五歳児、夏「こいつ、盛りやがった!」
道場に通い始めます。古武術の知識とか全然ないですが、調べながら頑張りたいと思ってます。間違っていても暖かい目で見逃してもらえると嬉しいです。経験者の方、すみません。
天川花乃は今、絶賛ハシャギ中です。
今日は母に連れられ、弟と一緒に黒宮道場にやって来ている。男と母が話している横で、私は初めての道場という場所に、心の中ではしゃいでいた。前世の記憶の中にも道場に行った記憶はなく、テレビや漫画ではない本物の道場という場所にテンションが上がる。
飾られている神棚、掲げられている心技体の書、チリ一つなく磨かれた床、どこか神聖な空気を感じる場所だ。
ちなみに黒宮道場は、古武術の道場である。
「本当に久しぶりです」
「草士君が生まれた時以来か?近所なのに会わないもんだよな」
「あの時は出産祝い貰っちゃて。ありがとうございました」
「いやいや、うちの時も貰ったし。お互い様ってことで」
母たちが昔話に花を咲かせている。この母と話している男性がこの道場の師範で、我が父の幼馴染らしい。目つきが鋭く、甘さをそぎ落とした男らしい顔。背が高く、鍛え抜かれた細マッチョのワイルドなイケメン中年である。
私があと二十年早く生まれていたら……。とか思ってしまった。
「花乃ちゃんも草士君も大きくなったな。花乃ちゃんは久しぶりの女性門下生だ」
大きな手で私と草士の頭を豪快に撫でる。向こうはニコニコ笑っているが、こっちは上から頭をわし掴まれた気がしてちょっとビビった。草士を見ると無表情で固まっている。
小動物は上から触ろうとすると怖がるみたいな話を、どっかで聞いた気がする。
「女性の方いないんですか?」
「もともと少なかったんだけど、以前いた人たちが結婚とか出産とかで離れちゃってな。しかも偶然同時期にいなくなったもんだから、いきなり女門下生が一人もいない状態になっちまって。その後は女門下生は入ってこなくて今に到るわけだ」
「なるほど。先輩門下生に女性が一人もいないと、新規の女性は入りずらいですよね」
「そういうこと」
大人二人の会話を聞いていると、どうやら現在の門下生で女性はいないらしい。凶と出るか、吉と出るか。
「まぁ、一時期ドバッと入った事は入ったんだけど、すぐにドバッとやめてな…。正直あれを門下生と数えるのもなぁ……」
師範が溜息交じりに呟いた。何かあったのかな?
「花乃ちゃん。随分熱心に道場を眺めてたけど、どうだい?うちの道場は?」
「はい。道場という場所は初めてなので、何もかもが新鮮でおもしろいです。どこか神聖な感じがします」
師範に話を振られたので、さっき思ったことを述べる。師範は私の言葉に目を見開いて、母に確認するような目を向けた。私が子供らしからぬ言動をすることがあると、事前に両親から聞いていたのかもしれない。
「神聖な感じか。嬉しいこと言ってくれるけど、人がいないうちだけだぞ。夕方になって門下生がきたら、ゴツイ男たちであふれかえるからな」
「それはなんとも男臭い空間ですね…」
「……どこで覚えるんだ?そういう言葉?」
「言葉なんて世界にあふれてますよ」
「………」
師範が引き攣った笑顔で見てくる。まぁこんな幼児、そうはいないだろう。
門下生になる以上、黒宮道場の人間とは長い付き合いになる。私が外見通りの人間ではない事を理解してもらわなければ、色々面倒くさい。
師範は咳払いを一度して、気を取り直して話を進めだした。
「あー、今日から体験していくかい?」
「いいんですか?」
「あぁ、いいぞ。とは言っても二人とも小さいから本格的なことはまだだけどな。柔軟したり、体力作りからだ」
「はい。先生」
「道場では師範な」
「はい。師範」
門下生、第一日目が始まった。母はここで一回家に帰った。家事を終わらせて夕方迎えに来てくれる。
今は平日の昼過ぎなので、他の門下生は五人だけだ。基本学生は放課後、社会人は休日に通っているらしい。今いる五人は、三人は大学生で午後の授業がない日に来ているらしい。残りの二人は本気で武の道を志しているらしく師範代を目指しているようだ。
