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その六 『蔵座国兵法指南役、道了尊』

 その六


 『蔵座国兵法指南役、道了尊』


 歩幅は人よりも大きく、歩調も乱れることがない。少しの鉤鼻を愛嬌ととらえるならば男振りも悪くない。ただ汚らしい。先ず伸ばし放しの蓬髪がよくない。目付きも悪く、険があるというより獲物を物色している猛禽のような雰囲気がある。

 黒く薄汚れた衣服は民間の者が袖を通せるような代物ではないことだけはわかる。何処ぞで拾ったものか、はたまた盗ったものか。死体から剥いだか。

 骨柄は決して悪くない。身綺麗にすれば舶来の知識に耽溺する学究の徒にでも見えるかも知れぬ。

 名を道了尊どうりょうそんという。

 齢三十をいくつか過ぎている。まだおのれの若さが厭わしくあるが、たかが顎先に生やした髭くらいでは誤魔化せはしない。

 はたから窺ったなら厭世、世棄て人の類いにも見えるであろうが、それは違う。これでも現在は蔵座の兵法指南役という顕職にある身だ。

 頭部が小さいせいか肩が張っているように見え、胴細く脚も細い。ただ腕だけが長大にして逞しい。その腕の動きに合わせ襤褸襤褸の袖が捲れて何やらもぞもぞとした模様が見える。もとは咎人か。背に負った棒状のものが気になるところだ。

 道了尊の双眸は牙状連峰のひとつにへばりつくようにしてある蔵座の主城に向けられていた。


「思っていた以上に」

 周囲の空気を微細に震わすような声は枯れていた。全身で唯一整えられた顎先の髭を指先で練るように繰り、しみったれた国だと言葉を継いだ。

 腰に巻いた雑嚢から細く裂いた干し肉を取り出すと奥歯の奥に押し込み、ぐいと干し肉を噛む。耳下の顎の曲線に瘤のような隆起が走った。

 蔵座に来着して半年あまり。この地を訪れた理由は公にしていない。歩き続けて力尽きた場所が、偶々この小国にしか続かぬ山道であったと、他人には説明している。


 兵法指南役といえば聞こえはいいが、この国では閑職であった。

 現国主に国を強くしようという、或いは国を護ろうという気概がまるでない。それでも形だけは装いたかったものか、ほぼ国主の痙攣のような選択でなんの伝手もない放浪者、道了尊などがすんなりとその座に収まった。

 どうやら、蔵座では未知なるものにてなどと嘯きつつ披露した奇妙な剣技が国主の琴線に(多少は、)触れたようだ。


 兎も角、腕に覚えがある。

 そこいらの三一などに後れはとらぬと常々思っている。刀術も槍術も人並み以上のものを身に付けている。思い上がりではなく、飽くまで今までの経験から道了尊はそのようにおのれを認識していた。

 しかし。

 飽くまで人並み以上、である。悲しいかな自分の才は突き抜けていないことを承知してもいた。

 背に負った袋の中身は大鎌だ。

 自己満足であろうとなかろうと刀にも槍にも限界を感じた道了尊は様々考えた挙句この武器に辿り着いた。いわずもがな、鎌など本来は農具である。道了尊が今負っているものも、とある高名な刀鍛冶に無理をいって作らせた代物であった。

