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ダブル・ジョーカー  作者: 灰猫 弓
1/5

File.1-1:Encounter

皆様こんにちは。


当作品は、「辰巳結愛」としての自作、「灰の虎とガラスの獅子」(こちらは二次創作)のスピンオフ作品……正確には、「劇中劇」のような作品になっております。

現時点では「原作」は無いので、「オリジナル」として扱っておりますが、特撮要素を大いに含んでおります。

それでも構わない、と仰るご奇特な方は、お進み下さい。


それでは、「ダブル・ジョーカー」の開幕です。

 シンと静まり返った夜の街。不気味さを演出しているのは、煌く稲光と吹きぬける疾風。そして2人のシルエットと、それに相対するように立ち塞がる1人の異形。

「全く……次から次へと、人を泣かせる真似をして」

 左側の青年が、苛立たしげに言う。黒を基調としたスーツを纏っており、紫紺の色をしたネクタイが、白いシャツに映えている。紫紺のネクタイと黒のスーツは、「彼」のトレードマークだ。

「仕方ない。それが奴の習性だ」

 右側の青年は、対照的に冷静な物言いで答えを返す。こちらは黒いTシャツにジーンズ。首からかけたシルバーのペンダントは、地球にハートが絡まるようなデザインであり、この世に1つしか存在しない。

「人の涙を求めるのが、連中の本能だ。それ以外は存在しない」

「それもそれで、悲しい存在だな」

 ギギ、と声を上げる異形を見つめながら、左側の青年は哀れむように相手を見る。

 それぞれの手に、色違いのカードを構えて……




 ジリリと、今時にしては珍しいくらいレトロな雰囲気の電話が鳴る。

 それが仕様なのか、それとも買い換えていないだけなのかは分りかねるが。

「あー……電話かぁ……」

 紫紺のネクタイを締めながら、部屋の奥から青年が顔を出す。

 見た印象は10代後半。黒いスーツに身を包み、一見すると葬儀屋のように見えるが、実はれっきとした「何でも屋」である。

 猫探し、ごみ屋敷の清掃と言ったそれなりにありふれた「日常」から、要人警護、証人保護、果ては夜逃げの手伝いなどの危険な「オシゴト」まで、幅広く手がけている。

 彼はその「何でも屋」のメンバーの1人。名を左裂(ささき) 翔真(しょうま)と言った。

「もしもし、お電話ありがとうございます。こちら何でも屋の『Kitty’s House』です。どう言ったご用件でしょうか?」

 受話器を取った翔真がそう問うと、相手は荒い息を受話器に吹きかけた。

――何だ、悪戯電話か?――

 よくある、「下着の色を聞いてくる悪戯電話」かと思い、翔真が思い切り顔を顰めた瞬間。

 荒い呼吸の向こうから、か細い……今にも消え入りそうな声で、相手が言葉を放った。

『頼む……彼を、助けてやってくれ……』

「へ?」

 思いもかけなかった声に、翔真は思わず間の抜けた声を返す。だが、相手の耳には届いていないらしい。細い声のまま、こちらの困惑を無視して言葉を続けた。

『頼む。もう、あんたらしか、いないんだ。……”黒の切り札”を、救えるの、は……』

「ちょっ、ちょっと待て! あんた一体どこの誰なんだ? でもって、今どこにいる!?」

 慌ててメモとペンを取り出しながら、翔真は必死に問いかける。

 相手のあまりの必死さを感じたと同時に、相手が……泣いているように聞こえたから。

彌侘(やた)埠頭、4番、倉庫……そこに、彼…………』

 そこまで聞こえたと同時に、電話はぶつりと音を立てて切れた。

 彌侘埠頭と言えば、この事務所からそう遠くない場所だ。

「翔真ぁ、今の何の電話ぁ?」

「四季さん、あんたまた……服を着ろ服を! それから語尾を伸ばすな、あんた仮にもここの所長だろ!」

「細かいなぁ、翔真ぁ。つか、こっちの質問に答えてないよねぇ、それぇ」

 間延びした声をかけながら、寝惚け眼の半裸女性が翔真の前に姿を見せる。年の頃は30代半ば。整えれば美人の部類に入るのだろうが、ボサボサの髪に吹き出物だらけの顔、更には顔も洗っていないのか目脂が目じりに付いている。

