File.2-1:Devil Twins
「ご馳走様でした」
行儀良く両手を合わせ、何かに感謝するように言う翔真。そんな彼の目の前には、綺麗に空になった皿がある。
右隣に座る四季の皿も綺麗に無くなっているが……問題はその向かい側、翔真の左隣に座るファウストの方にあった。
皿の上には、手付かずの朝食達が、完全に冷めてしまっており、それファウストは不思議そうに眺めているだけで、箸にも触れようとしない。
「何だよ、食べないのか? 折角作った料理が冷めちまったじゃないか。……勿体無い」
翔真の不満を含んだ問いが飛ぶ。
勿論、今日の朝食が高級素材を使っているとかそう言う訳では無い。むしろ近所のスーパーで特売になっていた物だ。
それでも、折角作ったのに、と言う気分は否めない。料理を作った者にとって、残される事は多少なりとも不快だ。まして今回は箸さえも付けられていない。翔真の声に不満が多分に含まれるのも、仕方のないことだろう。
しかし……そんな彼の問いに、予想外にもファウストの顔は不思議そうな物に変わった。
「何だよ、そのキョトンとした顔」
「これは、食事……だったのか?」
「…………失礼極まりない奴だな、お前。ええ、ええ。どうせ俺の腕は一流には程遠いですよ」
一瞬、何を言われたのか理解できず、翔真はファウストとほぼ同じ表情になったのだが、その言葉を悪い意味に取ったらしい。子供っぽく頬を膨らませ、恨みがましい視線をファウストに送った。
しかしその言葉を受けたファウストは、軽く首を横に振ると、皿の上の料理と翔真を交互に見比べ……そして、淡々とした声でその言葉の意味を口にした。
「そうじゃない。俺は……こう言う食事を、はじめて見る。今まで食事と言えば、そこの棚に入っているような、栄養ブロックだったからな」
「……はあ?」
「食事とは、生命維持、栄養摂取のための行為だ。必要な栄養を取るのに、手間をかける必要は無い。そう聞いている」
「それ、普通に考えて虐待だろ!? 今までどんな人生送ってきたんだ、お前!? いや、言わなくて良い。聞いたら凄く後悔しそうだから止めておく!」
混乱しているのだろう。慌てふためきながらも、翔真は口を開こうとするファウストを牽制するようにそう言うと、深い溜息を1つ吐き出した。
――変な奴だとは思ってたけど、ここまで変だとは思わなかった――
最初に見た時、拘束具を着けられていた事から考えても、恐らく彼は「平凡な人生」と言う物を送ってはいないだろうと予想していた。
仕事柄、「平凡から程遠い人生を送ってきた人間」を何度も見ているし、実際に所長である四季もそう言う人間だと、風の噂で聞いているし、翔真自体も「平凡な人生」とやらを送っているとは言い難い。
しかし……目の前のファウストは、翔真の予想できる領域を遥かに超えた人生を送っているらしい。名前を持たず、食事らしい食事も経験した事がない。おまけにあの哀喰とか言う怪人相手に戦っていた。
まるでそれが、彼にとって「当たり前」であるかの様に。
――それって……物心ついた時からそう言う人生を送ってるって事だよな――
そう考えると、何となく寂しいような感じがする。
ひょっとすると、ファウストが無感情に見えるのは……表に出すべき感情を「知らないから」なのかも知れない。
しかし、それは多分、翔真が踏み込むべき領域では無い。人間には誰しも何かしらの過去を持っているし、そこに踏み込んで良いのは限られた関係の相手だけだ。自分とファウストは、そこまでの関係ではない。
そう思って、翔真は軽く目を閉じる。
それは、彼が私人としての左裂翔真から、「Kitty’s House」のメンバーである左裂翔真に切り替える時の仕草だ。
あくまでも、これは仕事。ファウストを助けると言う、依頼に過ぎない。……実際に助けられたのは、翔真の方だが。それ故に、彼は知らねばならないと判断した。
……自分のわからない事、全てを。
「……なあ、いくつか質問があるんだが」
