予兆
体の感覚は過敏に過ぎた。
大して力を入れていない筈なのに体が余分に動いていく。
腕を伸ばす。
肩が突っ張るように痛くなる位に伸びようとする。
抑制するのに神経を尖らせるが、尋常ではない集中力が必要になった。
昨日以来、この感触に慣れてきたと思っていたが、更に高度に抑制しないと体が壊れそうな気がする。
上にレーヴェ先輩がいるのだけど、いざともなれば助けてくれるのだろうか?
いささか自信はない。
海水がもたらす浮力のおかげで体躯のコントロールは徐々に慣れていった。
ブレーキがかかるように抵抗があるから助かる。
とても助かる。
それでも最初のプレートを海底から拾い上げるのに相当の時間をかけてしまった。
二つ目もかなりの労力を必要とした。
体は動くのに心が折れそうな感覚が続く。
これにも慣れたらどうなるのか。
また感覚が過敏にされていく事になるのかも知れない。
生身でありながら改造されているような気分だ。
最後のプレートはかなり面倒な場所に嵌っていた。
ちょうど隙間の間に落ちていて、腕を伸ばしても触れるが掴む事が出来ない位置だ。
ほんの少し苛立ちを感じてしまう。
手を伸ばして掴みやすいように位置をずらしていこうとするが上手くいかない。
場所を確認して覚えると、今度はプレートの位置を見ないで肩口から思いっきり伸ばして取る事にした。
どうにかプレートを掴めたようだ。
これでようやく昼食にありつける。
そう思うとほんの少しだけだが達成感を得られた。
ゆっくりと海面に向かう間、周囲の風景を愛でる余裕も持つ事が出来た。
「どうやら使ったみたいだねえ」
所長の思惑に囚われた娘達の寝顔を見ていると少しだけ心が痛んだ。
あの坊やは自覚なしでサイコキネシスを使い始めている。
一つ進んだとも言えるが、危険をも抱え込む事になる。
今は基礎中の基礎、知覚系の能力を強引に拡大している最中なのだが、念力系にも影響を与えているようだ。
スニールはニコライと思考同調した感想を、掴みどころがない、と思った事だろう。
それは正しいと思うのだが、私は別の見方をしていた。
底が見えない。
個性もない。
理解の範疇を超えているのだった。
目の前で寝ている娘達にもどんな影響があるのか、知れたものではない。
今も思考同調で確認しているが、思考領域の広さが以前よりも拡大しているのが分かっている。
互いが互いの能力を高めあうケースがあるのは知っていた。
だがこの娘達三人が三人とも、となると偶然では済まされない。
所長の能力。
劣化版の六神通が揃っているだけ、と卑下しているのだが、それ所ではない。
所長もレオンも私が知る限り、異能者としても規格外に過ぎる。
国家権力ですら距離を置いて遠慮を見せる相手というのは、それだけで尋常ではない事を示している。
スニールはいざともなれば、所長やレオンを抑制する役目を自任しているようだが、果たしてそれは可能なのだろうか。
その上にあの坊やだ。
潜在的な脅威は所長並みかもしれない、と私は思っている。
そしてその脅威はこの娘達も無関係ではいられないだろう。
今夜は危うい試練となるのかも知れなかった。
息子達の事を少しだけ思い出していた。
母親が異能者だと知ったあの時、息子達の感情を読み取った事を今でも後悔している。
例え家族であっても異能の力はその絆を断ってしまうものなのだと知った。
思い知らされた。
この島で過ごしていると、異能者であり異端者でもある事を忘れていられた。
現代の魔女狩りに遭遇する事もない。
実験台として国家権力に縛られることすらないのだ。
小笠原諸島そのものが南の楽園と言える環境だが、別の意味でも楽園なのだ。
だからこそ、この三人の若い娘達には幸せになって欲しかった。
自分みたいにならないよう、心から願う。
そしてあの坊やも。
彼がこの楽園に何をもたらすのだろうか。
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宇宙軍はどこの部隊も沸騰するような熱を帯びているようだった。
そんな中でも絶対零度のように怜悧な頭脳が集結していた。
統合幕僚本部に集まった参謀達は、集められた資料に目を通すと知力を用いた格闘戦を演じていた。
分析、プラン策定、シミュレート、精査、再度分析、その繰り返しだ。
その全ての工程に並列有機コンピューターによる支援も加わっている。
強行すべきか。
静観すべきなのか。
突破口は中々見つからなかった。
局地戦では最も有効と思われる反物質弾頭の使用まで持ち出して、可能性を探っていく。
幾つかのアイデアが提案されては却下されていった。
