初訓練
所長達が戻ってきたのはいいけど、雰囲気がおかしい。
何故か皆がボクを見ているような気がする。
所長はボクよりも体格は小さいし容姿も平凡だ。
年齢不詳。
ゴローと呼んでもいい、と初対面で言われているけど、周囲にそう呼ぶ人はいないので所長で済ませている。
学生のようにも見えるし、中年のようにも見える、奇妙な雰囲気の人だ。
平均的な日本人、と表現する以外に言葉が出てこない。
この八人しかいない南の島だからいいけど、コロニーのような人が多い場所だと見つけるのは困難だろう。
周囲の皆の所長の扱いを見るに、本当に尊敬されているのか疑わしい事も多いけど、ここの所長である事は確実だ。
リトル・マムへの最優先命令権を所持している、というのだけが根拠なんだけどね。
この人の異能の力もまた不明だ。
スニールさんはこの島で最も常識人だと思う。
これまた典型的な中年のインド人といった風情で、恐らくはこの島の最年長だ。
威厳も備わっているから。知らない人が見たら彼を所長と思い込むことだろう。
ボクもそうだった。
彼も優勝なテレパスと聞くが実感は湧かない。
そしてこの島の最年少で、さっきボクを文字通り叩き起こしたのがフユカだ。
ボクよりも一歳年下だけど、ここではミランダとパメラよりも古株なんだとか。
彼女もまた典型的な日本人の容姿で、そのストレートの黒髪は見事の一言に尽きる。
南の島の陽光に当たると黒く輝く上にサラサラなのだ。
まだ高校生の年齢の筈だけど中学生のように見える。
学校にはもちろん通っていない。
ミランダとパメラと衝突する所をよく見かけるけど、彼女達二人は心底フユカが気に入っているのだと分かる。
姉妹喧嘩にもなっていないし、まあネコ同士がじゃれあってるようなものだ。
さっきもフユカは二人に噛み付くように文句を言っていたが、柳に風とばかりに受け流されてしまっていた。
顔の表情に感情がすぐに出るから分かり易い子なのだ。
素直なのはいいことだろう。
普段はバラバラに昼食を摂る事が多いのだけれど、今日は様子が違った。
全員が揃っている。
そして食事中の話題は、宇宙との情報が全て断絶している、という極めつけの異常事態の事だった。
メシを食いながら話をすることだろうか?
ビッグ・マムは食事の時間には煩くないし、食事は楽しんで摂る事を旨としているから、所長がずっと凄まじい目で睨まれていた。
「一応、建前では緊急有線回線だけが頼りって事になる。そのつもりで話は合わせろ」
所長、建前って。
他に抜け道があるって事、だよね?
ボクの疑問の目をレーヴェ先輩は華麗にスルーした。
ガーリックトーストにトマトペーストと併せて叩いた魚身を乗せて淡々と食事を進めている。
この人は当てにならない。
女性陣は一瞬だけ興味を引かれたように見えたけど、すぐに目の前の食事に集中し始めた。
聞き流しているだけで適当に相槌を打ってるだけだ。
馬耳東風とはこの事だ。
食事も絶品なのは認めるけど、鼎の軽重を問われるんじゃないのかな?
所長も食事に集中し始めた。
スルーされてるのは注意しなくていいんだろうか。
「おおそうだ、ルーキーの訓練メニューだが、能力開発を今日から始めるぞ」
ついでに発したその言葉に女性陣全員が飛びついた。
「うそ!もっと先だって言ってたじゃない!」
「ええ?じゃあ私から一対一でやらせて!」
「えー?それなら私も一緒にしたいなあ」
「坊やには酷じゃないかねえ?」
ボクはスニールさんに視線を向ける。
スニールさんは黙々と食事を進めていたのだが、一瞬だけボクに視線を合わせた。
「ま、災難だと思って諦めるんだな」
何ですかそれは。
所長はと言えばもう食事に夢中だ。
今度は女性陣の言葉も馬耳東風とばかりに適当な相槌を打ってる。
面の皮が厚いなんてもんじゃない。
一気に喧しい雰囲気に陥った食事風景になってしまった。
「ニコライ君。ちゃんと寝ていたかい?」
レーヴェ先輩は既に食事を終えていた。
ボクに声をかけながら、いつものように官能小説を読み始める。
「ああ、そうだ。食事も早めに終わらせておくといいよ」
警鐘のように聞こえたのは偶然だろうか?
