五歳児、夏「魂に刻み込まれているのだ。」
八神直也と仲良くなりました。展開が急ですみません。
真夏の暑い日差しを浴びて、天川花乃は喧噪の中にいた。
「あっちに流れるプールあるよ」
「赤井。泳ぎの練習に流れるプールは ないだろ」
「子供用プールはあっちか」
私は直也さん達と、プールに来ている。
世の学生は夏休みだ。夏を満喫しようと、この辺で一番大きなプールは大勢の人で賑わっていた。
「花乃ちゃん。水に顔をつける練習からやろうな」
「うん。直也さん」
「しっかし、直也と花乃ちゃんがこんなに仲良くなるなんてな。妹ほしかったのか?直也」
人ごみで逸れない様に手を繋いでいる私と直也さんの姿に、赤井さんがニコニコ笑いながら茶化してくる。
「バーカ。俺はもともと面倒見がいいんだよ」
直也さんが笑いながら、赤井さんの冗談を流した。
私と直也さんの間に何があったかは、私達二人しか知る人はいない。一緒にプールにくる仲になったのは何故か…。
そう、あれはまだ夏休みになる前のことだ………。
私はあの勉強会の後、単独で直也さんに会う為に、すぐに行動を起こした。
もともとご近所さんだ。接触するのは難しくなかった。母親ともあの事件で面識のあった私は、直也さんが学校から帰ってきたタイミングを見計らって、堂々と八神家を訪たのだ。
驚いた直也さんだが、割とアッサリ部屋に上げてくれた。向こうも私に対して思う事があったのだろう。
私は挨拶もそこそこに、話し出した。
私は単刀直入に要件を伝えようと、焦っていた。
「私の事、どう思ってるんですか?」
………ないわ。正直焦りすぎた。なんか友達以上恋人未満のじれったい関係か、倦怠期のカップルみたいな質問をしてしまった。穴があったら入りたい、マジで。恥ずかしいとか、何かもう…通り越して…、何か……埋まりたい。
あの瞬間の事は思い出したくない。話を進めよう。
「どうって…」
焦って言葉の選択を誤り、床に崩れ落ちる私に直也さんが答えた。
「こんな言い方はあれだけど…、普通の子供じゃないと思ってる。天才少女?」
私は項垂れていた顔を上げて、直也さんの顔を見る。その表情に困惑の色はあるが、恐怖や嫌悪の色はない事を確認して、私は本題に入った。
「まぁ、そうでしょうね。八神さん。
そんな私とお近づきになる気はありませんか?」
直也さんは私の言葉に驚いた顔をしたが、すぐに私に背を向けて机の上に手を伸ばす。そして振り返ると、私に一冊のノートを開いて見せた。
「この問題分かる?」
ノートに書かれた問題文を指差し、私に聞く。その顔は笑顔だった。
「はい。分かりますよ。解説付きで」
私も笑顔で返す。
八神直也はやっぱり頭が良い、察しのいい男だった。
私は前世の知識を発揮しても深入りしてこない協力者がほしかったのだ。
その日から私は、暇な日は直也さんのもとへと赴き、勉強を教える関係となった。
直也さんは元々頭がいい。王山学園中等部生徒会長にして、成績一位の優秀な人だ。ちなみに夏休みの現在は、すでに生徒会を引退している。
そんな直也さんが、わざわざ私みたいな訳分からん幼女とつるむ必要はないと思い、正直、拒絶されるのを覚悟していた。
だが八神直也は優秀である以上に、見栄っ張りなカッコ付け人間なのだ。
だから常に優秀な結果を余裕で出していると思われたがっているようだ。その所為で分からない事があっても、なかなか他人に質問する事ができないらしい。
これまでそんな自分を演出しながら一位を維持してこれたのは、まぎれもなく直也さんの才能だ。だが、中三になって直也さんには悩みができた。
少し王山学園の説明を入れよう。
王山学園は、中等部から大学部まである私立校で、中等部と高等部は同じ敷地にあり、大学部は別の場所にある。エスカレーター式の学校にはありがちな事と思うが、比較的簡単に上がれる内部進学組より、入学が困難な外部からの受験入学組の方が、頭が良い者が多い場合がある。王山学園とて例外ではない。
直也さんは当然、高等部進学後も生徒会入りした上で成績一位を狙っている。しかし外部から入学してくる者達を相手にするのは、今までのように才能だけでは不安があった。
ぶっちゃけ、塾に行くなり家庭教師雇うなりしろよ、と思う。と言うか、思うだけじゃなくて口に出して言った。それに対する直也さんの答えはこれだ。
「塾にも家庭教師にも頼らないで一位を取った方が、余裕ってかんじがするだろ」
何言ってんだ?こいつ??と思った。まぁ口には出さなかったけどね。
代わりに残念なものを見る目で、鼻で笑ってやった。
この人、いつか「カッコいい俺」演出のしすぎで、自分の首絞めることになるんじゃないだろうか。
いや、すでに絞めかけているのか。
だからこそ直也さんは、言い方はアレだが私の利用価値を瞬時に理解し、私の誘いに乗ったのだろう。私のたった一言から、こちらの意図を察するあたり、出来る男だ。
そこで満足できないところを、向上心があると取るか、残念と取るか。
……嘘をついて見栄をはってるあたり、残念なんだろうな。
そんな直也さんにとって、私は都合のいい家庭教師となれるのだ。何故なら私は正式にお金で雇われた家庭教師では無い上に、私が直也さんと会って、勉強を教えているなんて想像する者は絶対にいないからだ。
むしろ傍から見たら、近所の子供と遊んであげている面倒見の良いお兄さんに見られ、より余裕があるように思われる。
しかも、私が事実を言いふらす心配はない。言いふらせば私自身、面倒なことになる。
学力向上と、余裕のあるカッコいい自分演出。裏切る心配が不要。直也さんにとって、私は間違いなくメリットのある存在である。
これらの計算を、あの一瞬でして笑顔を返してきたんだから、本当に優秀な男だ。バレさえしなければ幼女の手も借りるあたり、プライドより見栄を取る男のようだがな。
さて、ここまでは私とお近づきになるにあたっての直也さん側の利点である。当然、私から直也さんへの要求も存在する。そもそも何故、私が協力者をほっしていたかと言う話だ。
私が直也さんに要求した事はと言うと、小学校から中二までの使わなくなった教科書・問題集と、直也さんの部屋に自由に遊びに来る権利だ。
教科書等は説明するまでもないだろう。前世の知識を復習し直すための物だ。どうにかして手に入れられないかと考えていた所に、この取引を思いついた。もっとも、私にとっては二つ目の要求の方が重要なわけだが……。
直也さんの部屋に自由に遊びに行く権利とは、言い方を変えると、直也さんの持っている漫画を自由に読む権利である。
攻略対象である八神直也と親しくなりたいから、なんて理由だと思ったか?そんなわけあってたまるか!そんなフワフワした甘酸っぱい理由ではない!!
