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資料室の奥

 スマホに表示された「ミツケタ」という白い文字。その直後、背後でガチャリと鳴り響いた資料室のドアの閉まる音は、お前の全身から最後の希望を奪い去った。心臓は、もはや恐怖の鼓動というよりも、どこか遠い場所で鳴る不気味な警鐘のように響き、全身は氷のような冷気に包まれる。久留米の廃校の資料室で、お前は完全に閉じ込められ、そして「見つけられた」のだ。

 スマホの画面は、白い文字を残したまま、ゆっくりと脈打つように明滅し、そして完全に消え去った。その光景は、まるでこの場所が、お前の存在そのものを呑み込もうとしているかのようだった。

 資料室は、これまでになく深い闇に沈んでいた。窓は完全に塞がれ、外界の光は一切届かない。古書の匂いが部屋中に充満し、その中に、微かに土と、鉄のような、しかし今やもっと生々しい血の匂いが混じり合っていた。湿気を含んだ重い空気が、肺の奥まで張り付く。全身の皮膚が、この場所の「重さ」に押し潰されそうだった。

 お前は、もはや恐怖で身動きが取れない。思考は麻痺し、ただ目の前の現実から逃れたいという、かすかな脱出への本能だけが、全身を駆け巡る。どこかに、この状況を打開するヒントはないのか。この闇の中で、無意識に、お前は武器となりうるものを探そうと視線を彷徨わせた。しかし、そこにあるのは、無数の古書と、ただの机、そして……。

 資料室の最も奥、天井まで届くような本棚の影から、すすり泣くような声が、まるで壁の向こうから直接響いてくるかのように、一層はっきりと、お前の耳に届いていた。それは、トイレで聞いた声と同じだ。だが、今回は、その声に、かすかな金属が擦れるような、不快な高音が混じり合っている。まるで、何かが、硬いもので壁を引っ掻き、血を流しているかのように。

 そして、その声に混じって、パタン、パタンと、ページをめくるような音が、さらに高速で、そしてせわしなく聞こえ始めた。まるで、必死に何かを探しているかのように、あるいは、何かから逃れようとしているかのように、その音は闇の中で踊り狂っていた。

 お前は、闇の奥を凝視した。本棚の隙間から、ぼんやりとしたシルエットが、再び現れたのが見えた。それは、以前見たマネキンのような細長いシルエットではない。もっと大きく、人の形を逸脱した、どこか歪んだ、蠢くような塊だった。その塊は、鈍い光沢を放つ黒い皮膚に覆われているようにも見え、その表面には、微かに黒い石材と同じ文様が浮き出ていた。それは、まるで生き物でありながら、無機質な機械のようでもあった。

 そのシルエットは、ゆっくりと、しかし確実に、お前の方へと動いている。その動きは、滑らかでありながら、どこか不自然に震えているようにも見えた。

 恐怖に足がすくみ、お前は一歩も動けない。

 その時、閲覧机の上に置かれたタイプライターのキーが、まるで意思を持っているかのように、ひとりでに動き始めた。カチ、カチ……と、不規則な音が響き、紙の上には、新たな文字が打ち出されていく。

「ノゾイタカラダ」

 お前は、その文字を凝視した。それは、先ほどの警告「ノゾクナ」の続きのようだった。「覗いたからだ」と。一体何を覗いたというのか。この校舎の真実を、異世界の存在を、あるいは、お前自身の歪んだ現実を……。

 文字が打ち出される度に、タイプライターのキーは、びしょ濡れになったかのように不自然に光り、そして脈打つ。その脈動は、まるで生き物の心臓の鼓動のように、お前の神経を逆撫でする。そして、その脈動に合わせて、閲覧机の脚の黒い石材も、脈打ち始めた。その冷たい感触が、お前の指先に直接伝わってくる。それは、お前の心臓の鼓動よりも、わずかに遅く、重苦しいリズムを刻んでいた。

 タイプライターの音に混じって、すすり泣く声は、さらに大きく、そして、どこか狂気じみた笑い声のようにも聞こえ始めた。それは、資料室の四方八方から、壁に反響しながら聞こえてくるかのようだった。

「ココニ キタラ ダメダッタノニ」

 新たな文字が、紙の上に現れる。お前の頭の中に、直接響いてくるような声。この校舎に来たことが、間違いだったと。

 そして、その言葉の直後、資料室全体が、まるで大きく息を吐き出すかのように、空気が一層重くなった。壁も床も、天井までもが、生き物のように歪み、お前の視界を揺らす。

 その揺れる視界の中で、お前は気づいた。

 資料室の奥の本棚が、少しだけ、ずれている。

 これまで、掲示物や物体の位置が微妙にずれる「デジャヴュ」はあったが、今回、本棚がずれているのは、明らかに物理的なズレだった。まるで、巨大な何かが、本棚を無理やり押しやったかのようだ。そして、そのずれた本棚の隙間から、漆黒の闇が、さらに深く広がっているのが見えた。

 その闇の奥から、微かに冷たい風が吹き付けてくる。それは、この閉ざされた空間にはありえない、外からの風のような冷気だった。そして、その風に乗って、微かな土の匂いが、より強く、そして生々しく漂ってきた。理科室で感じた、あの湿った土の匂いだ。

 そして、その闇の奥から、「誰か」が、ゆっくりと、しかし確実に、姿を現し始めた。

 それは、闇の中から、ぬらりと這い出るように現れた。その姿は、人のようでありながら、全身が黒い甲殻のようなもので覆われていた。節々は不自然に長く、細く、その指先は鋭い爪のようだった。顔らしき部分も黒い甲殻に覆われ、ただ二つの赤い光点が、お前の目を見つめている。その光点から、低いうめき声が直接お前の脳内に響く。そして、その全身から、生臭い匂いが直接お前の鼻腔に流れ込んできた。まるで、深い海の底から引き上げられた、腐敗寸前の何かのようだった。


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