサリ抜き去った。二人も果敢に後を追うが届かない。冬樹さんがそのままゴール。夏志さんが二位で僅差で桃山さんは三位となった。

 湧き上がる歓声に冬樹さんは片手を上げて余裕で応えている。先輩であり、兄弟子である威信を見せつけた感じだ。

 あの人、わざわざ組んだ二人の勝負なのに最後の良い所を掻っ攫いおった。

 桃山さんは悔しがりはしたもののすぐにカラリと笑って拍手していたが、夏志さんは悔しいのを隠すことなく不機嫌そうだ。荒れそうだなぁ。


 その後の障害物競走でも何人か忍者のような動きを披露する生徒がいたのだが、全員が全員見覚えのある顔だった。ご存知黒宮道場門下生、我が兄弟子達である。

「花乃ちゃんと草士ちゃんも将来ああなるのよ」

 おば様がフフフと微笑みながら言った。マジすか!?

「「………」」

 私と弟は微妙な気持ちで兄弟子たちの活躍を眺めるのだ。なれるのかなぁ?


 こうして夏志さんの心境を除けば障害物競走は無事に終わり、午前の種目は終了した。お昼休憩である。



「お昼は何処で食べます?」

 王山の体育祭は生徒も含め、保護者も一般公開されている範囲ならば好きな場所で食事をしていい事になっている。食堂がある交友棟も公開されていた。

「そうねぇ。何処がいいかしら…」

「私、陽が当たらない場所がいいですわ」

「じゃあ、中庭の日陰で食べましょうか」

 おば様とお昼で合流した瑞希がにこやかに会話している。母親トリオと紫田マザーの前だからか、大人しい。晃希も大人しくしているが、母親たちの視線が逸れるとすかさず私に向かってイーッとやってくる。それに対する私の反応はこうだ。

「ハッ」

 鼻で笑ってやった。冷静に考えるとああいうのって、相手が勝手に変顔さらしてきてるだけだよな。そう思ったら気の毒になり、ドンマイという気持ちを込めて頷いてやる。

 なんか鼻で笑った時よりも怒られた。悔しそうに歯ぎしりしている。なんでさ?


「……なんかずっと思ってたんだけどさ。今日の草士は大人しいよね。やっぱお母んが一緒だからか」

 お母んと手を繋ぐ弟を眺めながらポツリともらす。やっぱり私って舐められてるんだな。

「花乃。それは違うわ」

 シュンと落ち込んでいると、お母んが私の肩に手を置いて目線を私に合わせた。

「草士はね。パパやママだからって大人しいわけじゃないのよ」

 そう言ってお母んの手が離れた隙にどこか行こうとする弟を、お母んは目も向けずに片手で捕まえる。一瞬だ。

「草士は親と一緒だってやらかす子供よ。ただパパとママがその隙を与えないだけでね。花乃が特別舐められているわけじゃないの。あなたの弟は誰にだって同じ。全人類等しく平等に舐め切ってる奴なのよ」

「ダメじゃん!!!!!」

 何を慈愛に満ちた母の顔で言ってるの!?ダメじゃんそれ!!なに「だから安心なさい」みたいに微笑んでんの!?むしろ嫌だよ!そんな弟!!

「そもそも草士の逃走癖って根が深いから治らないと思うのよ。三つ子の魂百までって言うけど、草士の逃走癖って初めてのハイハイからだからね」

 お母んは草士を抱き上げながら、何でもない事の様に言った。サラッと言ったよこの人!

 何それ!?お母ん詳しく!!!


 末恐ろしい奴だとは思っていたが、末どころかそんな昔から恐ろしい奴だったとは…。弟の恐ろしさに戦慄した。


「花乃ー」

 一度生徒会の方に顔を出しに行った直兄達が戻ってきた。紫田さんと赤井さんは何か話している。夏志さんがいない。

「夏志さんは?」

「あー。向こうにいるからちょっと迎えに行ってくれないか。出来れば妹オーラ全開で。甘える感じで」

 直兄は目を泳がせながら変なことを言う。

「花乃が迎えに行ったら喜ぶと思うなー」

「ああ。さっきの障害物で冬樹さんに負けたのがそうとう悔しくてご機嫌斜めなんですね。それで私に機嫌を取って来いと」

「察しが良すぎるのもお兄ちゃんどうかと思うなー」

 だったら初めから私を頼るのはどうかと思うよ。お兄ちゃん。


 直兄に頼まれたので校舎裏へと向かう。テケテケと歩いていくと、人気のない校舎裏で夏志さんを発見した。何やら見知らぬ女子が一緒にいる。……と思ったら女子はすぐに勢いよく走り出した。遠目でも分かる怯えようで逃げ出す。ポニーテールを揺らしながら一目散で全力疾走だ。