もっと深刻かつ切実な理由だ!!
うすうす気が付いている人もいるかもしれないが、私の前世はオタクだった。漫画・アニメ・ゲームが大好きで、腐った道にも足を突っ込んでいた。
私は前世の人格を受け継いではいない。きっちり別の人間だと線引きしている。だが、オタクの魂は切り分けられなかった。
そう、魂なのだ。魂に刻み込まれているのだ。オタクの生き様が。
前世の人格から多少の影響は受けている私だが、おそらく最も大きく影響を受けている部分だろう。
馬鹿は死ななきゃ治らない。なんて言葉があるが、オタクは生まれ変わっても治らないという事を、自らの魂で証明したのである。
足を洗うのが困難な世界なはずだ。魂が染まっているのだから。
そんな私はずっと漫画が読みたくて仕方がなかった。前世の知識で漫画という物が如何に素晴らしく、面白いものかという事を知っている分、余計に欲求が溜まっていた。魂が漫画を求めていた。
だが今の私には自由にできるお金がなく、買ってもらえても幼児向けの漫画だけだろう。
バトル漫画読みたい。推理漫画読みたい。冒険漫画読みたい。ギャグ漫画読みたい。スポ魂漫画読みたい。学園漫画読みたい。不良漫画読みたい。ファンタジー漫画読みたい。恋愛漫画読みたい。邪道漫画読みたい。少年漫画も少女漫画も青年漫画もとにかく読みたい!
前世の記憶の整理がついてから、私の欲求は爆発寸前だった。
そんな私が、イチかバチかの思いつきの取引を実行に移すのは、当然の行動だったのだ。
互いに有益な関係が築けると納得し、直也さんと取引を成立した私は、道場と直也さんの家に遊びに行く日々を送っている。
道場では師範や先輩門下生に可愛がられ、夏志さんとの交流も増えた。
ちなみに、夏志さんを協力者に選ばなかったのは、夏志さんの部屋に漫画が全然置いてなかったからである。
期末を無事に一位で終えた直也さんが夏休みに入ると、道場に行かない日は直也さんの所に遊びに行く。予習や宿題をする直也さんの後ろでひたすら漫画を読んだ。分からない問題が合ったら説明し、また漫画を読むを繰り返す。
目下の目標は、王山学園高等部への内部進学組一位入学に協力することだ。高校入学の内容なら問題なく協力できるだろう。
そうやって一学期末から夏休み後半まで交流を繰り返し、直也さん・花乃ちゃんと呼び合うくらいには仲良くなった。遊びに連れてきてくれたのもこれが初めてではない。
私たちはたいへん良好に、打算的で都合のいい関係を築けている。
そして今日は泳ぎを教えてもらう為にプールにきた。
私は、運動能力は絶対に前世の影響を受けてたまるか!と思っている。前世と同じにならないよう、打てる手は打っておく。カナヅチは魂に刻み込まれてないだろうな…。
「花乃。準備体操はしっかりやっとけ」
「押忍」
子供用プールに着き、夏志さんに言われるまま準備体操の開始する。今日までの道場での交流で、体育会系の上下関係が築かれようとしていた。
「草士君は浮き輪で遊ぼうなー」
「ん」
弟は赤井さんに抱っこしてもらって、おとなしくしている。本当にいい人だな、赤井さん。
本当は、今日のプールに弟は連れて来ないはずだったのだ。プールで三歳児の面倒を見るのは、なかなかに難易度が高い。ましてや他人の子供だ。男子中学生には、責任が重すぎることだろう。
だが弟は付いて来る気満々だった。朝、目が覚めて、弟が私を監視するように覗き込んでいたのには、悲鳴をあげそうになった。朝食を食べ終わると、ずっと玄関に張り込みだしたりもした。私の鞄の中に入ろうともしたが、さすがに無理だった。三人が迎えに来たら、「行くなら俺を倒してから行け!」と言わんばかりに、私の前に立ちはだかった。………最終的にこっちが折れた。
とりあえず、弟からは目を放さないようにしよう。保護者の一瞬の隙を突き、無自覚に迷子になる。それが幼児の生態だ。いや、まぁ私もその幼児なんだけどね。
「水に顔はつけられるか?」
「多分 大丈夫です」
直也さんと一緒にプールに入る。子供用なので、私でも足がつく深さだ。
水に顔を付けるのは問題なかったので、直也さんに手を持ってもらいながら、水に浮く練習をする。
「大丈夫だから身体の力抜いて」
「人間の身体なんて、力入れなきゃ浮くようにできてんだ」
頭の上から直也さんと夏志さんの声が聞こえるが、水に顔をつけている為、顔は見えない。
力を抜くってどうすんだろ?とりあえず、何もしなければいいのかな?
言われるままに体中の力を抜く。手足は完全に脱力して、首と両足が垂れ下がり、意思もなく漂うように浮かんだ。直也さんに手を持っていなかったら、少しの波でも流されそうだ。
あ、浮かんだ。と思った瞬間、いきなり身体を持ち上げられた。
「!!!??」
水から顔を上げると、私は夏志さんに抱っこされている。夏志さんが私の身体を持ち上げたようだ。ビビったぁ…。
二人の顔を見たら、私以上に焦った顔をしている。よく分からず、目をパチパチさせていると、二人そろって盛大に息を吐いた。
「ビビったぁ。全然動かないから溺れたのかと思った…」
「お前、水死体みたいな浮き方してたぞ」
どうやら私の浮き方が紛らわしかったようだ。すんません。
二人は、ホッと肩の力を抜いて項垂れた。夏志さんは若干怒ってるっぽい。本当にすんませんでした!