ちなみに私たち姉弟は、空いてる日の昼間に自由に来ていいということになった。
実は私は幼稚園に通っていない。
うちの母親は優秀な人で、弟出産後になるべく早く仕事に復帰してほしいと職場から懇願されていた。だから本当なら幼稚園か保育園に入れて、母は職場に復帰しているはずだったのだが、私のせいで出来なかった。少し前の私は、よく泣き叫ぶ子供だった。昼寝から覚めては泣き叫び、突然熱を出しては寝込み、訳の分からないことを話し出した。
そう、前世の記憶の整理がまだできていなかった頃だ。あの頃の私は、前世の人格との線引きができておらず、情緒不安定だった。そんな私を他人に預けるのは心配だった両親は、母の仕事復帰を遅らせて傍で見守ることにしてくれたのだ。
師範から道場の説明を受けた後、準備体操をして、柔軟を教わった。体の柔らかさは大事なので、じっくり時間をかけて行った。
その後は、体力作りも兼ねた道場の雑巾がけを始める。
確かにこれは体力いるな。真面目にかけているのだが、全然思った通りのスピードが出ない。ちょ、マジでキツイ。
この道場で小学生未満の門下生は我等姉弟だけらしく、皆微笑ましそうに見てくる。
こっちは必死なんですけどね。
すねた気分でちらりと弟を見ると、全然進んでいない。雑巾に手を置いて、足をバタバタさせているだけだ。
なるほど、これは確かに微笑ましい。本人が真面目なぶん、余計に可愛いな。皆の気持ちが分かった。これは微笑ましそうに見るしかないな。
「なんか小さいのがいる」
雑巾がけをしてると、知らない声が耳に入った。道場の庭に面した入り口に目を向けると、王山学園の中等部制服を来た少年が、カバンを肩にかけて立っている。今まさに学校から帰ってきたという姿だ。
もう放課後になっていたらしい。夢中になっていると時間が過ぎるのが速いな。
少年はキリッとした顔立ちで、目つきが鋭く、甘さのない男らしい美少年だ。師範に似ている。
「夏志、帰ったのか。花乃ちゃん、草士君。そこまででいいからこっちにおいで。紹介するから」
師範が少年の隣に立って、手招きする。傍に来た大学生に雑巾をわたして、弟と一緒に師範のもとに向かった。
弟を見ると、まったく進んでいなかったにも関わらず、やり切った顔をしている。本っ当に可愛いな、お前!
「息子の夏志だ。これから道場で一緒になるから仲良くしてやってな」
少年の肩を軽く叩きながら、紹介された。やっぱり師範の息子さんらしい。イケメンだなぁ。
「親父。この小さいの誰?」
少年・夏志はさして興味も無さそうに父親に質問する。もうちょっと興味持とうぜ。しかしカッコいいな。
「俺の友人の子供で、花乃ちゃんと草士君だ。今日から門下生になった。
確かお前も会ったことあるはずだぞ。ほら天川だよ。二人が生まれた時にそれぞれ祝いに行っただろ?お前も一緒に行ったはずだ」
「あー、なんか記憶にあるな。あの赤ん坊達か…。あんま天川のおじさんに似てないな」
じっと鋭い目で見られる。本当にカッコいいな。
いやいや、弟は父親似です。ただ、顔の造りは似てるけど、いつも人の好い笑顔の親父と、感情が顔に出にくい弟は、表情の違いで似ているように見えづらいだけなのです。
「天川花乃です。よろしくお願いします。こっちは弟の草士です」
「です」
ちゃんと自己紹介をする。弟よ。名前くらい言え。
「お前もふたりの面倒見るんだぞ。花乃ちゃん、分からないことは夏志にどんどん聞いてくれ」
「……まぁ、やる気があるならチビでもキッチリ面倒見てやるよ」
師範の言葉に、夏志さんはため息交じりで了承した。私も何か言おうと口を開いたが、乱入者によって遮られることになる。
「夏志ー。部屋いかないのか?」
覚えのある声が乱入してきた。庭に目を向けると、二人の少年が歩いてくる。
「あ、おじさん。お邪魔します」
「こんにちはー」
少年二人は師範に向かって、軽く頭を下げ挨拶した。
先に挨拶した方は、あの八神直也である。どうやら夏志さんの友人のようだ。マジか?