 夏志さんは呆然と女子の背中を見送っている。

「………」

 無言で夏志さんに背後から近づく。

「夏志さん」

「花乃!?どうしたんだ?」

 珍しく私の気配に気づかなかった夏志さんは、驚いて振り返った。その表情は困惑している。

「…いくら機嫌が悪くても女の子をあんなに怯えさせるのはどうかと思います」

「はぁ!!?いや!何もしてないぞ!!ちょっとぶつかりそうになったけど、ちゃんと避けたし。普通に話しかけただけだ!」

 ジト目で見つめると夏志さんは慌てて弁解した。無実を訴えている。

「顔が怖かったんじゃないですか?夏志さん機嫌悪い時ってすごい怖いですもん」

「なっ!!!?」

 夏志さんは口をパクパクさせてショックを受けている。ガーンという効果音が聞こえてきそうだ。

「とにかく女子が苦手なのは重々存知てますけど、むやみやたらと女の子を怯えさせるのは良くないです」

 甘やかすのはいけないが、女子供には優しくなくては、真のイケメンとは言えないのです。

「………」

 夏志さんは肩を落として落ち込んだ。機嫌を取ってこいと言われたのだが、まぁ機嫌が悪い状態ではなくなったからいいだろう。夏志さん。男磨いてください。

「なんで虹園の奴……」

 夏志さんはうな垂れながらブツブツ言いながら歩く。言っている内容はよく聞こえない。


 その後、みなと合流してお昼を食べ始めた。

「なんで夏志の奴落ち込んでんだ?機嫌取りに行ってくれたんだよな?」

 サンドイッチを片手に直兄がコソコソと聞いてくる。夏志さんはうな垂れながら、お弁当を食べている。私はモグモグと口の中のものを飲み込んでから答えた。

「ん~。機嫌が悪かったのも忘れるくらい凹ませてみた」

「何やっちゃってんだ!?」

「不可抗力?みたいな??」

 コテンと首を傾げながら誤魔化す。

「可愛く言ってもダメ!」

 誤魔化せなかった。そりゃそうだ。


「あ。青柳さんと上野さんだ」

「誤魔化したな…」

 直兄の声は無視して中庭のいる二人を眺める。あの二人のツーショットは心癒される。あの二人こそこの汚れきった世界のエデンだ。あの二人の未来が幸せに溢れていますように。


「上野さん」

 二人が話していると、知らない女子が上野さんの事を呼んだ。ジャージから中等部の生徒なのは分かる。上野さんは青柳さんに何か言って女子の方へと走って行った。中庭には青柳さんだけが残る。

「青柳さーん」

「花乃ちゃん」

 手を振って青柳さんを呼んだ。青柳さんは私たちに気付いて近づいてくる。

「青柳さんもご一緒にお昼どうですか?」

「ありがとう。でもごめんね。生徒会のみんなと食べる約束してるから」

 お昼に誘ってみたが、青柳さんは申し訳なさそうに断った。残念です。

「上野さんは一緒じゃないんですか?」

 女子に呼ばれて行ってしまいましたが?

「上野はクラスの女子に誘われてそっちに行ったよ。たぶん午後の大縄跳びの打ち合わせをするんじゃないかな」

「大縄跳びに出るんですか?」

「男子は騎馬戦。女子は大縄跳びに全員参加なんだよ」

 私の質問に青柳さんは優しく答えてくれたが、その表情は少し曇っていたのが気になった。どうかしたのかな?

 青柳さんは生徒会のみんなを待たせているからと、中庭を去って行った。


「午後に大縄跳びか。お昼を食べて体が重くなったところで大縄跳びとは、横っ腹にきそうですな」

 プログラムを眺めると午後は応援合戦に騎馬戦と続き、女子の大縄跳びとなっている。その後は部活対抗リレー、二人三脚、最後に代表リレーで閉会式だ。

「大縄跳びはなぁ。誰が引っかかったかでもめるのが怖いんだよな」

 弟を膝に乗せた赤井さんがおにぎり片手でしみじみ言う。

「そんなにもめるのか?」

「クラスの雰囲気によるかな。気にするなって励まし合うクラスもあるけど、たまに変にもめるクラスがあるんだよな」

 紫田さんが眉を寄せて聞き返すと、直兄がそれに答えた。

「団体競技で一人を責めるのは問題だよな」

 赤井さんがため息混じりで呟いた。みんな仲良く終われればいいですね。


「女子って集団になると怖いよなぁ。これは女子に限らないけど、責める空気が一度出来ると皆で攻めだすんだよな」

 直兄のうんざりしたような言葉に頷く。それが人間だ。

「花乃ならどうする?大縄跳びで引っかかった奴を責める空気になったら?」

 別の話に移った赤井さん達を横目に、直兄がコソッと私の意見を聞いてくる。

「責めませんよ」

「即答だな。さすが花乃」

「だって自分がやった時、責められたくないし」

「ああ。そういう理由か…」

 直兄は私の返答にガクッとした。だってそういうもんじゃん?

