File.1-2:First Attack
青い剣を手に、翔真は蝿の顔をした怪人に向かって思い切り駆け寄る。
だが、翔真は生まれてこのかた剣どころか竹刀すらも振るった事が無い。今はただ、滅茶苦茶に手の中のそれを振るっているだけだ。
慣れぬ故にその軌道が読みやすいのか、怪人は低く唸ると翔真の剣を軽くかわし、逆に拳を、彼の鳩尾に叩き込む。
ドスリという鈍い音の後、殴られた方の体は「く」の字に曲がり、その場に崩れるようにして膝をついた。
――畜生、やっぱ見様見真似じゃ駄目か……――
白濁する視界を、軽く頭を振る事で元に戻すと、翔真は転がるようにして怪人との距離をとる。
殴られた腹が痛みはするが、「何でも屋」と言う職業上、この程度の痛みには慣れている。むしろ、この程度ですんでいる方がありがたいとさえ思う。
以前、危険な部類に入る「オシゴト」をした際、青竜刀を持ったオニイサン達に追いかけられた事はあるが、そちらの方が何倍も怖かったし、実際に痛かった。あの時は仕事を持ってきた四季を軽く恨んだ物だ。
もっとも、今の状況だってあまり嬉しい物ではないはずだ。相手は銃器の効かない怪人で、しかも今回は追い詰められていると来ている。カードから出て来た、得体の知れない青い剣は相手に当たらないし、扱い方を知っているであろう青年は無表情にこちらを見つめているだけだ。
「……随分と振り回されているな。お前はそいつの具現者だろう?」
ようやく青年が口を開いたかと思えば、そんな事を言う。
扱い慣れない物に振り回されるのは当然の事だし、こんな事になるなんて聞いていない。そもそも、このカードは一体何なのか。
「しょうがないだろ。こんな物騒な物、使った事無いんだから! これがはじめてなんだよ!」
「使用の有無は問題にならない。お前のイメージが貧困なだけだ」
「はぁ!? それどう言う意味……だぁぁぁ!?」
青年の言葉に声を返すが、怪人の方も呑気にこちらを待っていてくれる程「お人好し」では無いらしい。注意力が散漫になっているのを機と捕えたのか、翔真の顔面めがけて4つの拳を同時に繰り出した。
それにいち早く気付くと、半ば反射的に青年の頭を押さえつけながらその拳を屈んで避ける。当然、拳は空を切り、その背後のコンクリートの壁に当たる。同時に妙に鈍い音が響き、翔真の後ろにあったはずの壁は怪人の拳を中心に蜘蛛の巣状の皹割れを生み、そのまま壁を打ち抜いた。
――死ぬ、あんな物喰らったら、間違いなく死ぬ――
さあっと顔から血の気が引くのを実感しつつ、先程鳩尾に叩き込まれた一撃が弱い物であった事に感謝しつつ、新たに出来た出口から逃げるようにして怪人との距離を開ける。
……無論、青年の腕を引いて。
それにしても、自分のイメージが貧困とは、一体どう言う意味なのか。
声には出さず目で問いかけると、青年は呆れたような溜息を吐き出し……そして変わらず淡々とした口調で言葉を紡ぎだす。
「奴を斬る自分を想像しろ。具現者は、“想像“を“創造“できる」
「想像を……創造? だからそれ、どう言う意味だよ?」
「まさかお前……説明されていないのか?」
「説明って誰から!? 四季さんは何も言ってなかったし、依頼者からだって、“黒の切り札“を助けてくれとしか言われてないんだよ!」
そう怒鳴るように返した翔真に、いい加減呆れたのだろうか。
青年は軽く溜息を吐き出すと、ズボンのポケットから1枚のカードを取り出す。はっきりと見た訳では無いが、動体視力にはそれなりの自信がある。
青年の右手に納まるカードの基本色は白。中央には鎖に囚われた刀身まで黒い大鎌の絵が描かれており、柄の部分には白色で「闇風」の文字。
――俺の持ってたカードと、似てる……?――
翔真が思うと同時に、青年は先程翔真がやったのと同じ様に、カードの中にその左手を突き入れる。
カードの表面に僅かに波紋が広がり、彼の手が絵の中の大鎌の柄を掴み、引き抜く。
「って、あんたもカードから武器を出せるのかよ!? それ……死神の持つ鎌、か?」
「お前には、説明するよりも見せた方が早そうだ。具現者の何たるかを」
言葉が、翔真の耳に届く方が早かっただろうか。気付いた時には、青年が振りかざしていたはずの鎌は、既に振り下ろされていた。
「……は?」
「何だ、その呆けた顔は? 後ろを見ろ」
「後ろ……って……」
何が起きたのかわからず、ただ言われるがまま、翔真は背後を振り返る。