 彼女は四季。本名ではないが、その名で通っているこの何でも屋「Kitty’s House」の所長である。

「わかんねーけど……何か、やばそうだった。”黒の切り札”を救ってくれって」

「ほう?」

 黒の切り札、と言う単語を聞きとめた瞬間、四季の目に光が灯る。

 それまでのぼんやりした空気とは打って変わり、彼女の顔は「所長」と呼ぶに相応しい威厳と雰囲気を醸し出している。

 だらしなさそうな格好をしている事すらも、忘れられる程に。

「とにかく、何か急いだ方が良さそうなんだよ。その……依頼人、泣いてたみたいだし」

「君は本当に、人の涙に敏感だなぁ。……場所は?」

「彌侘埠頭、4番倉庫って言ってた」

「バイクで飛ばして5分ってトコかぁ……」

 どかっと所長専用の椅子に座り、四季は軽く目を伏せる。彼女の頭の中には、この街……嵐府(ランフ)の地図が、某検索マップ並みの正確さでインプットされている。

 ちょくちょく彼女は、「嵐府はアタシの庭だ」と言うが、実際のところ、庭以上にこの街を知り尽くしている。猫の集会所まで知っているんだから、相当な物だ。そこは見習わなきゃいけないと、翔真は思う。

 彼もまた、この街で生まれ育った住民なのだから。

「翔真! 2分以内に現着しろ」

「飛ばして5分って言った側からそれ!?」

「出来ないのかなぁ?」

「いや、出来るけど」

 彼女の雰囲気に気圧され、翔真は小さく呻きながらも頷く。

 普通に走らせれば、確かにバイクで5分かかる。だが……それを2分に短縮する裏道の存在を、翔真は知っていた。

 ……出来うる事なら、あまり通りたくない「裏道」ではあるが。

「現着したら連絡しなさいねぇ」

「了解。んじゃ、行って来ます」

 靴箱の上に乗っていたヘルメットを小脇に抱き、そのままの勢いで事務所の外へと転がり出る。

 ドアの向こうに消えた、黒い背中を見送って。四季は、どこか悲しそうにその顔を顰めて呟いた。

「とうとう、この日が来てしまったのねぇ……」

――願わくば、この先……「2人の切り札」に、幸せが訪れますように――

 四季は、知っていたのかも知れない。

 この先に起こる、この街を舞台にした戦いを……




 「2分で到着するルート」を使い、出発からジャスト2分で彌侘埠頭の4番倉庫前に到着した翔真が感じたのは、きな臭い雰囲気だった。

――何だ、この妙な感じ。空気がピリピリしてやがる――

 そっと物陰に身を隠しながら、翔真はその場を支配する気配に僅かながら身をすくめる。

 静電気が至る所で発生しているようなそんな空気に、彼は無意識の内に目を細めた。

 彼の本能が告げている。関わるな、引き返せと。

――でも……ここで引き返したら、きっと誰かが泣く事になる。それは、嫌だ――

 信念が本能をねじ伏せたらしい。細めた目を軽く開き、翔真はゆっくりと懐中に入れていた携帯電話を取り出す。

 これは仕事なのだと、自分に言い聞かせて。

 2回目のコール音が鳴り止むか否かと言う時に、四季の声が受話器越しに響いた。

『30秒遅刻』

「細かっ!」

『まあ良いわ。で? どんな雰囲気? 君の野生的直感力は、高く評価してるのよぉ』

「それは誉めてんの、けなしてんの!? ……まあ良いや。とにかく、俺としては……結構ヤバイと思う」

 翔真の言葉に、向こうで四季がふむ、と小さく唸る。

 彼女がそう言う風に唸るのは、本当に大変だと判断した時だけだ。恐らくこの一件は、自分が思っている以上に大変な依頼なのかもしれない。

 本当に、ここに来るのが自分で良かったのだろうか。そんな風に考えていると、受話器の向こうから四季の声が響いた。

『翔真ぁ、近くに誰か倒れてたりしない? 依頼者とか依頼者とか、あと依頼者とかぁ』

「依頼者ばっかじゃん! ……見た感じ、誰もいないけど……倉庫の中かも」

『いや、周囲に居ないって言うなら……”消された”んだろうね』

 「消された」……?