「皆がそう考えれば責めるなんて事にならないんだろうな」

「いや。実際に自分がやっちゃった時のことなんて、やった時にしか考えられないって」

「…それじゃあ花乃も責めるって事にならないか?」

「私が責めない理由は自分に置き換えてってだけじゃないからね」

「まぁ花乃は人間できてるからな」

 私の言葉に直兄は感嘆する。とんだ勘違いだ。

「直兄。それは違うよ。私が失敗した人を責めないのは人間ができてるからじゃない。自分ができた人間じゃないって自覚してるからだよ」

「どういう事だ?」

「イエスの言葉の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」ってあるじゃん。まぁそれとはちょっと違うけど、私はさ、自分以外の誰かが大縄跳びで失敗したら絶対に「自分じゃなくて良かった」って思っちゃうと思うんだよね。もちろんそんなこと思っちゃダメなのは頭では分かってるけどさ。それでも無意識に絶対そう思っちゃうくらい自分が俗物なのを知ってるから」

 ポカンとしている直兄と目を合わせる。

「だから私は責めないよ。責める理由がない」

 自分じゃなくて良かったなんてホッとしている人間が、どの面下げて人の失敗を責められようか。大縄跳びなんて、最後は絶対に誰かが引っかからなきゃいけない競技なんだから。

「…やっぱり花乃は違うな」

 直兄は何かを悟ったような微笑みで頷いた。いや。私も他の人と変わんないんだってば。


「そう言えば青柳さんに借り物競走のお題を聞こうと思ったのに忘れてた」

 ふと今になって思い出した。

「あー。黄島先生連れてったあれな。何だったんだろうな?」

 直兄も気になっていたのか、首を傾げる。赤井さん達も興味があったのか、視線が集まった。

「黄島先生を連れてくお題って何だと思う?」

 直兄が問いかけると赤井さんと紫田さんが考え始めた。夏志さんはまだ落ち込んでいる。

「……七光り?」

 赤井さん。なかなか言いますね。でもこの金持ちが多い学園でそのお題はないんじゃないかな。生徒の柔らかい部分を傷つけかねない。

「古典教師じゃないか?」

「「「それはない」」です」

 紫田さん。模範解答ですか?優等生め。他にも古典の先生はいるんですからわざわざあの黄島先生を選ぶ必要はないでしょう。

 私と直兄、赤井さんがハモった。

「絶対協力的に走ってくれないやる気の欠片もない黄島先生を連れて行くって事は、黄島先生にだけ当てはまる様なお題って事ですよね」

 他に選択肢があれば、黄島先生を借りるなんてすまい。

「花乃ちゃん。ハッキリ言うな…」

「黄島先生の代名詞って言ったら…反面教師?」

「もう黄島先生って個人名が書かれてたんじゃないか?」

 私の言葉にツッコミを入れる赤井さんを他所に、直兄と紫田さんが話を続ける。

「個人名か。そうかもなぁ。結局のところ、失礼になるようなお題は入れないもんな。普通」

 直兄が紫田さんの言葉に頷き返す。

 ……直兄。その言い方だと黄島先生を表す言葉が失礼なものしかないって言ってるようなものだよ。中等部時代、そうとう苦労したんだろうな。


「何の話してんだ?」

 みんなで話していたら突然声をかけられた。目を向けると冬樹さんと白鳥さんが立っている。

「冬樹さん。今青柳さんの借り物競走のお題の話してたんです」

「………ああ」

 冬樹さんは遠い目で頷いた。何ですかね?その間は??

「何か知ってるんですか?」

「いや。何も知らねぇな」

 みんなでジッと見つめると冬樹さんは目を逸らした。絶対に知ってますよね?

「……緑川」

「……」

 白鳥さんがスッと目を細めて冬樹さんの肩に手を置く。白鳥さんの重圧に冬樹さんは折れた。 

「…実は『一度ぶっ飛ばしたい奴』ってお題を実行委員にバレない様に一枚混ぜた。青柳がそれを引いたかどうかは知らない」

「「「「「……………」」」」」


「そうか」

 白鳥さんは冬樹さんの肩から手を離し、そっと目を逸らした。みな黙って視線を逸らす。確かめる勇気は無いらしい。私も無い。


 青柳さん!!!(泣)