 今のところ技術は発展途上、限界はまだまだ見えない。


 道了尊は癖の強いぐじゃぐじゃの前髪を掻き揚げつつ、低い雲に霞む蔵座の主城を再度見遣った。

「こんな国になったとはつくづく驚きだ」

 ぼつりと前に落した言葉には多分に自嘲が籠っていた。こんな国と断じておきながら、いったい自分はどうなのだろうと、そう思えたからだ。

 横を鋤を肩に担いだ小さな農夫がすり抜けていく。

 街道から逸れた田舎道である。

 朽ちかけた道祖神が見える。

「こんな痩せた土地じゃとれるものなんざ知れてるぜ、なあ爺さん」

 農夫は表情を変えずやや白濁した目を道了尊に向けると、泥だか眉だかわからぬものを歪めて鼻から息を抜いた。

「な。そうだろ」

「たかが知れてても餓えるよかいいべよ」

「そうかい。粟とかさ。腹膨れるかい?」

 道了尊にいわせれば雑穀などいくら喰うても一向腹は膨れぬ。

「米は作らないのかい」

「土地が痩せてる、蔵座あ日が昇るのが遅えし沈むのが早え。無理だ」

 道了尊は吽とも応とも声を発さず、ただ農夫の顔を見ている。見た目の割に声が若い、などと思いながら。

 すると農夫は、一瞬頬を綻ばせた。

「爺さん、名前は」

「そんなもん聞いてどうする。旦那が出世でもしだらいいモン喰わせてくれるてか」

 農夫は一度盛大にくしゃみをし、榊だと名乗った。

「随分と高尚な名だ、畑仕事には向かない」

 農夫は暫く道了尊を見つめ、やがてびっと手洟をかむと、酷く億劫そうな動きで肩の荷を担ぎ直し足取り重く立ち去って行った。

「ふん」

 つくづくつまらぬ国だ。

 農家ばかりで商い家は少なく、買う女も居ない。鶏でも盗んでやろうかと思うほどだ。

 蔵座城に出入りするようになってからというもの、城内で間々すれ違う佳香の婦女子など道了尊のような男にとってすれ違うだけでも拷問に等しい。

 道了尊は今極めて欲求不満であった。

 何か揉め事でもあれば無理やり首を突っ込んで憂さ晴らしでもするところだが、どうにもこの国の人間はすべてに於いて精気が薄く巷では喧嘩すら起こらない。

「まったく」

 なんていう国だと道了尊は頭を抱えたい気分になった。

 それでも無闇に暴れようとは思わない。これでも彼は自分のことを善人だと思っている節がある。ただ手癖だけは悪い。喉が渇いたので目についた家の戸を勝手に開け土間の水瓶から柄杓で水を呷り、ついでに庭に生っていた柿の実をみっつもぎ取った。

 みっつのうちふたつは渋柿であった。道了尊は最後のひとつをごりごりと噛み砕きながら三度睨むように城を仰ぎ見た。薄い雲はいまだ晴れておらず、立派でこそないが日輪の古い型の築城方法を完全に踏襲している蔵座の木造城郭はそれなりに美しくあった。

 牙状の峻険な峰々に密着するかのように建てられているのも良い。

 それでも思う。

「この国は長くない」

 諸国を巡っていれば蔵座周辺の国の動静も自然耳に入る。

 最後のひとつもやはり渋柿であった。


 今日は御前で南部仕込みの体術を絡めた剣技の披露がある。そんなものを見物する余裕があるのならば一人でも多く、いっときでも長く練兵に精を出すか、周辺諸国と密書を交わし、何がしかの協定なり密約なりを結ぶかするかが賢明な国主のとる道だと道了尊は思う。

 はたして現国主三光坊頼益は今、他国から戦を仕掛けられたとするならどうするつもりなのか。まさか何も考えていないことはないと思うが、ほぼ無策に等しい状態で濁流に呑み込まれるが如く戦になだれ込むののが関の山ではないのだろうか。

 最悪戦乱起こったならば。

 とりあえず騒乱に紛れて国主の寵姫、西様こと桔梗を掻っ攫うつもりではいる。

 辛気臭く、喰うものなく、女も抱けぬと散々悪態をつきながらも、道了尊がこの国を離れないでいる理由のひとつはそこにあった。

 桔梗を見たのはこの国に流れ着いて後、とりあえずとばかりに城に出向いたその日であった。

 その日、城主との面会を望む数人の列の先頭に著名な豪商の姿があった。日輪全国に名の知られたその若き商人がどのような用件で蔵座のごとき貧国に顔を出したのか、わずかな興味がわかないでもなかったが、道了尊は詳しく知らない。

 兎も角その商人が持ってきた手土産が何とも珍奇な品物であったらしい。その珍品を一目見んと、本来主城になど顔を出せる立場ではない西の姫が、おのれの稚気の赴くままに来城したというわけだ。


 確、と見たわけではない。


 側室とはいえ貴人であり、道了尊のような襤褸だか人だかわからぬ者が直接目を合わせることはあってはならない。しかし道了尊はそこいらの物わかりのいい輩とは違う。だいたい美姫と聞いてとても我慢できるものではなかった。

