転換
「強行できない?」
《武装制限なしでも成功確率は半分ないものと推定》
「パージすらできそうにないとは、どうなっているのです?」
《メイン・シャフトに取り付かれていたら無意味になる可能性があります》
「確認を早くなさい」
《了解》
屈辱。
それだけが頭にあった。
失敗。
それが許せない。
自分の汚点として記録に残る事になるのだろう。
主席就任以来、碌な事がない。
「記者発表はどうなっているのです?」
《作成精査済みです。想定評価項目は精査中》
主電子脳でも仕事が間に合わない事があるようだ。
少しだけ新鮮な驚きもあったが、頭の中はそれどころではない。
官房付武官が何事かを耳打ちしているのが見えた。
どうでもいい事なのにイラついてしまう。
三つある軌道エレベーターの奪還に全て失敗。
その文面が脳内を占めていた。
マスコミがまた好きなように煽ることだろう。
小型偵察機を侵入させてあるそうだが、確実に情報が得られるとは思えなかった。
救いがあるとすれば、宇宙港にいた民間人や職員が全て脱出できていることだろう。
純粋に宇宙港、いや、軌道エレベーター施設を占拠した構図になっている。
政府の外交筋は今やフル回転で各国の大使や弁務官の相手をしなくてはならなかった。
その一方でこの状況を利用しようとする部署もあるようだ。
油断できない。
宇宙と地上との流通と通信が遮断される。
その結果として、どちらがより困った事態になるかと言えば明らかに地上側だった。
宇宙の農業コロニー群で生産される食料供給がストップするのは、地上国家の殆どに大きな影響を及ぼす。
この事態を演出したのが実は地球圏連合なのではないか。
そうあからさまに抗議してくる国が出始めている。
地球圏連合のマスコミの論調にも陰謀説が語られる有様だった。
情報ネットはもっと酷い有様だろう。
頭が痛くなりそうなので報告は見ていない。
「地球との連絡網回復はどうなのです?」
《原因の特定に至っていません》
「最悪のケースは想定してありましたね?」
《無論です》
ここは判断が難しい所だった。
時間を稼ぐためにも外交上のポーズは必要だろう。
「特使派遣を。揚陸部隊に随伴をさせます。当面は拡大EUと北米連邦のみで構いません」
《人選は?》
「外務大臣に一任します。急がせなさい」
《外交上の失点になるのは確実と思われますが》
「遥かに大きな失点にしないための措置です。それと現地の駐在武官からも情報を収集させられますか?」
《情報の回収は困難ですが可能です》
「ではやらせなさい」
《軍部の協力は不可欠です。揚陸部隊への直接リンクを申請します》
「了承します。それから軍幕僚総長を官邸に呼び出しなさい」
《了解》
電子脳にあらかた指示を出しておくと会見までの時間が目の前に迫っていた。
全天仮想モニターの中央に立つと真っ白な風景が会見場に一変した。
より厳しい表情を顔に貼り付かせて会見に臨んだ。
それでも宇宙を本拠とする地球圏連合はまだマシな状況だった。
地上国家はより一層の混乱が待っていた。
物流不安は一気に市場に拡大し、株式市場は開場早々に大暴落、あっという間にストップ安となった。
食料の確保に市民が買占めに走る光景こそなかったものの、食糧原料先物市場の混乱振りは酷いものとなっていた。
拡大EUに北米連邦といった地上国家でも有数の先進国だが、食糧供給のおよそ半分以上が宇宙の農業プラントに頼っている。
主要食糧ストックは二年分ほどと十分にあるが、他の友邦国家への輸出を考慮しなければ、の話だった。
地上国家全体が存亡を問われる事態だ。
加えて情報が閉塞している事が混乱に拍車をかけていた。
旧世界の遺物ともいえる有線ネット回線網は、地球の自然環境回帰を進めている地域では緊急回線以外は残っていない。
先進国ほどその傾向は強かったから、拡大EUと北米連邦の混乱振りは全市民にも波及していた。
あらゆる経済活動が限定的にしか機能しない、由々しき事態だ。
拡大EUと北米連邦も、自国の地球圏連合大使に情報提供を求めたが、期待していた回答が得られる筈もなかった。
駐在している地球圏連合の武官も情報収集に奔走していたが、その事自体に不審の目が向けられる有様である。