「チェンジで!!!!」
「「「「!!!???」」」」
突然叫んだ私に全員がビックリする。やばい。
「すんません。なんでもないです」
つい心の叫びが口から出てしまった。ぶっちゃけ八神直也より夏志さんの方が好みだった。夏志さんを攻略対象でゲーム作ってほしかったわ~。いや、もう現実の世界になってるから、ゲームうんぬん言っても仕方ないんだけどね。
叫んどいて、なんでもないような顔をしている私を四人は呆然と見下ろす。弟だけは飽きたのか、明後日の方向を見ている。弟よ、どこ見てんの?
「あれ?天川さんとこの…」
八神直也が私たちに気づく。あんな事件があった後だから当然だ。
「知ってんの?」
「あ~、うん。近所の子供……」
一緒にいた少年の質問に気まずげに答える。なんで気まずげ?
「あー!もしかして変質者にあったって子供?」
少年が分かったと、明るい顔で声をあげる。どうやら事件の噂が王山学園でも流れているようだ。近所の事件だし当然か。
「直也が変質者を撃退して助けたんだよな!」
「この二人がそうだったのか」
………………………。
「そうなのか?変質者の件は天川から聞いてたけど、八神君が助けたのか!」
「はい。なんでも直也が公園の近くを通りかかった時、公園で子供達に声をかけてる男を見つけたらしくて。保護者にしては怪しいなと思った直也が心配して見ていると、男が子供達を無理やり連れて行こうとしたんです。そんですぐに駆け寄って男を取り押さえたんですけど、子供達が泣き出したのに気を取られた隙に手を振りほどかれちゃって。
子供達の安全を優先して深追いしなかったから、変質者には逃げられちゃったんだよな?直也?」
……………………………。
「あー、まぁ……そんなカンジ…だったかな…」
「すごいじゃないか、八神君。お手柄だ」
「いや…そんなことは……」
「珍しいな。謙遜すんなんて」
八神直也は友人二人と師範の賛辞に顔を引き攣らせている。ちなみに先程からずっと八神直也をガン見しているのだが、まったく目が合わない。つーか、合わせてこない。おい!こっち見ろや!!
…………………………………。
こいつ、盛りやがった!
完全に話盛ってんぞ!おい!!私達を助けた話に、自分の活躍を脚色しやがった!いや、まぁ友人に対してカッコつけたい気持ちは分からんでもないけどね。ちょっと親しい友人に武勇伝として話しちゃったのな?思春期男子よ。
「今、学校では直也の活躍の噂でもちきりなんですよ」
「ほー。本当にすごいな、八神君」
学校中に言ってんのかーーーーーーーーーーーーい!?
「この話はこの辺で…」
「八神君は、花乃ちゃん達の恩人なんだな」
「…………」
「!!!」
目を泳がせながら話を打ち切りたがる八神直也に気づかず、師範は私に話を振ってきた。八神直也の顔が完全に引き攣る。
色々思うところはある。どんだけ脚色してんだ?とか思うさ。でも肝心なところ、彼が通り掛かったから助かったのは事実だ。恩人という一番重要なところは変わらない。だが、おいコラ。誰が泣いた!?
恩義と、思春期男子のガラスのハートの強度と、今後の人間関係と、一人の少年の立場と、腑に落ちない気持ちを混ぜ合わせて、私は口を開いた。
「はい。お兄さんのおかげで私も草士も助かりました。本当にありがとうございます」
私は笑顔で頭を下げた。
八神直也は一瞬驚いた顔をした後、すぐにホッとした顔をする。私に本当の事を暴露されると思っていたらしい。そんな恩を仇で返すようなマネはせんよ。
「いやぁ、当然の事をしただけだよ。あれくらい大したことないって」
満更でもなさそうな顔で謙遜しだす。さっきまでの気まずそうな表情はどこにいった?
