表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

五歳児、春。卒業式「猫を被る暇もない……」

 七月更新できませんでした。時間がかかってのこの駄文。

 正直、本編的にはなくてもいい話な気もする内容です。

 思いついたままに書いた。後悔はしていません。

 ただ、これから後悔するかもしれない…。

 月日ってやつはドンドン過ぎていくものである。



「もうすぐ直兄達も高校生ッスねー」

 時は三月。私・天川花乃は、この数か月の間に慣れ親しんだ八神直也の部屋のベッドの上で、ゴロゴロしながら漫画を読んでいる。もう勝手知ったる他人の家だ。


「そうだな。もうすぐ卒業式かぁ。長いようで短いような中等部三年間だったよ」

 直也さんはベッドに背を預けて床に腰を下ろしていた。その手には、私が今読んでいる漫画の最新刊が握られている。さっさと読んで、こっちに回してほしい。


 私と直也さんの仲も進展した。進展というと変か?

 まぁ、私の直也さんの呼び方が直兄になって、直也さんが私を呼び捨てにするようになったってだけなんだけどね。なんつーか、お互いにくだけた付き合いになったわけかな。敬語もテキトーになってきた。ここから先は心の中も直兄と呼ぼう。


「王山の中等部じゃ、涙の卒業式とはならないんだろうなぁ」

 読み終わった漫画をベッドのわきに置いて、ゴロンと寝返りをうつ。直兄の頭越しに最新刊を覗き込むとまだ半分くらいしか読んでいない。回ってくるのはまだ先になりそうだ。


「まぁな。そのまま高等部に上がる奴ばっかりだから、涙の別れって風にはならないよな」

「でも外部に行く人もいるんでしょう?」

「いる事はいるけど本当に少人数だしな。仲の良い奴らは泣くだろうけど」

「直兄の友達はみんな内部進学なん?」

「俺の周りはそうだな」

 直兄は特に卒業に対して抵抗感もなく、リラックスしている。友人との別れもなく、隣の校舎に移るだけなのだから当然といえば当然だ。


 その時、和やかだった空気が固くなった。どうしたのかと直也さんの顔を覗き込むと、沈痛な顔で項垂れている。嫌な事を思い出したような顔だ。


「内部進学に落ちそうな奴ならいたけどな…」

 直兄は読んでいた漫画を膝に置いてため息をついた。どこか遠い目をしている。

「ああ…。あの人ね……」

 私も遠い目をして、そのまま枕に顔をうずめた。あれは大変だった……。


 私も嫌な事を思い出してしまった。


「「はぁ~」」


 二人分のため息が部屋に響いた。







 あれは時をさかのぼる事、三か月程前の事だ。


 すっかり寒くなった十二月。先日期末試験も終え、冬休みを目前にいた直也さんが、天川家を訪ねてきたのが始まりである。



「こんにちは」

 ある土曜日の午後。八神直也は爽やかな笑顔を張り付けて、天川家の玄関に現れた。

「あら直也君。うちに来るなんて珍しいね。花乃ー。直也君が遊びに来てくれたわよー」

「直兄?」

 玄関から聞こえてくる直兄とお母んの声に、リビングでゴロゴロしていた私は玄関へと小走りで向かった。


「何か約束してたっけ?」

 首を傾げて直也さんを見上げると、直兄は手を振って否定する。

「いや。してないよ。家族団欒中にすみません」

 直兄は前半は私に向かって、後半はお母んに会釈しながら言った。リビングから聞こえる弟と親父の笑い声に、申し訳なさそうに苦笑している。


 今日は親父の仕事も休みなので、道場も休んで家族のんびり過ごしていたところである。


「気にしないでいいのよ。上がって」

 お母んは朗らかに笑って返し、家の中に招き入れた。

「すみません。これ母からです」

 直兄は持っていた紙袋をお母んに差し出して、きれいに靴をそろえて家に上がった。

 その袋、カステラだな。私はキランと目を光らせる。

「やだ、お土産なんていいのに」

「気にしないでください。うちも色々貰っちゃってますし。お互い様ということで」

 遠慮するお母んに、直兄は爽やかな笑顔で返した。

 日頃、私が八神家へ遊びに行く時、たまに手土産を持っていくことがある。まぁ、確かにお互い様かな。


「直兄。私リビング寄るから」

「ああ。先に花乃の部屋に行ってる」

 階段で直兄と別れ、私はリビングへ、直兄は二階の私の部屋へと向かった。


 リビングに戻ると、弟の描いた絵を親父が褒め、褒められた弟はご機嫌ではしゃいでいる。ただし他人から見ると無表情。

 弟の描いている絵は、猫や兎、熊さんなどの大変ほのぼのした絵である。


 本来はこういう絵を描く奴なんだよな……。

 だからこそ、あの時のアレは何だったんだろう…。


「直也君が来たのか?」

 親父が弟の頭を撫でながら聞いて来る。

「うん。部屋で遊んでくるね」

 テーブルの上に置きっぱなしにしてた携帯をポケットにしまいながら答える。


「むい!?」

「直兄だけ。赤井さんは来てないよ」

「…むう」

 弟は期待を込めた眼をして立ち上がろうとしたが、私の言葉に一瞬でガッカリした顔に変わり、上げた腰を下ろした。お前は本当に赤井さん好きな。


「直也君にはいつも花乃が遊んでもらってて、ありがたいなぁ」

「花乃も懐いてるし、本当に面倒見のいい子よねぇ」

「しっかりしているし。学校の成績もいいんだろう?」

「生徒会長だったらしいわよ」

「すごいなぁ。王山の生徒会長だなんて本当に優秀なんだね」

 親父が感心したように言う。実はこの人、王山学園の卒業生である。王山での生徒会の権力と影響力を知っているのだ。


「ははは」

 ほのぼのと笑っている両親に渇いた笑いが出る。携帯も回収したし、さっさと部屋に行こう。この会話は聞いてるだけでキツイ。

 パタパタとリビングから出て行く。


「あとで飲み物とお菓子持ってくから」

「はーい」

 お母んの声に返事をしながら階段を上がり、直兄が待つ自室のドアを開けた。



「お待たせしまし…たぁ………」

 私が部屋に入ると、直兄がいた。いや、いるのは当然なんだけどね。ただ、その体勢がおかしいっていうかね。うん。


 一言で言うと、土下座だ。ドアに向かって土下座しながら待っていたのだ。


「助けてくれ!」


 こいつ、土下座したまま言い放ちおった。

 幼女に土下座で助けを求める男。これが両親が、面倒見のいいしっかり者で優秀だと評した男である。とてもじゃないが見せられない。


「……今度は何スか?」

 土下座している後頭部を冷めた眼で見下ろす。正直言って聞きたくないけど、家まで来られちゃしょうがない。

「実は困った事になってさ」

 私が聞く姿勢なのを知り、直兄は愛想笑いを浮かべて顔を上げる。

 その顔にため息をついて、私はとりあえずベッドに腰を下ろした。直兄も楽な体勢に座り直す。


「今の時期で困った事っていうと、聖夜祭ッスか?」

 カレンダーを眺めて思いつくイベントを口に出した。

「いや。今回はその件じゃないんだ」

 直兄が軽く手を振って否定する。どうやら違ったようだ。



 聖夜祭とは、王山学園の行事の一つである。名前から察する通りクリスマスのイベントだ。

 十二月二十四日に学校の講堂でクリスマスパーティーが行われる。信じがたい事にダンスパーティーだ。

 現代日本の中学・高校でダンスパーティーってさぁ…。この辺がゲームの世界って感じがする。

 自由参加だが、毎年参加者はけっこう多いらしい。


 王山は良家の子息や令嬢も通い、将来活躍する優秀な人材を育てるのを売りにしている学校である。聖夜祭は良家の保護者や関係者も参加するので、将来に向けて顔を売り込む社交の場なのだ。

 家のパーティーに顔を出さなければいけない者は欠席するが、こちらを優先する者も少なくないと聞く。

 この日の為に、ワルツの講習も行っているそうだ。

 ご令嬢達は聖夜祭の為に、有名ブランドのドレスを用意している事だろう。一般家庭の子の為に、学校からのレンタルドレスもあるようだ。


 ダンスのパートナーとして招待すれば、他校生など外部の者も参加できるので、許婚や恋人と参加する者が多いとか。恋人がいなくても、聖夜祭のパートナーを申し込むのを機にカップルが成立したりするらしい。パートナーがいなくても参加できるけどね。当日に成立するカップルもいるとか。


 つまりこれ、聖夜祭は恋に恋する少年・少女の告白イベントなわけだ。


 ゲームのイベントでも結構重要なイベントだったな。

 王山はこう云ったイベントが多い学校だ。お祭り好きとも言えるが、普通の学校ではやらないような、あきらかにカップル成立を狙ったイベントが存在する。男女交際を推奨しているとしか思えない。さすが乙女ゲームの舞台だ。


 


 私は王山に入学したら参加するのだろうか…?壁の花(笑)になるのは目に見えてるが、非日常な空間を興味本位で見てみたい気もする。でも、クリスマスって家族で過ごす日な気もするしな。


 この時期ならとっくにパートナーの申し込みと言う告白ラッシュが始まっている事だろう。目の前の男のようなモテ男ならさぞすごい事になっているだろうなと思って話を振ったが、今回の相談とは関係ないのか。


「聖夜祭も聖夜祭で大変だけど、これは花乃に頼ってもどうにもならないからな」

 直兄は頭を掻きながらいつもの満更でもない困り笑顔で言う。

 

 確かに校内での告白に対して私が出来る事などない。「モテすぎて困ってるから上手い断り方を教えてくれ」なんて言われても私の方が困る。せいぜい私に出来るのは、その顔面に拳を叩き込む事ぐらいだ。すでにもう叩き込みたくて仕方がない。静まれ私の拳。


「じゃあ、何なんスか?」

「実は困ってるのは内部進学試験の事なんだ」

 面倒臭そうに聞くと、直兄は真面目な顔になった。どこか焦っている気配を感じる。

 って、内部進学試験?


「それって年明けにある高等部に上がる為の?」

 私は不思議に思いながら聞き返した。

「そう。その内部進学試験」

 直兄は真剣な表情で頷く。


 またここで王山の話をしよう。

 王山の中等部と高等部はエスカレーターで上がれるのだが、誰でも上がれるわけではない。一応、高等部に進学するにあたっての内申と成績が必要なのだ。その成績を確認する為の最終試験が、一月に行われる内部進学試験である。

 とは言え、学校側だって中等部からいる生徒を落としたいわけじゃない。よっぽど内申に問題があるか、勉強を怠けすぎるかしない限りそうそう落ちる事はないらしい。


 しかし直兄がその内部進学試験で困っているとはどういう事だろう?確かに直兄は内部進学組首席を狙っていて私もその手伝いをしているわけだが、その件は順調に進んでいるはずだ。期末の結果はまだ出ていないが、答え合わせした限り今回も首席だろうとハイタッチを交わしたのが昨日の事ではないか。

 まさか今になって強力なライバルが現れて、内部進学試験の首席の座が危ないなんて事じゃないだろうな。


「冬休み中にしっかり復習して万全の態勢で試験に備えようって話だったじゃないッスか」

 そのための勉強プランも立てている。よっぽどの事がなければ、八神直也が首席から落ちる事はないはずだ。

「俺じゃないんだ」

 直兄は頼りなさげに眉を下げ、困り顔で言った。


「友達の一人が内部進学で落ちそうなんだよ」

 直兄の切羽詰まった声が部屋に響く。


 後日、私はこの日の事を後悔する事になる。安請け合いはするもんじゃないと…。





「いってきまーす」

 直兄が訪ねてきた次の日。私は直兄との約束に出かけるところである。


「むう!」

 玄関のドアノブに手を掛けると、リビングから弟が走ってきた。その眼は遊びに行くなら連れて行けと語っている。毎度のことながら、なんで目的地が八神家ではない事が分かるんだろう?