 壁板の板と板の隙間から遠く、萌黄の単衣に紫の羅をふわりと羽織った化粧気のない女が形よく立っていた。

「いや、ありゃあ女ってよりも」

 娘か。

 すぐにお付きの数人に囲われ道了尊の視界から西の姫は姿を消したが、その一瞬で十分であった。

 ただ、風体から下男と思しき男と桔梗の距離が随分近いとも感じたものだ。下男など普通、主人と同位の地平に立っていいものではない。

 兎も角、その日のその一瞬以来、道了尊の目蓋の裏に桔梗の姿が焼き付いて離れない。少年期を再訪しているようで肚の底がむず痒くなる思いだが、こればかりは仕方がない。惚れたといわれれば惚れたのだろうし、そそられたといわれれば否定はしない。そもそもその違いなど道了尊にはわからぬ。

 惚れた、したい、だ。

 飯盛り女と雖も惚れねばやらぬ。

「欲しいもんは欲しいからな」

 などと虚空に呟くまでに。

 執着は身を滅ぼすと何処かの誰かがいっていたななどと鼻で笑った。

 そして道了尊はゆるりと丹田に力を籠め、意識的に険しい顔を形作った。

 どのみち今は姓も持たぬ流れ者、伸るか反るかの勝負に出ねば願うものを手に入れることなどできぬ。

 険しい表情を保ったまま城門を潜る。ひょろ長い衛兵が礼をするのには、鷹揚に片手を挙げて返した。

 一の丸付近の庭に至る。数人の士卒とすれ違う際も道を譲ることはない。士卒といえど徒歩。この国では位は道了尊のほうが上だ。

「あ。道了尊先生、本日はなんでも南部仕込みの技を披露されるとか」

 無駄に精力のありそうなひとりがそう声を掛けてきた。

「うむ」

 矢張り道了尊は鷹揚に答えた。

 すると、ひとり目の質問者の斜め後ろに立つ、目だけが印象的なもうひとりが、ずいと前に出、

「私は好事家の類いでして、日輪各国の兵法を学んでおるのです。本日披露の剣技、わざわざ兵法書を取り寄せるほど興味がありまして。いや、実に楽しみだ」

 と笑いを浮かべつついった。

 面倒なのが居たなと、道了尊は若干黒目に鼻白んだ色を滲ませつつ無言でうなずいた。

「如何にも、日輪南部諸国にて使用されている剣技である」

 偉そうにいっているがその実、数年前に偶々意気投合したその術の使い手と名乗る男と酒を飲みながらその技について話をした程度である。そのうろ覚えの会話の内容をもとに後は想像で補って今日を乗り切ろうと道了尊は思っていた。