「さすがに黒宮の活躍はすごいな」

「そっちは桃山がいるだろ」

 お昼を食べ終えてみな思い思いに時間を潰す。冬樹さんが落としていった爆弾については誰も触れない。落とした本人は白鳥さんと共にさっさと何処かに行ってしまった。

 直兄と紫田さんは適当に話し、赤井さんは弟の相手をしてくれている。

「私ってあなたと違って忙しいのよね。ピアノにバイオリン。バレエとボイストレーニング、ダンススクールにも通ってるし、家庭教師の先生にも来てもらってるのよ」

「へぇ。すごいね」

「俺もピアノとバイオリン。ボイトレとフェンシング、ダンススクールにも通ってて、もちろん家庭教師も受けてる!お前みたいな凡人とは違うんだよ」

「ああ。そう」

 私は紫田ツインズの自慢話に付き合わされている。忙しいんだな、と普通に感心する。


 双子に比べれば私が通ってるのは黒宮道場だけだもんな。でも実は通ってるのは道場だけだが、習ってる事は他に色々あるんだけどね。その件はまたの機会に語らせてもらおう。


「そーいや今日まだ黄島先生に挨拶してないや」

 双子の自慢話を聞き流していたら、ふと思い出した。

「ごめん。ちょっと黄島先生のとこに遊び行ってくる」

「ちょっと私たちと話してる途中でしょ!」

「ごめんってば」

 ご立腹の瑞希をあしらって黄島先生を探しに行く。

「別にわざわざ会いに行く必要ってあるの?」

 弟を抱っこした赤井さんが一緒について来る。

「私と黄島先生の仲ですから」

「……黄島先生とドンドン仲良くなってくのって、正直複雑だよ花乃ちゃん」

 黄島先生が居そうな場所に迷うことなく進む私を、赤井さんは微妙な表情で見つめた。黄島先生は人目のない所でサボってるはずなのです。


 しかし今日はヒロインの影がまったく掴めないな。体育祭でイベントがないとは思えないんだが…。

 神に愛され、全てを思うままに出来る乙女ゲーム世界の中心に立つ存在。イケメンにアッサリ愛されまくる超イージーモードのモテ期。リアル逆ハーレム人生の勝ち組。それがヒロイン。

 おのれヒロイン。絶対に赤井さん達を好きにはさせないぞ。


 人知れず気合を入れ直す。

「あ。虹園。黄島先生見なかった?」

「黄島先生なら向こうにいました」

「ありがと。午後も頑張ろうな」

 赤井さんが擦れ違った女子に黄島先生の事を尋ねた。女子生徒はあっちと指差したようだが、考え事をしていた為ちゃんと見ていなかった。気づいて振り返った時にはポニーテールの女子の後ろ姿しか見れなかった。赤井さんが「こっちだって」と駐車場の方へ進んだ。そっちですか。


 駐車場に向かうと、黄島先生がこちらに向かって歩いてきた。

「黄島先生。こんにちはー」

「おー。チビちゃん」

 テケテケと近づいていくと、黄島先生がいつもと同じダルそうな様子で片手を上げて私を迎えてくれる。ただいつもと違い、何故か私を抱き上げた。

「?」

「赤井ぃ。もうそろそろ昼休み終わんだろ。集合した方がいいんじゃねぇの?」

「それは先生もでしょうが。………って先生?」

 黄島先生はそのまま赤井さんに近づき、赤井さんに抱っこされている弟を自然な動作で奪い去った。赤井さんもそれには驚く。

 黄島先生は私たち姉弟を抱っこしたまま駐車場わきにある花壇に腰を下ろした。

「黄島先生どうかしたんですか?」

「あ~。あれ。アニマルセラピー?」

 黄島先生は疑問形で答える。誰がアニマルだ!

 文句を言おうかと思ったが、ヘラヘラ笑う黄島先生からいつもとは違う空気を感じ文句は飲み込んだ。

「先生。あの時間が……」

「赤井さん。私、黄島先生とちょっと遊んでから行きますから弟と先に戻ってくれませんか?」

 黄島先生を急かそうと声をかけようとした赤井さんを遮る。赤井さんは一瞬迷ったが、集合時間が迫っているため頷いた。

「分かったよ。おばさんたちには言っとくから、あんまり遅くならないように戻りなね。先生もあまり遅れないようにして下さい。生徒会顧問なんですから」

 赤井さんは黄島先生の腕から弟を抱き上げて、クギを刺してから中庭へと戻っていった。私と黄島先生だけがその場に残る。


「いいのかぁ?チビちゃん。応援合戦に間に合わなくなっちゃうぞ」

「いいですよ。ビデオ撮っててくれてますから」

 母親トリオが張り切って撮っているから、後でいくらでも見れる。頼まなくっても貸してくれるだろう。

「そっかぁ」

 黄島先生はそれだけ言って、私を後ろから抱え直した。顔は見えないが、預けている背中から黄島先生が肩の力を抜いたのは伝わってきた。

 暫くして校庭の方から応援合戦の賑やかな音と歓声が聞こえてきた。その間、私と黄島先生の間に会話はなかった。



 私が校庭に戻った時には応援合戦は終わっており、すでに騎馬戦が始まっている。

「面白いとこに帰って来たわね」

「そう?」

 応援席に戻るとお母んが出迎えてくれた。弟はお母んの膝の上で興奮している。騎馬戦の熱気にやられたようだ。

 校庭の中心を見ると、夏志さんと桃山さんの騎馬が睨みあっている。すごい気迫だ。応援席まで伝わってくる。戦国時代の武将のようだ。二人の戦いに巻き込まれる馬役の六人が心配だ。現にすごい汗だ。たじろいでいる。