「…行くのは直兄の家じゃないけど、やる事は勉強だぞ」

 期待している弟に淡々と言ってやる。………そこからの弟の動きは実に見事だった。

 

 私の言葉を聞いた瞬間、走ってきた勢いのまま床に飛び込み、でんぐり返しをしながら身体の向きを変え、そのまま玄関に背を向けてリビングへと駆け戻って行った。その間、完全に無表情だ。

 それはまさに獣のようにしなやかな無駄のない流れるような動きだった。


 本当にうちの弟は何なんだろう?


「直也君と遊びに行くの?」

 微妙な気持ちで弟の背中を見送っていたら、弟と入れ違いでお母んが玄関にやってくる。

「うん。帰りは直兄が遅くならないように送ってくれるから」

「そう。いってらしゃい」

「いってきます」

 笑顔で手を振っているお母んに手を振りかえして、私は外へと出た。


「よう」

 玄関を出ると直兄がすでに待っていた。うちの門扉に寄りかかって携帯をいじっている。

「どーも。待ちました?」

「いや。そんな待ってないよ」

 直兄は携帯をポケットにしまいながら門扉から背を離す。

「それじゃあ、さっさと行くか」

 直兄と並んで歩き出した。向かうは王山学園である。



「その人、そんなにやばいんスか?」

「やばいらしい…。先生から通告があったって言ってた」

 道すがら確認すると、直兄は溜息まじりで答えてくれた。

 通告と言うのは、このままでは高等部への進学が危ない生徒への学園側からの忠告である。頑張って高等部への進学を目指すか、外部への受験に切り替えるかの決断を求めるそうだ。


 つまり直兄の友人の一人がその通告を受け、直兄に泣きついたってわけだ。

 主席を狙いつつ友人の救済とは、忙しい男だな。問題はその忙しさに私も巻き込まれるって事なんだけど、今回はその友人の為と言う事で引き受けた。友情は大切だ。

 今回の私の役目は学習プランをたてるだけだしね。直接その友人に教えに行くわけにもいかないから、試験範囲の内容をまとめて直兄に渡したら終了だ。あとは直兄がそれを参考にして友人に教える事になっている。貰ったカステラ分の働きはしよう。


「直兄を頼る前に先生を頼るべきなんじゃないの?学校側からの救済処置みたいのはないんスか?」

「補習があるけど…。なんかそれだけじゃ補いきれないほどやばいって言ってたな」

「………」

 なんか不安になってきた。直兄も心なしか顔が引きつっていた…。


 話しているうちに王山の裏門に着く。今日は過去の内部進学試験の問題をもらいに来た。学習プランの参考にするのだ。生徒会顧問の先生に事情を話して用意してもらった。

 当然それに私が付いていく必要はないのだが、その生徒会顧問の先生と言うのに会ってみたい理由があるので直兄に同行する事にした。


 日曜日という生徒の少ない曜日ではあるが、部活動をしている生徒もいる。目立ちたくないので正門からではなく裏門からこっそりと入る。肉食系女子と遭遇しませんように…。

 校庭の方から聞こえてくる運動部の元気な声を聴きながら、生徒会室のある特別教室棟へと踏み込んだ。


「そう言えば、なんでついて来たんだ?普段はあんなに俺達のファンの娘に目を付けられたくないって警戒してんのに」

 直兄が階段を上がりながら尋ねてきた。

「……ちょっとした好奇心ですよ」

 私は目を逸らしながら言葉を濁す。嘘はついてはいない。本当に好奇心だ。ただ事細かに説明するわけにはいかない。なんせ説明したらかなり電波な理由なのだから。

「…?」

 直兄は少し不思議そうな顔をしたが、それ以上触れてくるマネはしなかった。ツッコまれたくないという私の気持ちを察してくれたようだ。空気の読める男で本当に助かる。


 王山の生徒会顧問なんだからすごい優秀な人なんだろうな。未来の八神直也みたいなカリスマ先生かもしれない。

 まだ見ぬ顧問に期待が膨らむ。


 そうこう話しているうちに生徒会室に到着した。顧問の先生とはここで待ち合わせているらしい。

「入るぞー」

 直兄がノックをしながら室内に声を掛ける。

「はい。どうぞ」

 室内からの返事を聞き、直兄は生徒会室のドアを開けた。


「直也先輩。どうしたんですか?日曜なのに」

 青柳さんがキョトンとした顔をして迎えてくれる。他の役員達も手を止めてこちらに顔を向けていた。

 どうやら生徒会は日曜日も仕事があるらしい。おそらく聖夜祭の準備だろう。お疲れ様です。

「ちょっと黄島先生に用があってな。ここで会う約束なんだけど先生は?」

 直兄は右手を軽く上げて皆に挨拶しながら室内を見渡した。青柳さんは困ったように苦笑し、青柳さん以外の後輩たちは軽く会釈して止めていた手を動かし始める。

「黄島先生ですか……。その…先程まで隣で昼寝をしてたんですけど、少し前に起きて何処かに行ってしまいました」

 青柳さんは眉を下げて生徒会室の奥にあるドアを視線で指しながら説明した。隣の部屋と繋がっているようだ。……どうやら目的の人物はいないらしい。

「「……」」

 直兄は無言でガックリと肩を落とし、私は無言で直兄を見上げた。

 …すっぽかされたんと違う?


「えっと、誰か黄島先生が何処に行ったか聞いてる?」

 青柳さんは気の毒そうな表情になり、他の役員に話を振った。役員達は手を止めて顔を見合わせる。

「あ、あの…。タバコ忘れたって言いながら出て行ったから…その……職員室…ではない…かと……」

 上野さんが自信なさげに発言する。皆の目が自分に向くのが恥ずかしそうに俯いて、言葉もどんどん小さくしぼんでいる。


 ちなみに上野さんとは私のお気に入りの三つ編みおさげの眼鏡っ娘である。彼女を見ると心が洗われる思いだ。今日も世界は輝いている。


「こう言っては何ですが、その…誰かと約束してるっていう雰囲気ではなかったですよ」

「言いにくいんですけど多分忘れられてると思います」

 他の役員も上野さんに続いて発言する。皆そろって気の毒そうな表情だ。少し気まずい空気になった。どうすんのさ?直兄?


「花乃ちゃんも来たんだね」

 上野さんが控えめだがどこかホワッとする笑顔で私を見た。癒される。

「直兄に連れてきてもらっちゃいました~」

 これ幸いと気まずい空気を打ち壊すように明るい声を出し、テケテケと上野さんのもとへと向かった。こういう時の為の子供力だ。気まずい空気なんて全く気付いていない風を装って上野さんにすり寄る。

 少し気まずい空気が和らいだ。


 青柳さんをはじめ、生徒会のメンバーとは交流済みである。学祭の後の打ち上げに直兄が連れてってくれたのだ。皆常識的で優しい人たちで、普通にチビッ子としてチヤホヤされるのも悪くない。特に上野さんは優しくて大好きだ。


「職員室に行ってみるかなぁ」

「すぐ戻ると思いますよ。今作っている書類に顧問として目を通してもらう事になってますから」

 私が上野さんに頭を撫でてもらっていると、直兄と青柳さんが苦笑で話し出す。

「携帯で直也先輩が来ているって連絡してみますね」

 青柳さんは直兄と私に来客用のイスを勧めて携帯を取り出した。

「それじゃあ待たせてもらおうか」

 直兄がイスに腰掛けながら私を手招く。

「なにか飲み物とお菓子持ってきますね」

 上野さんが奥のドアへと入って行った。少しすると水道の音や食器を扱う音が聞こえてくる。簡易キッチンみたいのがあるのかもしれない。さすが金持ち私立。それとも生徒会ってそれくらいの設備持ってるものなのか?前世でも生徒会と関わった事なんてないからよく分からんな。

 ちょっと隣室を覗いてみたいが、とりあえず直兄の横に座って大人しく待つ事にする。


「あっ、黄島先生。青柳です。今、大丈夫でしょうか。はい」

 青柳さんが部屋の隅に移動して携帯で話し始める。どうやら顧問と繋がったらしい。

「いえ実は今、直也先輩が来てまして…その…先生と会う約束があるらしいのですが……」

『…八神??……………………あ゛…』

 青柳さんが控えめに要件を伝えると、携帯から相手の声が漏れ聞こえてきた。あきらかに忘れていて今思い出したような声が全員の耳に届く。

『あー。あれだ。青柳…何かこう…テキトーにフワッとした感じで誤魔化しといてくれ。とりあえずダラッとそっち行くから待たせとけ』

 漏れ聞こえる声に生徒会室にいる全員の顔が引きつる。

「……えーと…」

『じゃ。任せたぞー』

 青柳さんの困った様子をガン無視して一方的に通話は切られた。任せられた青柳さんはものすごく気まずそうな顔をしている。可哀想に……。

 つーか、ダラッとって言ったか?


「あの……」

 静まり返る中、青柳さんが携帯をしまいながら直兄に顔を向けた。

「……黄島先生は…、他の先生に用を頼まれてしまったらしく…、その……終わり次第こちらに来るので待っていてほしいと……」

「いや!いいから青柳!!本当に誤魔化さなくていいから!!」

「全部聞こえてたって!無理すんな」

「青柳さん!あんたどんだけ真面目なんですか!?」

「フォローしなくていいんですって!あの人の言う事は半分聞くぐらいでいいんだから!」


 目を泳がせて考えながら言う青柳さんに皆でツッコむ。一方的とはいえ任された以上、無視する事が出来ない青柳さんの優しさと真面目さが痛々しい…。あんた本当にすごいよ。


「直兄…。ダラッとって聞こえたんスけど……」

「……そういう人なんだ」

 半眼で直兄を見上げると、直兄は目を逸らしながら溜め息をついた。


 なんか…イメージしていた生徒会顧問と違う気がする。




 その後しばらく直兄は生徒会の仕事を雑談まじりで手伝い、私はそれをお菓子も頬張りながら眺めて顧問を待った。青柳さんはもう立派に生徒会長をやってるんだなぁ…と、感慨深く思っていると生徒会室のドアがノックも無しに開けられた。一同がドアへと注目する。


 そこには一人の男性がいた。ボサボサで整えられていないくすんだ茶髪に無精髭。スーツの上着はシワが寄っていてヨレヨレにくたびれており、ボタンは一つもとめられることなく如何にもテキトーに着ている。足元を見ると中履き用の靴は踵が踏まれてぺしゃんこになっていた。あきらかに外見に気を使わないと言った風貌だ。

 その男は、ただ立っているだけでもメンドクサイと言わんばかりの姿勢で壁に寄りかかりながら、やる気も誠意も全く感じられない瞳をしている。今にもズルズルと座り込みそうだ。二日酔いの酔っ払いに近い。


 本当にダラッとやって来た!!


 目の前の大人と直兄を交互に見ながら直兄の腕をパシパシ叩く。もしかしてもしかしなくても、この大人が生徒会顧問なのか!?

