File.2-3:Crimson Family
嵐府北地区。そこには、「紅の館」と呼ばれる大きな屋敷がある。
以前説明した通り、ここは「クリムゾン一族」が治めている事から、彼らの屋敷をそう呼んでいるのだそうだ。
その屋敷の中央に位置する食堂では、この屋敷の住人達が、優雅なティータイムを嗜んでいた。
長いテーブルに見合わぬ少人数でのお茶会は、一般人から見れば奇異で……しかしこの屋敷の住人にとっては、ごく当たり前の光景。個々人の前には、本日のデザートであるミルフィーユが差し出されている。
「何でまた、よりによってこれ程に面倒なおやつなんですの、お母様?」
文句を言いながらも、ばたんとミルフィーユを倒して切り分けているのは、末娘のヴァルキリア。「戦乙女」を意味するその名の通り、「優雅」や「おしとやか」からはかけ離れている行動が多く、3人の兄達との衝突も絶えない。
ちなみに、ミルフィーユは彼女が行っているように、倒して食べるのが正式な方法らしい。
そんな彼女の真紅の瞳を見つめ返して微笑んでいるのは、彼女の母親でありこのミルフィーユを作った女性……アールヴ。彼女は娘とは対照的に穏やかな印象の「貴婦人」であり、近所の奥様方にも、「真のマダム」として羨望の眼差しを受ける存在だ。
「だって、作りたかったんですもの。折角吉野さんに簡単な作り方を教えてもらった事だし。それに、専業主婦って暇なのよ?」
「なら、お父様のお手伝いをなさればよろしいじゃございませんの? 何も家事全般をなさらなくても……メイドの皆が嘆いておりますわ。自分達の仕事が無い、と」
ねえ? と後ろに控えるハウスメイド達に向かって言いながら、ヴァルキリアは苦笑気味に自分の母に向かって言葉を放つ。
無論、自分で家事をこなすのは良い事だ。だが、こなしすぎて使用人の仕事を主人自らが減らすのは、雇用主としては決して好ましくない。
適度な「手伝い」程度に済ませればいい物を、この家の奥様は、「私も主婦なのだから」と言う理由で、自分ひとりでこなそうとする。
「メイドの事など気にする必要は無い。それに貴様、母様のご好意を無にする気か?」
「……ヴァルキリア。食事は黙ってするものだ」
「だからお前はいつまで経っても半人前なんだよ」
ぽんぽんと、続くようで全くかみ合わない言葉を3人の兄から放たれ、彼女は軽く眉を顰める。
母の隣に座るのは、長兄のミケーレ。既にこの手の事業から引退した父から、開発事業の一切を任された一族の次期当主候補。故にかなり生真面目な性格をしている反面、かなり冷たい反応を返してくる。特に奔放な妹に対しては辛辣。
そんなミケーレの正面、そしてヴァルキリアの隣に座るのが、次兄のラウレンティウス。南地域にある小学校の教師をしており、児童達からはその髪色から「赤髪先生」と慕われている他、保護者からもその端麗な容姿と優雅な物腰が好評である。ミケーレ程きつくは無いが、関心を持っている訳でもないらしい。
そしてミケーレの隣、ヴァルキリアの正面に座っているのは末兄のデスパレード。北地区の音楽堂の支配人であり、若者達に絶大なカリスマ性を誇っている。特に突っ張った青年達には「兄貴」と呼ばれ、親しまれている。猫のような気まぐれな性格をしている為、可愛がってくれる時と冷たい時の落差が激しい。
そんな兄達の顔を軽く一瞥し、彼女はふぅと溜息を吐き出す。
正直、彼女はこの空間があまり好きでは無い。否が応でも、自分は「クリムゾン一族」なのだと思い知らされるし、その名に伴う責任や義務、そして束縛を思い出してしまうからだ。
学校に向かえば「クリムゾンのお嬢様」と言うだけでコバンザメの様に「自称・学友」が纏わり付く、街に向かえば商人達はここぞとばかりに高い物を買わせようとする。
――私は、「私」を……「ヴァルキリア」を見てほしいのに――
それも、この家にいる以上は難しい話なのだと言う事は理解しているのだが、どうしても、彼女の口から溜息が漏れてしまうのを、自分では防ぎようも無かった。