「浮けることは浮けるみたいだな。次はバタ足の練習するか」
直也さんが気を取り直して、練習を再開する。まだ顔は引き攣っているが…。
「顔は水から出しとけ」
直也さんにまた手を持ってもらい、身体の力を抜いていると、夏志さんに憮然とした顔で言われた。
さっきの私は、よっぽど生気の感じられない浮き方をしていたらしい。
しばらくバタ足の練習をする。このへんは特におもしろい事もないから省略しよう。
面白味のない練習に、幼児の集中力がそんなに長く持つはずもなく、何かおもしろい事をやらかしたい気持ちもあったが、兄弟子である夏志さんの目があるため断念した。
人に教えを乞うている立場でふざけるなんて、夏志さんの前では怖くて出来ない。
短い付き合いで学んだ黒宮夏志の性格は、クール・真面目・無愛想・硬派・スポ魂である。意外と面倒見が良いが、上下関係に厳しい人だ。
「ちょっと休憩するか」
「そうだな。そろそろ昼メシにしよう」
夏志さんが休憩を提案する。プールサイドに建てられている時計を見ると、昼の十二時を少し過ぎたあたりだ。
私は手を放されても、一人で浮いてバタ足で少し進めるようになった。ただし息継ぎは出来ない。
「赤井ー。昼メシ食いに行こうぜ」
直也さんが、プールの端っこで弟の遊び相手をしてくれていた赤井さんに声をかけながら、プールの端っこに向かって行く。練習で疲れた私は浮きながら直也さんに引っ張ってもらった。楽ちんだ。
「おー」
赤井さんは笑顔で返事をする。
嫌な顔一つせず、幼児用プールで赤の他人の幼児とずっと遊んでいてくれたこの人は聖人の生まれ変わりかもしれない。
赤井さんは一見すると、三人の中で一番軽そうに見える。だが実際は、三人の中で一番思慮深く、気配り上手の優しい人だ。弟もなついている。本当にありがたい人である。
そんな赤井さんに目を向け、今日プールに来てからずっと理解していた現実を見ることになる。
赤井さんは若いママさん達に囲まれていた。
そりゃそうだろう。イケメンが三人もそろっていたら目立って当たり前だ。子供用プールでの三人の浮きっぷりは、そうとうなものだ。
その一人がプールの端っこに無防備に立っていたら、声も掛けられるだろうさ。場所が子供用プールだからナンパとまではいっていないが、若いママさん達が嬉しそうに話しかけている。
……ただ、弟の遊び相手にって、自分の子供をダシにして話しかけるのはどうなんだろう。
「草士君。ご飯食べに行くからお友達にバイバイしようね。それじゃあ、失礼します。ありがとうございました」
「バイ」
赤井さんは弟を抱っこして、ママさん達に軽く会釈し、プールから出る。弟も遊んでいた子供たちに手を振った。
ママさん達は赤井さんに笑顔で手を振っている。どこか名残惜しそうな笑顔だ。
私はあまり近づきたくなくて、赤井さんに近づいていく直也さんの手を放し、少しの距離を取ってその光景を眺めた。夏志さんも近づきたくなかったのだろう。私と一緒に距離を取っている。
ママさん達から離れた赤井さんと弟の二人と合流し、私達はロッカーから財布を取り出してフードコートに向かった。
直也さんが奢ろうとしてくれたが、親から持たされたお小遣いがあるので断り、弟のタコ焼きと自分の焼きソバを購入する。
赤井さんが弟を抱っこして、直也さんと夏志さんが五人分の昼食を運び、空いているテーブルを探した。私は逸れないよう後ろからついていく。
ちらちらと女性達がこちらを見てくる。声を掛けるタイミングを見計らっているようだ。
分かるよ。「相席しませんか?」って誘いたいんだよね。
ただ先頭を歩く夏志さんが、話しかける隙を見せずにズンズン進んで行くから、誰も話しかけられないでいる。
夏志さんは、まるで「話しかけるな」と言わんばかりにテーブルの間を進んで行く。と言うか、「話しかけるな」と全身で言っている。その証拠に、席が空いていても女性に囲まれているテーブルはスルーしている。
女性たちの視線をガン無視して、家族連れや男だけのグループに囲まれているテーブルに着く。
夏志さんの態度に慣れているのだろう、直也さんと赤井さんは苦笑していた。
「「「「いただきます」」」」
「ます」
席に着いて食べ始める。赤井さんはここでも弟を膝に乗せ、面倒を見てくれている。どこまでいい人なんだ!この人!!
焼きソバを頬張りながら、離れた席からこちらを見続けている女性達の視線をビシビシ感じた。
クール・硬派・男らしいの三拍子、男前系イケメンの夏志さん。
気さく・爽やか・優しいの三拍子、アイドル系美少年の赤井さん。
そして、文武両道・優秀・完璧(笑)の三拍子、正統派美形美少年の直也さん。
この三人とプール行くってなった時に、こうなるのは予想できてたよ。
正直言うと、「漫画みたいなモテっぷり見れそうだな(笑)」とか思ってましたとも。
……ごめんなさい。現実舐めてました。居心地の悪さハンパないッス。
なに、この常に誰かに見られてる状態?
子供用プールに直行したから午前中はそんなでもなかったが、、若い女性が多い場所に来ると本当にハンパない視線に晒される。
三人は女性達の視線に慣れているのか、気にした素振りもなく食事をしていた。
「気になってたんですけど、夏志さんって女の人 苦手なんですか?」
居心地の悪さを誤魔化す為に、会話をふってみる。
「……めんどくさいと思ってるだけだ。苦手じゃない」
夏志さんは不機嫌そうに言う。
「それ、苦手ってことだろ」
直也さんが笑いながら指摘した。
「………」
夏志さんが苦虫を噛み潰したような顔をする。どうやら苦手という表現は、弱点みたいで嫌らしい。
「女はすぐ自分勝手な理屈を押し付けてくるし、とにかく騒がしい。それを指摘すると泣いてさらに騒いでくる。しかもイチイチ徒党を組むからメンドクサイ」
夏志さんが忌々しそうに女への不満を述べる。何かあったのだろうか?