 直兄は私の視線に黙って頷いた。マジか…。

 

「よう八神。チョー急いで来てやったぞぉ」

 目の前の大人は壁に体重を預けながら、生気の全く感じられない死んだ魚のような瞳をしてダラダラとしゃべる。


 ………嘘だ。

 今この瞬間、確かめるまでもなく絶対百%間違いなくこの場にいる全員(顧問は除く)の心が一つになった。


「黄島先生…、色々言いたいこともありますが、なんかもういいです……」

 直兄は項垂れている。

「どうした八神?なんか疲れてんなー」

 顧問・黄島先生は悪びれた様子もなくヘラヘラしていた。直兄が可哀想だ。

「ほれ、これだろ」

 黄島先生はおざなりに紙の束を差し出した。内部進学試験の過去問だ。

「ありがとうございます」

 直兄はどこか引き攣った笑顔で受け取った。

 黄島先生はそのままダラダラと来客用のソファーまで移動し、ゴロンとソファーに寝そべる。じっと見ていたら目があった。

「なんかチビッこいのがいるけど何?座敷童か?」

「近所の子供です。まあ妹みたいなもので、ついて来たいっていうので連れてきました」

「……天川花乃です」

「ふ~ん」

 自分から聞いておいて興味は全く無さそうだ。いや、別にいいけど。

 

 直兄はもらった過去問を確かめて鞄にしまい込んだ。もう帰る事になるかな…。見たかった顧問も見たし、もうここに用はない。

「お前もよくやるよなぁ。他人の面倒までしょいこんで」

 黄島先生はアクビまじりで直兄に話し掛ける。

「友人が困ってるのに面倒とか思いませんから」

「優等生だねぇ」


 ……本来なら教師がしょいこむ面倒なんじゃないかな。


「つーか、過去問くらい自分で取りに来させろよなぁ」

「あいつは今補習中です。なるべく早くほしかったので俺が来ました」

 直兄は少し憮然とした態度で返す。

「……」

 黄島先生は寝転がっていた身体をムクリと起き上がらせ、直兄を真っ直ぐ見つめて口を開いた。

「…あんま面倒みすぎんなよ。自分の事は自分でさせた方が本人のためだぞぉ」

  そして初めて真面目な表情を見せた。

 言われた言葉に直兄は言葉を詰まらせる。


 ……おおう。真面目な顔だとかっこいいかもしれない。


「あ、あの…」

 黙って見守っていた青柳さんが気まずそうに口を挟んだ。手には書類の束が握られている。

「……黄島先生。今作成中の書類なんですけど、本来は顧問の先生が作るものなのですが………」

「ああ。そのまま作成よろしくなぁ。お前ら皆優秀で先生うれしいよ」

 黄島先生は起こした身体をゴロンとソファーに沈めて、手をプラプラと振りながら間髪入れずに言った。

「「「………(汗)」」」

 全員の無言が黄島先生に突き刺さる。もっとも効いてはいないようだが。


「……先生は自分の事は自分でやらなくていいんですか?」

 無言に耐え切れず口に出してしまった。必要以上に関わる気はなかったんだけどね。

「いやいや、チビちゃん。未来ある中坊と俺みたいな手遅れの大人じゃ話が違くて当然なのなぁ」

 ニヤニヤと笑いながら答える。その眼に一切の迷いも劣等感もない!

「後ろめたさや卑屈さが欠片も感じられない…だと?!」

 目の前の開き直る大人に慄く。私の周りにはいなかったタイプだ。いてほしいとも思わんが。

「こういう人なんだよ」

 直兄が私の頭を撫でながら遠い目をする。この顧問の面倒を見ながら生徒会長やってたのか。初めて直兄を尊敬できそうだよ。


「そもそも今年が新卒・新任・新米の俺をいきなり生徒会顧問にする方がおかしいんだっての」

 狭いソファーの上で器用に寝返りを打ちながら黄島先生がぼやいた。

「……!新卒!!?このフレッシュ感の欠片もない大人が!!??」

 思わず二度見してしまった。

「花乃!思ってても誰も言わずにいたのに」

 直兄が慌てて私の口を塞ごうとする。もう遅い。言った言葉は返らん。つーか直兄、あんたも失言してんぞ。言われた本人は全く気にしてないみたいだけどさ。

 直兄を無視して目の前のダラけきった大人をまじまじと見つめる。


 まさかの二十代か…。三十後半だと思ってた。無精髭のせいかな?身ぎれいに整えたら年相応に見えるかも…。素材は悪くなさそうだし。ただ全体的にくたびれていると言うか、だらけていると言うか。


「おもしろいチビちゃんだな」

「はぁ…。どうも」

 やはり若々しさの欠片もない目で笑いかけられる。もっとちゃんとしたら女子生徒にモテるだろうに。

「いいかーチビちゃん。世の中には俺みたいな夢も希望も情熱もなく就職しちゃう大人もいるんだぞ」 

「幼女に何言っちゃってるんだ!?この大人!!」

 さすがの私もビックリだよ!!敬語も吹っ飛んだわ!!

「黄島先生。子供に何言ってるんですか」

 直兄も口を挟む。その顔には青筋が浮かんでいる。青柳さん達、生徒会メンバーも頭を抱えていた。お疲れ様です。

「いや、俺なりに反面教師として世の中の事を教えてやろうかと思って」

 教師として語ってくれ……。本職の教師が反面じゃダメだろ。


「なんてツッコミどころ満載の先生なんだ…。猫を被る暇もない……」

 両手を口の前に持っていきながら戦慄する。

「花乃…それ、口に出しちゃダメなんじゃないか?」

 直兄がギョッとしながら見下ろしてきた。やばい。猫被るとか、うっかり口に出してしまった。

「子供は正直だねぇ」

 黄島先生はヘラヘラと笑っている。


「なんで夢も希望も情熱もなく教師になったんですか?昨今の教育現場なんてノイローゼと隣り合わせってイメージありますけど」

 ついでにやる気もなさそうだ。どうして教職に就いたのやら…。

「花乃…。お前、教育現場になんてイメージを持ってるんだ…」

「はっきりと否定しきれないのが悲しいですよね…(汗)」

 直兄と青柳さんが何とも言えない顔でこっちを見ている。まぁ、どんな職場にだって闇はあるもんでしょう。

「俺が教師になった理由なぁ……」

 黄島先生はゴロゴロしながら気の抜けた声で話した。直兄達もその声に黙る。一応興味はあったようだ。

「チビちゃん。俺の伯父はこの学校の理事長、つまり一番偉い人なんだよ」

 まっすぐ私の目を見つめて言う。つーか、理事長ってそうなんだ。

「その叔父がな、高校と中学の教員免許取れば確実に就職させてくれるって言ってなぁ」

 いったん言葉を区切った。嫌な予感がする。


「………で?」

「とどのつまりコネだ」

「この教師、チビッ子と生徒の目の前でアッサリとコネ就職を吐きやがった!」

 それ言っていいやつなのか!?

「ぶっちゃけ教師ってどうかとも思ったんだけどなぁ。就職活動しなくてもいいって思ったら今に至っちゃったわけだぁ」

 悪びれることなくアッサリと話し続ける。

「先生。私はともかく生徒の前ではもう少し言葉を包みましょうよ」

 聞いてるこっちがハラハラするんですけど。直兄と生徒会の皆は項垂れちゃってんですけど。

 親戚の経営している職場で働くの事態には何の問題もない。コネだって完全否定するつもりはない。そこにやる気さえあるのならば。全くやる気のない態度で生徒の前でコネ発言ってどうなんだろう?


「就活しなくてすんだのは良かったけど、いきなり生徒会顧問押し付けるとか、叔父さんには騙されたわぁ」

 黄島先生はため息を吐きながら遠い目をした。確かに理事長はとんだ冒険野郎のようだ。それでも目の前の大人に同情する気は起きないが。なんでこいつに教員免許を与えてしまったんだ!?

「……直兄。この先生はクラス担任とか受け持ってるんですか?」

「俺のクラス担任だよ」

 なん…だと!?

「三年って…。この人が生徒の進路相談とか受けるとか…」

 声も身体も震えだす。恐ろしいにもほどがあるわ!

「よっぽどの事がなきゃ相談しないよ」

 直兄は乾いた笑いを漏らしながら言う。なんかもう疲れ切っている。

「よっぽどの事こそこの人に相談しちゃダメな気がするんだけど…」

「まぁ、そうなんだけど。ほとんど高等部にエスカレーターだから相談が必要な生徒自体少ないしな」

 直兄の目がドンドン遠くなって行く。帰ってきて!直兄!!


「進路相談で思い出したぁ」

 ぼんくら教…黄島先生がやる気のない声で私と直兄の会話に割って入ってきた。

「八神、お前あいつの面倒見るなら言っといてくれないかぁ?」

「なんですか?」

「先生からのアドバイスだ。もう内部進学あきらめて、外部のもっと偏差値低い学校受験に切り替えろって」

「「なんつー事言うんですか!?」」

 身もふたもない。思わず直兄とハモってしまったじゃないか。

「もっと本気で力になってやってくださいよ」

 直兄が疲れ切った顔で懇願する。

「…八神ぃ。お前あのバカのこと舐めすぎだぞ。そもそも過去問の件だってなぁ、他のやばそうな奴らは遅くても夏休みには貰いに来てんだぞ。希望者への配布なんてとっくの昔からやってんだからなぁ。今頃貰いに来るとか対策遅すぎんだろ」

「うっ……(汗)」

 黄島先生は呆れかえった顔で返してきた。直兄は反論できない。正論だ。確かに冬休み前になってからって遅すぎる。私も言い返せないわ、これ。

 ただ、この先生に正論言われるのって腹が立つな。直兄なんて私以上に複雑そうだ。顔が引きつってる。


「まぁ、頑張るっていうなら頑張れよ。応援はしてやるから」

 黄島先生はそれだけ言うと、ゴロンと寝返りをうって背を向けた。これ以上会話を続ける気はなさそうだ。

「…失礼しました」

 直兄は優等生の顔を張り付けて一礼し、生徒会室の外へと出て行った。心の中では苦虫を噛み潰したような顔をしてるんだろうな。それくらいあの人に正論を言われるのは微妙だ。

「失礼しましたー」

 バイバーイと青柳さん達に手を振って直兄の後に続く。

「直也先輩、花乃ちゃん。また遊びに来てくださいね」

 苦笑まじりの笑顔で見送ってくれる青柳さん達に別れを告げ、生徒会室を後にした。


「…変わった先生だね」

「まぁな。態度は問題だけど授業内容には問題ないのが救いだな」

「授業内容に問題出ちゃったらお終いでしょ…」

 むしろその所為でクビにしきれないって気もする。

 帰り道でも直兄は疲れ切っていた。あの人が担任ってことは生徒会とクラスの両方でフォローしてきたんだな。お疲れ様です。

 この後は直兄の家に行って、ひたすら試験対策だ。貰った過去問を参考に、直兄と学習プランを話し合う。


 しかし、目的の人物には会えたが私的には微妙だったな。キャラは立っていたが…。

 何はともあれ、あの人が黄色かぁ……。


 こうして私の日曜日は過ぎていったのである。




 その後の数日は大変だった。過去問を貰い友人の学習プランを作り上げ、これで大丈夫だと直兄と頷きあった瞬間の自分に言ってやりたい。全然大丈夫じゃないから!