 他にも目立つ人がいる。白鳥さんだ。白鳥さんの鉢巻を狙える度胸の持ち主がおらず、白鳥さんの騎馬には誰も近づかない。なんか白鳥さんを中心に円形の空間ができている。白鳥さんもどうすればいいのか困っている様子だ。これが王の貫禄か。

 逆に中等部生徒会長の青柳さんの騎馬には、すごい数の騎馬が群がっている。ほとんどが高等部の先輩だ。

「くらえ!中等部のモテ男!!」

「先輩の愛の鞭だー!!」

 口々に叫ぶ先輩方にもみくちゃにされている。いじられている。とりあえず先輩から愛されているのだろう。青柳さんは直兄と違って可愛げのある後輩だからな…。

 直兄、赤井さん、紫田さんも活躍している。あ!直兄と紫田さんが対決してる。直兄が勝った!!やばい。後で絶対に調子に乗るぞ、あの野郎!!

 あれ?誰か忘れてる気がする。この流れは……。


 キョロキョロしていた間に夏志さんと桃山さんの対戦が佳境に差し掛かっていた。取っ組み合って鉢巻を取ろうとしている。みなが盛り上がった瞬間、またも良いとこを掻っ攫っていく人が現れた。

 冬樹さんが取っ組み合う二人の鉢巻を颯爽と奪い去っていった。なんで同じ白組の夏志さんのまで取ってんですか!?さすが三年と言うべきか。冬樹さんの騎馬は馬役までしっかり統制がとれており、動きに無駄がなかった。


 夏志さんと桃山さんの悔しそうな表情を見て笑う冬樹さん。その背後から呆れ顔の白鳥さんが冬樹さんの頭を叩きながら鉢巻を奪い去った。誰が最強か、ハッキリした瞬間である。



 白鳥さん最強を知らしめた騎馬戦が終わり、大縄跳びが始まる。

「花乃。戻ってたんだな」

「うん」

 応援席に直兄達三人がやってきた。朝から思ってたけど家族用の応援席に来すぎじゃないですかね?クラスの応援席じゃ女子が煩いんだろうな。

「応援合戦見てくれたか?」

「全く見てない」

 期待に満ちた目で尋ねてきた直兄に、素直に首を振る。よっぽど自信があったんだろう。赤井さんと夏志さんと一緒にガッカリしている。


「あー。上野さんだ」

 上野さんを発見した。大縄跳びは各クラスごとに跳ぶようだ。中等部の集団の中に天使を見つける。何か違和感を感じるのだが…。

「大縄跳びって普通、端っこの方が跳ぶの難しいですよね?」

「そうだな」

 私の質問に直兄が頷いた。

「運動が苦手な人は真ん中に配置しますよね?」

「そうだよな」

 これには夏志さんが頷いた。

「上野さんって運動苦手なんですよね?」

「そう言ってたよね」

 赤井さんが頷く。

「上野さん。端っこで跳んでんですけど」

「「「………」」」

 

 運動が苦手な上野さんが何故か大縄跳びの端っこで跳んでいた。縄が弧を描いている分高く跳ばなくてはいけなくて大変そうだ。真面目な上野さんは必死に跳んでいたが、案の定足が引っかかってしまい、上野さんのクラスは最初に脱落してしまった。上野さんが青い顔で落ち込んでいるのがここからでも分かる。