少し離れた場所には、先程の怪人が立っているのだが……何だか、妙な違和感を覚える。
腕は4本、足は2本、蝿の頭は変わらない。だが……先程まであったはずの、髑髏模様のついた羽がなくなっていた。
「まさか……羽だけ切り落とした、のか?」
「そうだ」
「いや、でも……だって射程範囲外だろ!? それに、間には俺も……」
「俺は、奴の羽を切り落とす自分を想像した。それの想像を、ゲイル……この大鎌が創造したにすぎない」
さも当然と言わんばかりに青年は言葉を放つ。だが……正直、翔真には付いていけない。
――自分が思った事を、武器が実現させた? そんな事がありえるのか?――
目の前で起こった事なのに、未だ翔真の中に存在する常識と言う名の檻が、その事実を否定したがる。
間に立つ自分は無傷で、相手の背にあった羽だけを切り落とす。出来る訳が無い。
「お前に問う。ヒトの頭は何のために存在すると思う?」
「……は?」
「頭突きをするための武器か? 違う。では飾りか? もっと違う」
軽く鎌の柄の部分で自分の肩を叩きながら、青年は翔真に言葉を放つ。
その向こうで、羽根を斬られた怪人が怒りの声を上げている事など、まるで聞こえてなどいないかの様に、淡々と。
「頭は物事を“想像“するために存在する。では、手は何のために存在する? それは想像した事を実現させる……“創造“するためだ。創造した結果、新たな想像が生まれ、また創造につながる。人間の頭と手は、“想像“と“創造“の為だけに存在すると言っても過言では無い」
そこまで言うと、青年はもう1度、今度は翔真にも見える速さでその鎌を振り下ろす。
自分の体を断ち切るはずのその刃は、確かに自分の身の内に沈み込んでいるにも拘らず、翔真に痛みどころか何の感触も与えない。振り返れば、後方にいる怪人の右腕2本がすっぱりと切り落とされていた。
「嘘……だろ? そんな無茶苦茶な……!」
「そう、俺達と言う存在は“無茶苦茶“だ。だから他人からは“ジョーカー“と呼ばれる。常識を嘲笑う者、そして哀喰を倒す切り札……その意味を込めて、な」
再び鎌を振り上げて、青年は声を放つ。
常識を嘲笑う者だと言いながら、その顔には何の感情も浮かんでいない。楽しんでいる訳でも、怒っている訳でも、悲しんでいる訳でもない。
地球上に空気があるのと同じ様に、彼にとっては「それが当たり前」なのだと直感する。
「さてと。では行くぞ“ゲイル“。哀喰を刈りに」
その宣言が聞こえた刹那。青年は自分の横を通り過ぎ、彼の鎌は怪人の首を捕え……見た目通り、その首をすっぱりと刎ね飛ばした。
刎ねられた方は、何が起こったのか理解できなかったのだろう。首の無い胴体は、残る2本の左腕を高々と振り上げたまま固まり、宙に舞う顔は小さく何事か呻き……そして、大地に着く直前で、透明な液体になって消えた。
「溶けた……?」
「違うな。“哀喰“と言う器を失い、喰われた哀しみ……涙となって土に還っただけだ。俺は器を破壊したに過ぎない」
とん、ともう1度鎌の柄で自分の肩を叩きながら、それが当然であるかの様な口調で青年は言った。
消えた怪人……哀喰と呼んだそれのいないここに、もう興味など無いと言いたげな表情で。
「本当に……誰か夢だと言ってくれ……」
「安心しろ、俺は夢を見ない。だからこれは夢ではない」
――何なんだよ、その論理は――
と、ツッコミを声に出す気力も無いのか。
翔真は軽く痛む頭を押さえると、漆黒の大鎌を持った青年と、自分の手元にある青い剣、そして鎖しか描かれていないカードの3つを、それぞれ交互に眺めたのである。
この日から、自分の中にある常識……青年曰く数の暴力とやらが崩壊していく予感に、打ちひしがれながら。
「……只今戻りました、所長」
哀喰と呼ばれる怪人が、青年の手によって「消された」あと。翔真の手の中にあった剣は、彼の意思とは無関係にカードの中に戻り、青年の持っていた大鎌も、同じくカードに戻った。
あのまま持ち歩く訳にも行かなかったので、流石にその事にはほっとしたが……結局、カードを捨てておく事も出来ず、胸ポケットに入れたまま、翔真は青年を連れて「Kitty’s House」に帰って来た。
依頼人の姿は無く、彌侘埠頭の4番倉庫は怪人の拳によって崩壊。所々銃撃の痕も残っている中、流石にそこでぼんやりしている訳にもいかないと言うのが、翔真の判断だった。見つかったら、間違いなく警察沙汰になる。それは翔真としても御免なのだ。
