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その十四 『三人の男』『結』

 その十四


 『三人の男』


 あの公開処刑から数日を経、愈々蔵座主城の天守に狗賓正十郎が登ることと相成った。

 今まで正十郎に付き従ってきた郎党らは以前の児喰高明の担っていた位置につき、正妻桜も新国主の正室の位置へとすんなり納まった。因みに前国主、三光坊頼益の正妻は既に不帰の客となっていた。天守とは別棟で半身腐乱した痛ましい姿で発見されたという。その状況を頼益は知っていたか、それは今や藪の中である。それでも桜はその棟に起居するを厭わぬと涼しい顔でいったものだ。

 蔵座国兵法指南役道了尊こと三光坊宵待は新国主の相談役として天守に常駐することとなった。これは新国主となっても変わらず煮え切らぬ態度の正十郎たっての願いであったそうだ。

 三光坊宵待は、全身全霊をかけて蔵座を住み良い国にしていく所存であると、正十郎の面前で額ずいて見せたものだ。

 折った両膝を張り、立てた踵に尻を乗せ、開ききった五指は蔵座の大地を掴み、ざんばらであった黒髪を後ろに薙ぎ、さらけ出した額をも大地に突き落とし、涙混じりの雅声での、それは見事な平伏であったという。

 或いは、おのれが好き勝手生きてきたことについて生国に対する謝罪であったのかもしれない。


 東の館にて見つかったふたつの遺体。

 鈴蘭と伊福部福四郎。

 このふたりについて様々言葉は飛び交ったが、根拠のない憶測は如何せん持続力に乏しく、時なくして溶け失せるようにやんだ。

 そもそもが東の住人は忘れられた存在。

 鈴蘭と伊福部福四郎の亡骸はひっそりと、それでも丁重に蔵座重代の墓所に葬られたという。


 兎も角表面上は丸く収まった。

 しかし蔵座自体は何も変わっておらぬ。

 大国間にある緊張も干せ乾いた土地も。

 それでもあの日、民衆の誰かがいったように狗賓正十郎を新たに中央に収めたこの国はなんとかなりそうな気がする。

 歴とした後ろ盾があるわけではない。

 依然蔵座は、背後も前方も何処を見晴らしても漠としていた。その漠然とした国家にあって、蒼褪め、総身震わせながらも必死に立ち上がろうともがく頼りない新国主を、国民みんなで守り立てていこうと、蔵座はそうした国へと変貌するのだろう。新国主はおのれの力不足を必要以上に自認しており、国民は自分たちに力のあるを知ったのだから。


 その、新国主の決まった日から宵のことであったという。

 残雪はひとり、山寺への道を歩いていた。

 この国でできることはすべてやった。託すべきものは託し、そうなれば長居は無用である。

 今や丸裸となった橡や銀杏の隧道の、地面に堆積した黄や茶の葉は降っては解ける雪に湿って、相変わらず強い風が吹いている蔵座にあって、かさりとも動くことはない。

 そんな中を残雪は歩いている。

 残雪の目の前に男が姿を現した。

 男は、真っ先に桔梗の手で殺されたと偽の噂にいわれた西の館の下男ハンザキである。もしくは、蔵座城に出仕する若い士卒半崎拾三。同一人である。

 飯綱同様、残雪子飼いのひとりであった。

「相変わらず見事なお手並みで」

 残雪はなにも返さない。ハンザキには既に用がないからだ。

「そう警戒しなくても」

 一見して残雪の表情に変化はない。

 目の前のハンザキ、更には榊と名を変え姿も老爺となり、蔵座の村を徘徊していたりもする。正十郎の処刑に際し真っ先に殺すなと声を上げたのも誰あらん、この男だ。

 その変わり身の巧みさを残雪は買った。出自は詳しくは知らぬがいずれ堂々と日の下を歩ける身ではあるまい。後ろ暗いのは大いに結構、脅迫材料が多いのは残雪にとって好都合である。