 そうして大縄跳びは終了し、部活対抗リレーが始まった。各部活のユニフォームに身を包んだ代表たちが校庭に並ぶ。剣道部は大変そうだ。美術部は絵をかきながら走るようだ。

「……直兄。ちょっと一緒に来てくれる?」

 部活に入っていない為、暇な三人は応援席に座っていた。部活対抗リレーを眺めている直兄を誘う。

「いいけどどうしたんだ?」

「嫌な予感がするんです。上野さんの所に一緒に行ってほしいんだ」

「……!分かった。急ごう」

 直兄は察したようで、真剣な顔で立ち上がった。

「俺も行こうか?」

「俺も」

「赤井は青柳を呼んできてくれないか?夏志はもしもの時の為に風紀の数人を連れてきてくれ」

 赤井さんと夏志さんも続く。直兄がすかさず指示を出した。二人とも事態を察しているのだろう。頷きあって走り出す。

 直兄と私は人目のない校舎裏に急いだ。


「ちょっと聞いてるの!」

 校舎裏を散策してすぐに女子の怒鳴り声が聞こえた。直兄が二人にメールを打つ。物陰から覗き込むと複数の女子に上野さんが囲まれていた。

「あんたの所為で負けたのよ」

「せっかく練習したのにどうしてくれんのよ」

「ご、ごめんなさい」

 きつい言葉を浴びせられて、上野さんは泣きそうな顔で謝る。

「でも、上野さんが運動苦手なの知ってたのに真ん中にしてあげなかったじゃん。そこまで責めるのはちょっと……ねぇ?」

「うん。他の子は真ん中にしたのに上野さんだけ直前で端っこに変更って…」

 この下種な行為に乗り気じゃない女子達が顔を見合わせて止めに入った。だが、主犯格は止まらない。

「何言ってんのよ!ちゃんと話し合って決めたんじゃない。頼まれて了解したのは上野さんなんだから。上野さんの責任でしょ」

「私たちの今日までの頑張りを台無しにされたのよ」

「……」

 それどころか止めに入った女子達も飲み込む勢いで捲し立てる。上野さんは泣きそうな顔で震えている。

「大したこと出来ないくせに生徒会に入って、調子に乗ってるからこうなるのよ。やる気が足りないんじゃないの?」

「……っ!!」

 上野さんの瞳から涙が零れ落ちた。


「あいつら…。止めてくるから此処で待ってろ花乃。……花乃?」

 怒り心頭な直兄が止めに入ろうと私に声を掛けたが、返事がない私を不思議に思い振り返った。


「あの性悪外道クソアマ共が調子乗ってんのはテメェラじゃねえかフザケんじゃねけぞコラ下種の分際で天使に手ぇ出しやがって汚らわしいテメェラごときが本来触れていい存在じゃねぇんだよ身の程を知りやがれお前らの顔全員覚えたからなゼッテェ忘れねぇぞ必ず地獄見せてやるから覚悟しやがれせいぜい夜道の一人歩きに気をつけな呪う絶対に呪ってやる末代まで呪いつくしてやるこの世の全ての不幸がお前らに降り注ぎやがれ財布を落とせ鍵を失くせ体重増えろ宿題やって家に忘れろ肌荒れろ成績下がれ失恋しろ隠してたポエム帳親に見られろ」

「怖い怖い怖い怖い怖いって!!!!!!!!」

 我を忘れて呪詛を唱えていたら、直兄が青ざめた顔で私の肩を揺さぶってきた。おかげで正気に戻ったわ。

「ごめん。怒りで取り乱した」

「いや。取り乱すってレベルじゃなかったぞ。息継ぎしてなかっただろ」

 よく覚えてない。完全に無意識だった。

「直兄。此処でただ助けに入ったら上野さんへのアタリが増々強くなる。あのド腐れクソアマ共わざとこの状況を作ってやがる。全ての歯が虫歯になれ」

「どういう事だ?」

「あの外道下種下卑た三G女共、人気急上昇な青柳さんの近くにいる上野さんが気に食わなかったんだ。身の程も知らずに上野さんに嫉妬したんだよ。それでクラスを巻き込んで上野さんに嫌がらせをしたんだ。両手両足の爪全て剥がれろ」

「なるほど」

「だから此処で直兄が普通に止めに入ったんじゃ増々攻撃が強くなる。男に媚びてるとか言いがかり絶対にしてくるよ。髪の毛一本残らず枝毛になれ」

「花乃。語尾に呪いの言葉を言うのは止めてくれ。怖いから」

「え!?私そんな事言ってた??」

「無意識!!?」

 マジか。全然気づかなかった。直兄が完全に怯えている。


「直兄。とりあえず訴えかけるなら主犯格じゃなくて、あの周囲にいる乗り気じゃない女子達だ。あの子らを味方につけて、上野さんを責める空気をぶち壊すんだ。誰が悪いとか決める空気そのものを打ち消すんだ。ただあの女共を責めたんじゃ反発が起こるから」

「という事は、上野を責めた女子達も責めないって事か?それでいいのか?」

 直兄が不服そうに眉を寄せる。

「……あの女共を地獄に落として丸く収まるなら、私は今すぐ凶器になる物を探しに行ってる」

「ごめん!丸く収めような!!」

 直兄は悪魔に魂を売りかねない私の様子に慌てて謝った。今なら魔王に全てを捧げてもいいと思える。天使の為なら喜んで堕天しよう。

「とりあえず、どうするんだ?」

「直兄。口上手いんだから言いくるめて来てよ。いつの時代も正義ってのは多数決で決まるんだ。数を味方につけさえすれば、あの女共も何も言えないさ。たらし込んで来い」

「幼児の口からは聞きたくない言葉だな」

 四の五の言わずにさっさと行け!