「停滞フィールド?」
軍技術部にも籍を置いていた参謀の提案は、支援AIによる判定で次善策として保留にされていた。
物理的な変化を拒否する技術。
エントロピー傾斜を極限的に緩やかにする事で、物理的変化をも緩やかにするのだ。
イメージで言えば、そのフィールド境界では時間が止まったように感じるだろう。
だが問題がある。
「現在、軍用の試験機はありません。木星開発財団に貸与された観察機に使用されてますが」
「今から量産でもしろと?」
「いえ、反物質燃料生産プラントの設備を流用することで実用化は比較的可能ですが」
「問題はあるなら今のうちに言え」
《小型化は困難です。大規模なエネルギー源を要します》
電子能の指摘に参謀長も不満顔だった。
「出来もしないことを検討しても意味はない。別の突破口を探せ!」
《いえ、検討の余地はまだあります》
何を言っているのだ?
《強襲揚陸艇に大型機動兵器群を搭載すれば可能性があります》
「発振機のエネルギー源に搭載機を使うのは問題なさそうです」
《問題になるのは必要になる反物質燃料の量です。莫大な量が必要でしょう》
「あのナノマシン群体を封じ込めた後の算段も別途必要でしょう。電磁フィールドで可能と考えてますが」
なんだ。
結構具体的に進んでいるじゃないか。
「主電子能にプランを精査させる。検討事項を公開しろ」
《了解》
複数ある支援AIも役目を再編成してプラン精査に半分を割り当てた。
時間はかかるかもしれない。
だが解決に向けて実績を残さねばならない。
政権内部の裏側で失点を突くような輩が蠢いているのは分かっていた。
軍そのものの屋台骨を揺るがすような介入は早いうちに排除しなければならない。
幕僚総長が官邸から戻ってこないのも気になっていた。
一方で外務官僚は各国大使と弁務官を相手に不毛な折衝を重ねていた。
事務次官補は他省庁との駆け引きに終始していた。
外交は外交で軍に対する不信感が溢れかえるような有様になっていた。
事務次官が内部統制に専念しなければならない事態だ。
地球圏連合の首都とも言えるツバル・サークルは、緊張を伴った一日をジリジリと炙られるように過ごす事になった。
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昼食の時間にビッグ・ママに呼ばれて起きたら彼はいなかった。
結局、ちゃんと話をする時間はとれていない。
気にならない筈がなかった。
私もケダモノなんてニコライに言っちゃったけど、どちらかと言えば私達の方がケダモノだろう。
かなり凹んでいるのだけど、ミランダとパメラはあっけらかんとしたものだ。
挑発する相手がいないから格好もおとなしくなっているけど、昨日までとはまた違った危険な匂いがする。
この半年、ジリジリと灼かれるようにこの想いは育んで来たけど、彼女達もまた同様だ。
期待はある。
経緯があんなだったから、拒否されていないか心配だったけど、そこがクリアされたら次をもう望んでいる。
それは彼女達も同じことだろう。
負けるものか。
昼食後は自室待機扱いになったから、少しは心の整理もできるだろう。
そう言えば昨日から変わった事がもう一つある。
通信網は百年どころか、三百年ほど先祖返りしているのだ。
宇宙方面の情報はまるでない。
真由からはテキスト文書のメールが来ていた。
これまた前時代的だけど、容量制限がかかっているのだろう。
「リトル・マム。情報制限についてインフォメーションは?」
《昨日から改善した形跡はありません。改善する見込みも悲観的かと》
「ネガティブな情報しかないってこと?」
《肯定です》
真由の送ってきたテキストを仮想ウィンドウに表示する。
訓練生時代の同期の話題に仕事の愚痴だった。
彼女は日本列島での生態追跡調査を担当しているのだが、宇宙からの位置情報確認ができないと仕事にならない。
私なら罵詈雑言で埋めるだろうけど、彼女は随分と品がいい。
でも彼女には珍しい怒りの表現が目立った。
ヒグマの生態を追っかける友人には同情するしかない。
返信を音声認識でテキスト化しながら読んで行くうちに気になる点もあった。
日本本土側でも不穏な雰囲気があるのだと言う。
物資の逼迫。
政情不安。
この二つが地上世界を掻き回しているのだろう。
彼女の懸念も分かる。
混乱が混乱を生み、疑念が膨らんでいく。
地上の先進国家がどう動くことになるのか、誰もが気がかりになる所だった。
とはいえ今の私にできる事はない。
ビッグ・ママには自室で寝ていろと言われているけど、やはり気になってしまう。
彼は本当に大丈夫なのだろうか?