 その意味をしばし考え……翔真の背に、恐怖が駆け抜けた。

「それ……ってつまり、殺された……って事?」

 ごくりと唾を飲み込みながら問うが、受話器の向こう側の相手はそれに無言で返す。

 それが逆に、自分の予測を肯定しているように思え、翔真は軽く眉を顰めた。

 彼は、人の涙を見る事を好まない。電話口の相手は、間違いなく泣いていた。だから、助けたいと無条件に思った。それなのに……

 悔しく思ったその時。

 翔真の頭上に、影が落ちた。その影に、そして気配に、翔真はぞわりと嫌な物を感じ取ったらしい。

――不味い、見つかった!――

 影が人の形をしていたのを確認し、体を震わせながらも、翔真は前転しながら相手との距離を広げる。

 瞬間、翔真の視界に影の主の姿が映る。

 殺し屋とか、裏社会の人間とか、そう言うのだと思っていただけに……目の前の相手は、それ以上にヤバイ存在だと知った。

 一瞬、翔真の中にある常識が、その存在を否定する。そんな馬鹿な、こんな物が居る筈ないと。軽く頭を振って冷静になろうとするが、それでも影の主の姿は変わらない。

 それは端的に言えば「怪人」。人間と同じように腕が2本あり、足だって2本、筋骨隆々。しかし……顔は、人間のそれとは違う。

 まず、眼球が無い。それがあるはずの場所は、ぽっかりと窪んでおり、そこから血の涙を流しているような赤い線が顔に縦2本入っている。髪の毛は無く、のっぺりとした印象。鼻と口はあるが、全身は青い。口から2本の鋭い犬歯が覗いており、その奥では二股に割れた真紅の舌先が、ちろちろと蠢いている。

 顔だけでも人間と違うと分るのに、極めつけはその存在の掌に存在する眼球。右手に1つ、左手に1つ、顔に無い代わりに手についているらしい。

 しかも、猫の尾のような物も生えている。普通の猫の尾ならまだ可愛いが、どうやらその先には毒針がついているらしい。きらりと尾の先が光り、その先からぽたぽたと、表現に苦しむ色の液体が垂れており、アスファルトを溶かしていた。

 最初に翔真が覚えたのは、生理的嫌悪。そして次に恐怖だった。

「な……あ? 何、なんだよ、お前……」

 ジリジリと後ずさる翔真に、その存在は同じ速さで翔真に近付く。

 声が上擦ってしまうのは、やはり恐怖からだろう。ゆっくりと差し出された「目」が、品定めするように翔真を見つめる。そして……何かを感じたのだろう。怪人はニィと口元を歪め……