「……ご謙遜を。あなたは私たちの恩人です」
あまり調子に乗りすぎると、自分の首を絞めることになるぞ。コラ。という思いを込めて笑いかけてやった。今、私の目は笑っていないことだろう。
「夏志!そろそろ部屋行こうぜ!」
八神直也は私の視線に込めた思いを感じ取ったのか、顔を逸らして友人達を即した。
「ん?あぁ、そうだな?」
「なんだ?夕方の稽古に参加しないのか?」
「テスト近いから勉強する。稽古は夜するよ」
「おお。分かった」
師範に告げて、夏志さんは八神直也と友人を伴い、自室のある母屋に去って行った。
「師範。八神さんはよく来るんですか?」
そそくさと去っていく背中を見つめながら、師範に質問する。
「あぁ。結構遊びに来るぞ。勉強会は必ずうちでやってるな」
私は師範の言葉を聞きながら、ゲームシナリオの八神直也と、現実の八神直也の印象に違和感を感じていた。
この後すぐに母が迎えに来て、家へと帰ることになる。
こうして黒宮道場門下生としての一日は終了した。
初日の道場訪問が月曜日で、火曜から土曜までの昼間の稽古に参加した。とにかく慣れるために、通える日は参加する。初日と変わらず本格的な稽古はせずに、柔軟と体力作りをした。先輩門下生達とも交流をもてた。平日の夕方に入れ違いになる学生門下生達とも、学校のない土曜日に顔を合わせる事ができる。歳の離れた大人門下生達の方が可愛がってくれるが、歳の近い小学生門下生達との交流の方が、気軽で楽しかった。
本来日曜日も稽古があるのだが、今週末は師範に用事があって道場は休みだ。
「なんでチビ達がいんだ?お袋」
道場が休みのはずなのに黒宮家に来ている私と草士を見て、夏志さんが母君に質問する。夏志さんの後ろには、遊びに来た八神直也と初日に一緒にいた少年の二人が立っていた。
「実は天川さん家ね、旦那さんは日曜なのに急な仕事が入っちゃったらしくて、奥さんの方はどうしても外せない用事があるらしいのよ。それで今日はうちで花乃ちゃんと草士ちゃんを預かることにしたの」
黒宮家母君はおっとりとした和風美人だ。フフフと笑いながら息子に説明する。
「……お袋。今日は出かけるって言ってなかったか?」
夏志さんが憮然とした表情で母君に確認する。
「ええ、そうよ。もうそろそろ出るわね」
母君は笑顔のまま息子に答えた。
「親父も夜まで帰って来ないんじゃねぇの?」
師範は本日、出張で護身術講座に行っている。
「そうよ。だから今日は道場お休みなんじゃないの」
母君は何を当たり前の事を言ってるの?と、おかしそうに答えた。
「…………誰もいないのにどうすんだよチビ達?」
「やあね。夏志がいるじゃない」
母君はおかしそうに笑いながらアッサリ答えた。夏志さんの顔には青筋がたっている。
「俺、テスト前でこいつらと勉強すんだけど」
後ろに立つ二人を顎で指しながら言う。顔が引きつっている。
「家にいるってことでしょ?なら問題ないじゃない」
母君は笑顔で言い切った。
「…………」
夏志さんは母君の言葉に絶句している。
「それじゃあ花乃ちゃん。おばさん出かけるから、困ったことがあったら何でも夏志に言ってね。八神君と赤井君もゆっくりしていってね」
母君は息子が固まっているわずかな隙に、サッと鞄を持って玄関に向かう。その動作は素早い。
「ちょっ!?お袋…」
「お母さん急ぐからあとはお願いね、夏志。夕方には、天川さん迎えに来てくれるから。行ってきます」
玄関の戸が閉まる音が響いた。
夏志さんが引き止める間もなく、言うだけ言って出かけてしまった。その場の全員で、母君が出て行った玄関をしばし呆然と見つめる。
おっとりとした見た目だが、押しの強い御人だったんだな…。
「お気遣いなく。おとなしくしてますんで」
黙って事の成り行きを見ていた私は、夏志さんの服を掴んで話しかける。夏志さんがすでに疲れた顔で私を見下ろした。
「遅くなりましたが、今日はお世話になります。よろしくお願いします」
弟の頭に手を置いて、一緒に頭を下げさせながら挨拶をした。面倒かけます。
というか、この展開は私も知らなかった。中学生男子がいきなり幼児二人の世話とか、母君チャレンジャーにもほどがあるっしょ。うちの両親は知っていたのだろうか?
頭が痛そうにため息をつく夏志さんに同情した。気まずい空気が流れ、弟を除いた四人で探るように視線を交し合う。この後どうしよう?