 あの日曜日後、直兄は学校に早く登校していた。朝のHR前と休み時間、放課後の一時間半を友人の勉強の為に費やしている。

 正直、直兄の能力に私のアドバイスが加わっている以上、問題はないだろうとたかをくくっていた。だが放課後の勉強後、私の家に顔を出した直兄の青ざめた顔を見て、自分の甘さを認識する事になるのだ。


「まったく理解されなかった…」

 どこか遠い目をした直兄がポツリと言う。私と直兄が二人がかりで作り上げた試験対策が全く通じなかったらしい。どれだけ説明しても理解されなかったとの事だ。

 いきなり成果は出ないだろうと反論したら、本当に何にも理解してもらえなかったらしい。何それ?どういう事?中学のこれまでの授業内容がほとんど頭にないとしか思えないんですけど。

 もう陽が暮れているので直兄を帰らせ、仕方がないのでもっと分かりやすく学習プランを今夜作っておくから、明日の朝に取りに来るよう言った。幼女のうちはあまり夜更かし出来ないから、時間との勝負だ。


 そうして翌日、私が時間との勝負の末に作り上げた試験対策ノートを持って、直兄は友人の待つ学校へと向かうのである。しかしその日の放課後、直兄は全く同じ表情で全く同じ言葉を私に告げるのだった。

 その後、同じことを繰り返す。より分かりやすくまとめ、直兄が学校で友人に教え、放課後に理解されなかったと直兄が言い、またより分かりやすくまとめ直す…以下エンドレスである。

 同じことの繰り返しの中、変わっていくものがあるとすれば、直兄の顔色と私の機嫌が日々悪くなっていく事くらいだ。

 

「間接的に教えるんじゃ埒があかんわ!!そのバカ直接連れてこいや!!」

「おちつけ花乃!気持ちは分かるけどダメだろ!!」

 四日目か過ぎた頃、私のイライラはピークに達していた。

 より理解してもらえるようにと丁寧にまとめあげ、それでダメならと子供に教えるように噛み砕いてまとめ、それでもダメならイラストや漫画も書き加えた。それでも手ごたえゼロなのだ。来週には二学期の終業式を経て冬休みに突入だ。そうしたら試験本番なんてあっと言う間である。始めたのが遅すぎる。

 腹立たしいが、黄島先生に言われたとおり私も直兄も舐めていたようだ。ああ…本当に腹立たしい…。


「いよいよ黄島先生のアドバイスが有力になってきたな…」

 うつろな眼でポツリと呟いた。もう疲れたよ、パ〇ラッシュ。

「そんな事言うなよ…と言いたいけど、外部受験も視野に入れておいた方がいいな…」

 直兄も疲れ切った表情で項垂れる。自分の学習時間を削ってるのに成果がないんじゃ無理もない。むしろよく付き合っていられるものだ。友人がここまで勉強を疎かにしていたとは思っていなかったのだろう。


 私だって見ず知らずの人間の為に時間を割くのも限界がある。ここ数日、直兄が頻繁に顔を出してコソコソ話し合い、夜に作業している事をさすがに放任主義の両親も疑問に思い始めている。弟に至っては、気が付くと気配を殺してこちらをジッと見ている始末だ。ハッキリ言って怖い!


「直兄。いっそ他の人を頼ってみるのはどうだろう?」

 ふと思った事を提案する。私と直兄だけでどうにかなる気配がない以上、新しい試みをするしかない。

「他の人って言ってもな…」

 直兄は頭を掻きながら渋い顔をする。学年主席の直兄より頭の良い友人は思い当たらないのだろう。

「いるでしょ。めっちゃ優秀な人が。こういう時こそ可愛い後輩の特権を使って先輩を頼ってみたらどうっスか?」

 直兄の知人で優秀な人って言ったらあの人だ。自他ともに認める優等生。


「ああ。白鳥先輩か」


 こうして私は自身の負担を減らすべく、白鳥さんに負担をぶん投げたのだった。


 もういい加減、五歳児には限界があるのだ。







 直兄から最初の相談を受けて一週間が過ぎ、また土曜日がやってきた。私は今、道場にいる。

 見ず知らずの直兄の友人の為に頭を悩ませる日々の中、道場での時間は貴重なストレス発散の機会である。

 今は稽古を終え、身体を休ませている所だ。今日もいい汗かいたぜ。


「花乃。もうすっかりウチに慣れたようだな」

「師範」

 道場の隅で座り込んでいると師範が近づいて来た。押忍!

「兄弟子の皆さんがよくしてくれますんで」

「そうか」

 私の言葉に師範は嬉しそうに笑う。夏志さんをはじめ、兄弟子たちには本当に良くしてもらっている。何かと私達姉弟を構ってくれるのだ。今も弟は道場の庭で休憩中の兄弟子たちに遊んで貰ている。

「みんな可愛い妹分と弟分ができて嬉しいんっスよ」

 師範と話していると兄弟子の一人が割って入ってきた。


「冬樹さん」

「よう、花乃。お前はあっちで遊ばないのかよ?」

 庭で遊んでもらっている弟に目を向けながら、少しだらけた姿勢で近づいて来る。


 彼は緑川冬樹さん。王山学園高等部二年生で直兄達の二歳上の先輩。

 一部白く脱色した髪にピアス。不良系の目つきの悪い青年だ。どこか世の中を斜めに見ているような笑い方をする兄弟子である。ちなみに見目は良い。

 ガラが悪く見られがちだが実際は悪くない……事もないような…、悪いか。うん、ガラは良くはない。でも悪い人ではない。不良系の見た目なだけで、実際は不良ではない…はず。もしそうなら師範によって更生されているはずだ、物理的手段で。意外に子供好きなのか、よく私と弟を構ってくれる面倒見のいい人だ。

 私が今、ある意味注目している兄弟子なのだ。その注目理由は黄島先生と会ってみたかったのと同じ理由である。……もう理由に気付いてる人もいる事だろうな。


「体育会系のスキンシップは稽古後の幼女にはきついッス」

 完全に床にへばりながら冬樹さんに答えた。稽古でクタクタっスよ。庭の弟に目をやるとされるがままに高い高いをされている。ちょっ!おい!!回転を付けながら放り投げんでください!!見ててハラハラするわ!!

「ふ~ん」

 冬樹さんは自分から聞いておきながら興味の無さそうな反応をしつつ、私の背後に回ってしゃがみ込み、私のほっぺをムニムニと軽くつまみ始めた。肩が触れただけでメンチ切ってきそうな見た目だが、なにげにスキンシップの多い人なのだ。本人いわく、「チビッ子のほっぺは気持ちいい」そうだ。同感である。


「そうだ、師範。聞きたいことがあるんです」

 冬樹さんにほっぺを突かれながら師範を見上げる。ずっと師範に聞きたいことがあったのだ。

「ん?なんだ?」

 師範が首を傾げて聞き返す。普通のオッサンが首を傾げても「なんだこの野郎(怒)」だが、師範がやってもイラッとはこない。イケメン中年は得だな。何やったってカッコいいんだから。

 冬樹さんも興味が湧いたのか、私から離れて師範の隣に並んで私の言葉を待つ。私は師範と冬樹さんに向かって口を開いた。


「私は幼女です」


「「………」」

 師範と冬樹さんはポカンとする。そりゃそうだ。

「…まぁ、そうだな?」

 冬樹さんが訝しげな表情で見てきた。私は言葉を続ける。

「チビッ子の私じゃ攻撃力はたかが知れてるじゃないですか。私が大人に攻撃してもダメージなんて与えられないですよね」

「それはそうだ」

 師範が頷く。

「腕力なんて一朝一夕で付くわけもなく、ある程度育つまではあと数年そんな状態なわけです」

「うん」

 今度は冬樹さんが頷く。


「幼女の攻撃力でも男の急所に全力であてればダメージありますか?」

「よし!ちょっと待て」

 真顔で聞いたら冬樹さんにツッコまれた。こっちは真剣に聞いてんですけど。


「お前、なに聞いてんだ?」

 冬樹さんが青ざめた顔で聞いてくる。隣に立つ師範の顔も青い。と言うか、聞き耳をたてていた兄弟子達みんなの顔色が悪い。

「なにって…。金的なら幼女の攻撃力でも効果あるのかなって?」

 小首を傾げながら聞き返す。冬樹さんの顔から表情が消え、師範は立ちくらみでもしたのか、少しふらついた。顔色がますます悪い。

「……なんでそんな事聞くんだ?」

「いや、だって大事な事じゃないですか。いざって時に渾身の一撃をくらわせても効果なしじゃ大ピンチッスよ」

 起死回生の攻撃にそもそも威力がないんじゃするだけ無駄どころか、下手したらより窮地になりかねない。

「いざって時の行動選択肢に入れておいていいのか、大事な事です」

「………効果があるならやるのか?」

「全力で!!」

「師範。こいつ破門した方がいいっスよ」

 力強く答えたら冬樹さんが私を指差してひどい事を言う。なんで!?


「………」

 師範は片手で顔を覆って考えこんでいる。え?ちょっと!?マジで破門考えてる?

「明確な弱点が分かってる以上、狙うのは当然じゃないですか!?」

「末恐ろしい奴だな。夏志の前では言ってやるなよ…」

 冬樹さんが残念そうな眼でこっちを見てくる。

「なんで夏志さん?」

「あいつ、ちょっと妹分という生き物に夢見てる気がすんだよな…」

 ちょっと小馬鹿にしたような顔で鼻で笑った。まぁ、私も分かる気がする。

「たぶん夏志はお前に可愛い妹分的なものを求めてる」

「私に可愛さとか、儚い夢ですよね」

 冬樹さんの小馬鹿にした笑いに、遠い目を返した。夏志さんは初めてできた妹分に夢見ちゃってるんだよなぁ。一人っ子こじらせてる。

 

「あと夏志さんって女性不信なのに女性に夢見てるというか、異性への理想が高い気がします」

 夏志さんはアレだ。三歩後ろを黙ってついて来る清楚で淑やかで心清らかな女性を求めていらっしゃる。おそらくこの平成の世で、大和撫子が絶滅危惧種であることに気付いておられないのだろう。

 理想が高い故に女性への目が厳しくなり、その為に余計に女性不信になり、さらに理想の女性像が高くなるという負の連鎖。それを断ち切ろうにも実際に夏志さんを取り巻く女性達は、こう言っちゃなんだが碌なのがいないときてる。もっと頑張れ王山女子!

「女性不信なのに女性に夢を見て、女性への理想が高いのに女運がない…。妹弟子の身で不敬ながら同情を禁じ得ない……」

 目頭を押さえて兄弟子の不幸を嘆く。理想を満たす女性に巡り合える日がくるといいのだが。夏志さんが理想を捨てた方が確実か?

「俺的には五歳児に同情される現状の方が憐れでしかたねぇよ」

 冬樹さんが呆れかえった眼をする。

「いや、お前ら。いい加減にしろよ。この場にいない息子を憐れむのはその辺にしてくれ」

 青筋をたてた師範がストップをかけた。怒るべきか悲しむべきか笑って流すべきか、答えが出せないという微妙な表情である。ただ、止めるだけで否定はしないところから、師範も思うところがあるのがうかがえる。

「「サーセン」」


「何をしているんですか!?」


 冬樹さんと一緒に頭を下げていたら、庭から聞き覚えのある声がした。冬樹さんと顔を見合わせる。

「今の声は…」

「……」

 テケテケと道場の出入り口に近づいて庭に顔を出すと、そこには想像通りの人が立っていた。

「やっぱお前か」

「白鳥さん」


「緑川。それに花乃君」

 初めて見る私服姿の白鳥さんが、何故かうちの弟を抱きかかえて黒宮道場の庭にいる。その周りには気まずそうな兄弟子たちが立っていた。

 何故に弟が白鳥さんの腕の中に…?

