魔の森3
「…そう。やっぱり、知っているのね」
顔も思い出せぬ母の、それでも忘れぬ願いの言葉
「…幼い頃、母が、詠っていた。」
その言葉を聞くと、女は一つ息を吸った
そして、母と何一つ変わらぬ旋律で、朗々と詠い始めた
かつて、世界には2柱の神がいた
太陽の神と月の女神
仲睦まじい夫婦だった2神は、5つの精霊を従え世界を作った
海を作り、陸を作り、生命を作った
やがて世界に命が満ちると、2柱の間に徐々に亀裂が走り始める
か弱く、力の無い生命を自分たちが主体的に正しく導くべきだとする太陽の神
未熟だからこそ、無限の可能性に満ちた生命を自分たちは見守るに留めるべきだとする月の女神
太陽の神は力があるのにそれを行使しない、怠惰とも取れる月の女神の思想に
月の女神は己が力を徒に行使する、傲慢とも取れる太陽の神の思想に
ある時、お互いは決定的に決別した。
2神はそれぞれと関係の深かった精霊と、自分が加護を与えた生命、眷属を巻き込み
永遠にも等しい戦争を繰り返した
拮抗した状況を破ったのは、精霊たちの裏切り
永き時の中で自分たちも眷属を作り、力をもった精霊たちは太陽の神の思考に賛同した
そうして月の女神は太陽の神に敗れ、その身を滅ぼした。
太陽の神は自身と精霊たちの眷属に遍く加護を授け、時に天啓を与え導いた
故に、太陽の神の眷属たる生命の子孫である現代の人間は、
光を愛し、陽光の恵みを受けて育ち、
他方、暗闇を畏れ、夜の帳の元では活動をしなくなった
そこまで詠うと、彼女を息を整えこちらを見据える
「…”貴方は、この続きを知っている”」
少し目を閉じ、思いを馳せる
“このお話は、誰にも話してはいけませんよ。”
母の言葉が脳裏によぎる
“けれど、どうか忘れないで。
貴方は、決して一人じゃない。私たちと同じ、同胞にいつか出会えるでしょう。
これは、私たち一族が紡いだ願いの歌。
その時は、この歌が縁を辿る導となるでしょう。
愛しいニザール。どうか、貴方の未来に優しき月光の加護がありますように”
一つ息を吸うと、朧げな記憶を頼りに詠いあげる
けれど、それにはもう一つの物語がある
太陽の神も、始めは月の女神と同じ思想を持っていた
しかし、ある時急に、太陽の神は自身の思想を変えた
月の女神は太陽の神を止めるために戦った
しかし、精霊たちもその思想を変え、月の女神は自身の滅びを悟った
そこで月の女神は密かに己の半身を分け、深い森の中に封じた
そして僅かに残った眷属に、夜を生きるための力を残した、と
いつか遠い未来に、自身と共に、全ての真実を明らかにするものが現れることを願って
赤目白肌はその証
月の女神マーリクの密かな祈りと加護の証
詠いおわると、真っすぐに相手を目を見つめる
「…御伽噺だと、思っていた」
「それはそうね。私達以外、誰も知らない、遥か昔の夢物語」
「でも、御伽話じゃない。女神マーリクの半身はここに眠っている」
驚きに目を見開く
そんな自分を意に介さず、女は続ける
「ここは、女神の祭壇。
この世界に最後に残った闇の楽園。この森には、夜の女神の魔力が満ちている」
「貴方、ここに入ってから調子がいいはず。
夜の女神の眷属は、生きるために夜の魔力が必要」
「魔力に、種類があるのか?」
「ええ。昼の世界、太陽の元で生まれるのは昼の魔力。夜の世界、月の元で生まれるのは夜の魔力。太陽の眷属は、昼の魔力を生命力に変えて生きている。私たちは夜の魔力を生命力に変えて生きている」
…初めて聞く話だが、妙に納得はできる。
初めて聞くのは、それはそうだ。
歴史は、勝者が作る。敗者の歴史など、残す道理がない。
しかも、もしあの歌が夢物語でないのなら、自分たちは今の世界の敵だ
“世界のルールを脅かすもの”だ。わざわざ力を与えかねない記録を残す訳がない
そして、確かに、自分は夜の方が調子がよかった。
コンディションもそうだし、生き方としてもそうだ。
夜目が効き、音もなく生きられるこの身体は、夜の中でこそ生きやすかった
理には、叶っている
「…2つ、聞きたい」
「なにかしら」
「1つ、その話を信じる根拠が薄い。
ならなぜ、太陽の神の眷属とやらは僕を生かしていた。」
自分だったら、徹底的に始末する。特に、この身体は分かりやすい。
忌子など、真っ先に処分される対象だろう
「慎重ね。でも、それはもっとも。
答えは、”わざわざ始末する必要もない”からよ。貴方は、色々な意味で規格外なの」
「2つめの質問、当ててあげようか?”ならなぜ、自分は昼の世界で生きていられたのか、でしょう?」
…ご明察。先ほどの話が正しいのであれば、夜の魔力を十分に接種できていない自分は生命力に十分に変えられない。
そして生命力が薄れるということは
「…なるほど、夜の魔力が薄れた世界では、”闇の眷属は長くは生きられない”そういうことだな?」
「ご名答。わざわざ手を下さずとも、私たちは勝手に衰弱して死んでいく。
十分に魔法も使えず、生命力も弱い。戦争が続くこの世界では、猶更よ。」
どうせ死ぬのなら、無為に殺すより、最低限役に立ってもらった方がいい
それに、先ほどの話が正しいのなら、自身が月の女神の眷属であることを知らないものの方が多いだろう。数も少なかろう。反乱などを起こされる可能性も低い
それなら、余計な工数は割かない方がいい。むしろ、手を下すこと自体に”何か意味があるのでは?”と疑う者が出るリスクの方が大きくすらある
”忌子”としての名称さえ、本来は残したくないものだったのだろう