「何だ?」
「まず、最初の質問。哀喰ってのは何なんだ?」
哀喰。四季もその名を知っていた、怪人……と言うか怪物。生理的な恐怖を覚えさせられたあの存在の事を、まず真っ先に知りたい……いや、知らねばならないと思った。
何となく……直感的な物なのだが……哀喰と言う存在が、自分と無関係に思えなかったから。
それを認識しているのか、ファウストはふむと小さく頷き口を開く。
「“ヒト“を構成する“魂“の1つである“悲哀“を喰らって生きる者。故に“哀喰“と呼ばれる」
「お馬鹿さんの翔真にも分り易く説明するとぉ、“悲しい気持ち“は人間にとって必要不可欠なものって事よぉ」
「……四季さん、アンタどこまでも俺に失礼な人だな。でもさ、“悲しみ“は……無い方が幸せじゃないのか?」
そう言った翔真の顔に、一瞬だけ翳が落ちる。四季もファウストもそれに気付くが、あえて見ない振りをする。
四季は彼の表情の理由を知っているし、ファウストは彼の翳になど興味が無い。だから、ファウストは何も見ていないかの様に振る舞い、更に言葉を続けた。
「“存在しない“と“感じない“は違う。悲しみを感じるからこそ、人間はその後に来る喜びを大きく感じると、俺は教わった。悲しみの全く存在しない人生はつまらないとも」
「……それでも、俺は……」
「どうでも良い。考え方に関して議論する気は無い。とにかく、“悲しみ“を喰われれば、人間は形を保っていられなくなる。それだけ理解すれば充分だ」
この話はこれで終わったと言うように、ファウストはそこで話を断ち切る。
これ以上哀喰に関する情報は聞き出せないと判断したのか、翔真も軽く目を伏せて気持ちを切り替える。
とにかく、相手は人を襲い、悲しませる。それだけ分れば、確かに充分だ。相手が、翔真にとって許し難い存在であると言う事を理解するには。
「哀喰には通常武器は一切通用しない。奴らを傷つけられるのは、奴ら自身か、具現者の持つ武器しかない」
「あ、次の質問。その具現者ってのは?」
具現者、ジョーカー、切り札。色々と呼ばれるが、翔真には何の事なのか分らない。
自分もその「具現者」らしいが、正直そう言われても実感が沸かないし、自分があんな怪人相手に戦えるとは思えない。
――そう言えば、最初に俺を“具現者“って呼んだのって……――
翔真の脳裏に、青い怪人……「ブルーサンダー」と名乗っていた存在の姿が浮かぶ。確かに、彼が最初に自分を「具現者」と呼んだ……と言うか任命したらしいのだが……
「哀喰を倒す為の武器を扱える人間の事をそう呼ぶ。どう言う基準で具現者に選ばれるのかは知らんが、哀喰とまともに対峙できる、数少ない人間でもある」
哀喰を倒す為の武器……そう言われて思い浮かぶのは、ファウストが持っていた大鎌と、自分が取り出した剣だろう。
思えば、あまりにも嘘くさい武器であった。
自分の剣はどうなのか知らないが、少なくともファウストの持つ大鎌は、哀喰だけを刈り、自分には何の傷も与えなかった。射程範囲とかそう言った概念も無視し、まさしく「想像を創造」していた。
「武器は現在確認されている物で2種。俺の持つ死鎌の“闇風“と、お前の持つ魔剣の“蒼雷“だ」
「待て。かなり待て。じゃあ、俺もあんな……トンデモな事が出来るって言うのかよ!?」
「具現者だからな。もっとも……」
愕然とした表情で言う翔真をちらりと見やり、ファウストは何故か軽く1つ溜息を吐き出す。それも、とても呆れたような溜息を。
「本来、こういった説明は、お前の武器が、お前を具現者に選んだ時点で行うはずなんだが」
「武器が説明って……まさかこのカードの中の武器、喋るのか!?」
ファウストの呆れの対象は、自分ではなくカードの中にある剣の方だったらしい。その事に気付きはしたが、直後の言葉の方が、翔真には衝撃が大きかった。
武器が、喋る。
果たしてそんな事があるのだろうか。
いや、確かに今日一日で「ありえない」と思っていた事をいくつも覆されてきたが……流石にそれは無いだろう。