 だが、

「俺のことはちゃんと調べなかっただろ」

 ハンザキは口元をひん曲げて笑った。

「いやいや。あの宵待っての、案外腕が立ちそうじゃん? だから先にあんたを殺っとくべきかなあと」

 残雪はなにもいわず身動ぎもせず只ハンザキを見ていた。その姿からひとつでも多くの情報を引き出そうとしているものか。

 ハンザキは笑い、いった。

「俺の本当の名前は銭神三十郎」

 すると残雪は無声音に、ほうといった。

「そうだ、あの宵待が腕を斬り落して殺した廿郎の弟さ。尤も兄貴とは物心つく前から離れて暮らしていたがね」

 ずらりと、三十郎は白刃を抜いた。

「養子に出された家をとおになる前にオン出てからこっち、闇ン中で生きてきた。だからあんたみたいのと知り合って今生まれ故郷にいる。数奇っちゃ数奇な運命さ」

 三十郎はまっすぐに残雪を見ている。額の迫り出したあたりは実兄に似ている。

「それでも、こんな俺でも一端の情愛は持ち合わせているんだよ」

 残雪は一度なにかを考える素振りを見せ、

「今の顔は本物か」

 と問うた。

 三十郎は若干面喰った表情を見せたがすぐに気を取り直し、殺す者には素顔ぐらい見せるさと嘯いた。

「直接手を下したのは宵待でもさ、結局なんやかんや仕組んでたのはあんたじゃん。だからこれでいいんだ」

 一見するに小柄な優男にしか見えぬ。額の形以外は廿郎とそれほど似ていない。

 残雪は何かをいい掛けて手を前に、


 三十郎は下段からその腕を斬り払った。


 血が飛沫き、残雪の右腕が宙に舞う。

「先ずは兄貴と同じ右腕だ。兄貴と同じ痛みを存分に味わってから、死ね」

 どん、と鈍い音を立てて、残雪の右腕が地面に落ちた。

 残雪は腕を斬り落とされても表情を変えない。痛みに惑う様子もない。強いのか、壊れているのか。

 三十郎もそう思ったのだろう、鼻で笑うとさもつまらなさそうにいった。

「痛みには強いか、そうかい。あんたはすげえと思うがね、やっぱりこのご時世喧嘩が強くないと駄目さ」

 佇む残雪に、三十郎はゆっくりとした動作で腰を落とし切っ先を向ける。三十郎の剣術は日輪の何処でも見かける類型的なものである。

「見切りが甘かったねえ残雪さん」

 地を噛み、三十郎が躍り込む。その切っ先は残雪の正中を捉えている。

 あたりに金属のぶつかり合う音が響き、やがて殷々と残響を残し消えた。

 残雪と三十郎の間には飯綱の姿があった。

「あ、飴買鴻!」

「この国でその名を呼んでいいのは貴様ではない」

 残雪は落ちた我が腕を拾い、切り結ぶふたりに背を向けた。

「銭神三十郎、飯綱は強いぞ」

 三十郎はそれでも果敢に目線を絡ませていたが、一合刃を重ねただけで十分飯綱の実力のほどが知れたのだろう、飯綱がわずか息を吐き出した刹那後ろに飛び、そのまま熊笹の藪の中に身を没した。