「キミたち。そこで何をしてるんだ?」

「八神先輩!?」

 突如現れた直兄の存在に、主犯格の女子達が慌てる。他の女子達も気まずそうな顔になった。上野さんは泣きながら俯いている。

「団体競技で一人を責めるのはどうかと思うけどな」

「……でも、私たちの頑張りを台無しにされたんですよ。納得いかないわよね?みんな?」

 主犯格は目を泳がせながら他の女子の賛同を得ようとする。自分で台無しになるよう仕組んだくせに(怒)

「頭で分かってっても、割り切れるもんじゃないと思います」

 別の主犯格が援護する。他の女子は顔を見合わせて困った顔をした。納得できない気持ちがないわけじゃないのだろう。でも上野さん悪くないからな!

 私は携帯を握りしめながら物陰から見守る。

「キミたち。上野さんが縄に引っかかった時どう思った?」

「えっと…?」

「悔しいていう気持ちもあったと思う。でもホッとしたってのもあるんじゃないか?」

 直兄の言葉に女子達は視線を彷徨わせた。

「自分じゃなくて良かったって、少しも思わなかったって言いきれるか?」

「「「「………」」」」

 女子達はみんなハッと顔を上げて、上野さんに申し訳なさそうな顔を向けた。

「そうだよね。上野さん一人を責めるとかおかしいよね」

「団体競技なんだし一人に責任押し付けるのは違うよ。やっぱり」

 女子達が直兄の意見に賛同し始めて、主犯格たちは悔しそうに押し黙った。

「そ、そうよね。ごめんね上野さん」

「私たち、ちょっとムキになっちゃった」

「…い、いえ」

 自分たちの不利を悟った主犯格たちは、無理やり笑顔を作り手の平を返す。優しい上野さんは涙を拭きながら彼女たちを許した。天使すぎです。

 場を治めた直兄に尊敬の眼差しが集まる。聞き覚えのある言葉とかにイラッともするが、上野さんが助かったんだから我慢しよう。


「上野!?」

「青柳君!!」

 青柳さんが赤井さんと共に現れた。上野さんはまだ涙の跡が残る顔を慌てて隠す。青柳さんは状況が飲み込めず困惑している。

「どうかしたの?上野?」

「な、何でもないです」

 上野さんは青柳さんに心配を掛けたくなかったのだろう。青柳さんの突然の登場にパニックを起こし、顔を隠したまま走り出してしまった。健気すぎです。我が天使!!

 じゃなかった!追わないと!!


 慌てて上野さんを追いかける。

「上野!?待って!!」

「……っ」

 青柳さんの制止にも上野さんは止まらない。そのまま駐車場に続く階段の方へと向かってしまう。

「きゃあ!?」

 上野さんの悲鳴が聞こえ、スッと背筋に冷たいものが走った。

「上野!?」

「上野さん!?」

 急いで追いつくと上野さんが駐車場に向かって下りる階段の前で膝をついていた。

「どうしたんだ?」

「えっと…。こ、転んでしまって…?」

 青柳さんに質問に上野さんも疑問形だ。ふと階段を見ると階段を覆うようにマットが引かれていた。どうやら上野さんは階段を下りようとしたが、マットで通行止めされており、ビックリして階段の手前で転んでしまったらしい。

「なんだ?このマット??用具倉庫に戻しといてくれ」

 風紀委員を数人連れた夏志さんも追いついてきた。首を傾げながら風紀委員にマットを片すよう指示を出している。

「上野?歩ける?」

 青柳さんが心配そうに上野さんの傍に膝をついた。青柳さんはずっと上野さんの心配をしていのだろう。もう付き合っちゃえよ。

「青柳。救護テントまで連れてってやったらどうだ?」

「あ。はい」

 赤井さんに言われ、青柳さんが上野さんを抱え上げようと手を伸ばした。

「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁです!」 

 ハッキリ言えば見たい萌展開だが、そのお姫様抱っこ待ったぁ!!