「なんでお前がここにいんだよ?つーか、さっきの怒鳴り声はどうした?」

 冬樹さんが頭を掻きながら質問する。状況から見て白鳥さんが怒鳴ったのは兄弟子達に対してだ。優等生の白鳥さんが目上の人間に怒鳴るとは、兄弟子たちは何をやったのだろうか?

「八神達に呼ばれたんだ。友人の試験勉強を手伝ってほしいと頼まれて。

 それで道場に緑川、キミがいるだろうから声くらいかけようかと思って先にこっちを訪ねたら、庭でこの人たちが草士君を放り投げていたので注意したんだ」

 白鳥さんは視線で兄弟子たちを指しながら淡々と説明する。感情のこもっていない声が逆に白鳥さんの怒りを感じさせた。

 どうやら兄弟子達の高い高いを危険とみなしたようだ。無理もない。この兄弟子達、いかに高く回転を加えながら弟を高い高い出来るか競い合う傾向がある。


「いやいや、あれくらい大丈夫だろう?」

「むしろ優しすぎるくらいだ」

「もっと高くいけるよな」

 全く反省する気のない兄弟子たちの態度に、白鳥さんは声も出せず呆然とする。

 

「………っ」

「落ち着いてください、白鳥さん。アレはごく一部の体育会系の間でだけ交わされる脳筋語です。白鳥さんが理解する必要はありません」

「花乃。お前、兄弟子の事を……。まぁ、否定はしねぇけど」

 キッパリ言った私を冬樹さんが半眼で見下ろした。白鳥さんも呆れ顔だ。

「花乃君。そもそも君が注意しないといけないだろう。姉として弟の事をしっかり見ているべきだ」

 白鳥さんが厳しい口調で私に言い聞かす。さすが自分にも他人にも厳しい白鳥さんだ。五歳の幼女にも手厳しいぜ。


「まぁまぁ」

「緑川、お前もだ。草士君から目を放して二人で何をしていたんだ?」

 宥めに入った冬樹さんにも白鳥さんの矛先が向く。

「何って…。夏志が不憫だって話してたんだっけか?」

「夏志さんは絶対に女難の相とか出てます」

「なんでそんな話をしてるんだ!?」

 平然と答える私達に白鳥さんは青筋をたててツッコミを入れた。ちなみに背後から師範からのプレッシャーを感じる。振り返るまい。

「そういえばなんで夏志さんの話になったんでしたっけ…?」

 ふと、話の流れを思い出す。

「あ?なんでって……」

 冬樹さんが答えようとして言葉を詰まらせた。背後の師範も息を呑む気配がする。

「「………」」


「そうだ!質問にまだ答えてもらってないです!!」

 ハッと会話の経緯を思い出す。その瞬間、背後にあった師範の気配が遠ざかって行くのを感じたので慌てて振り返った。

「師範!急所への攻撃は………」

「そーだ、白鳥!お前これから夏志の部屋に行くんだろ!勉強会だっけか?花乃、俺達もひやかしに行こうぜ」

 師範を追いかけようとしたら、冬樹さんが私の言葉を打ち消すように被せてきて、私を抱き上げた。

「草士も行きたいよな?赤井もいるはずだぜ」

「うぃ」

 いまだに白鳥さんの腕の中にいる弟にも同意を求めると、弟は赤井さんの名前に目を輝かせる。

「緑川。遊びに行くんじゃないんだからな」

 白鳥さんは溜息まじりに苦言を言うが、止めるつもりはないようだ。


「冬樹さん。まだ私の質問…」

「いい子だから黙ろうな」

「なんだ?質問くらい答えてやったらどうだ?」

「白鳥…。不用意な発言はやめといた方が身のためだぞ」

「?」


 言い忘れたがこの二人、幼少期からの幼馴染らしい。直兄に連れてってもらった学祭の打上げで教えてもらったのだ。

 そのまま、それぞれ弟と私を抱えて母屋の夏志さんの部屋に向かう。


「全力の高い高いは草士がもっと大きくなってからだな」

「そうだな」

 

 背後から兄弟子達の呑気な声が聞こえてくる。兄弟子達よ。大きくなったら高い高いは普通しない。





「邪魔しに来てやったぞー」

 冬樹さんがノックも無しに夏志さんの部屋のドアを開ける。そしてドカドカと中に入った。さすが小さい頃からの門下生。勝手知ったる兄弟弟子の部屋だ。遠慮がない。

「邪魔とはなんだ。黒宮、失礼するぞ」

 白鳥さんは冬樹さんを注意し、部屋の主である夏志さんに断ってから部屋に入る。


「こんにちは白鳥先輩。今日はわざわざ足を運んでもらってすみません」

 部屋の中には直也さん達いつのも三人組と、三人に囲まれるように座っている少年が一人いた。明るく活発そうな少年だ。彼が例の友人だろう。この一週間の私のストレスの原因だ。貴様かこの野郎(怒)

「いや。すまないな、遅くなった」

「むい」

 白鳥さんが弟を床に降ろすと、弟は一目散に赤井さんに飛びつく。ご機嫌だ。

「草士君。花乃ちゃんも来たんだ」

「まぁ、流れで…」

 私は冬樹さんに抱きかかえられたまま曖昧な返事をする。冬樹さんは一切の遠慮なく夏志さんのベッドに私を抱き込んだまま座り込み、私の頭に顎を乗せた。本当にスキンシップ多いな。


「白鳥先輩。こいつが桃山です。桃山、お前も挨拶しろ」

 直也さんは白鳥さんに例の少年を紹介する。

「どもっス。桃山春臣でーす。今日はよろしくお願いしやーす」

 紹介された少年は右手で敬礼しながら良く言えば明るい、ハッキリ言うとふざけた挨拶をした。白鳥さん相手にいい度胸だ。感心するぜ、見習いたくはないがな。

 白鳥さんの眉がピクリと反応するのを見て、直兄の顔色が悪くなる。


 てか、桃山……。

「ピンクか」

「ん?なんか言ったか?」

「いえ。なんにも」

 ぼそりと呟いた声に冬樹さんが反応した。危ない。声に出てしまった。


「なぁなぁ。その子供らは?」

 桃山さんは白鳥さんの反応に一切気付かず、呑気に私と弟を指差す。

「「「俺の妹と弟」」」

 ………直兄、夏志さん、赤井さんの声が完全にハモった。

 一瞬、部屋が静まりかえる。三人は顔を見合わせ、冬樹さんは吹き出し、白鳥さんは呆れた顔をした。

「…結局、誰の兄妹?」

 桃山さんが首を傾げて聞き返した。……誰の兄妹でもないです。

「桃山って言ったな。そこは察しろよ。こいつらの家庭にだって複雑な事情があんだよ」

 冬樹さんが笑いを堪えながら無責任な事を言う。完全に面白がっている。

「あ!そっか。ワリィ、お前ら」

 桃山さんが焦って謝罪する。どうすんですか?信じちゃったじゃないですか!

「勝手に人の家庭を複雑にしないでください」

「…緑川。ふざけるな」

 私と白鳥さんが半眼で冬樹さんを睨みつける。

「へいへい」

 冬樹さんは全くこたえた様子もなく笑いながら両手を上げて降参のポーズをした。


「二人は直也ん家の近所に住んでる子で、夏志の家の門下生なんだ」

「へ~」

 私と白鳥さんで冬樹さんを注意している間に、赤井さんが事実を説明する。

「で、俺の妹・弟同然の子達なんだ」 

「いやいや、赤井。俺にとっても妹・弟同然だからな」

「つーか、俺の兄妹弟子だろうが」

 赤井さんの笑顔の発言に直也さんは笑顔で付け加え、夏志さんは面白くなさそうに訂正する。

 …光栄だけど、メンドクサイな。この兄貴分達。

「天川花乃と弟の草士です。よろしくお願いします」

「おーっス。俺、桃山春臣。よろしくねー、花乃っち」

 ……花乃っち?別にいいけど…。


「その辺にしろ。遊びに来たんじゃないんだ。試験勉強を始めるぞ」

 白鳥さんが手を叩いて全員の注目を集める。頼りになる人だ。こうして勉強会が始まった。



 …………わけだが。


「なぁ。皆はもう聖夜祭のパートナー決めたか?」

「……」

「俺はまだなんだよなぁ。けっこう女の子達から誘われてんだけどさー」

「………」

「一人を選ぶとか難しいよな。モテる男はつらいぜ。な~んて、八神達もチョー誘われてんだろ?」

「…………」

 桃山さんの陽気な声が部屋に響く。誰も返事をしなくても彼の言葉が止まる様子はない。勉強会が始まって十分くらい経ったあたりからこの調子だ。集中力に難がありすぎる。


 こいつ!誰のための勉強会だと思ってやがんだ!?見ろ!お前の不真面目な態度に白鳥さんの機嫌がドンドン悪くなってんぞ!!なんかもう、白鳥さんの背後に般若が見えそうだよ!スタンド使いが誕生しそうだよ!!


 私はただただ冬樹さんの腕の中で震える。世の中には勉強はできなくても頭の良い奴が存在する。だが目の前のこの男の空気の読めなさっぷり。間違いなく勉強ができない頭の良くない奴だ。つまり本物の馬鹿だ。

 ちなみに弟は夏志さんのベッドの布団の中にもぐっている。勉強会を始めようと問題集を開いた瞬間に、警戒心全開で飛び込んだ。三歳にしてこの勉強への拒絶反応…。弟の将来が心配です。どうしよう、弟も馬鹿街道まっしぐらかも…。


「桃山…いい加減にしろよ。自分がどんだけやばい状態か分かってんのかよ?」

 夏志さんが注意する。顔が強張っていることから夏志さんの怒り具合がうかがえる。

 もっと言ってやってください。白鳥さんの怒りが爆発する前に。

「えー。なんだよー。黒宮だって俺と同じ体力バカ属性じゃーん」

「俺はお前みたいに成績悪くねぇよ!!」

 夏志さんが机を叩きながら怒鳴った。夏志さんの成績は中の上。まぁ平均だ。

「落ち着けって夏志(汗)」

「桃山。勉強に集中しろよ。わざわざ先輩に来てもらってんだから」

「へ~い」

 赤井さんが夏志さんを宥め、直兄が桃山さんを注意する。その様子に白鳥さんは溜息を吐き、冬樹さんは私の頭の上で欠伸をした。


 そこからまた勉強会が再開される。私はボーっとそれを眺めた。まぁ、やる事ないし。

 そうそう、ここらで後回しにしていた説明をしよう。黄島先生に会いたかった理由、冬樹さんに注目している理由だ。まぁ、もう分かってる人もいる事だろう。

 私が「あれ?」と思ったのは学園祭の時だ。青柳さんと白鳥さんの名前を聞いて「うわぁ」ってなった。

 赤井さんと夏志さん…いや黒宮夏志さんと言っておこう。そして学祭前には道場で知り合っていた緑川

冬樹さん。そして学祭で知り合った青柳さんと白鳥さん。分かるだろう。皆さんカラフルな名字をしていらっしゃる。それだけなら「あれ?」とはなるが「うわぁ」とはならない。私が「うわぁ」となったのは、そのカラフルな御人達の顔面偏差値がそろって高かった事だ。


 結論を言おう。これ絶対に別の乙女ゲーム始まってんだろ!

 間違いねぇよ!未来に始まる私が知ってる乙女ゲームとは別に、この時代も乙女ゲームの舞台になってるよ!でなきゃなに?この名前に関連もったイケメンたち?!