レーヴェ先輩はああ見えて能力訓練に関しては厳しい。
思考同調はしてないけど、この距離なら様子を探るのは苦にならない。
ニコライはまだ思考閉鎖はできていないだろう。
知覚を一気に拡大して彼の姿を探す。
クルーザーはすぐに見つかった。
レーヴェ先輩に気付かれない様に注意を払いながら、彼の姿を探し続けた。
どうやら運転席で遅い昼食を済ませようとしている所だった。
彼の思考に触れようとしたその瞬間。
『はい、そこまで』
邪魔が入った。
ビッグ・ママの思考なのだとすぐに分かった。
もしかして、待ち構えてた?
『様子を見るまでは許すけどね、接触は許すつもりはないよ』
「でも」
『あんたで三人目。気持ちは分かるけどね。今は坊やも大事な時間なんだからダメなものはダメ』
三人目って。
ミランダ。
パメラ。
二人とも出し抜こうとしてやがったか。
『感情が読めるよ。頭を冷やすことだね』
しまった。
思考閉鎖が上手くいってない。
普段ならこんな事はないのに。
『ペナルティはないけどね。あんたも今のうちに寝ておく事だね』
それだけ言い残すとビッグ・ママの思考が消えた。
再び彼に思考接触を試みる度胸はない。
次に発覚したら明確なペナルティがあるだろう。
それにしてもどうしてこうも上手に自分をコントロールできないのか。
恋する感情に振り回される自分が信じられなかった。
それはさておき。
ミランダとパメラを捕まえたら何を言ってやろうかしら?
母島ではフィールドワークだ。
とは言っても宇宙からの電波がないのでは位置情報を元にした追跡調査はできない。
いつものルートを巡回するだけになるのだけど、集中力が途切れそうになるのが辛い。
体はちゃんと動く。
それだけにもどかしかった。
レーヴェ先輩はサクサクと進んでいってしまう。
記録用カメラにレーザー計測器は当然ボクが運んでいる訳だけど、先輩は本一冊に小型の携帯端末だけだ。
不条理。
だがボクはまだ一番の下っ端なのだった。
悲しいけど仕方がない。
いつも中継点にしている高台で先輩は待っていた。
ここからの風景は晴れていたら見事なものだ。
風に含まれる木々の匂いも普段よりも濃く感じられる。
心地よかった。
「さて、ニコライ君。ここで少しレッスンとしよう」
レーヴェ先輩は飽くまでも朗らかだが、言葉にはある種の厳しさが含まれている。
拒否権なしだ。
「今、君の感覚はこれまでになく鋭敏になっている。その感触を忘れないでね」
そう言うと肩に手を置く。
あっという間にあれほど厄介だった感覚が消え去っていった。
いや。
今度は感覚がなくなっていく。
これはこれで厄介だ。
匂いも感じなくなっている。
「さあ、次だ」
また感覚が一気に鋭くなっていく。
そしてまた鈍っていく。
その繰り返しだった。
「では次はゆっくりと行くよ。君も意識して調整するんだ」
「あっと、はい」
先輩の感覚を追随するように徐々に感覚を合わせて行く。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
背骨の最下部から脳裏へ、背骨を駆け上がる何かを感じた。
思わず体が激しく震えてしまった。
「いいよ、続けて」
「はい」
駆け上がる感覚は続いていく。
感覚をなくしていく間でもそれは続いていた。
これって何なんだろうか?