第4話
「あ、そうだ。これから結構忙しくなるから、きみたちのメールアドレス教えといてくれる?」
古謝が鞄の中を探りはじめる。
「だったらLINEにしない?この三人でグループ作ってさ」
「LINE?それって若者たちの聖域でしょ?私なんかがそんな神聖な場所に?くう」
おじさんがなぜか感激している。
「教えて!やり方」
だが、古謝が取り出したのはガラケーだった。
明日花がこの日一番のため息をつく。
「端末の加齢臭が…キツイ」
結局、古謝にはメアドを、明日花と駿がLINEのIDを交換した。
その夜、帰宅した明日花はまたしてもマンションの異変に気付いた。あれ以来カギを指す前に一旦ノブを回すようにしていた。今日もまたノブが回る。
(…あの野郎、合鍵の合鍵かよ)
音を立てないようにゆっくりノブを戻した。
ネットカフェで寝ようと思った。せっかく気分のいい夜にあの男と悶着は起こしたくない。
入り口で受付を済ませる間に、何かを見る。スウェットを来てシャワー室に向かう男の姿。
さっきまで一緒にいた中島駿だ。
駿が出ていった個室をこっそり覗く。スーツケースに着替えらしき衣服が数着ハンガーに掛かっている。
(あいつ、ここに住んでんの?)
シャワーを終えた駿が個室に戻ってきた。
スマホのLINE通知ランプが点滅している。明日花からのメッセージ通知。
〈中島、助けて〉
そのあとに『へるぷ・みー』という猫キャラのふざけたスタンプが続く。
「カシス八杯…酔っぱらいだな」
駿はやれやれという態でスマホをテーブルに置いた。
「だーれが酔っ払いじゃ!」
隣室との仕切りの上から、明日花が顔を出す。
「うわ!」
その顔が消えたかと思うと、ドアからズカズカと入って来た。
「仕事終わりに事務所でシャワーしたはずよね。なんでここでも浴びてんの?」
「や、焼肉の臭いが…」
「陰キャ、コミュ障、オタク、潔癖症…満貫だわ」
駿の顔を覗き込みながら、明日花のディールが始まる。
「今あんた、既読スルーしたね。それと現住所ゴマけてバイトしてるよね?」
「…」
「ギブ・アンド・テイク」
マンションの玄関先で、駿はまだ躊躇っていた。
「やっぱり、そういう他人のプライベートなことに立ち入るのは…」
「本人が、立ち入れって言ってんの!」
「しかし」
「とにかく、あんたは何も言わずに私の横にいてくれるだけでいいから」
ノブをつかんでドアを開ける。
「ねえ、今夜はうちに泊まっていって。ね、いいでしょ!」
明日花はわざとらしい甘え声で室内に向けて聞えよがしに言う。
「あれえ?なんで開いてるのかなあ?電気もつけっぱなし?」
言いながら廊下を進んでいく。
リビングのソファに座った和則の後ろ姿が見える。
「見て。こいつ前に話した、私につきまとっているストーカーよ」
「…えっと、はじめまして」
明日花が駿の腕をつねり、口を閉じろ、のジェスチャーをする。
「プータローのくせに、いつかはバンドでメジャーデビューするとか、ホラばっか吹いてるクズ男くんよ」
駿が心配そうに明日花を見る。光臣の背中が震え始めたからだ。
「ひとの部屋で何してんのよ。このイタいストーカー野郎!」
「あんだと!このクソアマ」
計算外だった。
立ち上がった光臣の手にはナイフが握られているのだ。
壁の警報ボタンを見る。だが、ガムテームで覆い押せないようにしてある。
「な、なによ。あんたにそんな大それたことができるの?あんたみたいな…」
「黙れ!」
襲い掛かってくる。
と、駿が明日花を自分の背後に引っ張った。
(え?)
駿が向かって来る光臣をさっと躱して、足を払う。光臣はマンガのように床に転がった。
「こ、こんなのシャレにならないから」
ナイフを取り上げて、光臣の腕を捻り上げて押さえ込む。
(え。なに?ヒーローじゃん)
私のためにひとりの青年が戦っている。そう解釈した。胸キュン要素。
「ね。や、やめよ」
「痛い痛い!わかった。わかったから離せよ。な、ナイフもおもちゃだから」
明日花が拾い上げてよく見ると、段ボールに銀紙が巻いてある、おもちゃ以下の代物。
安堵の吐息をついてから、明日花が光臣を睨む。
「だから、あんたはダメなのよ!」
ナイフもどきを床に叩きつけた。
明日花は結局、全ての合鍵を没収し二度と近づかないことを条件に光臣を帰した。
翌日も高層ビルの窓を拭いた。
「ゆうべの件…警察、届けないの?」
珍しく駿の方から明日花に話しかけている。
「私の知り合いに弁護士がいるんだけど、ストーカーって立証するの難しいんだって。裁判とかなったら、またあいつと顔合わせなきゃいけないし」
「…」
明日花が駿の顔を覗き込む。
「あれ?心配してくれてんの?他人とは関わりたくない、とか言ってたのに」
「必ずしも、そういうわけじゃ…」
「ね。心配だったらさ、あそこ六畳間が空いてるんだけど…一緒に住まない?」
「え?」
「あ、勘違いしないでよ。ただのルームシェアだから。家賃の半分を払ってくれればいいし」
「いや。それは…」
駿がかぶりを振ったため、ふたりはしばらく黙る。
(そっか。パワハラのせいで、捨てられた子犬みたいに人間不信に…)
憐れむ目で駿を見る。
(よし。私が、この子のビョーキを治してあげる!)
固く拳を握る。
「じゃその話とは別に、今度うち寄ってくれない?パソコンが調子悪くって…」
デスクトップPCを開く。いや、開けない。一目でわかる。
「ああ、これウィルスだね」
キッチンでは明日花が料理をしている。
「あ、やっぱり」
「セキュリティの期限が切れてる。毎年更新しないと」
「毎年?じゃ、もういいや」
「…いいの?」
振り向くと、明日花が料理をテーブルに並べている。
「いいよ。どうせ最近は、スマホばっかだし。ありがと、お疲れ。さ、座って」
駿が料理を見て顔をしかめる。
「出張サービスのお礼よ。どうぞ」
「いや、知ってると思うけど…」
「私は食べないから」
「え?」
「私は、向こうの部屋掃除するんで。中島駿は、ひとりでここで食べていいから。だったら大丈夫でしょ?」