 直兄から生徒会顧問の名前が黄島先生だって聞いて、「あ、絶対にそうだ」と確信したよ!しかも今日は桃山さんとも出会っちゃったよ!桃山さんも顔立ちが整っている。もう間違いないし!これ、絶対どっかにヒロインいるだろ!!


 もともとここが乙女ゲームの世界なのは知っていた。私が知っているゲームはもっと先の話だが、時代がズレて別の乙女ゲームが展開していたとしてもおかしくはないのだろう。と言うか、そう思うしかない。一人間の私がどうこう言ってもどうにもならないのだから。

 だが、だとすると危惧していた事態が思っていたよりも早く身近にやってきた事になる。それはヒロインの存在だ。


 私が警戒しているもの。舞台の中心に立つ資格を持ち、己が思うままに運命を進める力を持つ者。すなわち転生ヒロインである。


 私というモブ転生をした者がいる以上、ヒロインが転生者の可能性は当然ある。別にヒロインが転生してたってそれ自体はいいのだ。問題なのはそのヒロインが転生の恩恵とも言える知識をどう使うかなのだ。

 誰かを一途に愛し攻略するならいい。誰とも付き合いたくなく、フラグを折りまくるのも問題ない。問題なのは逆ハーレムを目指したり、自分の思うままに攻略対象達を振り回すお姫様思考の持ち主だ。


 未来に始まるゲームはまだまだ先だからと呑気に構えていたが、まさかこの時代もそうだとは…。しかもこっちのゲームは知識がないから誰がヒロインなのかさえ分からない。

 それに未来のゲームは「知人の直兄さえ守れれば別にいいや」と思ってたのに、この時代は攻略対象のほとんどが親しい存在だ。赤井さんと夏志さんが好き勝手扱われるなんて、考えただけでおぞましい。

 白鳥さんと冬樹さんはしっかりしてるから大丈夫だろう。黄島先生にいたってはアレを引き受けようってなら、むしろ拍手を送りたい。一番心配なのは青柳さんだ。青柳さんみたいな純粋で優しい少年が、転生ヒロインと渡り合えるわけがない。狼どころか魔獣と仔ウサギが戦うようなものだ。間違いなくおいしくいただかれてしまう。ひいぃぃぃぃぃ(恐)

 桃山さんは…別にいいや。知り合ったばっかだし。


 いや、別に乙女ゲームと百%決まったわけでもないし、転生ヒロインと決まったわけでもないんだけどもさ。警戒はしとくにこした事はないと思うんだよね。とりあえず、ちょくちょく直兄から学校の様子を探るか。……あれ?この場合、攻略対象のすぐそばに別のゲームの攻略対象がいる事になるんだよな。ややこしい。ヒロイン的には攻略できないイケメンがいる事になるのか。



「で、結局のところ聖夜祭どうすんだ?」


 つらつらとどうにもしようがない事を考えていたら、また桃山さんが雑談を始めた。

「桃山君。キミは集中できないのか?」

 白鳥さんが眼鏡を押し上げながら、イライラした様子で言う。

「いや~。でも先輩。この時期は聖夜祭を気にするなって方が無理っスよ」

 桃山さんは気楽な様子で答える。この週末が明けたら終業式。そしたらもう聖夜祭だ。

「ここにいる全員モテんのに浮いた話ないっスよね。黒宮なんて女子の事毛嫌いしてっし」

「夏志はなぁ~。女性不信だし(笑)」

 勉強会に参加してない冬樹さんが話に乗る。

「別にパートナー組んでないのは俺だけじゃねぇし。桃山だって結局まだ組んでないんだろ」

 夏志さんがムッとした顔で食ってかかる。

「だってさ~、この子だ!って女の子がいないんだよな~。適当に組もうにも誰を選んだって角が立つし。皆だってそうだろ~?」

 桃山さんはつまらなそうな顔でふて腐れた。

 ……まだヒロインはいないのか?

「まぁ、相手に誤解されても困るから不用意には組めないよな」

 直兄が苦笑する。正論だ。

「八神と赤井は断るのうまそうだよな。夏志と違って」

「どういう意味ですか!?」

 冬樹さんがニヤニヤしながら言うと、夏志さんが吠える。そのままの意味でしょう。

「お前いちいち角が立つ断り方してんだろ。そんなんだから相手も躍起になんだぜ」

「………っ」

 夏志さんは反論の言葉も出せず歯を食いしばる。この二人、道場での付き合いが長いらしいのだが、どうも夏志さんは冬樹さんが苦手みたいなんだよな。要領がよくて人を小馬鹿にした態度の冬樹さんに、不器用で生真面目な夏志さんでは無理もない。しかも冬樹さんがそれを面白がってちょっかい出すから余計だ。


「白鳥先輩もすごくモテますけど、どうやって断ってるんですか?今までパートナーを組んだって話は聞いた事ないですけど」

 赤井さんがイラついている夏志さんを横目に白鳥さんに話を振った。

「俺はそこまで誘われないが…。誘われても普通に断ればスンナリ引いてくれる」

「え!?そうなんですか?」

「意外です」

 直兄と赤井さんが目を見開いて反応する。私からすれば、そこまで意外ではない。

「白鳥さんを誘うのは勇気がいるでしょうね。少なくともミーハーなノリで誘える人じゃないです。ましてやしつこく誘うなんて勇者ですよ」

「ははは。花乃、お前分かってるな」

 白鳥さんが誘われない理由を述べると頭の上で冬樹さんが笑った。振動が頭に響く…。

 てか、白鳥さんも話に加わっちゃたよ。中高生が集まって色恋含んだイベントの話が始まったんだから仕方ないか。


 しかし、すげぇな。色恋の話題で「どう断るか」で盛り上がれるってどうよ?たぶん、人類の大半を敵に回しかねない話題をしている事に、このイケメン共が気付く事はないんだろうな。


「緑川先輩はどうなんですか?」

 赤井さんがこちらを向いて話を振る。夏志さんも興味がある眼で冬樹さんを見た。「あんたはどうなんだよ?」と眼で語っている。

「俺は面倒なのは御免だからな。風紀の仕事が忙しいって言って終わりだ」

 ハッと鼻で笑いながら答える。


 実はこれも学祭の打上げで知った事だが、冬樹さんは風紀委員長なのである。どう見ても風紀を取り締まるより取り締まられる側に見えるけど。

 ちなみに夏志さんを無理やり風紀に入れたのはこの人らしい。


「ちょっと待て!確かに聖夜祭に風紀の仕事はあるけど、守衛の人達が警備に付くから参加できない事はないはずっスよ」

 同じく風紀に属していた夏志さんが納得のいかない顔でツッコむ。

「馬鹿正直に本当の事を説明する必要ねぇだろ。嘘でも忙しいってアピールしときゃあいいんだよ」

 冬樹さんは悪びれることなく言い返した。その様子に夏志さんはさらに苛立つが、言い返さない。おそらく、「そういう断り方があったか」と心の中で思ってしまったのだろう。ただ、夏志さんにそれを実行できる器用さがあるかが問題なのだが。嘘がうまい人ではないからな…。


「まぁ誠実な断り方かはともかく、角の立ちにくい断り方ではありますよね」

 仕事が忙しいと言っている相手にしつこくするのは、自分の印象を悪くする恐れがある。よっぽど空気の読めない人じゃない限り、恋する乙女は引くしかあるまい。

「花乃はホントに物わかりがいいな~」

 冬樹さんが私の頭をグリグリと豪快に撫でまわす。…髪がボサボサになる。


「つっても、夏志は今年この断り方はできねぇけどな。三年で風紀は引退してっし」

「うっ!」

 忙しい作戦を実行するか思案していた夏志さんに、冬樹さんがダメ出しをする。ガックリする夏志さんを見ながら、私は冬樹さんの膝の上で小首を傾げた。

「…そもそも参加しなければいいんじゃ?」

 話しを聞いていてずっと疑問だったのだが、参加は自由なのだから嫌なら参加しなければいいのだ。去年までは風紀で参加必須だったのかもしれないが、今年は引退しているから問題ないはずだ。クリスマス・イブなんて家族と過ごすなり、友人と集まるなり、いくらでも他に予定を作れるのだから不参加の口実など事欠かないだろう。

「他に予定があるから参加しないってのが、一番角の立たない断り方だと思いますけど」

「あー、そうなんだけどよ…」

 夏志さんは頭を掻きながら言いよどみ、チラリと直兄と赤井さんを見た。その視線に二人は首を傾げる。夏志さんは目を泳がせながらチラチラと二人を見て、口を開けたり閉めたりを繰り返している。

「…………………直也と赤井が参加するから…」

「…は?」

 夏志さんは言いにくそう…と言うより、ものすごく言いたく無さそうにポツリと小さな声で漏らした。顔が赤い。


「「「「「…………」」」」」


 部屋が静まり返った。言うんじゃなかったと赤面で俯く夏志さんを無言で見つめる。

 ……これはつまりそういう事なのだろう。指摘はしないがアレなのだと思われる。

 ニヤニヤしそうな口元を堪えながら、頭上の冬樹さんに視線を送ると、同じくニヤニヤしそうになるのを堪えている冬樹さんと目が合った。どうやら私と同じことを考えているらしく、無言で頷きあう。いつも夏志さんをおちょくっている人だが、ここは同じ思春期男子として空気を読んだらしい。

 直兄と赤井さんも気恥ずかしそうにしながらアイコンタクトを取っているし、白鳥さんは口元を隠しながら目を逸らしている。みんな空気を読んでいる。


 とどのつまり、夏志さんは女子が煩わしくて、面倒くさくて、いちいち断る度に神経すり減らしてイライラする日々を送ってでも、親友二人とクリスマス・イブを過ごしたいわけなのだ。学園生活の思い出を親友たちと作りたいのだ。口に出して言うと夏志さんが爆発しかねないから言わないが、ぶっちゃけるとアレだ……。


「はっはっはっはっは!すっげー。黒宮のデレって、めっずらしー!!」

 ……空気読めない馬鹿がぶっちゃけやがった。皆そろって「あちゃ~」という顔をする。


「っっっっっっざけんな!!誰がデレたってんだ!!」

 案の定夏志さんが爆発した。馬鹿もとい桃山さんの胸ぐらを掴んで怒鳴る。顔が可哀想なくらい赤く染まっている。

「えー?メッチャデレてたじゃーん」

 桃山さんはそんな状態でも陽気な態度を崩さないでいる。馬鹿ってスゲーな!悪気が無いのが余計に性質が悪い。

 夏志さんが拳を握った。わぁぁぁぁ!黒宮流跡取り!!シロート相手にそれはヤバい!!