「……何かあったんですか?」
とりあえず聞いてみる。
「夏志はね、元々女子が苦手だったんだけど、少し前に追い打ちをかけるような事があってね」
夏志さんじゃなくて赤井さんと直也さんが答えてくれた。
「夏志ってモテるんだけど、女子に対して素っ気ないというか、必要以上に関わらない奴でさ。女子は夏志と仲良くなりたいのに、夏志は全然相手にしなかったわけ。でも女子の方もめげなくてね。
そんな女子達が、夏志の家が道場だって知って押しかけちゃったんだ」
「あの子達、門下生になれば夏志と仲良くなれると思ったんだよな。そんな不純な動機で夏志が気に入るわけないのに」
「直也の言うとおり。たとえ不純な動機でも真面目に稽古してたら多少違ったのかもしれないけど、その女子達は道場でも夏志の周りで騒いでるだけで、真面目に稽古なんてする気なかったんだ」
「で、結局、夏志が数日でキレて追い出しちゃったんだよな」
「あー、師範が初日に言ってたのはそれか…」
二人の説明を聞いて納得する。なるほど、師範が門下生として数えるのをためらうのも無理はない。私だって、その人たちを姉弟子とは思いたくないな。
「もっと優しく対応してやればいいのに。追い出された女子達、荒れてたよな。夏志はそれ以上に荒れてたけど」
「数日我慢してやったのが俺の優しさの限界だ。本当なら初日に追い出してやりたかったくらいだ」
夏志さんは直也さんの言葉に、不機嫌全開で答える。そうとう腹立たしい出来事だったらしい。
「道場でふざけやがって。もしかしたら武術に興味を持つ奴もいるかもしんねぇから数日様子見たけど、誰一人本気で稽古する気ねぇときてる。他の門下生にも迷惑かけたってのに、あの女共まったく反省してなかったんだぞ」
「まぁまぁ。落ち着いて」
「女なんて甘い顔したらつけ上がるだけだろ」
「ちょっ、花乃ちゃんの前だぞ」
「あっ!………」
赤井さんに宥められて、夏志さんは気まずそうに私を見る。
「大丈夫です。気にしてませんよ。ちょっと警戒しすぎとも思いますけど、夏志さんの言う事は間違ってませんしね」
平然としていると、三人が「え!?」って顔をする。
「女を甘やかしてもいい事ないですよ。調子に乗るだけです」
「ちょっ!花乃ちゃん?女の子の立場でその意見はいいの?」
「しかもその歳でそれ言っちゃうって、どうなんだ?」
「何言ってんですか。私、今年で五歳ですよ。五年近く女やってんですから、三人よりある意味女って生き物を理解してますよ」
「「「………(汗)」」」
「この際ハッキリ言います。
男が夢見てるほど、女なんて可愛い生き物じゃないです」
真顔で言うと三人は引き攣った顔で固まった。
三人から視線をずらすと、たこ焼きを頬張る弟と目が合う。
「草士もよく覚えとけ。大事な事だから心に刻み込んでおくんだぞ!
女は魔物だ!!
これ将来テストに出るから!人生と言う名のテストに出続けるから!!」
「ん」
「「「三歳の弟に何言ってんだ!?」」」
弟に人生の教訓を授けていると、三人分のツッコミが入った。
「花乃ちゃん、夢も希望もない事言うよな。草士君に将来 女の子に夢見させないつもりか?」
直也さんが疲れたような顔で言ってくる。
「何言ってんですか?その男が見てる夢を利用して、現実的に計算高く攻めてくるのが女って生き物ですよ。
皆さんも気をつけてくださいね。私、夏志さんと赤井さんが変な女に引っかかるなんて、絶対嫌ですから」
「あれ!?花乃ちゃん、俺は!?」
私は夏志さんと赤井さんに真剣な顔で忠告する。
直也さんは、まぁ何回か痛い目にあって学んでください。でないと懲り無さそうだから。
「皆食べ終わったみたいだし、プールに戻ろうか」
赤井さんが笑顔で話を変える。これ以上、女の怖さについて話してても仕方ないわな。夏志さんは溜息をついている。
テーブルの上を見ると皿がカラになっていた。
「午後は大きいプールの方で遊びましょう」
「泳ぎの練習はいいの?」
「はい」
せっかくプールに来たのに、中学生三人に幼児用プールだけで終えさせるのは、さすがに申し訳ない。
「まぁ、コンを詰めて練習しても疲れるしな」
「じゃあ、花乃の分の浮き輪も膨らませるか」
練習を見てくれていた直也さんと夏志さんの許可が下りたので、私達は大きいプールに行くことに決まった。
ちなみにフードコートを出た瞬間に、女の子のグループに声を掛けられた。
「ウォータースライダーだ。どうする?行く?」
赤井さんがウォータースライダーを指して、夏志さんと話している。
当然ながら逆ナンは断りました。相手も人目のある場所でしつこく絡んでくるマネはしなかったので、助かった。もっとも、その後ここまで辿り着くまでに何度も逆ナンに合いましたがね!
本当にこの三人はすごいな。もうこの三人で乙女ゲー作っちゃえよ。マジで。
「花乃ちゃんもウォータースライダーやるか」
直也さんがからかうように聞いてくる。
「やりませんよ。怖いですもん」
「!!?」
巨大なウォータースライダーを見上げて、素直な感想を言うと直也さんは本気で驚いた顔をした。なに?その顔?
「…一応聞きますけど、なんで驚いてんですか?」
「いや、あーいうの怖いとか思うと思わなかった。と言うか、怖いものがあるとは…」
ものすごく意外そうな顔で言われた。
どういう意味だ!?おい!!
「この歳で怖いものがないわけないでしょう。むしろ怖いものだらけですよ」
私は幼児以上の知識を持っているだけで、実際は幼児に変わりないんだ。怖いものなんていくらでもある。
うすうす思っていたが、この人、私の事を時々過大評価している節があるな。
「そもそも身長制限に引っかかります」
「あ、そうか」
呆れながら溜め息をつく。弟に目を向けると、じっとウォータースライダーを見ていた。
おい、やりたいんじゃないだろうな!?お前も身長的にアウトだぞ!!