 声だけが飛ぶ。

「今日は邪魔が入った。また会いにくるよ」

 そして気配が消えた。

 まるで旋風のような男である。

 残雪は背を向けたまま飯綱にいった。

「ずっと尾けていたな」

 飯綱ははいと返事をする。

「できればもう少し早くに出てきてくれるとありがたかったが」

 お陰でこの様だといって、残雪は落とされた我が腕を見せた。

 飯綱は臆面もなくいう。

「人を人とも思わぬ貴方が、人に期待などしないことです」

「尤もだな」

「加療せねば確実に死にます」

「ああ」

 そして残雪は立ち去った。

 飯綱は静かに刀を収めた。



 ※


 明くる日。

 天守には宵待の姿のみがあった。

「狗賓様は」

「ああ、飯綱か」

 寝室に籠っておられると、宵待は苦笑しながら告げた。

「早々にお籠りですか」

「明日からすべてやる、きちんとやると申されてな。まるで稚児よ。先が思い遣られる」

「そのようなこと、最初からわかっていたではありませんか」

 明かり採りの格子からは冬の風。それでも今日は幾分冷気も緩んでいる。陽は出ていないというのに。

「実質宵待殿がこの国を作るのです」

「お前が補佐してくれるのだろう?」

「今はそのつもりです」

「今は?」

「まあ、お気になさらずに」

「この国はどうにかなると思うか」

「無理にでもどうにかせねばなりますまい。そうでなくては貴方のお嫌いな残雪に鼻で笑われてしまいましょう」

「…ああ」

 宵待は笑った。

「ところで飯綱、お前は何者だ」

「何者とは?」

「蔵座の生まれではないようだし、いったいどこから流れてきた」

 飯綱は伏し目に、視線を横へ流す。特に意味はない、強いていうなら謀るのが少し面倒に思えただけだ。

 もう二度とおのれの本性を見せようと思う者に出会うことはないだろう。そうした思いから飯綱は、

「無用な詮索はなさらないでもらいたい」

 塵の積もった木の床に滑らせるように、小さく、とても小さくそういった。

 宵待は鼻を鳴らし、外を見た。

「あ」

 目線の先、遥か遠くには銀色の長髪を靡かせて颯爽と闊歩する怪人の姿があった。

「の野郎」

「おや、右腕がありますね。本当に不思議な御仁だ」

「なんの話だ。まあいい」

 次の瞬間には宵待は天守の間を飛び出していた。

 宵待の両肩の張った背を無感動な眼差しで見送り、飯綱は内耳の奥に残雪にいい含められた言葉を響かせる。


 狗賓には子がない。

 いずれ継嗣、次なる蔵座の王についての話が紛糾することだろう。その際貴様は、狗賓が国主となった時のように、再度民衆に選ばせてはどうかと提案するのだ。


 尤も残雪はこうもいっていた。


 私が生きている以上、そうならなかった場合は再度蔵座を訪れるつもりでいる。


 その言葉の裏側にどういった思惑があるのかは知らぬ。しかしそれでも、桔梗の願いを叶えてくれた残雪の言葉ならば従ってもいいかと、飯綱はそう思っている。

 それが蔵座の繁栄に繋がるのかとだけは問うた。すると残雪は、


 繁栄云々は知らん。ただそうすることで、蔵座が日輪の歴史から消え去ることだけは免れよう。


 そういったものだ。

 人を喰ったものいいはお手の物である。


 その残雪の背を、宵待は追っている。


 遠目に見える銀色と黒色。

 飯綱にしてみればどちらの色も同じに見ゆる。どちらもおのれの思いだけで世の中を生きている、そんな色だ。

 しかしそれは飯綱とて同様。おのれの見たいものを見、欲するものを喰いして今まで生きてきた。この先もそれは変わらぬ。



 ※


「残雪!」

 その髪色はどこへ行っても目立つのだ。

 宵待は長い手を伸ばし、白い革の外套を引っつかんだ。

「待て!」

 残雪は別段驚くこともなく、酷くゆっくりと振り向いたものだ。

「逃げるつもりか?」

「やるべきことはもうない」

 この先どうするかは蔵座次第だと残雪は繋げ、我が肩をつかむ猛禽の脚のごとき手を払った。

「蔵座はまだなにも変わっちゃいない」

「当然だ。私はそのきっかけを作ったに過ぎない」

「なにを偉そうに」

「貴様は一度捨てた祖国で、再度国政の中枢に立ちたいと私に希った」

「そ、そんな風にはいってないはずだ」

「そうか。しかし私にはそう聞こえたぞ。もっと確りとおのれの意思を伝達する術を学んだほうがいいな」

「お、俺が悪いってのか」

「くだらん、いいの悪いの決めてどうなる」

 問答で残雪に敵うはずもなく。宵待は唾棄するような仕草を見せて、結局いい淀む。その隙間に、相変わらずまるで感情の伴わないまま、そうだ折角だと呟き残雪は懐に手を入れ小柄を取り出すと宵待に差し出した。

