File.2-2:Dragonfly & Cherry blossoms
悪魔双子の異名を持つ2人……狩生昏夢、舞夢の兄妹が、全く同じ表情でその口の端を歪め、楽しそうな光をその瞳に宿らせた瞬間。
慌しい足音が聞こえた直後、勢い良く事務所の扉が開き、文字通り転がり込むようにして1人の女性がその姿を現した。
軽く茶の入った髪色に、それと同じ色の瞳。年はファウストよりも少し下くらいだろうか、割と小柄な部類に入る。
四季や舞夢を「綺麗」と表するなら、彼女は「愛らしい」と表すべきか。軽く息を切らせながら、彼女は四季達の姿を見つけ……そして、直角に近い角度で一礼をした。
「おはようございます、皆さん。すみません、遅くなりました」
「あらぁ、アキちゃん、おはよう。大丈夫、遅れてないわよぉ」
「今日も始業5分前ぴったりのご到着だナ」
やってきた女性、「アキちゃん」も、この事務所の職員らしい。
そうファウストは理解するものの、どうにもしっくり来ないものがあった。
所長である四季や翔真、それに狩生兄妹は、それなりに危険な仕事をこなせるように見える。しかし新たに現れた女性は、ごく普通の、ありふれた「お嬢さん」だ。
軽く首を傾げ、考え始めたファウストの存在に気付いたのだろう。彼女の方も、きょとんと大きめの瞳を更に大きく開け、可愛らしく小首を傾げた。
「あの……こちら、どなた様でしょうか? もしかしてお客様ですか!? お、お茶をお出ししないと!!」
「ああ、違う違う。こいつはファウストっつって、今日から働く新人だとヨ」
琥珀の瞳をファウストに向けつつ言った昏夢の言葉に、彼女は嬉しそうにその顔を輝かせる。
――百面相か。見ていて飽きんな――
ファウストにしては珍しく、そんな事を考えていると、彼女は再び直角に近い、深いお辞儀をすると、ファウストの手を取って思い切り縦に振った。
「はじめましてファウストさん。私、1年前からここで事務兼受付をしております、蜻蛉 詩織と申します。呼ぶ時は、“アキ“でも“詩織“でも構いません。よろしくお願いします」
事務兼受付と言われて、ようやくファウストも納得する。
確かに、自分の手を握って嬉しそうにしている女は、外に出るには向いていない。この事務所の顔とも言える受付に据えるのが妥当な所だろう。
所長である四季からして半裸、昏夢・舞夢兄妹は来た客が引き返すのでは無いかと思える程の威圧感を醸し出している。翔真はまともに見えなくも無いが、基本的に黒一色のため、逆に格好付けの印象を持たせる。
「常識が無い」と言われるファウストでも、この面々が受付や接客に向いていないのは充分理解できた。
「と言う訳でぇ、これで我が事務所のメンバー全員よぉ。では、今日も1日きちんと働きましょう」
四季の言葉に、ファウストを除く所員が背筋を伸ばし、各々了解の旨を告げる。
そうして、この事務所の1日が始まるのであった。
改めて、この街……嵐府について説明をしよう。
地名の由来は諸説あるが、もっとも一般的なのは、年に一度この街に「嵐」がやってくる為だと言われている。10月……旧暦で言う神無月。八百万の神が出雲に帰るように、この街には「嵐」が帰ってくるのだと。
嵐など、普通に考えれば迷惑なものでしか無いような気もするが、この街の住人にとって、嵐の到来は秋の訪れを告げるものであり、「来るのが当たり前」なのだ。
他にも由来の1つとして、「トランプ」が訛った物だという説もあるが、どれも定かでは無い。
住人にとって、嵐府は嵐府であり、由来は正直どうでも良いのだ。
また地理的に言うと、この街は関東平野の東の方に位置した、比較的小さな都市である。東の端には東京湾が面しており、京浜工業地帯の一部を担っている。ちなみに、知る人ぞ知る「夜景が綺麗な工業地域」であり、夜な夜なその幻想的な光景を見に来る輩がいるとか。