「ウォータースライダーやってきていいか?」
夏志さんがこっちを振り返って聞いてくる。身長がアウトな以上、行くとなると私と弟は別行動だ。
「あ、俺も行きたい」
「じゃあ、俺が花乃ちゃん達と一緒にいるから二人で行ってきなよ」
直也さんもウォータースライダーをやりたがり、赤井さんが私達と残る事を伝える。
「じゃあ、行ってくるな」
「ウォータースライダーの出口の近くで遊んでるから」
赤井さんと一緒に手を振って見送った。弟が赤井さんに抱っこされながら、足をバタバタさせている。ウォータースライダーに付いていきたいようだ。大きくなるまで待て。
しばらく弟と一緒に浮き輪につかまって、赤井さんに浮き輪を引っ張ってもらったり回してもらってりしながら遊んだ。けっこう楽しい。
ちらちらとウォータースライダーの出口を見るが、二人はまだ出てこない。
「二人とも遅いですねー」
「混んでるからね。仕方ないよ」
浮き輪でプカプカ浮きながら、ウォータースライダーに並ぶ列を見上げた。
二人は今、どこにいるんだろう?
「赤井さんって弟か妹いるんですか?」
私達と一番関わる機会が少ない赤井さんだが、幼児の扱いが三人の中で一番さまになっている。
「ん?いないよ。俺は上に兄貴が一人いるだけ」
赤井さんは、遊び疲れた弟を抱き上げながら答えてくれた。
「マジすか。弟ポジションでありながら、これほどの良いお兄さんスキル。赤井さんマジパネェっス」
この人、天性の保父さんだ!!
「えっと…ありがと?」
赤井さんは少し困った顔で笑った。困った顔さえ絵になる人だなぁ。
「花乃ちゃんって、面白いよね」
微笑みながら頭を撫でられる。マジでこの人攻略対象の乙女ゲーやってみたい。直也さんとチェンジでお願いします!
「すみませ~ん。ちょっといいですかぁ?」
赤井さんとの、ほのぼのした空気を楽しんでいると、甘ったるい声が割って入ってくる。
すんません。ちょっともよくないです。
嫌々ながら声のした方を向く。
肉食系女子ガ、二人現レタ。
獲物を狙う眼でこちらを見ている。戦闘回避不可能。戦闘、強制開始します。
うわぁ……。
「うちら二人なんですけどぉ。良かったら一緒に遊びませんか?」
「えーと、すみません。連れを待ってるんで…」
肉食系女子Aの攻撃。
赤井さんは、防御。カウンターでやんわりとした拒否の呪文を唱える。
「じゃあ、連れの人が来るまででもいいですしぃ」
肉食系女子Aには効果なし。
赤井さんが困った顔で相手をしている横で、私は心のスカ〇ターを起動させた。
顔面偏差値…いや、ここでは顔面戦闘力としよう。心のス〇ウターで、肉食系女子の顔面戦闘力を計測する。
常人の平均数値を100としよう。
肉食系女子A、顔面戦闘力120。肉食系女子B、顔面戦闘力130。
一般的平均値より上ではあるが、二人の全てが丸被りの為、互いの個性を相殺していた。
ギャル系のおそらく女子高生。上から下まで派手に決めている。
作戦内容は、ガンガン行こうぜ!のようだ。たいへん好戦的種族に見受けられる。
拒否系呪文への防御力が高そうだ。
ちなみに、赤井さん達の顔面戦闘力は一万超えてます。三人をまとめて計測しようとすると、タイプの異なるイケメンが集っている効果で、あらゆる点が相乗効果を生み、心のスカ〇ターは爆発します。計測不能です。
「連れの人って女の子ですかぁ?」
肉食系女子Bの攻撃。
「いや、男友達ですけど…。あの本当にすみませんけど…」
「それなら皆で遊びましょうよー」
肉食系女子Bの連続攻撃。
…って、頭の中で遊んでる場合じゃないな。赤井さんを助けなくては。
つーか、「それなら」ってなんだ?連れが女友達なら遊ばんのかい!
ここまでの逆ナンの対応を見ている限り、赤井さんは角を立てないやんわりとした平和的お断りを得意としている。大抵は赤井さんの力で、後腐れなく断れるのだが、こういった言葉が通じない強引なタイプは赤井さんと相性が悪い。
しかし、何と言って追い払うか?ぶっちゃけ、怖いしなぁ。
「かわいー。弟くんですかぁ?」
肉食系女子Aが、赤井さんが抱っこしている我が弟に目をつけた。馬から射るつもりか、貴様!!
「お姉ちゃんたちとあそぼー」
肉食系女子Bも、弟の顔を覗き込む。
「フ―――――ッ!!」
弟は威嚇した。
…怖がるでも、ぐずるでも、人見知りするでもなく威嚇している。
目を細めて、瞬きもせずに相手から目を逸らさないようにし、全身から警戒心を放っている。まるで野生の動物のようだ。
さすが我が弟。危険を察知したか。昼に姉が授けた人生の教訓を、しっかりものにしたようだな。
「フ――――――――ッ!!」
いやいや、感心してる場合じゃなかった。弟が野生の本能に目覚めちゃってるよ。よっぽど肉食系女子を危険視しているらしい。
変質者のおっさんを目の前にしても、キョトンとしてただけなのに。こんな反応初めて見たぞ。
「そ、草士君?」
赤井さんがしがみ付いてくる弟の様子に困惑する。肉食系女子達も、弟の手を出したら噛みつきそうな気配に後ずさっている。
追い払うなら今がチャンスだな。
「お姉さんがた。お誘いはそこまでにして引いてくださいな」
「はぁ!?」
「弟がガチで嫌がってますんで」
自分よりずっと大きい年上を二人相手に、怖いのを隠してお引き取り願う。
頼むから逆ギレして怒鳴ってくれるなよ。幼児の目線からだと威圧感すっげぇんだから。
「嫌がってるって何よ!?」
肉食系女子Aが、ムッとする。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ。
ちょっと考えてくれるだけでいいんです。
嫌がる三歳児を無視して、五歳のガキと本気で口論するかどうか」
含みをもたせた笑みを浮かべる。ビビるな私!もうちょい頑張れ!!