祈るようにそう思いながら、翔真は胸ポケットに入れていたカードを取り出し、それを掲げるようにしてファウストに見せた……刹那。
そのカードから這い出るように、埠頭で会った「青い怪人」……ブルーサンダーがその姿を現した。
カードの中は狭かったのか、軽く肩を回し、コキコキと関節を鳴らす。
「えうわぁぁぁっ!? なななな!? 何で……」
「翔真、お前は本当に騒がしい奴だな」
【そうだ。騒ぐな、翔真。俺の具現者ともあろう者が、見苦しいぞ】
「待て、何でカードからサンダーが出てくるんだよ!? しかも何故にファウストは当たり前みたいな顔してる訳!?」
腰を抜かさんばかりに驚いた翔真に対し、ファウストとサンダーの2人が溜息混じりに言葉を吐き出す。
ファウストの呆れたような声は、もう良い。この短時間で聞き慣れてしまった。しかし問題はサンダーの方だ。何故、姿を消したはずのこの青いのっぺらぼうのような怪人が、カードから出てきたのか。
混乱する翔真を他所に、サンダーの方は得意げに鼻を鳴らし……
【俺はお前の剣だからな】
「剣って……じゃあ、カードに書かれてるのは、お前って事か!?」
【そうなるな。と言うか気付け。“蒼雷“と、きちんと俺の名が書いてあるだろう】
「気付けるか! そして人の顔を撫でるな!」
またしても自分の顔を手の甲で撫で回すサンダーに苦情を申し立てつつ、翔真は思い切りツッコミを入れる。
自分の何を気に入り、そして具現者とやらに選んだのかは分らないが、かなりいい迷惑である。しかも、何の説明も無し。ある意味、押し売り、もしくは送りつけ詐欺に近い。
そんな中で、四季はぼんやりと、何とも言えない表情で翔真を眺めているのが見える。
「四季さん! 見てないで何とかしてくれ!」
「いや、何とかって言われても……ねぇ。あのさぁ翔真、君……誰と話をしてる訳ぇ?」
「誰って……え? まさか四季さん、見えてないのかよ? この青のっぺらぼう」
心底不思議そうな声をあげた四季に、翔真は驚いたように声を返す。
サンダーの姿は自分にはきちんと見えているし、触られている感触だってある。それに、ファウストだってサンダーの事が見えているような素振りを見せていたのに、どうして四季にだけ……?
不思議に思ったのを気取ったのか、それとも翔真がポロリと漏らした言葉に反応したのかは定かでは無いが、サンダーの睨むような「目」が、翔真の前に突き出され……
【誰がのっぺらぼうだ。言っておくが、この格好の時の俺達は、具現者にしか見えんし、声も聞こえん。なぁ、ゲイル?】
【…………そーですねー】
いつの間に立っていたのだろうか。サンダーの言葉に棒読みで答えたのは、黒い怪人。全身は黒タイツに包まれたような滑らかな肌を見せているが、サンダー同様顔は人間とは異なる。顔の中央に、大きな目が1つだけ鎮座しており、真っ白な口の中では青い舌が蠢いている。耳や鼻は無く、立ち姿もどこと無くやる気が感じられない。
ゲイルと呼ばれていた事や、その艶やかな「黒」を見る限り、そしてサンダーと言う例を考える限り、信じ難い事だが、恐らくはファウストの武器である大鎌なのだろう。
「今度は黒いの出た!? しかも何でやる気なさそうな物言い!?」
【人を家庭内害虫のよーに言うのはやめて下さい。低血圧で貧血なんです】
「あるのか!? 武器に血って!!」
【ありますよー。そんな人を、血も涙も無いみたいに言わないで下さい】
「普通は無いんだよ!!」
ダルダルな雰囲気を撒き散らしながら言う黒い怪人に律儀にツッコミを入れ、ぐしゃりと髪を掻き毟って怒鳴ったその瞬間。
ゴンと言う鈍い音と共に、翔真の脳天に衝撃が走った。
誰かに殴られたのだと瞬時に理解すると共に、その「誰か」の方に視線を向け……翔真の顔が、僅かに引き攣った。
そこに立っていたのは2人の人間。長い金髪を後ろで括り、午前中だというのに色の濃いサングラスをかけている。街中を歩けば、十中八九の人間が彼らの異様な雰囲気に気圧され、道を開けるだろう。