「ついでといってはなんだが、これを狗賓に返しておいてくれないか。私にはやはり無用のものなのだ」

 宵待は幽かに面倒臭そうな顔をするも、割合素直にそれを受け取った。

 驚くほどに手が冷たい。先ほど飯綱が右腕が云々といっていたことを思い出す。

「無銘だが悪いもんじゃない。もらっておけばいいものを」

 そういわれて残雪は、薄く鼻で笑った。

「あの男は私を恨んでいるだろう」

「当然だ。結果がどうであれ、いっときは殺されかけたんだからな」

「なればこそ。狗賓と再び会うことあれば、私を刺すにその小柄ほどちょうどいいものはない」

 なにを、それはと宵待は言葉を探す。しかし所詮、残雪に掛ける言葉などない。

「それで、私になにか用なのか。生憎人と落ち合わねばならない故」

 そういわれると宵待自身、残雪に対して明確な用件があったわけではない。それどころか、今後一切関わり合いになるのをよそうとまで思っていたのだが。

「け。今までどこに隠れていたんだ」

「寺にいたが」

「ああ、寺か」

 当然である。残雪の蔵座での滞在先はあの山寺しかない。

「あそこの叢原はな、空を読むことに長けている。なかなか使い勝手がいいぞ」

「空?」

 宵待は曇天の空を仰ぐ。夜半には雪になるだろう。今冬はどうやら根雪になるのが遅いようだ。

「天候だよ。尤も、先行きを読めるだけで自在に操れるわけではないが」

「いや」

 それが本当ならばこの先蔵座の大いなる助けとなろう。

「行ってよいか」

 いや待てと宵待は手のひらを突きつけた。

「そうだ、そう。お前伊福部の爺さんが死んだのは知ってるか」

「ああ。自ら命を断つなど愚かしい。加えて人を道連れにするなど」

「…憤ってるのか」

「嘲っているのだ」

「嘲る? 爺さんだって望んだことじゃないだろう…お前、それは」

「おのれが望まずに、どうしておのれの命を断てるという」

 そういわれ、宵待はおそらく初めて伊福部福四郎の心中を思った。自らの命を断つ行為を。そして残雪の嘲りの理由を。

 やや置いて、形はまるではっきりとせぬまでも、薄ぼんやりと理解できたような気がする。

 残雪の心中が、であるが。

 宵待はそれが悔しくて、口を開く。用件はなくとも走っている間はいいたいことが次から次へと頭を巡っていたはずであるのに、こうして面と向かうとまるで要領よく言葉が出てこない。

「と、兎も角お前はろくでもない奴だ。…ああそうだ、あの、民衆を引き連れて城へ行ってだな、」

「どのように衆愚を帰さしめたのか。知りたいのはその理由か、方法か」

「両方だ」

「諸君らの勝利であると、そういったのだ」

 確かにあの段階で蔵座の上層は(伊福部の煽動に因り)ほとんど遁走し、城内に残っていたのはわずかな兵卒のみであった。


 聞け。ここまで来て雑兵の刃に斃れてもつまらぬ。私は諸君らの働きを必ず堕府の上層に伝えよう。引き返し、朗報を待て。


「そんなもんで納得しないだろう? あの状態じゃかなり興奮してるはずだ」

 そう宵待のいう通り、その時点で蔵座の民衆はかなり頭に血が上っていた。

 いいや行く、行って我が手で蔵座の士を懲らすと息巻いていた者も多かった。

 残雪は一言、

「堕府では命令に背かば死だ」

 そういった。


「舌先三寸とはお前のことだ」 

「そうだな。もういいか」

 人が待っていると繰り返す残雪の目線の先に、寒村には馴染まぬ緋が一点。

「あれは…西の女? いや、見たことない女だな」

 残雪は無言である。そして宵待に見切りをつけて歩きだす。

「おい」

 歩みはやまない。

 残雪は足音もなく颯々と歩く。駆け足で追おうとする宵待へ振り向きもせずいった。

「銭神には弟がいる」

「だから何だ」

 宵待は忘れようとしていた名だった。実際このところの日々の煩雑さに、綺麗に忘れていた名であった。その腕を切り落とし、結果命を奪った者の名だというのに。否、だからこそか。

 宵待の足は止まった。

 短絡的なところはあるが、あの優柔不断の塊である狗賓正十郎と組ませるにはちょうどいいのかも知れぬ。

 人格の良し悪しはまた別の話。


「精々寝首を掻かれんようにな」


 そう言葉を残し、残雪は立ち去った。



 ※


 燃え立つ焔のごとき緋色一色の衣装を身にまとった女は、この国の美徳のひとつである楚々とした装いを嫌うかのように、襟元を寛げ、生足を晒し、大股にて腕組みをして立っている。艶やかな黒髪はたくし上げられ形のいい頭頂のあたりで実にいい加減に纏められていた。そこに突き刺された紅い箸もまた、この女の常識にとらわれない奔放さを表している。もっとも普段、おのれを殺すことに神経を砕いているがゆえ、仕事から離れている時はいいだけ好きに振舞いたくなるのは仕方のないことやも知れぬ。