「う…!」
「もういいよ。行こ」
言葉を詰まらせた肉食系女子Aに、Bが撤退を提案する。
「ふん!」
そのまま二人で背を向けて、さっさと離れて行った。
良かった。幼児相手に本気で突っかかってくるほど、恥を捨てている人間じゃなくて。
まぁ、好き好んで私みたいな変わった子供と関わりたいとは思わないわな。
「フ―――――ッ」
「落ち着け草士。もう肉食系は去った」
「花乃ちゃん、肉食系って…(汗)」
「花乃ちゃんって、ホントに面白い子だよね」
赤井さんが苦笑しながら、頭を撫でてくる。褒め言葉と受け取っておきましょう。
しっかしコブ付きでも、こんなに逆ナンされるとは、赤井さん達の魅力には脱帽するしかないな。
「今日 逆ナンしてきた人達って、成功してたら私と草士の事、どうするつもりだったんでしょうね?」
「逆ナンって…(汗) 一緒に遊んだんじゃないかな?やっぱりさ」
赤井さんの言葉に、フムと考える。
「なるほど。子供好きの家庭的な女子アピールか」
「花乃ちゃんは、どこでそういう事覚えてくるの?」
納得している私に赤井さんが唖然としている。 何処っていうと、生まれ持った知識からですかね。
「あ…」
「どうしたの?花乃ちゃん」
嫌な予感がする。
「いや。今思ってたんですけど、私と草士っつーコブ付きでも逆ナンしてくる人がいるんだなぁって」
「まぁ、そうだね」
そう、コブ付きでも構わないわけだ。
「…夏志さんって、声掛けられるたびに不機嫌になってましたよね」
「まぁ、夏志だからね」
夏志さんに睨まれて、引いてった娘達もいる。
「コブ付きでこれだけ絡まれるんだから、コブ付きじゃない場合ってどうなんですかね?」
「あっ…」
私と赤井さんは、そっとウォータースライダーを見上げる。
今あそこには、コブ付きじゃない状態のイケメン二人組がいる。
「いやいや、二人とも普段から逆ナンには慣れてるから。上手く流してるって」
赤井さんが不安を消すように、笑顔を作る。常の笑顔と違って引き攣ってますよ。赤井さんも嫌な予感してんでしょ?
「三人を観察してて思ったんですけど、夏志さんが特に嫌いな馴れ馴れしいタイプの女子って、赤井さんが上手く間に入って夏志さんに話しかけさせないようにしてますよね」
これまでの逆ナンを観察した結果、気配り上手の赤井さんが、夏志さんと女子の間に入って丸く治めていた。
そして、その赤井さんは今此処にいる。
「「………」」
私と赤井さんは、顔を見合わせ、そっとまたウォータースライダーを見上げた。
嫌な予感全開です。
その時、次々と人が流れ出てくるウォータースライダーの出口から、見知った顔が出てくるのを視界に捉えた。
「今 出てきたの夏志さんっぽい」
「ホントだ。直也も出てきたから間違いないね」
先に出てきた夏志さんが水から顔を出すと、すぐに直也さんも流れ出てきて、夏志さんの後に続く。
二人は水を滴らせながら、乱れた前髪を片手でかき上げた。中学生とは思えない色気がある仕種だ。
ぐわっ!?心のスカ〇ターが爆発した!三人そろわなくても計測不能だと!?これが真夏のプール効果か!!
もっとも、スカ〇ターの爆発は顔面戦闘力の所為だけじゃない気もするけどね。
私は赤井さんに思わずしがみ付いて、夏志さんを見た。
夏志さんの目は完全に座っていて、なんかもうアサシンの目をしている。全身から不機嫌なオーラを放出していて、その背後には荒ぶる龍とかが見えそうだ。怒りによる戦闘力が、夏志さんを包んでいた。
夏志さんはその状態のまま、私達の方にズンズン進んで来る。
ちょ、怖い!マジで怖い!!
赤井さんも「うわぁ」って顔をし、直也さんは苦笑いで夏志さんの後を追って来た。
心なしか周りの人も距離を取っている。近寄りがたい空気全開です。イケメンが凄むと迫力が違うね。
信じられるか?私達、これからあの人と合流するんだぜ。
「おい」
私達に近づいてきた夏志さんが、低い声を出す。
怖っ!声も怖っ!!
「もう帰るぞ」
有無を言わせぬ雰囲気で言い、足を止めずに私達の横を通り過ぎた。
「え?おい夏志!」
赤井さんが慌てて追いかける。私も合流した直也さんに手を引かれながら追いかけた。
「何があったんですか?」
夏志さんの背中を追いかけながら、直也さんに説明を求める。
まぁ、ある程度想像つくけど。
「いやそれがさ、ウォータースライダーの列に並んだら、後ろに女子のグループが来ちゃってさ。並んでる間ずーっと話しかけられてたんだ」
「あちゃー。嫌な予感あたったよ」
直也さんの説明に、赤井さんが溜め息をはく。
「並んでる間ずっとって、根性ある逆ナンですね」
よく言えば根性あるだが、はっきり言えば空気読めない人達だ。
「……それが、隣のクラスの女子達だったんだ…」
直也さんが、心底面倒臭そうに言う。赤井さんもますます顔を引き攣らせた。なるほど、同級生か。
「中途半端な知り合いって、ある意味対応に困りますよね」
「花乃ちゃんって、その歳でよく分かってるよな」
直也さんが感心してくる。
「つまり後ろに並んでいたそのグループが、追いついて来ないうちに帰ろうとしてるわけか」
「そういうこと」
赤井さんと直也さんが顔を見合わせて、やれやれと肩をすくめた。
「おい!遅いぞ!!」
前を歩く夏志さんが振り返って、不機嫌そうに急かしてくる。
そうとう女子のグループが嫌だったらしい。人の多いプールサイドじゃなかったら走り出していただろう。
「夏志、落ち着けよ。頭に血が上りすぎだぞ」
直也さんが少し厳しい顔をして、夏志さんを宥める。夏志さんはムッと顔をしかめた。
「花乃ちゃんと草士君が一緒だってこと、忘れてないか?」
「……っ」
直也さんの言葉に、夏志さんはバツの悪そうな顔をして私を見る。
「今日は花乃ちゃんの付き添いで来てるんだぞ。意見も聞かずに突っ走りすぎだ」
直也さんが夏志さんの肩に手を置いて宥めた。
「花乃ちゃん、草士君」
赤井さんが抱っこしていた草士を私の横に降ろして、並んで立つ私達の前に屈みこんだ。
「夏志が今日は帰ろうって言ってるんだけど、二人はどうかな?帰ってもいい?それとももっと遊びたいかな?」
赤井さんは首を傾げながら優しい声で聞いてくる。どうやら、年少者の私達の意見を尊重してくれるらしい。
「帰るのに異論はないです。草士もこの通り遊び疲れてますし、私もクタクタですから」
「ん」
プールは楽しいが、幼児の体力がもたない。弟なんて眠そうにしている。むしろ遊び足りないのは中学生三人の方だろう。
「だってさ。それじゃあ、あらためて帰るとしようか」
「…ああ。悪い」
正式に帰ることが決定し、夏志さんの不機嫌な空気も少し和らいだ。
「けどあんま速く歩くなよ。花乃ちゃんが同じペースで歩けるわけないだろ」
ここまで私の手を引いて夏志さんを追いかけていた直也さんが注意する。確かに追いかけるの大変だった。夏志さん達にとっては早歩きでも、私にとっては走ってるも同然のスピードだ。
「悪かった。じゃあ花乃は俺が抱えてく」
夏志さんが私に近づいて手を伸ばしてくる。
夏志さんの抱っこだと!嬉しいやら恥ずかしいやら緊張するやら!たんま!!心の準備が!!