「夏志さんが連れてきた風紀の女子の方。彼女に上野さんに肩を貸してあげるよう頼んでください」

 夏志さんのジャージを引っ張りながらお願いする。

「ん?ああ。分かった。おい、ちょっと頼む」

 夏志さんはマット運びを手伝う風紀の女子に声をかけ、上野さんの事を頼んでくれた。上野さんは風紀の女子の手を借り、青柳さんに付き添われて救護テントへ向かって行った。

「なんで止めたの?」

 赤井さんが青柳さん達を見送りながら尋ねてくる。

「男女でお姫様抱っこはないですよ」

「えー。女子の憧れじゃないの?」

「場合によりけりです。付き合ってるわけでもない上に、こんな人前でお姫様抱っこなんて後で居た堪れない思いするだけですよ。マジないです」

 あの恥ずかしがり屋の上野さんにそんな事したら、明日から学校に来ない恐れがある。

「そもそも他にどうしょうもない状況でもない限り、不用意に女子の体に接触するべきじゃないですよ。腕力的に男手がいるか、頼れる女性が傍にいないならともかく、女性に軽々しく触れるのは感心しませんね。つーか、現実でいきなりお姫様抱っこって引きますわ」

 あれは使いどころを見極めなければ、とんでもない火傷を負う事になる両刃の胸キュンイベントである。

「そっか。なるほどね」

 赤井さんはウンウンと頷いて納得した。


 さてと上野さんはもう大丈夫だから、あとはあの女達か……。


「なんでこうなるのよ」

「あり得ない。もう少しだったのに」

 他の女子達はとっくに校庭に戻り、主犯格の女子達だけがゆっくりと校庭に向かって歩いている。計画が失敗に終わって不満全開だ。

「随分とご機嫌斜めだな」

「「「「!!?」」」」

 女子達がビクッと体をはねさせて前を見ると、校舎の壁に寄りかかって女子達を見つめる冬樹さんがいた。一緒に白鳥さんと紫田さん、桃山さんまでいる。その視線は冷たい。女子達は直兄や赤井さん達だけでなく、予想外の人達の登場に顔を青くする。

「……次の競技が始まるぞ。ふざけるのも程々にクラスに戻りな」

「「「「!!!」」」」

 冬樹さんはそれだけ言って校庭の方へと戻って行った。白鳥さん達も無言でそれに続く。

 残された女子達は真っ青な顔で泣きそうになり、その場で立ちすくんだ。決定的な言葉は言われなかったし御咎めがあったわけではないが、学園中の憧れの人達全員に今回自分達がやった事を知られてしまった事を、彼女達は察したのだ。


 もう分かっていると思うが、白鳥さん達を呼んだのはもちろん私である。優しい上野さんの為にも、大事にできなかったが、我が天使を傷つけて何の報復もないとかあり得ないから。先生に怒られるよりもあの女達には効果があるだろう。なんせ彼らと接点を持つからこそ上野さんに嫉妬したのだから。

 本当はもっと色々したかったが、今回は我慢してやろう。上野さんの優しさに感謝しな!



 その後の体育祭は滞りなく進んだ。二人三脚に参加した赤井さんが転んでいたが怪我はないようだ。良かった。

 代表リレーには直兄とカラフルなお人達全員が参加していた。それぞれの組の中等部代表チームと高等部代表チーム、計四チームが走った。みんな早い!!

 途中、直兄と紫田さん、夏志さんと桃山さんがそれぞれ張り合っていたが、総合優勝は紅組だ。冬樹さんと夏志さんの活躍はすごかったが、白鳥さんの采配がそれを上回った。さすが白鳥さん。


「上野さん、大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫だよ。ありがとう花乃ちゃん」

 閉会式が終わり、各自片づける中、救護テントの上野さんを見舞う。ただの掠り傷だが、上野さんの泣いた跡を気遣った先生が救護テントで休むよう許可を出したらしい。

 しかし階段に置かれてたマットは何だったんだろう?謎が残ったなぁ。

「上野さん。荷物は教室よね。持ってきてもらうよう誰かに頼める?」

 先生が上野さんに尋ねた。上野さんは自力で取りに行けると言いかけたが、泣いた跡が残る顔で教室に戻るのは気が引けるらしい。ジャージの為、携帯も持っておらず友人に連絡が出来ないと悩んでしまった。

 私の携帯で青柳さんに連絡しようと言いかけたところで、先生がちょうど私の後ろを通りかかった生徒に声を掛けた。

「あ。虹園さん。悪いんだけど伝言頼めるかしら?彼女のクラスに行って誰かに荷物を持ってくるよう頼んでほしいの。中等部の三年D組よ」

「はい。いいですよ」

「あ、ありがとうございます。すみません」

 頼まれた通りすがりの生徒は、快く引き受けて走って行く。ちらりと振り返ったらユラユラと揺れるポニーテールが目に入った。何かポニーテール多いなぁ。同じ人だったりして。


 そう言えばヒロインも見つからなかったなぁ。残った謎は二つか。


 私は目の前で微笑む上野さんを見て、次回こそは必ずヒロインの尻尾を掴み、上野さんの幸せな未来を全力でサポートする事を改めて心に誓った。



 ヒロインいないって事はないよな?

今回は短編のカラーズヒロインの話とリンクしています。そのためえらく時間がかかってしまいました。その上説明が多くて分かりづらい…。

 お時間がありましたら短編も是非読んでください。

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