宇宙と地上が断絶されて一日しか経過していない。
それなのに一気に事態が加速していた。
誰もが脳裏に浮かぶ歴史上の出来事がある。
かつて、二十二世紀に発生し、世界中を混乱に巻き込んだ第三次世界大戦だ。
その発端は、様々な外交努力にも関わらず、相互の外交不審を決定付けたある出来事にあった。
地上国家群所属の衛星が全て堕とされた事件だ。
位置情報サービスが全て停止しただけで、地上は大混乱に陥った。
当時、地上国家の幾つかが、この事態をきっかけに唯一の軌道エレベーターであるインドネシアに派兵した。
宇宙利権の独占を排除するためだった、と言われているが、そんな正当性をも打ち砕く反撃が待っていたのだ。
派兵国家の首都に宇宙からの無差別攻撃が行われた。
衛星軌道から隕石雨が降り注いだのだ。
その後の地上の混乱はそれだけで莫大な記録が残されている。
人類の歴史上最悪の戦争と記録された第三次世界大戦だが、その最大の戦犯としてその名を残すのは初代地球圏連合主席だった。
彼は存命中、史料にそう記す事を自ら望んだとも言われている。
当時百億に達していたと思われる人類は二十億以下にまで激減したのでは、それで罪に対する懺悔としては軽微なものだ。
今でも功罪の評価が激しく対立している点である。
そんな訳で地上国家群は一様に地球圏連合に対する不信感を一掃することができていない。
どうしても、できない。
外交努力の結果、地上国家所轄のコロニーも増えた。
軌道エレベーターもケニア・バレルは拡大EUとの共同運用になった。
ブラジル・バレルは北米連邦と南米諸国が共同出資している。
友好関係は第三次世界大戦以降、地道に積み重ねてきた結果だった。
それがたった一日で崩壊しかねない事態だ。
宇宙からの情報封鎖が何をもたらすのか、誰もが明言しないものの、誰もが恐れている事態を想起させるのだった。
それは染みのようにゆっくりと、しかし確実に拡がっていくようだった。
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朝飯を摂った後、フユカ達と話したくて捉まえようとしたのだけど、食事がまるで進まなかった。
ビッグ・ママの見ている前で食事を残す勇気はない。
いつもより増量しているし、体のコントロールが上手くいかないから、誰よりも早く食事を始めたのに終わったのは最後だった。
一夜を共に過ごした三人は既に食堂を出てしまっていた。
食事を終えて彼女達を探すが、その前にレーヴェ先輩に捕まってしまう。
「さて、行くよ」
先輩の爽やかな笑顔が何故か憎く思える。
いや、思い通りにいかないことに苛立ちを覚えているだけなんだけど。
クルーザーの運転席に着くと、甲板で先輩が何か手荷物を搬入しているのが仮想ウィンドウに見えていた。
「それ、何ですか?」
艇内アナウンスで聞いてみる。
『昼食だよ。今日は潜水メニューを終えたらそのまま母島に行くからね』
聞いてないよ。
益々彼女達と話す機会が遠のいてしまう。
どうしようか。
悶々としていると操縦席に先輩が顔を出して直接指示してきた。
「さあ出発。いつもの場所で」
天気は快晴、荒れる兆候もない。
諦めて指示に従うしかなかった。
潜水訓練は意外な事に楽に進んでいった。
浮力の影響なのだろうか、体のコントロールが楽だ。
試しにより深い所まで潜ってみた。
いつもより調子がいい位だ。
それに海の中の様子がいつもより良く見えているし、思考もはっきりとしているようだ。
おかしいな。
昨夜の事を考えると、明らかに寝不足な筈なのに。
全身を巡る血液の脈動まで自覚していた。
心音も確実に感じ取れる。
その心音を周囲の魚達に聞こえやしないか、心配な位に大きく響いているように感じる。
いつもと体調が違うのは明らかだ。
但し、いい方向に違っているので、深刻に考えないで済んでいるけど。
プレートを拾ってクルーザーへとゆっくりと戻っていく。
周囲を見回してみる。
綺麗だ。
そして昨日までと違う自分が感じられる。
見える世界までもが大きく変わっていた。
何故か感謝の言葉が脳裏に浮かぶ。
ありがとう。