とりあえず中学生三人と幼児二人で夏志さんの部屋に入る。八神直也達は帰ると提案したが、夏志さんが却下した。どうやら幼児二人と残されるのが嫌だったらしい。
私は別室でおとなしくしていると言ったのだが、幼児二人を目に入らない別室に放置する事は抵抗があったようで、私の提案も夏志さんに却下された。
これは後日気づいたことだが、私と弟の扱いに困っていたと思っていた夏志さんは、どうも弟は特に問題にせず私一人の扱いに困っていたらしい。夏志さんは一人っ子だが、年下の男子の面倒は道場でずっと見てきた。どうやら女の子である私の面倒を、どう見ていいのか分からなかったようだ。
「絵本とか特にねぇんだけど」
テーブルに教科書とノートを広げながら、夏志さんが気まずそうに私を見てくる。他の二人も勉強会を中止して遊ぼうかと言ってくれたが、丁重に断った。学生の貴重なテスト前の時間を潰させるのは心苦しい。
夏志さんの部屋を見て、勉強会は必ず黒宮家で行う事に納得した。夏志さんの部屋はキチンと整理整頓されていて、勉強中に気を散らせるような誘惑物が全然ない。これは勉強会にむいている。
当然、幼児が興味を持つような物も全然ないわけだが。
「大丈夫です。遊び道具は持ってきてますから」
そう言ってカバンからラクガキ帳とクレヨンを取り出して、弟にわたしてあげる。これで弟はおとなしくしているだろう。絵本も持ってきているが、勉強している横で弟に読み聞かせては邪魔になってしまうので出さないでおいた。
「何かほしいもんあったら、声掛けろよ」
「はい」
私に一声掛けて、中学生三人は勉強会を開始した。
「直也、この問題なんだけど……」
「これはこの公式を使うんだよ」
「英語のノート見せてくれないか?直也」
「いいぞ。ほら」
弟の面倒を見ながら、勉強会を観察する。基本的に八神直也が教え役のようだ。夏志さんともう一人の少年が主に質問している。
少年の名前は赤井 隼人というらしく、玄関で自己紹介してくれた。サラサラの茶髪で、アイドル顔の美少年だ。明るく気さくそうな少年である。
みごとに顔面偏差値の高い三人が集まったもんだ。タイプの違うイケメンが三人で固まっていたら、女の子は入れ食い状態間違い無しだな。さぞ学校でモテることだろう。八神直也が教師になるのを待たなくても、こいつらを攻略対象にして乙女ゲームが作れそうである。
「ん」
三人を眺めていると弟が声を掛けてきた。なにか描き終ったらしい。
ラクガキ帳を覗き込むと、赤い目玉のようなものが三つある黒く塗りつぶされた丸い何かが、紙いっぱいに描かれていた。
「………」
弟の中に闇を見た気がする。現状に何か不満でもあるのだろうか?
そっと弟の頭を撫でてやると、満足そうに次のページに新しい絵を描き始めた。頼むから次は違うものを描いてほしい。
青と緑のクレヨンを握って睨みつけている。どうやら画伯は次の絵の構想に悩んでいるようだ。弟が次の絵に集中しだしたので、また三人に目をむける。
夏志さんの横に使ってない数学の教科書が置いてある。
「これ見てていいですか?」
教科書に手を伸ばして質問した。
「は?別にいいけど……」
「ありがとうございます」
「ははは。勉強ごっこかい?花乃ちゃん」
「まぁ……」
赤井さんに適当に返事して教科書を開く。三人はごっご遊びをしていると思って、微笑ましそうに笑っている。
実は前々から考えていたことがあった。
私には前世が学んだ小学校から大学受験までの知識がある。だが知識とは、ほおっておくとドンドン忘却という形で失ってしまうものである。ましてや私の知識は自分で努力したものではない。知っているだけで考える力が身についていない分、失うのは簡単だろう。
せっかくのアドヴァンテージを失いたくはない。前世の知識を復習する機会がほしいと思っていたのだ。
次の機会があるか分からないので、私は教科書を集中して読む。
「そろそろ昼飯にするか」
集中していると夏志さんが皆に声をかけた。壁の時計を見ると一時くらいだった。
「そうだな」
「頭使ったら腹減ったー」
八神直也が同意して、赤井さんは肩をほぐしながら空腹を訴える。どうやら三人は事前にコンビニで買ってきたパンを食べるらしい。コンビニの袋をあさり出す。
「お前らは昼あるのか?ないならなんか買ってきてやるけど」
「家から持ってきたお弁当があります。痛まないようにおば様が冷蔵庫に入れてくれました」
夏志さんの質問に答えた。気を使ってお弁当を持たせたのかと思っていたが、黒宮家母君が出かけるのを知っていたからお弁当を持たせてくれたのか。どうやらうちのお母んは、この展開を知っていたらしいことに今気が付いた。
「じゃあ持ってきてやるから、待ってろ」
「あ、飲み物買ってくんの忘れた!俺ちょっとコンビニ行ってくるな」
夏志さんに続いて赤井さんが腰を上げる。赤井さんはそのままサッサと部屋から出て行ってしまった。コンビニは道場の近くにある。門下生の多くが便利に利用している店だ。
「なんかついでに買ってくるものあるかー?」
廊下から赤井さんの声が響いてくる。
「じゃあ、コーラ」
「サイダー」
「りょうかーい」
赤井さんが玄関から出ていく音が聞こえ、夏志さんも部屋から出て行った。
当たり前だが、八神直也と部屋に取り残される形になるわけだ。
「…………」
「……………」
気まずい!!