「八神君、黒宮君。やっと見つけた!」
夏志さんの手が私に届く前に、甲高い声が耳に響いた。
せっかく和みかけた夏志さんの空気が、再びどす黒く染まる。その様を至近距離で見た恐怖に、思わず隣に立つ弟の手を握った。弟も握り返してくる。
うわあぁぁぁぁぁぁぁ。マジ怖いっス。なぁ、弟よ。
「もう。歩くの速いよ」
「あ。やっぱり赤井君も一緒だったんだ」
三人の女の子が近づいて来た。一人が赤井さんを見て、嬉しそうな顔をしている。
赤井さんは眉を下げて困った笑顔をし、直也さんは「どうしたもんか」と思案顔、夏志さんは……言うまでもないだろう。
私は女の子三人を観察した。
心のスカ〇ター……は爆発したんだった。まぁ、いいか。
先程遭遇した肉食系女子二人組と比較しても、顔面戦闘力が高い三人組だ。はっきり言って美少女と言っていい部類だ。
髪型もショート、ポニーテール、お団子と被らせず、かつ己の雰囲気に似合うチョイスをしている。
水着の色やデザインも被らせない上に、三人で並んだ時のバランスもしっかり計算されているようだ。
上から下まで、地味すぎず派手すぎず学生らしくまとまっている。
自分達の見せ方をよく研究しているのだろう。その眼は自信にあふれていた。
「私達が滑り終わるの待っててくれればいいのに」
ポニーテールが甘えるように、直也さん達に詰め寄る。
いや、君らに追いつかれたくなくて急いでたんですけど…。
「ねーねー。一緒に遊ぼうよ」
「私達も丁度三人だし」
ショートとお団子もポニーテールに続く。丁度三人って、私と弟は目に入ってないのか?
「あー、俺達もう帰るんだ」
「急ぐから、また学校でね」
直也さんと赤井さんが前に出て、夏志さんを後ろに庇った。これ以上夏志さんの機嫌を悪くしたくないようだ。私もこれ以上怖い夏志さんは嫌だ。
「えー。まだ早いよー。そんな急いで帰ることないじゃん」
「そーだよ。せっかく会えたんだし」
「夏休みに三人に会えるなんて超ラッキー。もう運命でしょ♪」
直也さんと赤井さんの言葉なぞどこ吹く風で迫ってくる。
何が運命だ小娘!夏休みの学校から近い遊楽施設で、運命もクソもあるか!かなり確率の高い偶然だろうが!!
直也さんと赤井さんは困った顔で彼女達の説得を続ける。優しい赤井さんにカッコつけで体裁を気にする直也さんが、同級生の女子にひどい態度を取れるわけもなく、何とか穏便に済ませようとしているようだ。
ちなみに夏志さんは二人の後ろで完全に黙っている。それどころか彼女達を視界に入れないように、そっぽを向いていた。少しでも精神を安定させようと努めているのだろう。何かに耐えるように拳を握っているのが怖い。
私と弟は勿論、蚊帳の外で見学だ。
「じゃあ、次はいつ遊びに来る?」
「次の予定教えてよ。うちらも合わせるからさ」
「別にプールじゃなくてもOKだよ」
しばらく直也さんと赤井さんが説得を続けたら、別の攻め方をし始めた。
どうやら今日引き止めるのは無理と悟って、作戦を変えたらしい。次の約束を強引に取りつけようとしている。
夏志さんの拳が震えていた。マジで怖い。何故彼女たちは気付かないんだ!?
直也さんと赤井さんも、夏志さんの機嫌を気にしている。
「ごめん。特に予定は立ててないんだ」
「うん。ハッキリと約束はできないよ」
「えー、そんなー」
「それならアドレス教えて♪暇な日に連絡してよ」
「それいーじゃん。私達いつでも平気だから」
いや、いーじゃんってあんたら…(汗)
ちゃっかりアドレス手に入れようとしてるよ。すげーな。なまじ美少女な分、自信があるんだな。
私はある意味感心しながら、中学生達を眺めた。
赤井さんが怒りの限界が近い夏志さんを宥め、直也さんが女子達の説得を続ける。若干わちゃわちゃし始めた。
「しっかし、何で異性に対してあんなにグイグイ突っ込んでいけんだろうね?草士」
彼女達の積極性には驚かされる。隣に立つ弟にも同意を求めた。
…………。
……………。
………………返事がない。
あれ?と思って隣に目をやる。
簡潔に言おう。誰も立っていなかった。弟と繋いでいたはずの私の右手は、繋いだ形を保ったままカラになっていた。
……………………………………………………。
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!???
なんで手を繋いでんのに、消えられるわけ!!??気づかれずに繋いだ手を解くとかできんの!?
しかも私の手は繋いだ形を保ったままだし!!見るまで手の中がカラになっている事さえ気づかないってどうゆうことなん!!!???