 まさかそんな遠隔地からわざわざ書物を取り寄せて情報を得ている者がいようとは。

 実に厄介だ。どうしたものか。

 道了尊はやんまに似た男の目をまじと見、

「ならば貴君は多少なりとも覚えがあると」

 そう問うた。

「ええ、その」

「うむ、この」

「護院流」

「ごいん」

「護院流」

「うむ、護院流、け…」

「け?」

「いや。護院流…ぽ…」

「ぽ?」

「…と」

「ええ、刀槍術」

「うむ。と、刀、刀槍術。如何にもそれだ。もっとも自分が習得したのは刀術のみだが」

 やんまは四角い目を丸くして刀術だけでも立派なものです、なにせ刀術編だけでも指南書は四十巻からあるのですからと実に嬉しそうにいった。

 道了尊はそうだ、四十だと答えた。

「で、君」

銭神廿郎ぜにがみ・にじゅうろうと申します」

「うん、銭神君。君、今日の剣技披露の際自分の補助をしてくれまいか」

「え、自分が?」

「少しでも心得のある者に手伝ってもらえるとこちらも助かるのだ。何せ四十巻からある指南書だからな」

「あぁハイ。身に付けている者はおろか護院流刀槍術の全体の構造を理解している者もこの国には少ないだろうと、そういうことですね?」

 といって身を乗り出す銭神の顔は紅潮していた。

 道了尊は太くて長い手の指を一本銭神に向け、お願いできるかなといった。

 銭神の顔は傍目にもわかるほど輝いた。

「勿論喜んで」

 道了尊はありがとうと快活にいって、そっと首筋の汗をぬぐった。


 山鳥の啼くような雄叫びをあげて、道了尊は人型に束ねられた藁束に刃を立てた。

 馬手に刀の柄の末端をしかと握り、太刀の峰に右肩を預けたいを捻る。

 日輪でも珍しい玉砂利の敷き詰められた中庭に、真ふたつになった藁束が落ちた。

 其処此処から短な歓声とまばらな拍手が起こった。

 息が上がっているのを勘付かれぬよう気を払いながら、道了尊は周囲を見回した。


 あれは何某、

 あれは、

 あれは飯綱、

 あれは何とかセイジュウロウ。


 そして、障子の開け放たれた座敷の中心、御簾の向こう側に目を凝らす。座したる者がひとり居り、その横に直立不動で近侍する者が居る。更に左右の武者隠しにも複数控えているものか。要請あっての参上であるが、今以て道了尊は国主の尊顔を拝するはおろか、玉声も耳にしてはいなかった。

 如何でしたかと周囲に身の動きで示して、いそいそと藁人形の残骸を片付ける銭神の表情を横目に窺った。銭神は道了尊の目線に気づき、満面の笑みを返した。

「さて、次なるは」

 いいつつ、このような剣技まるで使えるものではないと思っている。人ひとりに対し、いちいち転げまわらなくてはならぬ技など、戦場で役立つわけがない。しかし問題はそこではない。蔵座の上層がどう見るかである。繰り返すが実際の戦に於いて刀捌きの派手さなど一切必要ない。どのように効率的に相手を斬り、且つ自分の身を安全に持っていくかこそが肝要なのだ。

 一対一の戦いなど遠く昔日。現今は、汗と泥そして血と臓腑にまみれた集団戦の時代である。

 御簾の奥の座したる影が後ろに立つ影に何事か呟いている。

「気に入らんか…」

 裸足の足に力が入る。

 空唾を飲み込んで、道了尊は次なるはと繰り返した。

 やや待ったが差し止めは入らなかった。

 再び銭神に目を遣った。こうして近くに侍らせたのは、おのれの剣技の間違いを修正させようなどといった殊勝な心掛けからではない。その実、もし仮に銭神が間違いを指摘しようものなら勢い斬却する心づもりなのである。銭神さえ斬ってしまえば蔵座にこの刀槍術の実際を知る者はいなくなるだろう。いずれ銭神が兵法狂いであるならば、今後も道了尊が蔵座で扶持を食む上で何かと障りになるは必定であろうし、手を打つならば早いほうが良い。人を斬ることに抵抗や躊躇はあるがそれでも経験のないことではなかった。

 道了尊は銭神のやや潤んだ双眸を見、やさしげな表情を形作って頷いて見せた。

 知っていたが不幸。矢張りそうしたことは禍につながるのだと何処か上の空で思う。

「次なるは馬をもふたつにする斬馬術。とは申しましても本物の馬を斬ってしまっては我が首が飛びかねませぬ故、本日はこの川砂を詰め込みましたる米俵を馬の胴と見立てて御覧に入れまする」

 銭神が真っ赤な顔をして米俵を(ほぼ引き摺って)持ってきた。更に力を込めて木を組みあげただけの台上にどかりと置いた。

 道了尊は咳払いひとつ、皆々様宜しいかと恰も辻に立つ下法使いのごとき口上を朗々と述べた。

 兵法などといった血腥い凶の道よりも、本来自分にはこうした大衆芸のほうが性に合っているのだろうと無意識に思いつつ、道了尊はうろ覚えの技芸の続きを演じるため、左肘を上方へあげ、太刀を右肩に担いだ。

 微かに鼻を鳴らす者数名。

 当然だ、太刀は担ぐものではない。それでも残りの士卒はそれなりに真剣な面持ちで道了尊の動きを注視していた。

 三光坊頼益はどうだろう。道了尊は兎に角それが気になる。幾人に見下げられても構わぬが、国主に飽きられては意味がない。しかし、様子を窺おうにも姿は見えず、御簾の向こうからはしわぶきひとつ聞こえてこなかった。