うわああああ!気まずいよ!!なにこの空気!?
玄関で会った時から思ってたが、この人ずっと私と目を合わせないようにしてんだよな。話し盛った事を気にしてるんだろう。だから自分の首絞める事になるって言ったんだ。いや、言ってはないな。思っただけで。
今も私と目を合わせないように、不自然に壁と向き合ってる。二人がいなくなったから、目の逸らし方が露骨になっていた。
私が怒ってるとでも思ってんのかな?いえいえ、怒ってませんよ。恩人だしね。思春期男子がカッコつけちゃうのは仕方ないことだし!特に中学生なんて一番激しい時だしね、自分プロデュース。あれ?これ偏見??
別に怒ってないって言ってあげた方がいいのかなぁ。実際怒ってないわけだし。呆れてるだけで。
でも何て切り出せばいいんだ?つーか、私から話しかけるのか?オッカーン助けてーーーー!!
「ん」
草士がいつのまにか八神直也の背後に移動していた。一枚の紙を差し出している。絵のようだ。
「俺にくれるのか?」
「ん」
「えっと、ありがとう」
八神直也は、少し照れながら弟から絵を受け取った。場の空気が少しほんわかする。
弟ーーーーーー!!よくやった!お前はやる奴だと思ってたよ、姉ちゃん。
そうそう、これだよ!子供特有の無邪気な可愛さと微笑ましさ。今まさにこの場の空気を打ち壊すのに必要だったのは、これなんだよ!!
ほんわかした気持ちで、そっと弟の絵を二人で覗き込むと、そこには幼児らしく単純な形を組み合わせた絵が描かれていた。丸の中に二つの点と一本の短い線が描かれているのは顔なのだろう。だとすると縦に長い四角に左右から一本ずつ、下から二本の線が出ているのは身体か。胴体は赤に塗りつぶされている。ものすごく簡略化された人間の絵のようだ。
……ただこの絵、あきらかに頭と身体が切り離されている。
紙の真ん中でポツンと立っている身体の足元に、頭がコロンと転がっていた。点で表現されているだけの目だが、真っ直ぐにこちらを見てきている気がしてくる。胴体が赤く塗りつぶされているのも、何やら意味深に思えてきた。
弟ーーーーーーーーーーーーーーー!!??やりたがった!お前はやる奴じゃなくて、やらかす奴だった!!お前のこと見誤ってたよ、姉ちゃん。
なにその絵!?どういうこと?どういう意味が込められちゃってんの、それ!?なんであげたの!?
たしかに空気は変わったよ!悪い意味でな!!気まずい空気なんてレベル、軽く突破しちゃったよ!! この場の空気を打ち壊すどころじゃないぞ、これは!!場の空気をぶち壊すために、より凶悪な爆弾投下したようなもんだよ!!
見てみろ!どうすんだ!?八神直也の奴、固まっちゃったよ!顔、真っ青だよ!どうすんの!?
んでもって弟!なんで満足そうな顔なんだよ!?つーか、青と緑で悩んでたんじゃないのか!?どっちも使ってねぇーじゃんか!! ホントになんなの!!?嫌いなの!?八神直也のこと嫌いなの!!?
あぁぁぁぁぁ。とにかく何か言わないと。姉として弟のフォローをしなければぁぁぁぁ。何か上手い言葉を捻り出せ!!その絵は変な意味じゃないんだって納得できる理由をこじつけるんだ!!今こそ開花しろ!私のフォロー力!!