この人は本当に謎な人だ。
先輩の勧めに従って、ボクも食事を片付けるのに集中する事にした。
天気がいいから、という理由で訓練は外でやる事になった。
八人全員で駐機スポットの外れに集合していた。
「よし、ルーキーの訓練は全員で立ち会え。最初は私だけでやる」
所長に向けてミランダとパメラはまだ文句を言っているようだ。
本当、何でなんだろう。
「いいか。最初のうちはゆっくりと、やる。体に力を入れすぎるなよ?」
「どうすればいいんですか?」
「目を閉じて座っていろ」
座ると言うと正座でいいかな。
正座したら早速注意された。
「正座か?」
「ええ。武道は多少嗜んでいたので慣れてますが」
「長くなるぞ?楽な格好で崩した方がいい」
胡坐をかくことにした。
所長は同じく胡坐をかいて、ボクの正面に座った。
他のメンバーは遠巻きに見てるだけのようだ。
「いいか。まず最初に言っておくことがある」
そのまま黙ってしまう。
いつになく真剣だ。
これは返事をしたほうがいいのだろう。
「はい」
「本当はもう少し体を鍛えてから始めたかった事を前倒しでやることになる。今日から厳しくなるぞ」
「はい」
「そうだな。軽くお前さんの認識がどうか、確認しときたい。異能とは何だ?」
「異能、ですか?」
少し考え込んでしまった。
日頃から考えているような事ではないし。
「普通の人間には備わっていない力、だと思いますが」
「それはそれで正しい。だが私達のような者を直接示すものではないな」
何を言いたいのだろう。
「この場合、一般社会に生きる人々に脅威と畏怖を与えるような超常能力を指す」
「変わらないように思いますが」
「そうだな。ところで異能判定だが、どの程度の確率で引っ掛かっていると思う?」
「えっと」
そんな事は気にも留めなかった。
同じような規模のチームがもう三つほどあるって聞いた事がある。
四つのチームだから三十人ちょっと位だ。
地球圏連合は人口規模が十二億人だから、人口一億人に対して三人いない。
「実は十万人に一人近い確率で引っ掛かっている」
「え?」
随分と多い。
そんなに異能者が多いなんて聞いたことがない。
「地球圏連合全体で大体一万人いる。異能テストは小学校進学時に行う事になってるから潜在的にはもうちょっといるだろうな」
「人類全体ではもっといるんですね?」
「確率論で言えばそうだが、確認できている訳じゃない。異能テストはおろか、統計がとれない地域もまだ多いからな」
そんなに多いなんて知られたら、社会不安を煽る事になりそうだ。
「勘違いするなよ?異能テストに引っ掛かっている数だけだ。実際に自由自在に異能の力を発揮できる人間はそういないよ」
「そうなんですか?」
「今、お前さんは異能者としての自覚はない。当然だな、異能の力を発揮している経験則がない」
「まあそうですが」
「異能の力を持ちながらも、自覚することもなく一生を終える方が圧倒的に多いのさ」
「でも異能者って確か地球圏連合では厳しい管理下に置かれるそうですが」
「そうさ。だからお前さんだってここにいる」
でもボクだって異能の力を自覚できていないんですけど。
「じゃあボクは何が違うんでしょう?」
「異能の力、と言っても色々だ。放って置いていい異能者が殆どなんだが、見逃す事ができないのもいる」
「見逃せないっていう理由が知りたいですね」
「知りたいか?まあ、そうだな。いずれ自分で分かるさ」
勿体つけるなあ。
知りたくなるじゃないか。
「そう。お前さんは見過ごせない例だ。だからここで預かっている」
「危険分子、じゃないですよね?」
「放って置いたらそうなりかねない。そういう連中しかここには居ないよ」
なんですかそれは。
危険なのはボクだけじゃないってこと?
ここにいる全員が?
ボク自身を含めて、全員とてもそうは見えないんですけど。
「地球圏連合に限らず、世の中は異能者に対しては必ず一定の距離を置く。理由は様々だがね」
所長が何故か遠い目をする。
なんだろう、まるで老人のような印象がある。
「まあお前さんはラッキーな方さ」
「本当ですかね?」
大いに疑問を感じるのですが。
「まあ今日から本格的に鍛えることになる。私なりの方法で、だけどね」
「アンラッキー」
ビッグ・ママがそれだけ言うと押し黙る。
あれ?