【ふぅん……よし、お前に決めた】

「はぁ!?」

 思わず頓狂な声をあげる。何しろ、相手の声は自分の脳裏に直接響いてきたのだから。

 声ではなく、テレパシーによる一方的な宣告。

 一体、何を決めたと言うのか。

 こいつは自分を殺すつもりなのだろうか。そう思い、翔真の顔に引き攣った笑みが浮かぶ。

 だが……その怪人は、困ったように「目」を(しばた)かせると、そのまま両手を上に挙げた。人間で言う所の、「抵抗しません」と言うポーズだ。

【そう怯えるな。俺は人間を襲うつもりは無い。俺の名はサンダー。ブルーサンダー】

「お、俺は……左裂翔真」

 ブルーサンダーと名乗ったそいつは、再びニマリと笑うと手の甲で翔真の顔を撫で始める。掌で触らないのは、やはり眼球を痛めたくないからなのだろうか。

 無遠慮なその動きに、いささかむっとしながらも、それでもまだ恐怖がある為か翔真はなすがままになっている。

 やがて触るのに満足したのか、サンダーは翔真から手を離し、再び眼球をこちらに向けた。その目に真剣な色が浮かんでおり、翔真は思わず見入ってしまう。

 今更のように、サンダーの瞳の色が、体と同じ澄んだ青である事に気付く。

――海みたいな色の瞳……なんか、どっかで見た事があるような……――

 今までは恐怖と嫌悪で気付かなかったが、そんな風に思った瞬間。再び脳内にサンダーの物と思しき声が響いた。

【翔真、今からお前を、俺の”具現者(ジョーカー)”に任命してやる】

「……待てよ、言ってる意味が分らないんだが」

【その内わかるさ。まあ、それまでに消されない事だな】

 楽しそうな声とは対照的に、言っている事はやはり物騒だ。

 「消される」と言うのは、確か四季も言っていた。

「なあ、その……”消される”って何だ? 凄く物騒なイメージがあるんだけど」

【それも、その内わかるさ】

 鼻がぶつかりそうなくらい近くに、サンダーはその顔を翔真に寄せ……そして、口元を笑みの形に歪めると、まるで煙のようにその姿を消した。

 思わず翔真は目を擦るが、やはりそこには何も無い。

 性質の悪い白昼夢……の割には、随分とリアルな怪人だった。手の甲で撫でられた感触は、今でも翔真の頬に残っている。

「何だったんだよ、今の……?」

 そんな風に呟いた、まさにその時。

 目的の倉庫から、パラパラと発砲音が聞こえた。同時に、何者かの悲鳴も。

 来るなとか、化け物とか言う声も聞こえる。

――化物って……まさか――

 つい先程まで目の前にいた存在の事を思い出し、翔真は物陰に隠れながら、倉庫の中へと忍び込む。幸いにも先程の発砲で鍵が壊れたらしく、侵入は容易だった。

 気配を殺し、様子を窺う翔真の視界に入ったのは……あからさまに危ない職業を生業としているらしい黒ずくめの男達と、その前を悠然と歩く「怪人」の姿。

 そして……その様子をぼんやりと眺める1人の青年。着ている服は……拘束具だろうか。だが、普通は灰色であるはずのそれが、まるで夜の闇を切り出したような深く、暗い黒であるのだが。

――まさか、あの男が依頼人の言っていた”黒の切り札”?――

 拘束具の色などから、何となくその呼び名に納得しつつ、翔真はその青年に視線を寄せる。

 怪人に対して銃火器をぶっ放す男よりも、彼の方が余程冷静だ。冷静に、怪人を観察している。恐怖に顔を歪ませるでもない。不思議そうにしている訳でもない。

 肝が据わっているのか、それとも単に何も考えていないだけか。明らかにプロらしき強面のおじさん達が、恐怖で涙を流しながら銃を撃っているのに、青年の方は全く表情に変化が無い。

 一瞬、人形なんじゃないか、などと思ってしまう程、青年の表情は微動だにしていない。時々瞬きをするから、人形じゃないのだとわかるくらいで。

「泣くな。涙はそいつらの好物だ。余計に引き寄せるぞ」

「う、うわぁぁぁっ! 来るな! 来るなぁ!!」

 青年の言葉など聞こえていないらしい。男達は恥も外聞も無く泣き喚きながら銃を怪人に向けて撃ちまくっている。

 怪人の姿は……確かに、怖いと思う。明らかに人間とは異なる。蝿の顔をした怪人だ。しかも腕が4本、足が2本、背中には髑髏のマークの入った翅が生えている。おまけに、当たった銃弾は全てその皮膚に弾き飛ばされ、軽くひしゃげてコンクリートの床に、コロンと音を立てて落ちる。