「テーブルの上、片付けた方がいいですよね」
私は作り笑いをしながら、テーブルの上の教科書とノートに手を伸ばした。
無難!!間違ってないけど。確かに昼飯食べんのにテーブルの上は片した方がいいけど!問題の解決になってないよ!!フォローしないと!!でも、あの絵をどうやって??
どんな角度から見たら、あの絵が好意的に見えるようになるのか。考えても答えはでない。
「そうだな。片付けようか」
八神直也も作り笑いで、テーブルの上に手を伸ばす。私達の目が今日初めて合い、「ハハハ…」と乾いた笑いが二人分、部屋に響いた。
どうやら、場の空気を変えたいという気持ちは伝わったらしい。とりあえず、互いに表面を取り繕うことにする。というか、「あの絵の意味について触れたくない」という気持ちが、二人の中で一致した。
「…お!?」
無言でテーブルを片していたが、やりかけの問題集が目に留まる。
「ここ間違ってる」
「え!?」
間違いを見つけ、つい口に出してしまうと八神直也が反応した。
誤魔化そうとも思ったが、間違いに気づいて知らんぷりするのも気が引けたので、子供らしからぬことを、とことん開き直ることにした。
「ここ。使う公式が間違ってます。ここで使うのはこっちの公式です」
「あ、そうか。本当だ」
問題集を指して説明すると、八神直也はすぐに理解する。驚いた顔をして、問題集を呆然と見つめていた。
ざっとテーブルの上のノートと問題集に目を通すと、他にも間違いを見つける。廊下の気配を探って、まだ夏志さんが戻って来ないのを確認して、他の間違いも教えてあげることにした。
八神直也は不思議そうな目を私に向けてくるが、私の口から出るのは自分にとって有益な内容なのでツッコんでは来ないようだ。夏志さんが戻ってくる前に終わらせたいという私の思いを、感じ取ったのもあるかもしれない。空気の読める男で助かる。
八神直也はゲームの設定通り、成績がいいらしい。説明したらすぐに理解する。おかげで時間は全然掛からなかった。説明が終わって、テーブルの上の物を全部降ろし終えたところで、夏志さんがお弁当箱を持って戻ってきた。
「?随分、仲良くなったな…」
八神直也の隣に並んで座っている私と弟を見て、夏志さんが不思議そうな顔をする。
「ははは。まぁな」
八神直也は私の頭を撫でながら、誤魔化すように笑った。私もとりあえず笑っておく。
ちなみに弟は、私の膝に頭をグリグリ押し付けている。眠いのかもしれない。
「ほら。これだろ」
「ありがとうございます」
夏志さんが小さなお弁当箱を二つ差し出してくれたので、お礼を言って受け取る。
「おかずを詰め合わせたタッパーも一緒にあったんだが、これもそうか?」
「はい。お母んが皆で食べてねって言ってました」
てっきり母君とかと思っていたが、夏志さん達とって意味だったようだ。どうりで大きいと思った。
「へぇ。それじゃあ、ありがたくご馳走になるか」
「ただいまー」
夏志さんがタッパーをテーブルの真ん中に置いたところで、赤井さんが帰ってきた。
「ほい、コーラとサイダー。あれ?何このおかず?」
赤井さんは二人にペットボトルを手渡しながら、テーブルの上のタッパーに目をやる。
「天川さん家からの差し入れだってさ」
「マジで?やったー。パンだけじゃ足りなかったんだよね。ゴチになります」
赤井さんの明るい声を合図に皆で手を合わせる。
「「「「いただきます」」」」
「ます」
食事中はこれと言った事もなかったので、省略するとしよう。
しいて心に残った事と言えば、弟が可愛かったという事くらいだ。小さな両手でサンドイッチを口いっぱいに頬張っている姿は、ハムスターを連想させた。なんでこんな可愛い生き物から、あの絵が………いや、考えるのは止そう。
そういえば、赤井さんが私と草士にシュークリームを買ってきてくれていた。片付け中に気付いたのだが、飲み物を買い忘れたと言って出て行った赤井さんの鞄の中に、お茶のペットボトルが入っているのが、わずかに開いたファスナーの隙間から見えた。疑問に思っていたが、どうやら飲み物は口実で、始めから私と弟に何か買う為にコンビニに行ってくれたのだろう。気を使わせないように、ついでに買ってきたフリまでして。私は今日、真のイケメン力を知った。これがイケメンか!
