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第1話


 夜のネットカフェ。

 壁の時計は8:15pmを指し、客が漫画や飲み物を自室に運んで行く。

 個室でネットゲームをしていた中島駿はビクリと背筋を立てた。

 背後の扉がノックされたのだ。

「お客様」

 店員の声。駿はゲームを中断して、内鍵を開ける。

「本日も連泊のご利用ですか?」

 黙って頷き、財布の中を見る。千円札二枚しかない。

「あ、あの」

「後払いでも大丈夫ですよ。明日の午後八時までにお願いしますね」

 店員は扉を閉め、隣の部屋へ向かったようだ。

 会員カードをチェックすれば駿が常連なのは明らか。執行猶予をもらったという事だろう。

 慌ててPCをゲーム画面から求人サイトに切り替える。

(当日払いの仕事…)

 世は人手不足だ。さまざま職種がずらりと並ぶ。

 「即日払い」で絞り込んでもけっこうある。

 「クリーン・クルー(ビルの窓拭き)募集中!日給八千円(当日払い)」という一文が目に留まった。

(年齢性別不問。主に高層ビルのため高所に強い方…研修一日あり、か。これなら、他人と話さなくて済むかなあ)

 あらかじめ登録してあるアカウントから、応募ボタンをクリックした。


 翌日「東都ビルメンテ」の研修室に集まったのは、四名の応募者だった。

 前列に二名、駿は後列に座った。

 隣は茶髪の若い女性。名札には「巽明日花」とある。

 壇上には「古謝」という名札を胸に付けた指導教官が立っている。

 白板には「クリーン・クルーの仕事 ①シャンプー②スクイジー③クロス」と書いてある。

「窓拭きの作業は、全三工程です」

 隣でサブ指導員が、モップと洗剤の入ったバケツを示す。

「まずシャンプーモップを洗剤に浸して、ガラス面の汚れを浮き上がらせます」

 古謝の隣で、サブ指導員が濡れたモップを模型のガラス面に浸す。

「これがシャンプー。次に、スクイジーで水分を拭き取ります」

 スクイジーとは、先端にゴム板が付いたT字型のモップに似た道具だ。

「このときスクイジーは、直角ではなく45度に傾けてガラス面に当てる」

 サブ指導員の実演で汚れた水分が下方に押し出される。

「この作業工程をシャンプー&スクイジー、わが社では『シャンスク』と呼んでますよ」

 下方に溜まった汚れを、サブ指導員がクロスで拭きとる。

「最後は、四隅をクロスで磨く…たったこんだけ。簡単でしょ?」

 古謝の誘い笑いに茶髪の女性が反応する。

「楽勝じゃん。ねえ?」

 自分に同意を求めている?そう感じたが、駿は目をそらした。

 初対面の相手にどう接すればいいか、わからないのだ。

 派手めの私服とメイクにも抵抗があった。陽キャ属性は自分とは相容れない。

 その明日花の方も(あれ。こいつ陰キャか)という表情だ。

「そんだけ。こうやって地上でやる分には至って簡単。でもこれを地上三〇メートルでやるとなると意外に大変なんです。強風や疲労などで力加減が定まらず、拭き方にムラができちゃうんだよね」

「ふうん」

「習うより慣れろ。このあとは実地研修に移ります。前のふたりは松岡主任と。うしろのふたりは、今日一日私の班についてもらうのでよろしくね」

 つまり陰キャとギャルの組み合わせだ。


 午前中は座学による研修と模型による実習、午後からは、二人一組での高層ビルでの清掃の実習だった。

 まず指導教官の古謝が屋上からゴンドラに乗り込む。 

「まずこの段階で『自分には無理』って思ったら、正直に言ってね。もし、高所恐怖症とか…」

 屋上で待機する駿と明日花に古謝が言う。

「そんなの、ここ来るわけなくない?」

 明日花がわれ先にとゴンドラに乗り込む。その反動でゴンドラが揺れる。

「わわ!やっぱ、ちょっと怖~い」

 しがみつく明日花に、古謝は手際よく安全ベルトを装着してやる。

「はい、よくできました。じゃ、中島君」 

 駿はゴンドラの下に広がる景色を凝視した。非日常的視界。普段は意識しない奥行きのある空間。

 ビュービュー唸る風の音も聴覚を揺さぶる。

 眉をひそめて目をつぶる。

「中島君…無理そうかい?」

「…」

 駿は深呼吸をして、徐にゴンドラに歩み寄る。

 古謝が手を差し伸べながら言う。

「そうそう。私の手だけ見て」

 言われるままにその手を取り、ゴンドラに乗り込んだ。

「はい。上出来」

 教官はにっこり笑ってからドアを閉めた。

 昇降エンジンが作動し、ゴンドラは地上に向かってゆっくりと降りて行った。


 駿と明日花のペアがゴンドラに乗って、一階の窓ガラスを拭く。

 ふたりの作業ぶりを観察する古謝からの指導が飛ぶ。

「中島君、もうちょっと軽くやってもいいよ。巽さんは、もう少し丁寧に四隅を…」

「あすか。巽じゃなくて明日花って呼んでよ」

「じゃ、明日花ちゃん。中島君も駿君でいい?」

 駿は一瞬の間をおいてから、黙って頷いた。

 明日花が古謝の名札を見る。

「おじさんは…これ何て読むの?」

「コジャ。やっぱ読めない?沖縄じゃメジャーなんだけど。メジャーなコジャ…なあんてね」

 明日花も駿も引き気味の愛想笑いを浮かべる。

「さ、今日中にこの面仕上げるよ~。はい。シャンスク、シャンスク!」

 どうやらこの言葉は、この会社の「エンヤコラ」みたいなもののようだ。

 ゴンドラを操作する。新人たちに慣れさせるため、最初は地上階から始まり徐々に高層階に移った。


 二時間後、ゴンドラはようやく五階に辿り着いた。その頃にはふたりとも汗をかきはじめていた。

「目の前の汚れに向き合うこと」

 駿と明日花は汗を拭いながら古謝を見た。

「まず、怖いから下は向いちゃダメ。窓の内側は内部情報だから、じろじろ見ちゃダメ。空を見ると目眩がするからダメ」

 ふたりが聞き入る。

「これって人生に通じると思わない?過去を振り返るな、他人を羨むな、先のことを思い悩むな、今目の前にあるものに集中せよ…ね、私今いいこと言ってるよね?」

 明日花が失笑した。

「コジャさん、ドヤ顔やめて~」

「あれ、外した?ダメかあ」

 古謝が照れ笑いするのをよそに、駿は神妙に反芻した。

(目の前の汚れに向き合う?)


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