 銃器の効かない、見た事も無い怪人。それは普通に考えれば怖い。だが、先程サンダーを見てしまったせいなのか、翔真にはそれ程恐ろしい相手には思えなかった。

 むしろ、その様子を平然と見つめている青年の方に恐怖を感じるくらいだ。

 そんな事を思っている間に、銃声が鳴り止んでいた。恐らくは弾切れだろう。いつの間にか発砲音は聞こえなくなっていた。

 鬱陶しい銃弾が飛んでこなくなって気を良くしたのだろうか。怪人は歩調を速めると、最も近い場所にいた男の頭をがしりと掴んだ。

 刹那、男の体が軽く浮く。

「ひぃっ! た、たす……助けて、くれ……!!」

 ばたばたと浮いた足をばたつかせながら、男は仲間に向かって手を伸ばし、懇願する。涙で、顔をくしゃくしゃにして。

 だが、次の瞬間。男の体が……消えた。

 いや、消えたと言う表現は正しくない。正確には……信じられない事だが……液化して、怪人に吸い込まれてしまったのである。

「う……嘘、だろ!?」

 思わず上がった翔真の驚きの声。しかしそれは、同時に上がった他の男達の悲鳴によって掻き消されてしまう。

 周囲がパニックになると、逆に冷静になると言うが、どうやら本当らしい。驚き、慄く男達とは対照的に、翔真は自分でも驚く程冷静に、そしてこっそりと拘束具を着た青年の側まで駆け寄っていた。

「あんたが”黒の切り札”って奴か?」

「何だ、お前は? どこから入って来た?」

 翔真の声で、初めて彼の表情が変わった。それまでの無表情から、心底不思議そうな物に。

 無機質にさえ思える声に、いささかむっとしながらも、翔真は青年の拘束を解く。

 その間にも、怪人は黒ずくめの男達を液化し、吸い込んでいく。修羅場を潜って来たらしい男達も、人外相手には為す術もないのか。ただ、嗚咽混じりの悲鳴と怒号だけが、翔真の鼓膜を叩く。

 それが、彼には辛い。相手がどんな人間であれ、悲しみから流れる涙は見たくない。

 どうにかしたいが、自分には何の術もない。あんな怪人を相手にする程の力も余裕も無いのだ。今はとにかく依頼を……目の前の男を助ける事を優先するしかない。

 ようやく男にかけられた最後の拘束を解くと、翔真は表に出るべく彼の腕を掴んだ。

 しかし、どうやら時間を食いすぎていたらしい。振り向いた先には、こちらに向かってゆっくりと歩を進める怪人の姿があった。

「嘘……だろ!? 他の連中はどうしたんだよ!?」

「分らないか? 奴に喰われた……いや、”消された”と言った方が正しいか」

「消されるって、そう言う意味かよ!」

 吐き捨てるように翔真は言うと、近付いてくる相手を思い切り睨みつけた。

 恐怖や嫌悪感はある。だが、泣くほど怖い訳では無い。恐怖を上回る怒りがそうさせているのだろうか。

「……哀喰(あいく)を見ても、涙を流さない……お前、俺と同じモノか?」

「あいく? それがあの怪人の呼び名か? つか、あんたと同じって……」

 次から次へと起こる、「非日常」に混乱しているのか。次々に浮かぶ疑問を口にしながらも、翔真は近寄ってくる怪人……青年曰く「哀喰」と言うらしいそれから逃れようと下がる。

 だが、自身の背後にあるのは、壁だけだと言う事も失念していたらしい。硬く冷たいコンクリートの感触を背中に感じて、初めて翔真は壁の存在に思い当たったように軽く目を見開いた。

――拙い、今日こそ死んだ――

 そんな考えが、翔真の脳裏に浮かぶ。今までにも何度か「死ぬかもしれない」と思った事はあるが、今日この時ほど切実に思った事は無い。

 自分が死んだら、悲しむ人がいるだろうか。

 四季は、「何でも屋」をしている以上、命を落とす事もあると知っているはずだから、泣きはしないだろう。仕事仲間も同じだ。経理をやってくれている子だけは、ひょっとしたら泣くかも知れない。