昼食後、中学生三人は勉強会を再開し、私はその横で教科書を読む。弟はお腹がいっぱいになって、本格的に眠くなったようだ。床に転がっている。ピクリとも動かないのが、ちょっと怖い。
「眠いならベッド使っていいぞ」
夏志さんが弟を見て、ベッドで寝ることを進めてくれた。
「ありがとうございます。草士、起きて」
私はお言葉に甘えて弟を寝かせることにする。
「むう…」
「ほら、起きて。すみません。先にお手洗い貸してください」
「あぁ、場所は階段下りてすぐだ。付いてかなくて平気か?」
「はい、大丈夫です」
弟を立たせて、寝かせる前にトイレに行かせておく。人様のベッドでオネショとか、全力で避けたい。
眠そうに眼を擦る弟の手を引きながら、廊下に出る。
門下生は道場の横にあるトイレを使うので、母屋のトイレには行ったことはないが、よっぽどの豪邸でもない限りご家庭のトイレなど作りも場所も似たようなものだ。階段を下りるのに気を付け、弟を連れて人様の家を突き進んだ。
ほどなくトイレを済ませて、部屋に戻るため足を進める。ふと、直感めいた何かを感じ、弟を気にしながら階段を上り切った所で、足を止めた。弟と手を繋いでいない方の手の人差し指を立てて、口元に持っていき、「静かに」と弟にジェスチャーで伝える。弟は無言で首を縦に振った。
もともと軽い足音を消すのに苦労はなく、部屋の前まで進む。隣に立つ弟に手の平をかざし、「そのまま待て」とジェスチャーで伝えてから、音をたてないよう神経を使って、ドアをほんの少し開けた。
「……で、こうなるからこの問題はこの答えになるんだ」
「へぇ、なるほど。さすが直也。こっちは?」
「これは、………で、この公式を使って、答えはこうなる」
「なるほど~」
「こう覚えれば簡単だろ?」
「本当だな」
部屋の中では、八神直也が二人に勉強を教えている。
「なんか今日の説明、いつもより分かりやすいな」
「ホントホント♪直也いつも以上に冴えてんじゃん」
「いや、そんなことないって。これくらい大したことじゃねぇし」
「謙遜すんなって」
友人の言葉に謙遜しながらも、八神直也は満更でもないようすだ。
「直也って塾も家庭教師も受けてないのに、ホント頭いいよな。こっそり通ってたりしないよな?」
「行ってねぇって。生徒会とか学校行事にも専念したいからな。自主学習で充分だし」
「もうすぐ生徒会選挙だな。引退してからもどうせ顔出すんだろ?生徒会長?」
「まぁ、引継ぎとか色々あるしな」
「そんだけ色々やってて、成績いいんだからなぁ」
「別に普通に勉強してるだけだっての。それよりこの問題は……あ゛!!」
八神直也が言葉の途中で、顔を引き攣らせた。赤井さんと夏志さんが、八神直也の視線の先を見る。
そこには、わずかに開いたドアの隙間から部屋の中を覗っている幼女の姿があった。
………まあ、私なんですけどね。
「何してんだ?」
「どうしたのさ、花乃ちゃん?中に入りなよ」
「…失礼します」
夏志さんと赤井さんに即され、部屋に入る。そのまま弟をベッドに寝かしつけた。
「直也。問題の続き教えてくれ」
「え!?あー、うん……」
「どうかしたのか?」
「いや!別になんでもない」
八神直也が気まずそうに眼を泳がせている。
どうした?私のことは気にせず、説明の続きをしたらいいじゃないか。
私がさっき説明した通りの説明をそのまま……。
弟のお腹をポンポンと軽く叩きながら、八神直也の様子を覗う。
私はうすうす思っていた事を確信した。ゲームの設定に書かれていなかった八神直也という人間の性格。八神直也は見栄っ張りだという事を。
私を気にしながら説明の続きをする八神直也を見ながら、私はある考えを思いつく。
私は近いうちに、単独で八神直也と接触する事に決めた。
次回、攻略対象一人目、八神直也と仲良くなってます。なるべく早く王山学園編を始めるため、幼少期は時間とばし気味で進みますので、ご了承ください。