「キリィ、そんなにこの家が嫌いかね?」
家長席に座る初老の紳士……ヴァルキリア達の父親であり、クリムゾン一族の長でもある存在、トワイライトが、にこりと穏やかな笑みを浮かべながら彼女に問いかける。
嫌いか、と問われれば、答えは否。生まれ育った家でもあるし、帰るべき場所はここしかないと言う思いもある。だが……
「居心地が良い、とはお世辞でも言えませんわ、お父様」
「おやおや。それは残念だ。ひょっとして、たまに私が実験室を爆破してしまう事が原因かな?」
「……お父様が実験室を爆破させるのは、昔からですもの。今更です。そうではなく……」
「ああ、では反抗期かな?」
反抗期。そう言われればそうかもしれない。大学生の今になって反抗期と言うのも、随分と遅い気もするが。
思いながら、それ以上声に出す事もせず、ヴァルキリアは黙々とミルフィーユを切り分け、口に運ぶ。
母親のお手製ではあるが、そこらのパティシエの作よりも美味しく感じるのは、やはり自分の舌が親の味に慣れてしまっているせいなのか。
そんな事を考えていると、ふいにミケーレが顔をあげ、何かを思い出したかのような声をあげた。
「そう言えば。父様にご報告せねばならない事が」
「ん? 何かね?」
「……黒と青が、揃ったと」
端的に、しかしいつもよりも少しだけ低い声音で放たれたその言葉に、家族全員が一瞬だけ凍りつく。メイドや使用人には分らないだろうその言葉は、しかしクリムゾン一族にとっては大きな意味を持っていた。
笑みを消し、真顔になった父の顔を盗み見ながら、ヴァルキリアはその言葉をもう1度、心の中でのみ繰り返す。
黒と青が揃った。
それは即ち、この街を巻き込んだ戦いの幕開けである事を意味する。そして同時に……自分の「仕事」の始まりである事も。
「そう、か。揃ってしまったのか」
「はい」
「残念だ。実に残念だよ。これから本格的に動かなくてはいけない事がね」
言いながら、この家の当主は軽く顔を伏せる。
声だけ聞けば、心底残念に思っている様に聞こえるが……しかし、それでもヴァルキリアは気付いてしまった。
父の顔に浮かぶ、楽しげな笑みに。
――お父様……この状況を楽しんでいらっしゃると言うの!?――
心の動揺を隠しつつも、思わずヴァルキリアはじっと自分の父親を見つめる。しかし相手はそんな彼女の視線を気にも留めず、己の息子達へと視線を注ぎ……
「切り札は、我々でなくてはならない。黒も青もいらない。純粋な“紅“だけで良い。そうだね、私の可愛い子供達?」
「はい。父様の仰る通りです」
「了解致しました」
「ま、仕方ないよな。それが俺達の役目だもんよ」
父の言葉に対して無条件に頷く兄達を見やりながら、ヴァルキリアは軽く唇を噛む。兄達はまるで、父の人形のようだ。己の意思を持たず、ただ彼の言うがままに動く、従順な操り人形。そして、それを是であることを疑っていないその瞳。
――私は、あんな風になりたくない。自分のやる事は、自分で決める――
「キリィ? 返事が聞こえないようだが?」
「……私は……お父様のお言葉に、手放しでは賛成できませんわ」
「ほう?」
自分の意見を述べたと同時に、父親の瞳がすっと細められる。
瞬間、ヴァルキリアの背を、悪寒が駆け抜けた。それでも目を反らさないのは、やはり自分の意見を通すと言う意思が強い為か。
自身の家名と同じ色の瞳を真っ直ぐにトワイライトに向け、彼女は震えそうになる声を隠しながら言葉を続ける。
「黒と青……そして紅は、手を取り合っても良いと思いますの。“紅“だけに拘る必要は、無いと……」
「口を閉ざせヴァルキリア。父様は貴様の意見など求めていない」
「……ミケラの言う通りだ、キリィ。私が聞きたいのは“意見“ではなく“返事“だ。それも、肯定の……ね?」
にこり、と。