 自分に伸びてくる怪人の手を見つめながら、どこかぼんやりとそう思った瞬間。

 ぱしん、と軽い音と共に、怪人の手が弾かれた。まるで翔真と怪人の間に、見えない壁でも存在しているかのように。

「え? な……?」

「ほう? やはりお前は、俺と同じモノらしいな」

 何が起こったか分らず、驚く翔真とは対照的に、背後に隠していた青年の方は心底愉快そうな声をあげ、目の前の怪人ははじめて不愉快そうに、弾かれた手を摩りながら低く唸った。

「俺と同じ……”具現者(ジョーカー)”。哀喰を狩る存在」

「何だよ、”ジョーカー”って!?  哀喰(アレ)を狩る? 俺にそんな力は無い!」

「なら、お前の上着のポケットに入っているそれは何だ?」

「へ?」

 力一杯怒鳴った翔真に、青年はその胸元のポケットを指差す。

 普段は白いハンカチが入っているはずのそこには、見知らぬ1枚のカードがすっぽりと収まっていた。

 カードの基本色は白。中央には鎖に囚われた青い剣の絵が描かれており、柄の部分には緋色で「蒼雷」の文字が書かれている。

 その絵を見た瞬間、どくりと翔真の心臓が跳ね上がった。

 知らないはずのそれに、何故だか妙な懐かしさを感じる。それと同時に、本能が警報を鳴らす。触れるな、関わるな、今すぐ捨てろと。

「な、何なんだよ、このカード」

「使えば分る」

――使うったって、どうしろって言うんだよ!?――

 そう毒吐く心とは対照的に、翔真の手は勝手にカードを構えていた。

 まるで、その使い方を元々知っているかのように。

――何で、俺……!?――

 左手の人差し指と中指の間にカードを挟み、右手を「カードの中」へ突っ込んだ。

 指先に当たるはずの紙の感触は無い。ただ、水の中に手を入れたような、僅かな違和感があるだけ。冷たくも熱くも無い空間の中、やがて翔真の右手は硬い何かに触れた。

 刹那、彼の耳には何かが砕け散る音が届いた気がした。それは、剣を戒めていた鎖か、それとも彼自身にかかっていた「何か」なのか。

 洪水のように溢れる「カードに対する知識」を整理しつつ、翔真はカードの中から描かれていたはずの剣を引き抜いた。

 絵の中にあったはずのその剣は、確かな重みと質感を持って翔真の手の中に納まっている。刀身も柄も、海のような青を湛え、柄には絵に描かれていた時同様、血のような赤い文字で「蒼雷」と刻まれていた。

「絵の中の剣が出た!? 何だよこれ? マジで何なんだよ!?」

「安心しろ、すぐに慣れる」

「安心できねぇ! つか、慣れたくねぇ!」

 子供向け番組の主人公なら、こんな唐突な出来事もすぐに受け入れて戦うのだろうが、翔真は違う。ごく普通の日常の中で生きる、少しだけ悪運の強い何でも屋だ。

 その「普通の日常」が、このたった数十分の間で崩れていくのを感じ取りながら、それでも翔真は、これは夢だと自分に言い聞かせる。彼なりの、ささやかな抵抗だったのかもしれない。

「夢だよな、これ。それも、最上級の悪夢だ。そうじゃなきゃ、おかしいだろ。こんな非常識な事」

「常識など、数の暴力であり、ただのまやかしだ。お前は自分自身を信用しろ。それが現実と言う物だろう」

 自分自身を信用した物が、現実だと言うのなら。

 翔真の視界に入る怪人の顔、右手にかかる青い剣の重み、耳に届く青年の声。その全ての感覚が、今、この状況を現実だと告げている。

「ああっくそっ! わからねぇけど……やらざるを得ない、ってか!?」

 半ば自棄になったように怒鳴り……翔真は、真っ直ぐに刃を怪人に向けたのであった。


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