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第2話

 龍介が指定した場所は、オフィスビルの2階部分に入居しているイタリアンレストランだった。形式ばっていて、肩が凝りそうな店を想像していたが、客層は様々で、大学生くらいのカップルから主婦の集まりや、家族連れまでいた。

 俺が堅苦しい店が苦手だという事を分かっていたのだろう。龍介らしいチョイスの店だった。


 入り口に立つ俺に気付いて、店員がやってくる。待ち合わせをしている事を伝えると、すぐに席へと案内してくれた。

 昼間だったが店内は薄暗かった。嫌な感じは無く、落ち着ける暗さだった。店内のレイアウトは緻密に練られているようで、どの席に座っても他の客の視線を気にする必要が無いように、柱やインテリアが配置されているようだった。


 その中でも、一段と奥まった場所に龍介はいた。

 ぼんやりとメニュー表を眺めているようで、こちらの存在にはまだ気付いていなさそうだ。


「よっ」


 声を掛けると、龍介はメニュー表を持ったまま大げさに驚いてみせた。どこか懐かしさを感じさせるその仕草に思わず笑みがこぼれる。


「久しぶりだな」

「うん、と言っても6年ぐらいだけどね」

「6年は長いだろ」


 龍介と連絡が取れなくなってから6年。久しぶりの顔合わせだったが、あの頃と変わらない空気を感じた。昔よりも髪が伸びていて、痩せた印象を受けたが、屈託の無い笑顔は記憶の中にある龍介そのものだった。

 伸びている髪は綺麗にセットされていて、着ている服は質素ながらに上等に見えた。長身で細身の龍介によく似合っていた。

 ささっと注文を済ませると、この6年間何をしていたのかという話題になった。


「龍介は何してたんだ?」


 聞くべきでない事とも思ったが、龍介の自然体な態度につられてつい聞いてしまった。出だしから下手をうったかと顔色を伺うが、龍介はごく普通の世間話といった風に語り始める。


「研究内容が評価されて、ある企業で働いてたんだ」


 嘘をついていると思った。嘘では無いとしても、用意してきたものをそのまま喋っているような、仮初めの話をされている感覚があった。


「忙しかったのはあるけど、一回疎遠になると連絡するのが気まずくて……」


 これは本心からの言葉なのだろう。気恥ずかしくなったのか、龍介は店内の様子を忙しなく見回しながら続ける。


「僕のこれまでが気になるんだろうけど、健太の事も教えてくれよ」

「俺の話か……、あんまり面白くないだろうけど」


 俺は龍介に6年間の出来事を話した。

 大学を出て、会社で働いている事。製品設計の仕事をしていて、それなりにやりがいを感じている事。そして、


「後はそうだな、利香と結婚した」


 龍介は、そうか、と呟く。しばしの沈黙の後料理が運ばれてくる。

 沈黙の中、互いに料理に手を付け始める。どうしようかと逡巡していると龍介が喋り始める。


「そういう話を聞かされると6年って長いんだなって思うよ」

「そりゃそうだろ」


 これでも待った方だぞ、と心の中で悪態を吐く。

 昔から龍介が利香の事を好いているのは分かっていた。だからこそ、幼馴染という関係性ながら、利香に近づきすぎないように気を付けていた。三人の関係性が悪くなるのは嫌だったし、そうなるくらいなら俺には色恋沙汰なんて必要ないとさえ思っていた。

 

 龍介は龍介で、おぜん立てをしてやっても利香にアタックする素振りを見せない奥手な男だった。煮え切らない龍介の態度に頭に来て、夜が明けるまでダメ出しとアドバイスをしたことを思い出す。