 雪が降っている。


 村の外れの朽ちた祠の前に立ち人を待つ。

 逢引だったらどれほどいいか。

 愛しい男を待つのであれば、この降りはじめた雪とて鬱陶しいものではなくなるだろうに。


「待たせた」

 待ち人は残雪である。

「石切はどうした」

 それはつい数日前までともにいた男の名。

「山ン中でババひってる間に捨ててきたわ」

 女はそういってけらけらと哄笑した。確かに楚々とした女を形作るよりも、こうして野放図にしているほうが女の魅力が引き出されるのかも知れぬ。

 残雪は目の色を殺したまま空を見ている。

「雪ね」

「明日の昼までは降り続く」

「あんたには未来が読めるの?」

「それができれば苦労はない」

「そうね。あんたがそんな能力者なら喰らい付いて絶対に離しゃしない」

「私が嫌いなのだろう」

「どうだっていいわ。兎も角蔵座も根雪になるだろうし。今度は暖かいところへ行きたいわね」

「寒いのは苦手か」

「厚着したくないのよ、野暮ったいから」

 そういって女は長い首に絡んだ遅れ毛を払った。

 残雪はいまだ空を見、女は蔵座の国の全貌を見た。高所から眺めずとも山の辺にひっそりとある小国は簡単に一望できる。

「わたしが生まれたとこよりはましだけど、小さな国よね」

「なればこそ私の意のままになった。まともな国ではこうはいかぬ」

 珍しく殊勝なことをいう残雪の尖った顎のあたりを物怪顔で見つめながら、女はまた小さき国を見る。

管狐くだぎつね、堕府へ行くぞ」

「あんたやっぱり堕府の人間?」

「最初からそういっていたはずだが」

「だってあんた嘘吐きじゃん」

 マア堕府に行けるのは嬉しいけどねと紅い女、管狐は首を曲げて微笑んだ。褐色の肌に白い歯が映えて、婀娜っぽいのだか健康的なのだか判断に迷う。

「堕府に行ったら服買わなきゃさ」

 やや掠れ気味の鼻にかかった声。

 残雪は返事すらしない。しばらく風の匂いでも嗅ぐかのようにしていたが、やがて口を開いた。

「これからもよろしく頼む」

 管狐とは腕利きの情報屋として日輪の暗部で知らぬ者はいない名である。情報屋とは読んで字の如し、情報を商いしている者のことをいう。

「勿論。あんたは上客だもの。で、落ち合うのは堕府のいつもの店?」

 残雪はああと小さく返した。そして懐から麻の巾着袋を取り出す。中には管狐への報酬が入っている。

「毎度どうも」

「石切に付いて七鍵にいることもできたはずだが」

「なにいってんの。あの人七鍵に行っても居場所ないんでしょ? あんたがそういう風に仕向けたんじゃない。知ってるんだから」

 そして管狐はまた蔵座を眺めた。名残惜しいのだろうか。やがてぽつりと、城だけは立派よねといった。その言葉にどういう意味があるのかは知れず、残雪も真意を問うことはない。

「狗賓に任せて大丈夫だと思う?」

「まず無理だな。無能だ」

「だったらどうして国主になんかしたのよ」

「蔵座の継続のため」

「だから無能なんでしょう?」

「無能だが良血だ。加えて信念がない」

「信念ってないほうがいいの?」

「あるだけ邪魔だ」

「まあ、あんたみたいな人間にとっちゃあねえ。とにかく、あの表六玉は動かしやすそうだったってことでしょ? それで何。国の中心暗愚から無能に挿げ変えて消えるって、超無責任じゃない。結局あんた、自分の腕試しがしたかったってこと?」