肉体的なものよりも、精神的な疲労の方が濃い。未だ太陽は南中まで行っていないと言うのに、今日はもうこれ以上仕事をしたくない。
そんな風に思う彼を、相変わらずの半裸姿かつ思い切りだらけた姿勢で待っていた四季が出迎えた。
いや、出迎えたと言うよりは、単に視界に入る場所に居た、と言った方が正しい気もする。
「おかえりぃ。どうだった、翔真ぁ?」
「…………今日こそは本気で死ぬかと思った」
「そーかぁ。でも、生きて帰ってきたじゃない。お疲れさん」
自分に割り当てられた席に座って机に突っ伏す翔真の頭を、四季は軽く撫でまわす。
翔真がこんな風にだらけるのは、本当に疲れた時だけだと、四季も知っているからだろう。その手つきはどこか優しく、顔に浮かぶ表情も慈愛に満ちていた。
「んー……って事はぁ、やっぱり出てたんだねぇ、哀喰」
「やっぱりって……まさかとは思ってたけど、四季さん、アンタ知ってやがったのか」
撫で回す手を止めず、さらりと言った四季に対し、翔真もそれ止めようとはしないまま、軽く顔を顰めて言葉を返す。
悔しいが、四季の手は翔真の疲れを癒してくれる。彼女に髪を梳かれるのは、これまた悔しい事に非常に心地良い。心地よすぎて、このまま眠りに落ちてしまいそうになるが……流石にそこは堪え、視線だけ彼女の方に向けた。
逆光になってよく見えないが、どこと無く……悲しそうな表情をしているようで、翔真の胸が締め付けられるように痛む。
「……まぁ、これでも四季さんは、結構ハードな人生送ってるのよぉ。……そうねぇ、一般には知られていない情報だけど、その筋の人間には超・有名よ、哀喰って怪人は」
「その筋てアンタ……」
「で? そこの人は……“黒の切り札“って呼ばれてた人だよねぇ?」
言われ、翔真は思い出したように、連れて来た青年の方に視線を向けた。
相変わらず、特に何の感情も無さそうに自分と四季を見つめている。
……通された時の状態、つまり入り口の前で突っ立ったまま。
「あ、多分。って言うか、突っ立っていないで座れよ。えっと……」
――そう言えば、名前を聞いてなかった――
それこそこれも今更の事なのだが、基本的な事を思い出し、翔真は四季の手を外して身を起こすと、座ったままではあるが、軽く頭を下げ……
「俺は左裂翔真。で、こっちはこの“Kitty’s House“の所長で、四季さん。で……非常に今更なんだが……アンタの名前は?」
「名前……? そんな物、俺には存在しない」
――……え?――
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「ソンザイ・シナイ」と言う名なのかとか、漫画などでありがちなボケをかまそうかとも思ったが……事が事だけに、そんなアホな行動には出られなかったらしい。
きょとんと目を見開き、翔真は小首を傾げて問いを重ねた。
翔真より半歩後ろにいた四季の、寂しそうな表情には気付かずに。
「存在しないって……じゃあ、何て呼ばれてたんだよ?」
「固有名詞を呼ばれた事は無い。『おい』とか『お前』とか『あなた』とか、呼ばれても指示代名詞だ。23年の間存在しているが、俺も特に困らなかった」
「はあぁぁぁぁっ!? 何だそれ!? それで納得してるとか無いだろ普通!」
「生憎と、俺はそれで納得している」
「お前が納得してても、俺が納得しないんだよ!! って訳で、お前は今、この瞬間から”ファウスト”だ!」
「ファウスト……小説の名だったな。しかし何故その名を……?」
「……ねぇ、翔真ぁ」
ポンポンと翔真と青年……便宜上ファウストと呼ばれた彼の間に飛び交う会話に割り込むように、四季の間延びした声が響く。
それに毒気を抜かれたのか、翔真は上がった息を整えて、だらけた様子の四季に視線を向けた。
「……何、四季さん?」
「君を待ってたらお腹空いちゃった。朝ごはんまだ食べてないんだよねぇ。テヘっ」
「”テヘっ”ぢゃねぇぇぇぇっ! アンタ、本気でいい加減自分で料理を作れ!」
折角整えた息が、再び上がる。
翔真のツッコミ癖は生来の物なのか、はたまた四季と関わっている間に培われた物なのかは定かでは無いが、逐一大げさに突っ込んでくれるので、四季としてもからかい甲斐がある。
一回り以上年下の男の子を弄る女性と言うのもどうかと思うが。
「料理の出来る男の子はモテるんだゾっ」
「星!? 今アンタ語尾に星マークつけた!? 悪いけど全っ然可愛くないから! 自分の年齢とか外見とかその他諸々考えてキャラ作りしろ!」