 ず、と右足を前へ。


 ぐ、と腰を落とす。


 あ、と銭神が声を。

「なんだ」

 思わず小声で問う。銭神は、僭越ながらそれはシンシキ四の型ですよねとよくわからぬ言葉を返した。道了尊は曖昧に頷いた。

「な、ならば左手は添えるだけで御座いませぬか?」

「うむ。これが実践型の四番である」

「四の型」

 斬るか。いや、この姿勢からでは事故を装いにくい。道了尊は黙っていよと銭神に目で示した。しかし如何にも鈍感そうなやんま顔の士卒は、

「加えて先生、四の型であるならば若干太刀が短こう御座る」

 と付け加えまでした。

 横目で周囲を窺えば、銭神の問いに訝しげな表情をする者が数名。

 脂汗が浮く。

 こちらの、と銭神は幾振りか用意してあった太刀のひとつを手に取っていう。

「丸鍔の太刀が適当かと」

 おいおい先生が教えられてるぞと嘲笑混じりの声が聞こえる。更に目を遣れば、御簾の向こうに座したる小さな影が何やら大兵の士に耳打ちしている姿も見える。


 不味いな。


 好い状況ではないことは確かだ。

 どうにかしなくては。道了尊は中腰の姿勢からまっすぐに立ち、ついと左手を銭神に向けた。

「それではその太刀をこちらへ持ってこい」

 急激に口の中が乾き、道了尊の語尾は掠れていた。それでも銭神にはしっかりと言葉を聞き取れたようだ。鬱陶しいことに道了尊の一挙手一投足を注視し一言一句をもらさぬよう相当気を張っている。

「こ、この丸鍔ので宜しいんですね?」

 それは一年前に従軍した戦場で死体から剥ぎ取ったもの。

「そうだ、鞘を払って持ってこい」

 銭神は黒鞘を丁寧に外し、ゆっくりと道了尊のほうへ向かってくる。

 道了尊は肚を決める。

 国主の喰いつきは良くない。


 矢張り不明なる王に気に入られるには派手な演出が、


 道了尊は知らぬ顔でそっと玉砂利を足指に挟んだ。

 特別修練したわけではない。ただ、幼い頃より小器用で不思議と何でもこなせるほうであった。


 近づくまで待って、


 十分近づくまで待って、


 銭神の片足が地に着くその刹那、銭神の足裏の一番体重の乗る位置に滑り込ませるように、道了尊は足指に挟んだ玉砂利を素早く飛ばした。

 丸い玉砂利に足を取られ、銭神がどちらによろけるかまでは予測がつかない。

 それでもこの距離ならば。

 阿、の形に口を広げて銭神はぐらりと右に傾いだ。できれば前方、おのれのほうへつんのめってほしかったのだが、しようがない。


 嗚呼!


 銭神は慌てて体勢を整えようと足を散らすも踏ん張りきれず、手に持った太刀の切っ先をあちらに飛ばしこちらに飛ばしして、やがて士卒らのひと群れに、

 士卒らの声が錯綜する。

 抜き身を手に我が足元に注意を払わぬとは兵士としては失格だと手前勝手な理屈を大音声にて叫んで、道了尊は跳躍した。


 ざ、と音がして銭神の太刀を握った右手が宙を舞った。

 銭神から離れた銭神の右手は太刀を握ったままくるりと一回転し地面に突き刺さった。

 鮮血が迸る。

 銭神の絶叫がこだました。

 道了尊は透かさず国主へ向け額ずき、

「大変なことを致しましたッ。しかし三光坊様、拙者が斬っておらねばあの太刀でいったい幾人に被害が出ていたことでしょう」

 然も自分が危地を救ったのだというようなことをいってのけた。

 背後で銭神がのたうちまわっている。

 周囲は遠巻きにその様子を眺めていた。

 このまま絶命してくれればいいがと道了尊は本気で思う。首まで斬ってはさすがに心証が悪かろうと咄嗟の判断で腕を斬るにとどめたのだが。

 道了尊の申し開きに答える前に、陰影の国主は無言で手をひらひらさせた。どうやら銭神をどこかへ連れて行けとの意が込められている。先程の大兵が大声一喝、さざめく有象無象にその旨伝え、おそらく下級士卒であろう幾人かが(ひとりは道了尊の登城時、真っ先に声を掛けてきた男である)不承不承暴れる同輩を中庭の外へ連れ去った。