 一度大きく強く風が吹いた。

「それでも最後には、狗賓はあんたに心酔してた。いいように扱われているとも知らないで。考えてみれば可哀想なもんよね」

 自分とて石切彦十郎を騙していた、とは管狐は思わない。あの手の男に対して抱く罪悪感は女にはなかった。

 つ、と管狐は片方の眉尻をあげた。

「あんたまさか、妙に懐きはじめた狗賓に蔵座を去るのを引き留められないよう、あんな大袈裟に処刑の状況作り上げたんじゃ」

 残雪はたっぷり間を置く。

 そして、考え過ぎだとだけいった。


 やがて残雪は大都のほうへ歩き出す。

 管狐はそれでもわずか緊張していた肩の力を抜き、追う。


「それで、どうして無能で信念もない男を国主になんてしたのよ。蔵座を潰すつもりはないんでしょう?」

 残雪は歩くのが早い。

 管狐はやや小走りにその背を追い、声を投げる。

「潰さぬために狗賓が必要だったのだ」

「だから」

 一瞬、鈍重なる雲間から夕陽が差し込み管狐の虹彩を焼いた。視界の暗が鮮烈な朱に染まった。

「子がないのもいい。権勢の嗣子相承など本来下品極まりない所業である。尤もまだ若い故今後はわからんがな」

「わかないって。ちゃんと話してよ」

「それは生業ゆえか。それとも興味か」

「どっちかといわれたら、ん~。興味」

 ふん、と残雪は鼻から息を抜く。歩速は緩めない。

「民衆主体の政治を行って後、国家はどういう変化を遂げるか」

「え? よく聞き取れなかった」

「狗賓は信念も思想も哲学もなく、それでも血脈だけは立派な男。そうした実験を試行するにあたりこれほどの好材料はいない。これはな管狐、新しい支配体系の実験なのだよ」

「新しい支配体系って、民衆が選んだ国主による政治?」


 あの処刑劇のあった日、日輪にて初の試みを行う宣言がなされた。しかしそれを、日輪初のことと識知している者は極僅かである。


「実際選ぶ選ばぬはそれほど重要ではない」

「そうなの?」

「大切なのは国民に、自分たちの意思が国を動かすのだということを理解させた上での国家運営である」

「よくわかんない。それで結局狗賓が国主になって何がどうなるわけ?」

「私は先ず堕府の中枢に赴き新しい政治思想を試したい旨持ち掛けた。あの国も代替わりの多い国、私の提案は割合すんなりと受け容れられた。尤も私が最初に取り入ったのは堕府でも穏健派といわれる人物だったのだが、その人物から、新しい政治思想、民意反映型とでもいおうか。それを試すに協力するを吝かではないとの言質を得た」

「それで蔵座?」

「蔵座だから選んだのではない。求めていたものが揃っていたのが偶さか蔵座であっただけだ」

「ふうん。求めていたものって狗賓?」

「狗賓であり頼益であり、士官の能力、兵卒の練度、兵数に兵器数、城の防御能力、国の富裕具合、民衆の意識、」

「ああいい、いい。全部聞いたってわかりゃしないんだから。兎も角あの大国堕府ですら新しい国の在り方を模索してたってことなのよね」

「堕府の一部の者、だ。国政をある程度左右できる有力者ではあるが」

 誰なのだろう。管狐はおのれの頭の中の堕府に関する情報を出し入れする。

「その有力者、あとで紹介してよね」

 管狐は冗談混じりにそういうとやや早足になり残雪と肩を並べた。

「結局あんたは、蔵座の為に動いたんじゃないってことなのね」

「蔵座の継続を願うことに違いあるまい」

「だから、はじめに蔵座ありきじゃないっていうか。…ああでも」

 管狐は歩みを止め、考える。そうしている間に残雪は遥か遠くへ。

「待ってよ。堕府が蔵座を狙っていたっていうのは? あれもあんたの捏造?」

 管狐は小走りに残雪の白面を覗き見た。管狐の如き世の暗部に生きる女の眼をもってしてもその内奥は読み取れなかった。

「ねえ。どうなの」

 もし堕府が蔵座を狙っているのを知って、新たな支配方法の試験地として蔵座を推したのであるならば、人間としての残雪を見直す機会になるやも知れぬ。見直す必要もないのだが、管狐はそんなことを考えている。

