終わりのはじまり 2
「そんな旦那様! ココネちゃんは――」
そう抗議しようとした自分の眼を、旦那は底冷えのする視線で射抜いた。文句を言う召使いなど必要ないんだぞ。とその双眸は如実に語っている。
「困ったことにあいつはこれのせいで息子が病気にかかっていると、本気で思っているようだ。もちろん私はそうは思わない。が、騒ぎ立てられると面倒だ。だからその前に捨ててこいと言っているんだ」
旦那の言葉は有無を言わさない。それが主人と使用人との絶対的な距離である。
そしてココネのことをこれと呼び何食わぬ顔で捨てろと命令する。ドールのことをその名の通りに人形だとでも、本当に思っているような言い分だ。
ココネは人形でもないし、捨てる捨てないの範疇の存在ではないのに――
「はい――」
それでも実際に異を唱えることはできなかった。
答えてうなずいて、放るように投げられたココネの手を受け取ってしまう。
逆らえばココネだけではなく、自分自身も野に放たれるだろうことは明白だった。
――だから、仕方のないことなのだ。
心に蓋をして、ただそれだけを言い聞かせ、旦那に一礼してその場を去った。
右手にはココネの重み。
人のそれと比べてあまりにも軽いその感触。それでも離れることに抵抗を試み、反発する力を感じたが、それも障害になるほどではなかった。
屋敷の裏口に出る。
もう秋から初冬へと季節は移り変わろうとしてる。そんな時分に外に出るだけで、その寒気に鳥肌が立つ。
隣のココネを見おろす。
肉もほとんどついていない貧相で小さな身体が受ける凍えは、いったいどれほどのものだろうか。
どうしてこんないたいけな子を、今こんな時に屋敷から放り出さねばならないのか。
このままではたちまちのうちにその命の灯火は、儚くも消えてしまうに決まっているのに。
自分の置かれている状況を理解しているのかしていないのか、ココネは旦那と対峙した時のように怯える様子はない。
むしろ――不惑を決め込み一心に前を向いているようにさえ見える。その瞳は何も映さないはずなのに。
そういえば、旦那の前から連れて行くときに初めはぐいぐいと抵抗している感じがしたのに、途中からは逆にこの小さな手に引っ張られるようだったことを思い出す。
「ギター」
それまでずっと黙っていたココネが空っぽの両手を持ちあげて呟いた。
「ギター?」
その単語を頭で思い浮かべる。
楽器だ。そういえばココネに合うよう特注で令息が作らせたものがあったはずだ。それを嬉しそうに抱えるココネの姿を何度も見たことがある。
おそらくもうこの屋敷に帰ってくることも、令息の好きな音楽に触れることもできないだろうに。どうして今さらそんなものを求めるのか。
やはりココネは今の状況を理解できていないのかもしれなかった。
「待ってて」
それでも求められた通りにそれを、律儀にもとりに向かった。
これが今生の別れとなる。せめてそれぐらいの願いは叶えてあげたかった。
虫のいい話かもしれない。