「落ち着け夏志!」

「俺達だって夏志と一緒の方が楽しいって思ってるし!恥ずかしい事じゃないって!」

 直兄と赤井さんが夏志さんを必死に取り押さえた。二人に止められて、夏志さんも踏みとどまる。

「友達と一緒になんて思って普通だろ」

「そうそう」

「……」

 どこかむず痒そうに三人で向かい合った。親友二人の言葉に、夏志さんも落ち着きを取り戻していく。白鳥さんと冬樹さん、それに私は生暖かい目でそれを見守った。


「マジで仲良しだよなー。おま…ぶっ!?」

「空気読め」

 桃山さんがまた何か言おうとしたから枕を顔面に投げつける。普段なら注意されそうな行動だが、誰も咎めてこない。厳しすぎるくらい厳しい白鳥さんですら黙認している。桃山さんの空気の読めなさっぷりに、みんな思うところがあるのだろう。


 まぁ、確かに三人の仲の良さはすごいと思わなくもない。いつも一緒にいるし、それが当たり前みたいになってる。三人ともモテまくるのに彼女も作らんと男友達でベタベタしている様は、一部の女性達にものすごくウケそうだ。前世が三人を見たら萌え転がるだろう。あいにくと言うか幸いと言うか、五歳児の私にはまだ魅力の分からない世界である。


「いってー。花乃っち、ひでーよ」

「サーセン」

「いやいや、花乃はいい仕事したぜ」

 顔をさすっている桃山さんの言葉に一応謝罪すると、頭上で冬樹さんが親指を立てる。


 ふと足元を見ると紙の束が転がっていた。手を伸ばして拾い見ると、桃山さんの期末テストの用紙だったのだが、点数を見て絶句する。頭上から覗き込んでる冬樹さんの息を飲む気配がした。皮肉屋の冬樹さんですら言葉を失っている。具体的な数字を言うのはやめておくが、つまりそれほどの点数ということだ。


 …マジで外部受験に切り替えた方がいいかもしれない。

 大量のバツ印を眺めながら見捨てたい気持ちになってしまった。


「夏志には悪いけど、将来の事を考えると参加しときたいんだよな」

 直兄が眉を下げてすまなさそうな顔をする。

「参加する保護者の中には一流企業の重役もいるし、顔を売っておきたいからなぁ。将来どこかの企業に就職する事を考えるとさ」


「えっ?」

「えっ?」

 

 直兄の発言に思わず素で疑問の声をあげてしまった。直兄も私の反応に同じ反応を返す。

「どうかしたのか?花乃??」

「んーん。なんでもない…」

 私を抱き込む冬樹さんの腕にすり寄り、眠そうにしながら誤魔化す。


 直兄、どっかの企業に就職するつもりなんだ。……直兄は教師になると思ってる…と言うか知っているから、つい声に出てしまった。考えてみたらまだ中学生なんだから、将来何になるかなんてハッキリ決まってなくてもおかしくない。これから教師になると決める人生の岐路があるのだろう。


「八神は聖夜祭にそんな理由で出んのかー?」

 桃山さんが口を尖らせて、つまらなそうに言う。

「別にそれだけじゃないけどな。普通に学校行事としても季節のイベントとしても楽しんでるからな」

「つーか、桃山。そんな理由って言ってるけど、お前が一番そういうの意識しないといけないんじゃないのか?」

 胡散臭い爽やか笑顔の直兄の横で、赤井さんが苦笑まじりで桃山さんに言った言葉に引っかかる。

「??」

 テスト用紙を持ちながら首を傾げ、ベッドに寄りかかって座っている夏志さんに視線を送った。

「ああ。こいつ桃山財閥の御曹司。しかも跡取り息子なんだとよ」

 私の視線に気づいた夏志さんが桃山さんを指しながら投げやりに言う。

「……?…………!!」

 一瞬何を言われたのか分からなかったが、理解した瞬間に手元のテスト用紙を見た。

「も…もっと頑張んないとヤバいでしょ!跡取り!!」

 この馬鹿が将来財閥のトップに立つとか……(恐)

「もっと言ってやれ。花乃」

「桃山財閥の未来が心配だよ」

「桃山、お前マジでもっと頑張れよ」

「おおっと!みんな厳しくね?俺のガラスのハートにヒビ入っちゃうぜ?」

 夏志さん達三人からの言葉に、桃山さんは両手を心臓の上にそえてウインクする。ぶっ飛ばしたい。視界の端で夏志さんが拳を握っている。気づけ桃山!お前が思ってる以上にお前の状況はヤバいぞ!!


「ふざけてる場合じゃないだろう。そろそろ試験勉強を再開するぞ。将来の事も大事だが、まずは目の前の高等部進学だ」

 白鳥さんが手を叩いて皆の意識を集める。本当に頼りになる人だ。

「そう言えば脱線してたな」

「すみません。白鳥先輩」

「桃山。今度は集中しろよ」

「へーい」

 念を押して注意されるが、桃山さんのノリは何処までも軽い…。


「桃山さん家ってどれくらいすごいんですか?」

「あ~。今の王山在学生の中でトップの家なんだとさ。各業界にスッゲー影響力をもつ超金持ち」

 再開した勉強会の邪魔にならないように小声で夏志さんに問うと、同じく小声で返答された。

 王山で一番って事は漫画みたいな超金持ちって事か…。その跡取りがコレって…日本の明日は暗いな。


 ただただ残念なものを見る目で、目の前の勉強会を見つめる。

 

 さて。勉強会が無事に再開されたのは喜ばしいのだが、そうなると暇になる者が出るわけだ。

 二人がかりで勉強を教える直兄と白鳥さん。本日のメインの桃山さん。集中力のない生徒とイラつく教師役たちの間に入る精神的フォロー役の赤井さん。そんな四人を見守る部屋提供者の夏志さんに、完全部外者の冬樹さんと私。あとベッドで寝てる弟。弟は別枠として見てるだけの私ら三人は暇なんだよね。


「白鳥さんに直兄。王山の高・中等部首席のダブル家庭教師とは豪勢な事ですよね」

 暇なんで夏志さんと冬樹さんに話しかける。あ。もちろん小声ですから。

「まぁ、確かにな。受けたいとは思わないけど…」

 冬樹さんが私のほっぺを触りながら呟く。しゃべりずらい。

「教師が豪華でも生徒が難ありだけどな」

 夏志さんも吐き出すように呟いた。

「確かに。渦中の桃山さんが見てるだけの私達以上にフワフワしてると言うか、緊張感がないと言うか…」

 私は遠い目をして夏志さんの言葉に同意する。


「なーなー。八神達は冬休みどっか行くのかー?」

「……桃山君。キミは本当に……」

「白鳥先輩。落ち着いてください。桃山も集中して!」

「桃山。お前冬休みに遊ぶ余裕があるつもりなのか?」


 少しすると桃山さんの集中が切れて雑談を始めて中断して、いさめて勉強を再開しての繰り返しだ。なんかもう、三人が気の毒になってきた。


「なぁ。暇だしあいつらはほっといて適当にダベろうや」

 冬樹さんが気ダル気に言う。夏志さんと一緒に冬樹さんを見上げた。

「冬樹さんも成績良いんですよね?暇なら教師役に加わってみたらどうです?」

 直兄と白鳥さんがこのままじゃ可哀想だ。

「本気で言ってるのか、お前?俺が加わったら間違いなく手が出んぞ」

「すみません。一緒に外野にいてください」

 常にない真顔で言われた。いつもの冗談じゃない。マジなやつだコレ。

「参戦するならその時は加勢するッスよ」

 夏志さんが冬樹さんの意見に頷く。普段あれだけ反発してるのに、なんでこんな時は仲良いんだ?!

 私は首を横に振って二人を止めた。夏志さん、分かっているのか。ここで暴れたらダメージ受けるのはあんたの部屋だぞ。


「じゃあ聖夜祭の話でもするか」

 冬樹さんがニヤニヤしながら話題を提案する。じゃあってなんだ?

「さんざんしたじゃないですか」

 さっきまでその話題で盛り上がっていただろうに。

「いやいや。夏志に他の断り方を教えてやろうかと思ってな」

「他っスか?」

 夏志さんが疑わしげな顔を向ける。

「校内の女共を黙らせたいなら、学校の外でパートナー決めちまえばいいんじゃねぇの?」

 夏志さんの表情などどこ吹く風で、言い放った。夏志さんのこめかみがピクリと動く。そんな相手がいたらこんな話になっていない。

「……そんな相手がいるとか思ってんですか」

 夏志さんは地を這いような低い声を出す。怖い。

「適当に知り合いや身内から見繕えばいいんだって。こいつとかどうよ?」

 冬樹さんが私の頭をグリグリ撫でながら……ちょっと待てい!!

「何言ってんスか!?それ何フラグ??」

 夏志さんも「そうか!」みたいな顔しないで!

「別にいいんじゃねーの?兄弟子の為にひと肌脱ぐくらい」

「いやいや。ロリコン疑惑が出ますよ。それに恨まれそうで怖いです」

 恋する乙女の中には快く思わない心の狭い人間もいる事だろう。子供の私相手に直接何かしてくる事はないと思うが、絶対とは言い切れない。

「お前みたいなガキ相手に本気で張り合う奴がいたら、よっぽどのもんだぞ」

 人間性を疑うぜ。と呆れた顔の冬樹さんが見下ろしてくる。

「ご存じないと見える。乙女心と書いて暴走と読み、恋する乙女と書いて狂戦士(バーサーカー)って読むんですよ」

「……いきなりだけど、俺お前のそういう所ホントに好きだわ」

「ホントにいきなりですね。光栄です。私も冬樹さん好きですよ」

 ジッと見つめてくる冬樹さんにサラッと返す。私は冬樹さんの人を食ったような所が好きです。


「なんでそんな話になってんだよ?」

 夏志さんが呆れた眼を向けてくる。

「なんだ?いい所で。今俺と花乃の愛を確かめ合ってたところなのに」

 キリッとした顔で何言っちゃってんだ?この人??こういうところ本当に好きだわ。

「聖夜祭の話はどうしたんスか?」

「あ~。なんかもうメンドクなった。自分で何とかしろ」

 自分で話題ふっといて投げ出した。うおおい!?

「あんたなぁ……(怒)」

 夏志さんが半眼になる。

「学校で騒がれるだけでガタガタ言うな。俺よりましだろうが」

「あ……」

 冬樹さんの言葉に怒っていた夏志さんの怒りが消え、気の毒そうな顔になった。

「??」

 俺よりましってどういう意味だろう?

 正面を見ると、勉強会をしていたメンバーも気の毒そうに冬樹さんを見ていた。


「あ~。もしかしてもしかしなくても緑川妹の件ッスか?」

 桃山さんの明るい声が響く。緑川妹?

「校内でも有名ッスもんね。超ブラコンって。俺も何回か緑川妹が先輩の周りで騒いでんの見た事ありますよ」

 やっぱ聖夜祭もすっげー誘われてんスか?と陽気に聞いてくる。

「おー。マジしつこく誘ってくる。俺の場合、家に帰ってもまとわりつかれんだぞ」

 ウンザリした顔で言い捨てている。妹いたんだ。そっと夏志さんに視線を送ると「俺らと同学年(タメ)」と囁かれた。


「妹さん、そんなにひどいブラコンなんですか?」

 なんか意外だ。冬樹さんならブラコンくらい軽く許容しそうなのに。

「ブラコンなら良かったんだけどな」

「え?」

 冬樹さんが感情のない目でポツリと呟いた。

 ??ブラコンじゃないのか?