キレイな世界を見せてくれて、ありがとう。
海面に顔を出して周囲を見回すと、クルーザーを見つける前にイルカが跳ね回る光景に出くわした。
普段と変わらない風景なのに新鮮な感覚を楽しんでいた。
甲板では相変わらずレーヴェ先輩が本を読んでいる。
いつかデッキチェア毎、海に放り投げてやりたい。
「順調みたいだねえ」
本から視線を外してそんな事を言う。
何故だろうか、イヤな予感がした。
先輩は本を閉じると起き上がりボクの肩に手を置いた。
「じゃあちょっとばかり、難易度を上げてみようか?」
そう言った途端だった。
視野が一気に拡大した。
脳髄が灼かれるような感覚が全身を駆け抜けていた。
周囲に存在するあらゆるものが脳内で知覚できる。
だがあまりに膨大な情報量に脳が悲鳴をあげていた。
体の感触はより一層、鋭敏になっているのは明らかだった。
柔らかく感じていた風の感触がまるで濡れた布のように感じる一方、僅かな風の変化を全て感じ取っていた。
嗅覚も、聴覚も、感じ取れる範囲が一気に拡がっている事が分かる。
倒れ込みたい。
でも倒れさせてくれない。
先輩の顔は普段どおりの笑顔だけど目は笑っていない。
僅かに先輩の表層意識が伝わってくる。
思考同調だ。
だが一方的にボクの方が分が悪い。
何もかもを見通されているような気がする。
「そう、がんばれ。今、苦労している事は決して無駄にならないからね」
先輩はボクが拾ってきたプレートを纏めて持つと周囲に投げ込み始めた。
まさか。
「じゃあもう一セット、行ってみようか」
体を襲う倦怠感はまたも昨日と同じものだった。
まただ。
「タイムリミットはやっぱりあるんですか?」
「昼飯まで、かなあ?」
厳しいかもしれない。
さっきまでのペースならば楽勝だけど、今は追加で足枷があるようなものだ。
海に飛び込むと少しだけ楽な感じがする。
肌に海水の感触が心地よかった。
昨夜のフユカ達と肌を合わせた記憶が何故か思い出された。
「スニール、もう一段階、先に進んだみたいだな」
所長のその言葉には何やら嬉しそうな感情が滲んでいた。
何もかもを仕組んでいるようにしか見えない所長だが、時々は感情がこぼれる様な瞬間がある。
まるで子供だ。
「こっちも進んだようですな」
「まあな」
ナノマシンの分析は一定の成果があった。
とりあえず、今起きている情報封鎖の原因である事は確実だろう。
交信で使用されている全ての電波帯でナノマシン群を透過すると一定の減衰が見られたのだ。
驚くべき事にレーザー発振に対してすらも減衰効果が見られた。
現在、太陽から地球に降り注ぐ放射線に対する減衰効果を確認中であった。
「予想通りならば太陽放射線にも減衰効果があるだろうな」
「でしょうね」
「宇宙と地上を分断する程の効果か。一体どれほどのナノマシンン群が投入されたか知れたものじゃないな」
そうだ。
ある一定の層の厚みがなければ電波もレーザーも完全にシャットアウトできない。
こんな事を誰がやってのけたのか。
興味は尽きない。
「このデータも上では把握できてない、ですよね?」
「直接上に跳ぶのは厳禁なのが痛いな」
そう、勝手に宇宙へとテレポートするのは自主的に禁止している。
テレパシーの使用も禁止だ。
特に罰則規定は存在しない。
だが、敢えて地球圏連合に付け込まれるような真似はしないことが異能者に求められるのだ。
権力の走狗となるのか。
迫害から逃げ続けるのか。
死か。
ここで異能者が集うのは妥協の産物であり、事実上の隔離政策の賜物と言っていい。
今現在、我々を監視しているのはリトル・マムだけになっている。
逃げるにはいい機会だが、ここで逃げる気はなかった。
私は見届けなければならないのだ。
「ビッグ・マムへ。お壌さん達はどうだ?」
『寝てます。これ以上の無茶はさせませんから』
「それでいい」
所長の目的は知れている。
あの新人の覚醒を急ぐ理由だけが分からない。
現在起きている事件との関連が疑わしいが、確証はない。
「もう一押し、かな」
その言葉にはどんな感情が込められていたのか、例え思考同調をしていても分かりそうになかった。
頭を過ぎる疑念を振り払うとナノマシンの解析を続けることにした。