中央は嵐府のシンボルである「希望の使者」と呼ばれる大きな金色の女神像が建っており、彼女に見守られるようにして繁華街が広がっている。ショップやレストランなどが立ち並び、嵐府の中で最も賑わっている地区。
南は住宅街があり、噂好きのおばさん達や、元気な子供の笑い声が絶えない。小さな公園や学校も、この地区にあり、嵐府の住人のほとんどはこの地域に住んでいると言っても過言では無い。故に、かなり密な近所付き合いと言うのも多いが、外から来た人間にも寛大だ。
東は観光用地として、大きなアミューズメントパークを現在建設中。コンセプトは、「子供も大人も関係なく楽しめる街」だそうだ。
そしてその開発を進めているのが、北地区一帯を所有する大富豪の「クリムゾン一族」。「人と人との密な関係を築くこと」をモットーに掲げる彼らは、所有する土地の一部を公園や博物館・美術館などと言った公共施設として公開、人々に親しまれている。
彼らはこの街の有力者なのだが、その親しみ易さからあまりそうは思われていないらしい。
何でも屋、「Kitty’s House」は中央地区に存在する。
何も知らない人からすれば、ペットショップと間違えてもおかしくない看板だが、この嵐府ではそれなりの知名度を誇っている。その要因は、良い物もあれば悪い物もあるのだが……彼らに依頼したほとんどの人間が、リピーターになると言うジンクスがあるのも事実。
仕事の内容にもよるが、依頼料は割とリーズナブルと言う事も影響しているのかもしれない。
そのリピーターの中でも、特にこの「Kitty’s House」を多用しているのが……今日、これからやって来る依頼者である。
「左裂、狩生兄、元気か?」
軽く右手を挙げながら入ってきたのは、1人の男性。
短く刈られた髪に、端正な顔立ちにはうっすらと無精髭が生えている。しばらくアイロンも当てていないのか、ワイシャツは妙に皺だらけだ。目の下に隈が浮いている所を見ると、眠っていないらしい。
そんな事を考えつつ、翔真は自分に声をかけた男性に頭を下げる。一方で名を呼ばれたもう1人……昏夢の方は、その相手を見るなり、それはそれは嫌そうに顔を顰めた。
「チッ。来やがったナ、この腹黒狸の昼行灯」
「昏夢さん、桜さんに失礼だぜ。こんな冴えないおっさんでも、一応はお得意様なんだから」
「あのなぁ下っ端! こんな奴に“さん“なんて必要ねえ。竜月とかアホとか下衆で充分だ」
「……お前ら、俺に何か恨みでもあるのか」
翔真達の言葉に軽く苦笑を浮かべつつも、その男は慣れた様に来客用ソファに腰掛ける。
それを見ながらも、ファウストは軽く首を傾げ……
「随分と面変りしている様だが……貴様、桜 竜月か?」
「お前は…………何だってこんな所に?」
互いに顔見知りなのか、無表情に首を傾げるファウストに対し、桜と呼ばれた男の方は、心底驚いたように目を見開いた。
「俺がここにいるのは、俺が今日からここで働く新人だからだ。問題あるまい」
「そうなのか? 四季は教えてくれなかったぞ、お前がここにいるって」
「教えるも何も、今日はドブスと会ってねぇだろうがヨ」
「って言うか、俺、ファウストと桜さんが顔見知りって事実にびっくりなんだけど」
つまらなそうに吐き捨てる昏夢と、軽く頭を押さえる翔真に、桜はじゃり、と無精髭を撫でて言葉を紡ぐ。
「顔見知りって言うか……俺がまだ交番勤務の警官だった頃に何度か会ってるんだ」
「あ、一応桜さんにも、交番勤務時代があったんだ?」
「左裂、お前本当に何気に失礼な男だな。これでもれっきとした刑事なんだが?」
軽く眉を顰め、桜は翔真の言葉に反論を返した。
……桜竜月。嵐府署の刑事にして、四季の悪友。それなりの地位を警察署内でも持っているのだが、やはり四季の友人だけあって一癖も二癖もある存在。