「はぁ~。花乃みたいな妹が良かったな」

 スッといつもの表情に戻り、私をギュッと抱きしめてため息を吐く。その様子からなんとなく深く聞かれたくないんだなと察する。


「つー事で、聖夜祭終わるまで白鳥の家に泊まっから」

「何がつー事で、なんだ?」

 唐突に決定する冬樹さんに白鳥さんが呆れる。

「家に帰ってもウルセーだけなんだって」

「しかたないな。好きにしろ」

 白鳥さんは口で言うほど気にした様子もなく、アッサリ受け入れている。携帯を取り出しメールを打ち始めた。家に連絡するらしい。

 どうやら冬樹さんの兄妹関係は色々あるようだ。表情から桃山さん以外のメンバーは知っていると見えるが、ここは空気を読んで追究はするまい。


  

 緑川妹。私がその存在をより知る事になるのは、もう少し先の話である。


 ………たぶん。



 白鳥さんがまた皆の意識を集めて勉強会を再開する。

 まぁ、ダラダラと勉強会の様子を事細かに説明してもしかたあるまい。バーッと説明しよう。


 その後も直兄と白鳥さんが二人がかりで教えて、桃山さんは集中力がなくて、赤井さんがフォローしての繰り返しだった。もう見捨てればいいと本気で思ったが口には出さなかった。

 帰る時間になったから、寝ている弟をベッドから引っこ抜いてその日は直兄達に別れを告げた。反対側から誰か引っ張ってんじゃないかってくらいなかなか引っこ抜けなかったのは気のせいだと思う。



 その後の聖夜祭だが、まぁこれと言って語る事はない。と言うか、参加したわけじゃないから詳しくは知らない。私が聖夜祭に関わるのも、もっと先の話だ。たぶん。

 今年の聖夜祭で語る事があるとしたら、夏志さんが疲れ切っていたくらいだ。



 その後は冬休みなわけだが………。私はこの年の冬休みを忘れる事はないだろう。白鳥さんには本当に申し訳ない事をしたと思っている。私が安易に巻き込んだせいで苦労を掛けてしまったのだから。


「合格させられる気がしない。どうしよう?花乃」

 ある日グッタリした直兄が弱音を吐いた。もう見捨てろと言いたかったが、友人相手にそれは酷かと言葉を飲み込み打開策を考える。

「良い点を取らせようと思うからダメなんじゃないですか?」

 ちょっと前から思っていた事を口に出す。

「ギリギリでも合格点取れればいいんですから、ある程度は捨てて必要最低限の内容に一点集中するしかないですよ。範囲全体を教えるんじゃなくて、これは絶対に出るって所にヤマはりましょうや」

 直兄も白鳥さんも完璧主義を当たり前のように掲げているから、当然のように高得点を取れる勉強になる。本来それで正しいのだが、あの男相手にそんな事してる場合ではない。ギリギリでいいのだ。赤点にさえならなければ。

「んん~。しかたないよなぁ。それでいこう」


 後日、その作戦を聞いた白鳥さんは不満そうな顔をしたが、反対はしなかった。自分にも他人にも厳しい完璧主義者の白鳥さんが折れるほど、桃山という男の頭は深刻だったのだ。

 それから試験まで辛い日々だった。直兄と白鳥さんの顔色はドンドン悪くなるし、私も影ながら協力した。教える側の苦労とは別に、桃山さんの顔色は悪くなるどころか健康そのものだったのが腹立たしかったものだ。

 しかし、桃山さんは中学受験をどうやって乗り越えて王山に入学したんだろうか?

 日々手ごたえのない勉強会に皆が焦って行く冬休みだった。


 




 



「大学受験は絶対に手伝わない…」


 ポツリと呟かれた直兄の言葉に、過去にとばしていた意識が現代に戻される。ずい分長い事、回想していたなぁ。

「絶対にそうしてください」

 力を込めて頷いておいた。


 冬休み明けの内部進学試験。桃山さんは無事合格した。ハッキリ言って奇跡だ。本人はケロリとしていたが、周りの人間は合格を知った瞬間その場で崩れ落ちたらしい。安心して力が抜けたのだとみな語っている。あの白鳥さんでさえ崩れ落ちたと言うのだからすごい。ちなみに直兄からの合格報告のメールを見た私も、自宅のリビングで崩れ落ちた。

 人の力で奇跡が起こせる事を知った瞬間だった。


「せっかくだから卒業式見に行こうかな」

「来るのか?一人で??」

「おば様に誘われてんだぁ」

 おば様とは夏志さんの母君の事である。一緒に見に行かないかと誘われている。身内面して大人しくしていれば問題あるまい。問題があるとしたら弟をどうやっておいていくかだ。

「それじゃあカッコいいところ見せないとな」

「いや、そういうのいいんで。マジで」

 キラリと歯を光らせながら言う直兄を適当にあしらう。

 お母んに頼めば弟は何とかなるかな…。直兄の不満げな視線を無視して卒業式当日に思いをはせた。






 どんどん話を進めよう。そうして迎えた卒業式。余所行きの服に身を包み、おば様と一緒に王山学園の中庭に立っている。


 弟は何とかおいてこれた。さすがに今回は放任主義のお母んも協力してくれたのだ。ただ、なんだろう……。


「こうやって追い掛け回されるのも今だけよ。そのうちお姉ちゃんの洗濯物と一緒に洗濯しないで。とか言い出すようになるのよ」

「それなんか違くないか!?」

 

 出掛けに弟を小脇に抱えながらしみじみと言い放った母の言葉が、学園長のありがたい言葉や、感動の送辞や答辞よりも心に残ったのがなんだかやるせない気持ちにさせる。



 今はもう式も終わって卒業生たちは思い思い過ごしている。中等部最後の制服姿を写真に収めたり、第二ボタンの争奪戦をしたりだ。


 まぁ、もちろんその中心にいるのは私がよく知っている人物たちなわけだが。


 なんかもう…アレだ。撮影会みたいになってる。自分の写真は撮らなくていいんだろうか?

 想像はしていたが、直兄達はとんでもない数の女子生徒に囲まれていた。近づく隙間もない。あっても近づかないけど。だって女子達の攻防が本気で怖い。直兄達に可愛さをアピールしながら、水面下での戦いが垣間見える。

「あらあら、すごいわねぇ」

「ふふふ。ほんとにねぇ」

「若い子は元気ねー」

 おば様たち保護者は呑気に見守っている。息子たちが尋常じゃない女子の群れに囲まれていても、全く動じる様子がないのはすごい。助ける気もないようだ。

 しかし三人の母親だけあって顔面偏差値が高いな。正統派美人の八神母。和風美人のおば様。童顔アイドル系の赤井ママ。三人そろうとすごいな。


「あれまぁ。チビちゃん」

 このやる気のない声は…。

「黄島先生」

 スーツを着た黄島先生がダルそうに近づいて来る。そっと騒いでいる生徒たちに目を向けポツリともらした。

「桃山の奴、無事に合格するとは思わんかったわぁ」

「なんつー事言うんですか。思ってても口に出さないでおきましょうよ」

 めでたい場で何言ってんだ、教育者。私だって思ってても言わずにいるのに。

「奇跡って人の力で起こせんのなぁ」

 黄島先生は眩しそうに眼を細め、空を見上げながら言った。

 やばい。私この人と同じ発想だ。


 なんか眩暈がした。


「黒宮の忍耐力はいつまでもつかなぁ」

「もうとっくに限界超えてますよ。ただ母親の手前、限界を超えて我慢してるだけです」

 第二ボタンをせがむ女子達に囲まれ、夏志さんの顔色が悪くなっている。我慢のしすぎで爆発しないか心配だ。

 それに引き替え直兄と赤井さんは上手くあしらっていた。二人とも笑顔を絶やさない。ただチラチラと夏志さんを心配そうに見ている。抜け出すタイミングを計っているのだろう。なるべく早く夏志さんを連れて脱出してください。マジで。

 桃山さんもけっこう囲まれてるんだな。あの人はどんな状態でも楽しそうだ。


「そろそろ助け舟出した方がいいかな…」

 せっかくの卒業式で夏志さんもキレるのは後味が悪かろう。

「チビちゃん。あの暴徒の群れに割って入る気か?そいつぁ危険だぜぃ」

「…教え子を暴徒呼ばわりはダメでしょう」

「チビちゃんが誰にも言わなきゃ大丈夫~」

 ダルそうにブイサインを向けてくる。私も大概だがこの人の表現もアレだな。

「心配しなくてもあんな恐ろしい群れに突っ込んだりしませんよ」

 そう言って傍に立っているおば様に歩みよって、手を引っ張る。


「あらあら、どうしたの?疲れちゃった?花乃ちゃん」

 母親同士で話し込んでいたおば様が、上品な微笑みで聞いて来る。

「おば様。私夏志さん達とお写真撮りたいです」

 子供らしくおねだりする。後ろで黄島先生が「なるほどねぇ」と呟くのが聞こえた。

「そうね。せっかくだから撮りましょうね。ちょっと待っててね。呼んで来るから」

 私のおねだりに微笑ましそうに笑い、おば様は夏志さん達近づいて行った。


 上品な着物に身を包む和風美人に皆が道をあける。決して大きい声を出してるわけではないが、はしゃぐ中学生の中で自然とおば様の声は通った。

「夏志。ちょっといいかしら」

「お袋」

「ごめんなさいね。息子を連れて行ってもいいかしら?」

 おば様は夏志さんを取り囲む女子達に微笑みかける。意中の相手の保護者に笑顔でそう言われ、否と言える者はいないだろう。いたら色んな意味でたいしたものだ。

「は、はい」

「どうぞ」

「黒宮君。高等部でね」

 名残惜しそうにしながら、女子達は身を引く。

 普段なら助けられた事にふて腐れそうだが、今回は本当に助かったという顔で夏志さんは女子の群れを脱出した。直兄と赤井さんもそれに続く。


「自然に脱出できたなぁ」

「平和的な解決でしょう」

 黄島先生と頷きあいながら夏志さん達を眺める。どこか制服がくたびれている気がする。必死でボタンを死守したんだな。

「この年頃の女子って怖いですね。若さゆえの暴走と言うんでしょうか」

「チビちゃん。女はいくつになっても怖い生き物だよ」

「なんつー会話してんですか?黄島先生」

 近づいてきた直兄が微妙な顔で黄島先生にツッコミを入れた。

「いや~。八神、今のは俺悪くないぞぉ。チビちゃんの言葉に返事しただけだし」

「……」

 直兄はチラリと私を見てため息をつく。なんだ?この野郎。

「チビちゃんカメラ貸してぇ。撮ったるから」

「お願いします」

 だらりと差し伸べられた手に、デジカメを乗せた。


「はい、チ~ズ?」

 なんで疑問形??



 直兄に抱えられて四人で写真を撮ってもらうとそのまま帰路についた。もたもたしてたらまた囲まれてしまう。夏志さんに至っては、門を出るまでの表情が必死だった。よっぽど嫌だったんだな。

 お茶して帰るという御夫人たちと別れ、四人で帰る。


「花乃。これやる」

 夏志さんが何かを差し出してきた。よく分からずに受け取ると制服の第二ボタンだった。

「こんな女子に狙われるもの持ってたくねぇ。お前にやるよ」

 そんな恐ろしいものを私にどうしろと!?

 後日欲しがられても面倒だし、かといって思い出のあるものを捨てるのは忍びなかったのだろう。だからって何故に私!?

「じゃあ、俺のもやるよ」

「俺も」

 そう言って直兄と赤井さんも差し出してきた。わーい。恐ろしいものが三倍になったぁ。


 どうしよう。今私の手の中に、王山女子がバトルロワイヤルしてでも手に入れたいだろう物が三つある。三人に託された以上、捨てる訳にもいかない。


「…墓まで持っていきます」

「大袈裟だな」

 私の言葉に直兄達が笑う。

「ははは……」

 私は笑顔の三人と歩みながら、渇いた笑いを漏らした。



 これを持っていることを誰にも知られてはいけない。絶対に。


 私は三つのボタンを強く握りしめた。

 

 

 

 メインの攻略対象出さないで、何書いてるんだろうと自分でも思ってます。

そろそろ真剣に本編進めないと、いつまでたっても王山学園に入学できないです。でももう少し幼少期を書きたい気持ちもあるし、これからも思いつくままに書いていくのだと思います。拙い文章ですが、見逃していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