第5話
その日は朝から物々しい雰囲気だった。
通常、昼ご飯の後には自由時間があり、子供たちは孤児院の外庭で思い思いに遊んでいる。しかしその日は、外出禁止が言い渡された。当然子供たちは反対するものだと思っていたが、意外にも彼らは世話役の言うことを素直に聞いていた。
「何で、私たち、外、出れないの?」
たどたどしい英語で尋ねる。相手は、あの夜に声をかけてきた少年だ。名前はレオン。堂々としていて、子供たちのリーダー的な存在らしい。年は10歳ほどで、短い赤髪が特徴的だった。
「喋れるようになってきたねエミリー。出れないのはmonsterが出るからだよ」
聞く方は得意になってきたと思う。学生時代の積み重ねにこれほど感謝した事は無い。そして、私もとい俺はエミリーと呼ばれているようだった。幸いな事に、”エミリー”は昔から言葉を喋らなかったらしい。だから、自分の下手くそな英語も受け入れられている。
「monster?」
「そうmonster。でも、クレアたちが街まで応援を呼びに行ってくれてるから大丈夫だと思うよ」
クレアは孤児院の院長だ。年老いているが、いつでも背筋が伸びていて凛としている。彼女の所作には品があり、みんな彼女の事を尊敬している。彼女が対応しているのなら大丈夫なのだろう。
しかし、monsterとは剣呑な響きだ。怪獣とかそういうイメージが浮かぶが、それに近い生物は何だろうか。熊とか狼に対して使う言葉としては大げさな気がするが。
大人しく部屋の中で本を読んでいると、孤児院の外が騒がしくなってきた。どうやら、街からの応援が到着したようだ。気になって窓の外を見てみる。
馬車が三台止まっていた。一つは孤児院のもので、クレアが乗っていった馬車だろう。残りの二つは街から来たもののようだ。幌に見た事の無い紋章があしらわれている。
街から来た馬車からぞろぞろと人が降りてくる。8人だ。
6人は甲冑に身を包んでいた。博物館やテレビで見た事がある気がする。残りの2人はローブを着ていた。一人は白を基調としたローブで、宗教関係者の服装に見えた。もう一人は黒色を基調としたローブだ。宗教関係者というよりは、学者のような雰囲気がある。
彼らはクレアと会話をした後、孤児院の裏、街道と反対側の方へと歩いていった。
「確か、炊事場の窓から裏庭の様子が見えたはず」
日本語で呟きながら居室を出て、炊事場へと向かう。炊事場には先客がいた。レオンだ。窓際に椅子を寄せて、その上に座って窓の外を眺めていた。
「あれ、エミリーも見に来たんだ」
そう言うと、レオンはこちらを手招きした。レオンを真似て、椅子を窓際へ寄せてその上に座る。脚の長い椅子だったので、丁度外が見れる良い塩梅の高さになった。
レオンとエミリーは同じぐらいの背丈だ。女子の方が身長が高い傾向にある事を踏まえると、エミリーは9歳くらいになるのだろうか。
窓の外では8人がフォーメーションを組んでいた。
甲冑を来た6人のうち4人が最前列に立って、孤児院裏の森に対して正対していた。残りの2人が次の列を形成して、ローブの二人は最後列に陣取る。森に対して3つの列が形成された。
最前列の獲物は剣と盾だ。中間の列では弓を構えていた。背中には剣を背負っているので、接近戦になったらそれを使用するのだろう。後列のローブの二人は、杖を持っていた。……杖?