しかし纏わり付くような怖気を発しながら言う父の声に、今度はきつく唇を噛み締め……彼女は悔しげに項垂れて、絞り出すように声を吐き出した。
「お父様の……仰せの通りに……」
結局、逆らいきれない自分も人形では無いか。
絶望にも似た感情を抱きつつ、彼女はちらりと不自然に空いた母の正面の席に視線を向ける。
――こんな時、“あの方“がいて下さったら――
今はいない、第一位の「次期当主候補」の事に思いを馳せながら、ヴァルキリアは何も出来ない自分に対して苛立ちを覚えたのであった……
*
「だぶえっくしょん!!」
「煩ぇ黙れ下っ端! つか汚ぇから近寄んナ。つか、何だヨそのくしゃみ」
グズグズと鼻を鳴らす翔真に、昏夢は桜から渡された書類に視線を落としたまま、心底嫌そうな声を出す。しかしその声とは裏腹に、近くのティッシュボックスから数枚の紙を取り出して翔真に渡す辺り、僅かながらの優しさが窺えた。
「あー、すんません昏夢さん。何かイキナリくしゃみが……は、は……びぇっくしょん」
「大丈夫ですか翔真さん? 風邪でもひいたんですか?」
「それは無ぇヨ、アキ。だってこいつ、馬鹿だもん」
「……“馬鹿は風邪をひかない“と言うからな」
「ちょっ! 酷っ! って言うか何気にファウストまで俺をこき下ろすのは何故!?」
くしゃみのせいで潤んだ瞳を昏夢とファウストに向け、噛み付くように怒鳴る翔真だが……怒鳴られた方は聞こえないフリをして手元の書類を見つめていた。
そんな翔真の背後には、いつの間にかサンダーとゲイルが、底意地の悪い笑みを口元に浮かべて立ち……
【馬鹿は風邪をひかないんじゃない。馬鹿は風邪を知らないんだ】
【ああ、風邪をひいても、それが風邪だって自覚できないって事ですね~】
【風邪を知っている分、とりあえず翔真は“馬鹿“一歩手前と言う所だろうな】
【良かったですね~翔真さん。馬鹿認定されなくて~】
――黙れや、この人外共が――
声には出さず、軽く睨みつけるようにその2体の異形を見やるものの、その2体も軽くその視線を受け流す。
最も、彼らの顔から表情を読み取ると言うのも、なかなか困難な事なのだが。
「あー……それにしても……共通点、ねぇ……」
ぐいとネクタイを緩めながら、翔真は下がっていた視線を天井に向けて、深い溜息を吐き出した。
昏夢同様、行方不明者に関する資料を眺めていたのだが……溜息の理由は、「これと言った共通項は見当たらないから」のようだ。
実際、年齢も性別もバラバラ。被害者同士の接点も無い。強いて共通点を挙げろと言われれば、全員が嵐府在住と言うことくらい。
「それで下っ端、そっちは何か分りそうかヨ?」
「……分りそうなら、こんな深い溜息吐きませんよ。生年月日、性別、職業、住所、友人知人……俺が見る限り、どれも当てはまりませんし」
昏夢に問われ、軽く首を横に振りながら翔真はそう答える。問いかけた方も、琥珀色の瞳を軽く細め、苛立たしげに舌打ちをした。
それは、翔真の不甲斐無さを責める物ではなく……恐らく、“犯人“に対する怒りから来るものらしい。何だかんだ言って、昏夢もこの街の住人。この街を愛し、またそこに住まう人間を守りたいと願う者の1人であることを、翔真は知っている。
だからこそ、この一件が苛立たしいのだろう。八つ当たりの相手に自分が選ばれるのは何としても抗議したいところではあるが。
「こっちも無ぇ。家出する動機も無い。“誘拐“なら要求が来るはずだがそれも無い。って事は“拉致“って可能性も出てくる訳だが、子供から大人までの節操の無さはどう考えてもおかしい。その上、何の手がかりも無い。こりゃ本気で“神隠し“だゼ」
「そんな無差別な神隠しは嫌です」
昏夢の言葉に、蜻蛉が軽く眉根を寄せる。その手元には、やはり失踪者に関する資料がある。こちらは舞夢と四季が集めた情報を纏めたものだ。
蜻蛉の持つそれを受け取りながら、翔真はこきりと首を鳴らす。
「手がかりゼロ。本当にこれ、何か共通項があるのかなぁ……」