右手でピースマークを作り、それをウィンクした右目に横向きに当てて言う彼女に全身全霊でツッコミを入れつつ、翔真は渋々と言った表情で立ち上がると、彼のトレードマークである紫紺のネクタイをしゅるりと外す。
このやり取りも、この事務所ではほとんど日常茶飯事だ。
四季は料理が出来ない訳ではない。人並みの料理は出来る。ただ、やろうとしないだけだ。何しろ、やってくれる人がいるのだから。
……左裂翔真と言う名の、体の良い下僕が。
「あーもう……鮭と出汁巻き卵と味噌汁で良いな!?」
「上出来。あ、味噌汁の具は豆腐とアサリが良いなぁ」
「アサリは無いからワカメで我慢しろ! そして味噌汁の中身は”具”じゃなくて”実”って呼ぶのが正しいから!」
何で俺が、と不満げに愚痴をこぼしながら、それでも翔真は事務所の奥にある台所へと姿を消す。
結局の所、翔真も四季に頼られるのが心地良いらしい。こぼす愚痴とは裏腹に、その表情はどこか嬉しそうですらあった。
そんな彼を見送ると、四季は惚けた表情から一変して真面目な顔になると、ファウストの方に向き直る。
ファウストの方は……ほんの少しだけ目を細めてから彼女の視線を受け止めると、微かに上がっているかどうか程度に、口の端を上げた。
端から見れば、何の変化も無いように見えたのだが……四季には、それが彼の笑顔だという事がわかるらしい。嬉しそうに……そしてその一瞬後には、寂しそうに笑顔を返した。
「お久し振り……で、良いのかしら?」
「それで良いはずだ。久し振りだな、ビバルディ。いや……今は“四季“か」
「ビバルディ……ふふ、今となっては懐かしい名前ね」
「そうか。相変わらず慎みや恥の欠片も無い格好で何よりだ」
「……その物言いは、ちょっと複雑だわ」
苦笑を浮かべ、ファウストの言葉に四季が返す。もしもこの場に翔真がいたら、彼女の言葉がいつもと違い、間延びしていない事に、気付いただろうか。
顔見知り……と言うには親密で、恋人と言うにはどこかよそよそしい空気が、2人の間に流れる。この場に翔真がいない事も手伝っているのか、四季には余計に空気が重く感じられた。
「今のあなたは……ファウストって呼ぶべきよね。折角翔真が付けたんだから」
「何でも良い。俺に名など意味が無い。それはお前も知っているだろう」
「そうね。でも、あなたはそう思っていても、翔真はそう思わないわ」
「その様だな。……あれが、今の“青の切り札“か」
台所に立っているであろう翔真の方にちらっとだけ視線を向け、ファウストは変わった物でも見付けたかの様に首を傾げる。
自分と同じ、哀喰を見ても泣かない存在。数少ない「哀喰を狩る武器」である「蒼雷」を具現化させる事の出来る、唯一の人物。それが、左裂翔真と言う青年だ。
「その割に……何も知らないな、あの男は」
「哀喰の事も、“蒼雷“の事も、あの子には教えていなかったもの。“蒼雷“自身も、ここにはいなかったし」
寂しそうに笑いつつ言う四季は翔真の外した紫紺のネクタイを見つめる。
翔真が持つ、唯一の「家族の記憶」であるそれを。
「出来る事なら、あの子の両親の願い通り……普通の男性としての人生を送らせてあげたかったけれど」
「……具現者として生まれた以上、無理な相談だ。むしろ、ここまでその"普通"を味わえただけでも幸運だ。それはお前もわかっている事だろう、ビバルディ」
「……わかっているからこそ、辛いのよ」
あえて「ビバルディ」と言う呼び名を訂正せず、四季はファウストにそう返す。
確かに彼女は、彼らがその先、茨の道を歩むであろう事を知っている。だが……否、だからこそ、彼らに人並みの幸せを感じて欲しいと願うのだ。
「……願うくらいならぁ、罰は当たらないわよぉ」
にこ、と「四季」としての顔に戻ると、彼女はいつもの「作ったキャラ」を演じ始める。間延びした言葉も、とろんとした眠そうな目つきも、全ては彼女の作り上げた「四季と言う女性」としての演技。本音を押し殺し、読めない、食えない人物を演出するための。
もっとも、半裸でだらしない格好と言うのは、生来の物らしいが。
「んふふ~。翔真の作る朝ごはんは美味しいのよぉ。って事で……翔真ぁ、まだぁ?」
「っだぁぁぁっ! せっつくなら手伝え! その前に服を着ろマジで!!」
台所から返って来る声を聞きながら、ファウストは思う。
……この先、翔真は今と同じ明るさを保ってられるのだろうか、と。
――具現者は皆、どこかしら壊れているものだからな。この、俺のように――