 よろけたのが自分のせいであると、よもや誰も思うまいよ。道了尊がそう思うように、この国にあの小技に気付く者などいない。

 後は道了尊の演技次第である。

 はたして鷹揚にするがいいか、大袈裟に釈明をするがいいか判断に迷うところであるが兎に角今はひたすら平伏し、御声のあるまで待つしかあるまい。

 銭神の絶叫が次第に遠ざかり、蔵座城の中庭に静寂が訪れた。

 血のついた太刀がなんとも禍々しい。

 なにゆえと野太い声で言葉を発したのは大兵の士。この場での御山様の口は彼であるらしい。

 平伏しつつ道了尊は頬に微かに武人の圧を感じている。

「何故貴殿はあの者の首を落とさなかったのかと、我が主君は疑問をお持ちだ」

「首を落とすなど滅相もない」

 返答しつつ、落として良かったのかと悔やんだ。

「被害を最小限に食い止めんが為とはいえ蔵座の大事な士卒のひとりを傷つけてしまいました」

 それでも手を斬り落としたのだから士としては死んだも同然である。道了尊は平に御容赦をといって更に大袈裟に平伏して見せた。

「このような場で、あのような失態を見せる者などいらぬと頼益公は仰っておられる」

 なんと厳しいことか。

 それとも突発的に起こった今の事態を利用しての、兵卒たちへの示威行為であろうか。


 どう返答したものか。


 道了尊が何もいわないので大兵の士は斬っても良かったのだと繰り返した。

「頼益公は興が覚めた故、今日はもう下がってよいとのことである。今度折を見て諸国の話を聞かせてほしいとの仰せだ」

「は」

「加えていつでも我が居室を訪れるがよいと申されておる。道了尊殿、御苦労であった」

 と大声でいって、再び御簾の向こうへと姿を消した。道了尊は宙ぶらりんの状態で放り出され、さてどうしたものかと額を地面から離した。


 三々五々中庭を後にする者たち。


 血まみれの太刀。

 両断された藁束。

 人影はまだあるというのに深山の如きこの静寂はなんであるか。

 道了尊は両手をだらりと投げ出してだらしなく膝立ちになると、やや黄みの強い両目をぎょろつかせてあたりの様子を藪睨みに窺った。

 剣技披露である。

 そのような物騒な催しに西の姫が来ぬことなど最初からわかっていたが、もしやという思いが身から剥がれず、無意味に周囲に視線を泳がせる。仮に西様がこの場に居たとて何をするわけでもない。ただ瞼の裏の虚像をより鮮明にしたいと欲を掻いたに過ぎぬ。

 まっすぐになる。

 背骨を伸ばすと思わず喉の奥から妙な声がもれた。どうやらそれなりに緊張していたようだ。


 誰に呼び止められることもなかったが、どこか後ろ髪を引かれるような思いで城門を出た。

 あまり大きくはない楼門である。

 この門で攻め込んでくる外敵を防ぐことができるのか。

 答えは否だ。

 この門のような装飾ばかりの城門など屁の突っ張りにもなりはしない。加えて、山城であるのに城域に至るまでの道程に畝掘りはなく曲輪も数えるほどしか設けられておらぬ。有事の際はいくらなんでも逆茂木くらいは設置するだろうが、寡兵にしてあの意識と技術の低き士卒団である、相手を吟味するまでもなく苦戦は必定。

 籠城戦に賭けるつもりなのか。

 いやいや、その籠城とて…

 道了尊は考えるのをやめた。

 今は背に聳える蔵座城を振り仰ぎ、

「つくづく駄目な国だ」

 あの場にいた二十名ほどが相手ならば、こちらがひとりであろうと武器がある程度揃ってい、あとは馬でもあればそれなりに交戦できそうな気がする。


 戸板に乗せられて銭神が搬出されてきた。

 苦悶に歪んだ顔は青黒く、一見すると既に絶命しているかのようだが、時折戸板の前側を持つ男が後ろを振り向き銭神に声をかけている。同輩であろうふたりは道了尊に気付くことなく、急な山道をくだりはじめた。

 道了尊は手洟をかみ、そっと後をつけた。

 隙あらば。無論そう思いつつ。

 非常に卑劣で矮小な思いばかりが頭にあるから、後ろから暗い目をした男がつけていることなど道了尊はまるで気づいていない。


 つけているのは飯綱であり、


 飯綱を使役しているのは、


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