第7話
シェア・ルームである六畳間で、駿は会計ソフトの新バージョンをプログラミングしていた。
島田との会話を思い出す。
「経理部の人間が言うにはね、あのソフトは効率的にケアレスミスを防いで不正会計もあぶり出す優れモノだそうだ。だが著作権の問題があるんで、きみを捜していたんだよ」
「ああ、でも、あれはまだ改良の余地があるんで」
「じゃあ、改良版を作ってくれないかなあ。もちろん報酬は払う。いやそれより、会社に戻ってくれないだろうか。二度とあんなことはないようにする。頼む。きみは必要な人材なんだ」
一息ついて、コーヒーを飲む。
と、PC画面にメール着信のアラーム。
「アスカ」宛だった。
見出しには『会わないと、これ拡散するぞ』とある。明らかな脅し。
「…あいつか」
光臣の顔が浮かぶ。ろくな内容ではないだろう。
しばらく悩んだが、つい指先がマウスをクリックした。
社員食堂。食べ終わった明日花のスマホが点滅する。
「明日花ちゃん。なんか来てるよ」
差し出し人を確認する―あのしつこい男からだ。
「いいの。超メーワク系だから」
そう言って、中を見ずにメールを削除した。
窓の外では、雨が降り始めていた。
マンションに帰ってみると、人のいる気配がしない。明日花は六畳間をノックしてみた。
「ただいま!」
反応なし。
(でかけてるか)
リビングに荷物を置いて、スマホをチェックする。
(ん、美和から着信)
美和はキャバクラに勤めていた頃の友人だ。かけ直してみる。
「もしもし。お昼頃、電話した?」
―あ、明日花。大変だよ。あんたのヤバイ写真が流出してたよ。
「ええ!」
ーたぶんあれ、キャバ時代のじゃない。客に氷口移ししてるとことか、ハゲ親父にお尻触られて笑ってるとことかだったけどさ。
声が震える。
「…ほかには?」
―それがさ、LINEで回ってきた一時間後くらいかなあ。ぱっと消えてなくなってたの。
「なくなってた?」
―彼ピが言うには、悪質メールを削除する、なんだっけネット防災とかいう団体が、専用のソフト使って消して回ってんじゃないかって…ね。
美和の彼ピはそばにいるようだ。
―ん、なに?コンピューターに強い人なら個人でもできる?…だって。
「あ、ありがと。ちょっと、切るね。ごめん」
スマホを切って六畳間に向かう。
PCを開くと何かの作業をした痕跡が。
(彼も見たってこと?)
その場にへたり込み、肩を落とす。
ドアが開く音がして、ホラー映画のように駿が現れた。
「…勝手に入らないでくれる?」
「あ。ご、ごめん」
駿が手を伸ばしてPCの電源を切った。
「あの…見た?」
駿は何も答えず、荷物をまとめ始める。
「出て行く」
「ど、どこに…」
「ネトカに戻る」
「な、なんで?」
蚊の鳴くような声だ。
彼は何も言わず、スーツケースを運んでいく。
「心配しなくていいよ。写真は全部削除しておいたから」
明日花は凍り固まったように、その場から動けなくなる。
玄関で靴を履く音。
「待って!」
よくない展開だ。部屋を飛び出し、廊下に出る。
「あの…リベンジ・ポルノもね!」
吐き捨てるように言って、彼が立ち上がる。
「話を…聞いて…」
腕を掴む明日花の手を汚いもののように振り払い、彼が出ていく。
ドアが閉まる音。
残された彼女の目から、じわりと涙がこぼれた。
外は雨だった。スーツケースを引っ張る手が重い。
あの写真を見てから、駿の中にある疑いが芽吹いた。
元カレが疎ましくなった彼女は、男を遠ざけるためだけに自分を利用したのではないか?
ルームシェアを持ち掛けたり、一緒に食事やゲームをしたのも既成事実のため。
楽しいだのあったかいだのという感情を抱いた自分はピエロだった…屈辱。
この分析が正しいのか間違っているのか、判断するだけの人間関係の経験も自分にはない…自己嫌悪。
(やっぱり‥やっぱりだ)
ローラーが側溝に挟まる。
(やっぱり、ぼくみたいな人間は、他人に関わっちゃダメだったんだ!くそ!)
蹴り上げたスーツケースの中にはいろんなものが入っているはずなのに、空っぽのような音がした。