 あと一歩をいつ踏み出すのかとやきもきしている内に、龍介と連絡が取れなくなった。



 龍介と連絡が取れなくなってからの利香の落ち込み様は見てられなかった。

 最初こそ、そのうち戻って来ると信じていたが、一年、二年と消息の分からない時期が続いた事で、希望を持つ事も難しくなってしまった。

 そのうち利香は部屋にこもりがちになって、食事もあまり取らなくなった。大学院でモラトリアムを享受していた俺は、時間の融通が利く事もあり、利香の看病に身を投じる事となる。


 龍介が利香に思いを寄せていた事、利香もそれが満更で無かった事を察していたので、利香との関係を深めようなんて事は考えていなかった。だが、龍介は帰ってこなかった。

 利香の辛い時期を支えた事と、龍介との離別を消化した事も相まって、俺と利香はめでたく結婚する事となった。


 離別、看病、結婚、停滞……。


「……本当に長い六年間だったよ」


 思わず口から言葉が漏れる。

 俺の様子を見て龍介は如何とも形容し難い表情を見せる。苦笑と悲哀が入り混じったような悲痛な顔に見える。


 他の客の視線を気にする必要のない店内で良かったと心底思う。

 大の大人が沈鬱な表情で押し黙っている姿は、他の客も気落ちさせてしまうだろう。


 「……なんか明るい話題は無いか?」


 俺は努めて明るく振る舞おうと決めた。結局のところ、一番重要なのは利香と龍介が再会する事なのだ。

 それがどんな結果になるかは分からないし。龍介は会いたくないと言うかもしれないが、嫌でも会って貰わないと困る。幼馴染三人組が前を向いて生きていくには、今日のうちに過去を清算する必要がある。

 そのためには、龍介が利香と再開できるようなメンタルにならないといけないのだ。


「実は、今日会おうって言った事と関係があるんだけど」


 龍介はそう前置きした。先ほどまでの痛々しい様子は見る影も無く、生き生きとした表情に見えた。


「近々僕の仕事が集大成を迎えそうで、正式発表もやるにはやるんだけど、その前に健太に見てもらいたくて」

「……それって、社外秘情報だろ。俺が見ても大丈夫なのか?」

「あぁ、制限はあるけど親しい人間に対しては公開しても構わないっていうお達しがあってね」

「ふーん、面白そうな話だな」

「健太なら絶対に気に入ると思うよ」


 そのまま他愛のない会話をしながら、二人で食事を平らげた。折角のイタリアンレストランだったのでワインを飲もうと思っていたが、健太の職場に寄る必要があるため、アルコールは止めておいた。

 ビルを出ると、龍介はタクシーを捕まえた。


「おい、タクシーじゃなくても良いだろ」

「大丈夫、経費で落ちるから」


 そういうと龍介はささっとタクシーに乗り込み、携帯で地図を見せながら運転手に場所を伝え始める。私用のタクシー利用が経費で落ちるものなのかと呆気にとられつつも、お言葉に甘えてタクシーに乗り込む。


 タクシーで20分ほど揺られていると目的地に辿り着く。案の定、駅からほど近いビルが目的地で、電車でも来れたのではと思ってしまった。

 ビルは大きかった。高さは10階ぐらいだろうが、横に大きかった。よくも駅前にここまで広い土地を準備できたものだと思う広さだった。

 そんな俺を余所に龍介は歩みを進めるので、慌てて後ろをついていく。


 入口をくぐると、殺風景なエントランスが広がっていた。 

 訪問客へのもてなしを想定していないとしても、調度品が無さ過ぎると感じた。社名が分かるような物も無く受付があるだけで、来訪者用の椅子といった、少しの時間を潰すための物も置かれていなかった。


 龍介は受付に立っている警備員に会釈すると、そのまま奥の方に歩みを進めていく。付いて行っていい物かと狼狽えていると、警備員に奥に進むよう促されたので、何となく肩を狭めて龍介の後を追いかける。