何か雰囲気がおかしい。
「さて、始めようかね」
目が開いていた筈なのに視野がおかしかった。
一気に視点の位置が鳥のような高さになっている。
下を見ると自分と所長の姿も見えていた。
叫ぶ。
落下の恐怖に震えた。
だが声は出ない。
『問題ない。意識を拡大しただけだ』
え?
意識?
『自分の体を見ろ』
言われてみると自分の体はない。
『もう一度だ。強く認識してみろ。お前さんはどこに座っているかな?』
言われるままに自分の体を少し揺らすようにして確認しながら認識しようとする。
ちゃんと地面の感触があった。
僅かに風も感じる。
嗅ぎ慣れた海の匂いがしていた。
視野だけが異常だ。
『今の状態が透視とか千里眼と呼ばれるようになる能力の基礎段階だ。どんな気分だ?』
「自分の体が見えるとか、幽霊にでもなった気分です」
『そうだな。この状態を幽体離脱と錯覚する場合も多い』
うわ。
所長の力なのだろうけど、異能というのが実感できる。
新鮮な驚きがあった。
『まず簡単な所からだ。視点の位置を上下に移動させるように念じてみろ』
「ボクが、やるんですか?」
『今、お前さんに起きてる現象はお前さんの力だ。私は手助けしているだけ』
え?
ボクの力なの?これって。
『そのうち分かる。いいから、やれ』
「あ、はい」
疑問を振り払って言われるままに視点を動かす事を試みることにした。
「ルーキーは大丈夫かなあ?」
「すぐ分かる事よ、ミラ」
「パム、私が言いたいのは今やってる事じゃなくて今夜の方!」
「もちろん私もそっちの事を言ってるつもり。緊張してるの?」
「当たり前じゃないの。拒否されたら死んじゃうかも!」
ミランダとパメラの懸念はそっちか。
でも私の懸念も実はそちらにあった。
彼に拒否されたらどうしよう。
「フユカもいるのよ?彼がどうあがこうが彼にだって拒否権はないし」
ミランダもパメラも私の顔を覗き込んでいた。
意識閉鎖は得意だけど顔色を偽装するのは今でも不得手だ。
レーヴェ先輩みたいに顔色を変えない術が欲しい。
「大丈夫よフユカ、優先権は譲ってあげるから」
何の話よ。
ミランダはいつものようにからかう様子だが、彼女自身も緊張している顔をしている。
彼女も怖いのか。
そう、とっても怖い事だ。
拒否される事、そして存在を否定される事はとても怖い。
異能者は皆、そんな意識に苛まれるのが常だった。
疲れた。
いや、疲れている感覚とは何かが違っている。
何だろう、不思議な感覚だった。
目の前に座る所長は平然としたものだ。
「こんなに疲れるものなんですか?」
「異能力だろうが超能力だろうが、現実にある科学技術の方が便利な事が多いぞ?」
そんなものなのか。
便利なものかと思ったんだけど。
「そうなんですか?」
「力の大きい小さいよりも重要なことがある。コントロールができるかどうか、だ」
所長が立ち上がると、ボクにも立つように促したけど。
立てない。
なんてこった。
「今、お前さんは自分の体すらコントロールし難い状態にあるだけで疲れている訳じゃない」
「これが?」
「そうだ。今日からその状態のまま体を鍛えるように」
「う、動けません」
「ちゃんと動くさ。集中したら、だがな」
確かに動かす事ができた。
右手を上げて掌を広げて目を向ける。
それだけの事に相当な集中力を要した。
まるで地球の重力が三倍位になったみたいだった。
所長がボクから距離を置いて胡坐をかいて座った。
いつのまにか他のメンバーも車座になって座っている。
「ではもう一度だ。今度は全員と歩調を合わせて最初からだ」
「え?」
「心配するな。さっきよりも楽な筈だ」
ボクの左隣にレーヴェ先輩が座っている。
視線を合わせると極上の笑みを浮かべていた。
先輩、ボクは男ですよ?
「昼間に休めていて良かったねえ、コーリャ」
珍しいな。
今日だけで先輩からコーリャと呼ばれる機会が随分と多い。
右隣にビッグ・ママが座っていた。
「坊や、今日からメシの量は増やしとくからね」
えっと。
顔つきが真剣すぎる。
というよりも怖かった。
やっぱり残しちゃダメなんだろうか。
「では始めるぞ」
またあの感覚が体を襲う。
二回目だが、感じる恐怖は一回目を遥かに上回るものだった。