私はサッと血の気が引いて、慌てて周囲を見渡す。
幼児の足だ。遠くには行っていまい。
注意深く見渡すと、案の定、弟はすぐに見つかった。
私の視線の先で、弟は流れるプールに浮き輪で浮かんでいた。
たくさんの人が泳いでいるのに混ざって、キョトンとしている。
場所が流れるプールである事。弟の身長では底に足が届かない事。浮き輪でプカプカ浮いている事。弟はまだ泳げない事。それら全てを合わせてると、当然導き出される答えは一つ。
流れに逆らう事なく、流されるのみ。
弟ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
アワアワしている私の前で弟が流されていく。人が多すぎて、子供が一人でいることに気づく者はいない。
流れるプールはぐるりと繋がっているのだから、ほっといても無事に一周すれば戻ってくる。だが、その一周の間に何もないとは限らない。
浮き輪が引っくり返ったり、誰かに連れて行かれたりしないとは限らないのだ。
自分の想像にますます血の気が引く。
「草士!」
「ん」
私が呼ぶと弟もこちらを向いた。弟と私の目が合う。
遠ざかる私の姿に、弟の目が見開かれた。
あぁぁぁぁ。泣くか?いや、いっそ泣いたら近くを泳いでる人が気付いて捕まえてくれるかも。
弟は左手で浮き輪をしっかり掴み、右手を私に向かって伸ばす。
当然、手が届く距離ではない。それでも思わず、私も弟に向かって手を伸ばした。
パニックになりかけている私を見つめたまま、弟は伸ばした右手をグッと握りしめ拳を作る。
弟が一人で離れる心細さに泣くんじゃないかと、ハラハラしている私に向かい、
弟はそのまま右手の親指だけ立て、決め顔を作った。
GOOD LUCK!!
「じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
余裕か!!こっちの心配なんてまったく気にしてないよ!何つー三歳児だ!!完全に計画的犯行だろ!お前!!決め顔なんて初めて見たぞ!!!
て、止めなきゃいけない事に変わりはないか!
弟の余裕に、パニックになりかけていた頭が少しの冷静さを取り戻す。直也さん達に早く助けを求めなくては!!
ただ、少しの冷静さを取り戻しただけの私は、取り乱したまま直也さんの腹に全力で体当たりをかました。
「エマージェンシィィィィィィィィィィィィィ!!」
「うお!!???」
「「「「「!!!???」」」」」
飛びついた勢いのまま直也さんの腹にしがみ付く。
「ちょっと!なにこの子!?」
「八神君、大丈夫!?」
「ごほっ」
「どうしたの!?花乃ちゃん」
女子達が驚いているのを無視して、赤井さんが直也さんの背中をさすりながら聞いてきた。
「草士が流された!!!」
「「「え!!!」」」
流れるプールを指して叫ぶ。私の叫びに三人がギョッとする。
いや、待てよ。草士は自分の意志で流されて行ったわけだから、「された」は違うか?
「草士が流れた!!!」
「何で言い直したの!!?」
赤井さんが再度叫ぶ私に、律儀にツッコむ。
「ンな事言ってる場合か!」
夏志さんがすばやく流れるプールに駆ける。
夏志さんはそのまま流れるプールに飛び込み、無駄のない動きで人を避けながら混雑しているプールを泳いでいく。その華麗な泳ぎに、騒いでいた女子達は言葉もなく見惚れている。
私も心に余裕があったら見惚れていたんだろうな。だが今の私の心は、弟から目を離してしまった罪悪感と、弟に何かあったらというもしもへの恐怖心と、弟の決め顔への怒り、そして何よりも、弟の末恐ろしさでいっぱいなのだ。
本当に何なんだ?あいつ??
夏志さんはすぐに弟に追いつき、弟を捕まえた。そのままプールサイドへと向かい、流れるプールから上がると、弟を浮き輪ごと抱えて戻ってくる。その顔は少し怒っている。
弟がキョトンとしているのが少し腹立たしい。
「ごめんなさい」
夏志さんが戻ってきたタイミングで、直也さんにしがみ付いたまま謝った。
「草士から目を離しちゃって本当にごめんなさい」
ちょっと泣きそうになる。何だかんだで結局幼児なんだよな、私も。
「花乃ちゃん。花乃ちゃんが悪いんじゃないさ。目を離しちゃったのは俺達なんだから」
咳き込んでいた直也さんが、私の頭を撫でる。
「ごめんね。俺達が今日は二人の保護者役なのに」
赤井さんもしゃがみ込んで私の頭を撫でてくれた。
「俺も目を離して悪かった。とりあえず、これ以上なんも起きないうちに帰るぞ」
夏志さんは弟を抱えたまま、帰ろうと即す。怒った顔をしていたのは、目を離してしまった自分に対してだったらしい。
そのまま弟を抱えててください。地に足つけると何するか分かんないから!そいつ!!
「え!?帰っちゃうの?」
「その子達は何?」
「八神君の妹?」
状況が分からない女子達が引き止めようとする。
「悪いけどもう帰るよ。俺達今日はこの子達と先約があるんだ」
直也さんが私を抱き上げて、有無を言わせない甘い微笑みを女子達に向けた。
急な展開でもともと混乱していた女子達は、直也さんの微笑みに見惚れて押し黙る。
女子達が直也さんの微笑みにポーッとしているうちに、さっさと更衣室に向かってしまう。
正気に戻る前にさっさとずらかるに限る。
「逆ナン中も三人から離れないよう気を付けますね」
「草士は要注意だな。おとなしいから油断した」
「そのおとなしさも、やらかす為の布石ですよ。こいつの場合」
「油断なんねぇな」
「俺達も、次はもっと気を付けるから」
「また遊びに来ようね」
「はい」
今日の反省点を話しながら、帰路につく。懲りずにまた連れてきてくれるらしい。素直に嬉しい。
最期に一悶着あったが、こうして私の最初の泳ぎ練習は幕を閉じた。次は息継ぎを覚えたい。
あと不覚にも私はこの後帰りのバスの中で寝てしまった。そのまま起きられずに、直也さんに負ぶられて家に送り届けてもらった事を、夜に目が覚めた時、お母んから聞かされて知ることになる。
次回は体力配分にも気を付けたい。
余談だが、体当たりした相手が何故直也さんだったかと言うと……。
夏志さんの場合、避けられるのが目に見えているし、最悪とっさにカウンターをかまされるかもしれない。
赤井さんには、そもそも体当たりなんてしたくない。
取り乱したままの私は、取り戻した少しの冷静さで、迷わず直也さんに突っ込んだのである。
今後、もっと展開が飛びます。王山学園入学に向かって時間が進んで行きます。
途中で書きたい話が思いついた場合、いきなり話数の間に割り込む事もあります。読みにくいかもしれませんが、勘弁してください。