 殺風景なエントランスの最奥にはエレベーターがあった。龍介が社員証のような物をかざすと扉が開く。龍介と一緒に乗り込んで、龍介の乱雑な案内に思わずつぶやく。


「……なんか、凄いなお前」

「まぁ、毎日通ってる場所だしね」


 そういう事じゃねぇよ!と思うが、そのまま口に出すのは憚られた。土曜日とはいえ、あまりにも人気を感じないエントランスに面喰ってしまったのだ。どことなく異様な空気に、居づらさを感じていた。


 しばらくするとエレベーターの扉が開く。

 一見、普通のオフィスビルの廊下のように見えたが……。


「えっと、この通路ってどこまで続いてるの?」

「着いて来れば分かるよ」


 通路は下り坂になっていた。頭上に電灯は無く、足元に埋め込まれた照明が頼りない青白い光を発していた。光が弱いため通路の奥の様子は見る事が出来ず、どこまでも道が続いているように見えた。


 龍介に言われるがまま付いていくが、通路は普通じゃなかった。

 壁、床、天井は打ちっ放しのコンクリートで、人がすれ違えるぐらいの幅でひたすら下っている。天井も一緒に下っていっているため、通路の大きさは変化しない。

 景色は変わらないが、ひたすら直線に下っている事だけは分かる。緩やかな下り坂のため、直線距離ではかなり歩いている感覚があった。


「地下に潜っていってるのか」


 龍介は反応しない。龍介の会社に行くと決まってから、どこか様子がおかしい。

 嫌な空気を感じつつも、食事中の龍介の表情が生き生きとしたものだった事を思い出す。龍介の性格的に、人の道から外れた物を嬉々として扱っている事は考えにくい。ぎょっとするような物を見せてくるとは思っていないが、それでも通路の雰囲気が俺の心持ちを固くさせる。


「こんなに直線で歩けるもんなのか?」


 5分ほど歩いたと思う。外で見た敷地よりも長い距離を歩いている感覚があった。それでも終わりの見えない通路と、何の反応も示さない龍介に混乱する。


「それに呼吸もし辛いような……、空気の供給はされてるんだよな?」

「安心してよ、僕が毎日通ってる場所だから危なくないよ」


 ようやく龍介が反応を返すが、振り返ってはくれなかった。それに、呼吸のし辛さは気のせいとは思えなかった。思えば、コンクリートの構造がひたすら続いており酸素を供給するための穴は見当たらない。エレベーターの扉の脇に大きな換気扇があった事を思い出すが、道中には空気を循環させるための設備が無いのだ。


 それでも歩いていると、頭が痛くなってくる。酸素が足りていないせいだと思った。暫く我慢していたが、頭痛は次第に酷くなっていく。終いには頭痛なんて生易しい物ではなく、頭を四方八方からぶん殴られているような痛さになった。

 龍介はこの痛みにどう耐えているのか気になって、彼の方を見ると、目が合った。このビルにやって来てから初めて目が合ったなと考えていると、猛烈な吐き気を感じ、胃の中の物を床にぶちまける。痛みに苦しめられながら、床にうずくまる。

 

 顔を上げて龍介の方を見ると、彼が見下ろしているのが分かった。強烈な痛みで顔をしかめているせいか、視界は赤くもやがかかったようになっており、龍介の表情は分からない。床に座り込んでいる事も出来なくなり、床に身体を投げ出す。

 ほぼ仰向けになりながら、助けを求めて龍介の方に手を伸ばす。


 龍介がこちらに近づいてくるのが分かる。早くこの痛みを何とかしてくれ、と伝えようとするが、喉は引きつって声を出すことは出来ない。

 言葉にならない声を聴くためか、龍介が顔を近づけてくるのが分かる。何かを伝えようと龍介の顔めがけて必死にもがく。潰れかけた視界の中に龍介の顔を収める。


 龍介は笑っていた。

 とても穏やかに笑っていて、それはこの状況にそぐわない表情で、心の底から安心を感じている人間にしか出せないものだった。

 見る者まで安心させる笑顔だなと思っているうちに、俺は通路の上で意識を失った。



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