見た目に怖いというのもあるが、それ以上に……まるで鏡に映しているかのように似ているせいもあるのだろう。
「朝っぱらから煩ぇんだヨ」
「邪魔だ、退けこの穀潰し」
翔真に向かって言いながら、2人は勢い良くかけていたサングラスを外し、それを翔真に向かって叩きつけた。
サングラスの奥から現れたのは、深い色の瞳。翔真から向かって右側に立つ方は琥珀色、左側に立つ方は瑠璃色をしており、数少ない、彼らを見分ける方法が露わになった。
「あら、おはよう、悪魔双子。今日もまた素敵に悪そうな格好だねぇ」
「誰が悪魔だ、このドブス」
「少しは化粧しろ、肌荒れが目立つゾ」
顔を顰めて吐き捨てる琥珀色の瞳の方に対し、瑠璃色の瞳の方は四季の顔を軽く撫でながら、てきぱきとどこからか取り出した化粧道具で四季の顔にメイクを施す。
「四季はさ、磨けばピッカピカに光る女なんだから、もう少し手入れをきちんとしとけヨ」
「だってぇ、面倒臭いしぃ……それに、自分でやるより、舞夢ちゃんにやってもらった方が綺麗に出来るんだもん」
「照れるだろ。そんな誉めんな」
瑠璃色の瞳の方は、舞夢と言うらしい。四季の言葉に軽く頬を赤らめながら、それでも寸分の狂いも無く彼女の唇に紅を乗せる。
それを横目でつまらなそうに見ながら、琥珀色の瞳の方は軽く爪先で翔真を蹴る。
「ちょっ……八つ当たり反対!」
「お前にそんな権利はねーヨ、下っ端。大体、テメーがしっかり管理しないから、四季がグータラになるんだろうが。詫びろ。今すぐ死んで詫びろ」
「酷ぇっ!」
【死なれちゃ困るんだがな】
「サンダーは少し黙っててくれ……」
やってきた「悪魔双子」を上手い事避けて、自分の脇に立つサンダーに翔真は小声で返す。どうやら、自分とファウスト以外に見えないと言うのは本当らしい。
入ってきた2人も、サンダー達に気付いている様子は無い。
――気付いていたら、きっと真っ先に殴ってるもんなぁ――
双子はそう言う人間だ。割と長くから付き合いがあるので、なんとなく分る。
「……とまあ、軽くこの下っ端を弄った所で……おい所長、誰だ、コイツ?」
くい、と琥珀色の瞳の青年が、ファウストを顎でしゃくりながら、メイクが終わったらしい四季に向かって問いかけた。
今まで視界には入っていたものの、聞くタイミングを計っていたらしい。
――まあ、確かに……2人は何も知らないんだもんな――
どう説明する気なのかと不思議に思いながら、翔真はちらりと四季を見やる。
その彼女の顔に浮かんでいるのは、彼女が「所長」である時特有の、不敵な笑顔だった。
経験上、彼女がこういう顔をしている時は、得てして良からぬ事を考えている事が多い。
――凄ぇ嫌な予感――
「今日からウチの職員になった、ファウスト君よぉ」
――職員扱いか!?――
「……ファウストだ」
――しかもファウストも納得してるのか!?――
声には出さず、心の中でのみ思い切り突っ込みつつ、翔真はぎょっと目を見開く。
一体いつの間に話をつけたのだろう。自分が料理を作っている、ほんの僅かな時間で、だろうか。
確かに、ファウストに家があるとは思えない。仮にあったとしても、彼に拘束具を着けるような連中の元に返すのが良いとも思えない。
ある意味、ここに住み込みで働かせると言うのは、一番安全な方法なのかも知れないが……問題はそれを、他の面々が納得するかと言う部分にある。実際、2人は軽く目を細め、ねめつける様にしながらファウストを見つめている。
やがて満足したのか、2人は本当に同時にふんと鼻で笑い……
「ファウストって当然偽名だよな。って事は、また訳アリの奴か。まあ良い。俺は狩生 昏夢。ここでの仕事は警備や護身術指導」
「で、オレが狩生 舞夢。昏夢とは双子で、昏夢が兄貴でオレが妹。仕事は鍵開け、メイク指導、情報収集」
琥珀の瞳の昏夢と、瑠璃色の瞳の舞夢。2人はそう言うと、フフンと不敵に笑ったのであった。