「あの昼行灯は、確かに壮絶な味音痴だがナ、事件を解く鍵を見つける嗅覚だけはド鋭ぇんだヨ。むしろ、それだけで警視にまで上り詰めたと言っても過言じゃねえ」
「いや、それ“だけ“って事は無いと思いますけど……」
再び視線を書類に落としながら、昏夢と翔真は言葉を交わす。
昏夢の言葉だけを聞いていると、桜はある意味、警察官よりも探偵の方が向いているような気がする。それも、物語などに出てくる、所謂「名探偵」に。
まあ……探偵の仕事も、何でも屋の仕事も、実の所大差ないという事は良く知っている。職業の肩書きが、「探偵」……「探す者」であるか、「何でも屋」であるかの違いだけだ。
そんな中、今まで黙って書類と向き合っていたファウストが、ポツリと呟きを漏らした。
「……桜竜月の読みは、どうやら正しいらしいな」
「いきなり何だよ、ファウスト?」
「まるきり、無差別と言う訳では無いと言う事だ。これを見ろ」
言って、ファウストが指し示したのは被害にあった者達の「家族」。
しかし、翔真にはそこに何の関連も見つける事が出来ない。それは昏夢や蜻蛉も同じなのか、不思議そうに首を捻ってファウストの顔を見やった。
「分らないか?」
「すみません、私にはちょっと……」
「こいつらは最近、家族が増えている。少なくとも、俺の見ていた書類は全てそうだった」
言われてから、もう1度その項目を眺める。
確かに、皆何らかの形で「家族」が増えているのがわかった。
親の再婚、自身の結婚、出産や養子縁組など、「家族」のでき方は様々ではあったが。
「お前達の言う、“動機の無い失踪人“のほとんどは、消える直前に家族が増えている。これは祝い事だ」
【そして哀喰は、大きな悲しみを糧に生きていますからぁ……】
【家族が増えて、喜んでいる奴を、哀喰が喰ったって事だろうな】
ファウストの言葉を継ぐようにして、ゲイルとサンダーも深刻な声で翔真に囁く。
翔真とファウスト以外には見えていないのだから、囁く必要も無いのだろうが……どうも彼らは人間に近い心を持っているらしい。どこと無く、その声に……特にサンダーの声に、静かな怒気が含まれているのを、翔真は本能的に感じ取っていた。
「増えた家族と引き換えに、誰かが消えるってのか? 冗談じゃねぇゾ」
怒鳴るように言いながら、昏夢は足元の椅子を思い切り蹴り飛ばす。
その勢いと、今にも壊れそうな椅子の悲鳴に驚いたのか、蜻蛉がびくりと体を震わせた。
「……苛立つ気持ちは分りますけど……落ち着いて下さい、昏夢さん。詩織さんが怖がってます」
「…………悪ぃ」
「俺だって、苛立ってるんですから」
緩めていたネクタイを、まるで自分の首を締め上げるかのような勢いできつく絞め直し、翔真はギリリと歯噛みする。
誰かが哀しむ事……特に誰かを喪う哀しみは、翔真にとって最も忌み嫌うべき感情なのだから。
そして、それを意図的に行う存在を許容する事など……彼には出来なかった。
ガタンとその場で席を立ち、彼はかけていた上着を取って羽織る。その様子に、蜻蛉がぎょっとした様な視線を送った。
「翔真さん!? どこに行く気ですか!?」
「……あてなんか無いけど……でも俺、じっとしてなんかいられない。詩織さん、四季さんが帰ってきたら、適当に言っといて下さい」
それだけ言い残すと、彼はさっさと事務所を飛び出し、その姿を消してしまう。その目に、怒りの炎を湛えて。
取り残された蜻蛉は呆然とした表情で硬直し、昏夢は呆れたような溜息を吐き出す。そしてファウストは……心底不思議そうにその首を捻った。
「何故あいつは、当てもないのに飛び出した?」
「……そう言う奴なんだよ、あの下っ端は。他人が泣くのは、許容できねぇんだと」
「何の関係も無い、赤の他人なのに……か?」
「そうだヨ。あいつは誰かが涙する事が耐えられねぇんだ」
「……分らない考え方だな」
ぼんやりと翔真の消えた扉を眺めながら、ファウストはぽつんと呟きを落としたのであった。