しかもその癖の一つ一つが、非常に厄介な物で……
いつの間に用意したのだろうか。蜻蛉が奥から来客用のお茶と茶請けを用意して、そっと彼に差す。
「お、今日の茶請けは御萩か」
「はい。ちなみにこれは、桜さん用です」
じょり、と顎の無精髭を撫でて言う桜に、蜻蛉が僅かに引き攣った笑みで返す。
そしてそれを聞いた翔真と昏夢は……苦虫を噛み潰したような、それでいてどこか哀れむような……そんな何とも言えない顔になった。
「おいアキ。アレには今回、何が入ってやがる?」
「…………寿司で言う所の、“なみだ“です。お店の方には、1個につき1本を丸々使用して頂きました」
「マジですか詩織さん!? いくらなんでも、餡子にそれは“不味い“でしょ、組み合わせも味も!」
「それは、不味いのか? よく分らんが」
「ファウスト、よく覚えておけ。間違いなく、不味い。だからお前は試そうとか思うな」
「そうか」
視線はその「御萩」に集中させながらも、3人は軽く引きつった笑顔で、そしてファウストは興味深そうな表情で、それを口に運ぶ桜へと顔を向ける。
彼の方はと言うと……それをぽんと口の中に放り込み、もぐもぐと咀嚼、美味そうに目を細めると、それを嚥下、出されたお茶に手を伸ばしながら、幸せそうに一言。
「うん、美味い」
「嘘吐けテメェっ! 小豆と山葵の、ある種奇跡なコラボ御萩が、美味い訳ねぇだろうがっ! 丸々1本だぞ!?」
「これで美味いと言えるのは、多分桜さんだけです」
苛立ったようにガンと机を叩く昏夢と、落ち込んだようにその場で肩を落とす翔真。
しかしそんな2人の様子を気にも留めず、目の前の男はあっと言う間にその山葵入りの御萩を完食した。
それも、物凄く嬉しそうな笑顔で。
「いやー、ご馳走様」
「……今回の山葵御萩と言い、この前のジョロキアパイと言い、更にその前のマスタードシュークリームと言い……本気で俺、桜さんの舌を心配するんだけど」
「心配するだけ無駄だ下っ端。このカスの味覚音痴は、きっと一生治らねぇ」
「この街でもトップクラスで有名な味覚音痴ですものね、桜さん。お店の人に、“桜さん仕様でお願いします“って言ったら、適当に作って下さいますもん」
「……本気で言いたい放題だな、お前ら」
苦笑気味に言いながら、桜は出された茶で軽く喉を潤す。まるで、本題に入る為に気分を変えようとするかのごとく。
その空気を感じ取ったのだろう。蜻蛉は深々と一礼すると、御萩の乗っていた皿を下げ、懐中に忍ばせていたICレコーダーのスイッチを入れる。同時に昏夢と翔真は居住まいを正し、ファウストは無意識の内にすっと目を細めていた。
「お前ら、ここ一月の嵐府の行方不明者の数を知ってるか?」
「……以前は、毎月3件前後の捜索願が出てたっけナ。それも大体が家出人だ。だが……」
「この事務所に来ている“人探し“の仕事は、今月で7件。その内、プチ家出が2件でしたが、残る5件は手がかり無し。今も所長と舞夢さんが捜索中です」
桜の言葉に、昏夢、蜻蛉の順で答える。
確かに、今月に入ってからと言うもの、「人探し」の依頼が増えている。月の頭頃は、良くある家出人探しだと思っていたのだが……同じ様な依頼が立て続けに入って来た事を考えると、流石に不審に思える。それも、ほとんどが「家出しそうに無い人物」の失踪。
神隠しとか、拉致とか、そう言う可能性も視野に入れつつ、最近はその「人探し」の仕事をこなしている状態だ。
依頼人達は、今日もいなくなってしまった人の帰りを心待ちにしている。待って待って待ち焦がれて……やがて、待つ事に疲れてしまうのだと、翔真は知っている。
そして……待つ事に疲れた者がどうなるのかも。
「実はな、この一月で出た捜索願の件数は15件。これは普段の5倍の件数だ。それも……今、加速度的に件数が増加している」