杖は大人の身長ほどの長さがあり、天辺には綺麗な鉱石が括り付けられている。白いローブの杖には真球で緑色の鉱石がついている。黒いローブの杖にはごつごつした形で赤色の鉱石がついていた。あの杖で何をするつもりなのだろうか。
「お、来たぞ」
声を小さくしてレオンが言う。隣を見ると、身を縮こませるレオンの姿があった。じっと見ていると、レオンが上から頭を押さえてくる。
「外から見えにくくしないとダメだろ」
大人しくレオンと同じ体勢を取る。暫くすると、森の木々が揺れるのが見えた。揺れは次第に近づいてきて、それと同時に赤子の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
窓を貫通して聞こえてくる鳴き声は、人間の声に似ていたが、決定的に何かが違っていた。音の正体は何だろうと考えていると、森の中から人影が飛び出してきた。
人影の背丈は子供ぐらいだった。月明かりでしか姿を見る事が出来ないが、それが人間とは違う存在なのは分かった。腕が異様に長く、地面に擦り付けながら走って来る。二足歩行だが、走るときの足の出し方は獣のようだった。常に右足が前に出ていて、左足が前に出る事は無い。足を引きずりながら走っているように見えるが、なかなかのスピードだった。
最初、その人影は猿じゃないかと思った。走り方も似ているし、サイズも近い。
「Goblin!」
隣でレオンが小さく叫ぶ。
ゴブリン⁉、空想上の生き物じゃないか。そんなものがいる訳ないだろう。
レオンがゴブリンと呼ぶ何かは、中列が放った弓に貫かれてあっけなく絶命した。まだ鳴き声は響き渡っていて、これで終わりじゃない事が分かる。
まだ森の中からは何も飛び出して来ないので、先ほど絶命した生物を見るが、ここからは姿形をよく見る事が出来なかった。
人間では無さそうだが、あの生物も”死”を感じているのだと考えると、どうしようもなく心が痛んだ。どんな生物も、最期にはあの恐怖が待ち受けていると思うと、生きるという事の何と儚い事か。
隣で苦しそうな顔をしているのが気になったのか、レオンが声を掛けてくる。
「無理しない方が良いよ。僕も最初に観た時は吐いちゃったから……」
レオンは気遣いの出来る良い男だった。気分が悪くなったのは確かだが、それでもこの景色を見る必要があった。ここにいれば、今いる世界の事が分かる気がしたのだ。
「大丈夫、心配、しないで」
それを聞いてレオンは驚いたようだった。彼の知るエミリー像とは違っていたのだろう。そりゃそうだ。エミリーの中身は成人男性だぞ。
そんな事を考えているうちに、森の中から次々と人影が飛び出してくる。ゴブリンと呼ばれる生物のほとんどは、弓に射抜かれていく。弓を掻い潜った個体は前列の男が構えた剣に倒れて、前列を突破する個体はいなかった。
このまま何事もなく終わりそうだと考えていると、森の中から狼が飛び出してくる。狼にしては身体が大きく、頭には角が付いていた。俊敏な動きで弓を避けながら向かってくる。最初の一体を倒し損ねているうちに、更に2体の狼飛び出してくる。ゴブリンも絶え間なく湧き出ていて、前列を突破するようになってきた。
中列の兵士が剣を抜いて対応するが、弓による助成が無くなったことで、前列の負担が大きくなっている。3匹の狼は前列の兵士から距離を取って、ちょっかいだけかけてつかず離れずで動いている。
状況は悪くなっており、このままだと孤児院も危ないのではという時に、黒いローブが持つ鉱石が発光し始めた。赤くて弱い光が徐々に強くなり、鉱石全体が光で包まれた瞬間に、鉱石から火球が飛んだ。
とんでもない速度で放たれた火球は、狼の身体に直撃する。火球は狼を吹き飛ばし、そのまま身体を燃やし始める。狼はしばらくのたうち回っていたが、最後は地面に伏してその身体を燃やしていた。
黒いローブの持つ杖から火球が2つ放たれる。
一つは狼に着弾し、もう一つは外れた。あてられた狼は悲痛な声を出しながら絶命し、それを横目で見た狼は森の中へ逃走していった。
狼のちょっかいが無くなったことで態勢を立て直せた兵士たちは、粛々とゴブリンを処理して、いつの間にか鳴き声は止んでいた。
「……火球?」
俺はというと、鉱石から放たれた火球に思考が持っていかれていた。
あんな物理現象は見た事が無かった。こぶし大の鉱石から、サッカーボールぐらいの大きさの火球が飛んで行ったのだ。ファンタジーな出来事だ。
そもそも、火球の核は何だ?何かが中心で燃えているのだろうが、狼に当たった後には何も残っていなかった。炎だけで火球を形成していたとしても、狼を吹き飛ばす質量が存在しなくなるので、先ほどの事象と矛盾していた。
やはり中心に何かがあるはずだが、それの正体が分からなかった。
混乱していると、兵士たちがゴブリンの死体を集め始めていた。中列まで来ていたゴブリンの容姿を、そこで初めて確認する。
身体は緑色で、耳と鼻が異様に発達していた。空想上の生き物がそこにいた。
妙に生々しく見えて、思わず嗚咽が漏れる。思えば、狼の姿も知っているものと違った。大柄だったし、何より角が生えていた。
今見た全てが、ここが通常の世界では無い事を物語っていた。生き物はともかく、火球はまるで……。
「レオン、あれって、魔法?」
レオンは満面の笑みで答える。
「そうだよ!俺も撃ってみたいな~」
気が遠くなりつつも理解した。
ここは地球によく似て、相異なる世界。monsterは魔物の事で、goblinはゴブリンの事だ。魔法はあるし、それが当然の世界なのだ。
英語はあるし、同じ星が見えるし、多分今いる場所は地球で、地形も同じだろう。でも、魔物がいて魔法がある世界だ。
龍介に殺された俺は、異世界の女の子の身体に魂が乗り移ってしまったのだ。
「これが異世界転生ってやつか?」
苦笑いで日本語を呟く俺の事をレオンは不思議な顔で見つめていた。