「マジかよ……」
「警察も手は尽くしちゃいるが、手がかり無し。神隠しだって噂もある。正直、お手上げ状態なのさ」
「そこで、私達の手を借りようと言う事になったのでしょうか?」
きょとんと目を見開きつつ、蜻蛉はそう問いかける。だが、もしもそうだとしても、こちら側も何の手がかりも持っていない。協力は出来る限りするつもりだが、警察の二の舞になるのは目に見えている。
そうなれば、きっと待つ者はもっと深く落ち込むに違いない。そしてそれは、涙を生む。人が嘆き悲しむ姿は、翔真にとって最も辛い光景だ。
そんな風に思う翔真に気付いたのか、桜は神妙な面持ちのまま首を横に振り……
「探すのは、こちらでやる。依頼したいのは“関連探し“だ」
「……何の関連も無さそうに見えて、実は関連付けられているのではないか。そう思っているという事か、桜竜月」
「その通りだ、ファウスト。俺はこの事件……何か共通項があるに違いないと踏んでいる。だが、警察と言う組織にいる以上、俺は勝手に動く事は出来ない」
空になった湯飲みの中を見つめ、桜が吐き出すように言葉を紡ぐ。
ギリリと奥歯を噛み締め、掌が白くなるほどきつく湯飲みを握り締めるその姿は、街を護る者として感じる悔しさを端的に表しているようにも見える。
だが、この仕事は受けるべきか否か。
左裂翔真個人としては、受けたいと思う。共通項が見つかったなら、その分悲しむ人が減るかもしれないからだ。
しかし、これはあくまでビジネス。人から金を貰って、「失敗しました」では済まされない……それ相応の責任が生じる。果たして翔真に、その責任を負う事ができるのか。
そう、悩んだ刹那。
【迷う必要は無い。翔真、受けろ】
「え?」
いきなり後ろから響いてきた声に振り向くと、そこにはニヤニヤと口の端を歪めて立つサンダーと、黒づくめ怪人の姿があった。
――そう言えば、まだいたんだっけか――
カードの中に引っ込んだ記憶が無い事を鑑みても、彼らはずっとこの事務所の中にいたらしい。今まで視界に入らなかっただけで。
【これは哀喰の仕業ですねー。何となくそんな感じって言うか】
【何となく、じゃないだろゲイル。完璧に、だろ?】
【まあ、そうなんですけど。人間っぽく、“何となく“って言ってみたくなりまして】
黒い方はゲイルと言うらしい。そう言えば、ファウストの持っていた鎌には「闇風」と言う名が彫ってあったか。
相変わらずやる気の無さそうな印象を受けるが、ファウストとは異なり、感情はあるように思う。
「……翔真さん、一応言っておきますが、仕事の選り好みできる状態じゃないです」
「ふえ?」
「赤字なんだヨ、今現在」
「嘘マジ何で!?」
「……所長の雑費に消えています」
――何やってんだよ、あの人は――
雑費。要は「テキトーに使ったお金」と言う感覚らしい。四季の事だ、おそらく仕事中に呑んだ酒代やゲーム代、果ては交通費まで雑費扱いとしているに違いない。
本気で、何をしているのだと問い質したくなるが……肝心の四季は只今舞夢と共に人探しの真っ最中。下手をすると、舞夢辺りが彼女用の化粧品を「雑費」で購入しているかもしれない。
ズキズキと痛む頭を押さえつつ、翔真は1つ深い溜息を吐き出し……
「分った。分りました。共通項を見つけると言うその依頼、受けますよ」
「お、悪いな左裂」
「……そう思うなら、きちんと金払ってください」
半ばねめつける様に桜を見やりつつ、翔真は再び溜息を吐き……ちらりと、サンダーの方に視線を寄せる。
そこには、どことなく楽しそうに口の端を吊り上げたサンダーと、やる気無さそうに後ろ頭を掻くゲイルの姿が見える。
――……大丈夫なんだろうな、本当に――
一抹の不安を覚えながら、三度翔真は溜息を吐き出したのであった。
これから起こるであろう厄介事を考えて……