「堕府が蔵座を狙ってるっていうのは本当なのよね」

「ああ」

「だからあんたは蔵座を推した?」

「私の真意がどうでも大勢に影響はない」

 まあそうだけどと管狐は口吻を尖らせた。

「…まあなんやかんやで、堕府は蔵座に手は出さない、堕府が手を出さないんなら七鍵も手を出すことはないだろうってことよねえ」

「歴とした証のある協定ではない。それでも堕府に侵攻される脅威は減ったはずだ」

「完全になくなったわけじゃないのね」

「堕府の中枢とて盤石ではない。そのうえ所詮人の思い、いつ変わるかわからぬ」

「ひとの思い。ううん、あまり得意な分野じゃないけど。兎も角あんたは、蔵座で楽しいことするから潰すの待ってねって堕府の偉いさんを騙したわけだ」

「長期間を要する実験であると」

「少なくともあんたが約束した人間が死ぬか心変わりしない限りは、蔵座は戦に巻き込まれる可能性が低くなったと。まあ知らず堕府に観察され続けるわけだけど、なくなるよりはましよね。観察者は飯綱か、それとも山寺の御坊様あたりかしら?」

「過ぎた好奇心は身を滅ぼすぞ」

「なにを今更。で結局、あんたの目的ってなによ。なんか色々周りの話で誤魔化してるけどあんた自身の目的が知れないわ」

「気にするようなことか」

「気になるのよ、なんとなく」

 残雪ははたと足を止めた。ほぼ真横を歩いていた管狐も前につんのめるようにして止まった。

「なに?」


「名を売りたかった、では駄目だろうか」


 管狐は数瞬呆け、そして早口で駄目ねつまんないといった。

 ふたりは再び歩きだす。


 騒乱でこそ人死には出なかったが、それでも今回の出来事の裏で幾人もの死者の出たことを管狐は知っている。

 本意不本意は死んだ当人でない故わかりはしない。しかし死に逝くことで咲く花などないと管狐などは思う。それは強く。


「あーほんと寒い。ねえ、西には永世中立を標榜してる国があるそうね」

「ああ」

「わたし堕府以南て行ったことなくて。南には燃やされた町があるってほんと?」

「ああ」

「永樂道って教団がこの頃流行りだとか」

「ああ」

「あーあーばっかで。あ、そうだ。あんたに依頼されて蔵座に前乗りしに行く途中でさ、冴えないオッサンに会ったのね。なんでもその人元々馬喰だったらしいんだけど馬連れてなくて。話聞いたらさ、まあ習性よ。オッサン蔵座の近くで命より大事な馬を盗られちゃったんだって。間抜けよね」

 息が白い。

 残雪は黙然と歩を重ねている。

「だから山ン中でさ首くくろうとしたらしいんだけど。腰に巻いてた縄外してさ、手頃な枝見つけてさ。おらあが死んだら嬶も倅も生きて行かれんべななんてベソ掻きながら…ねえ聞いてる?」

 相槌くらい打ちなさいよ、まったく極端なんだからと管狐は腕を組み頬を膨らませた。

 気を抜くと残雪と離れてしまう。

「歩くの速いって。わたしの話は聞けないっていうの?」

「私がそれを聞いてどうなる」

「まあそういわないで。兎も角オッサン、愈々首吊るよってときにいきなり声かけられたわけ」

 そこで管狐は咳払いをして声音を作った。

「蔵座を変えてやろう」

 残雪は鼻で笑った。

「その声の主はその後もいろんな国を見て回り、結局オッサンとの約束通り蔵座を変えるために戻ってきたトサ。まあオッサンのほうは馬なしじゃ商売できずに、蔵座を出ちゃったらしいんだけど」

「憶測でものをいわぬことだ。程度が浅いと判じられるぞ」

「どうでもいいわよ。でも残雪、結局あんたが蔵座を選んだ理由って、その首つりおじさん見かけたのが大きかったとか」

 見かけによらず情に絆されるほうだったりしてねと、管狐は軽口を結んだ。


 残雪は顔色変えず歩幅も変えず、やはり黙々と、そして颯々と歩いている。


「案外あんたの目的って、日輪全土を平定しとこしえの平和を築かん…なんてね」


 残雪は顔色変えず歩幅も変えず、やはり黙々と、そして颯々と歩いている。



 鉛色の空。


 ひとひら。


 冬の花弁。


 蔵座は冬。




 『結』


「残雪様は旅立たれてしまわれたのでしょうか」

 着物の緋が顔に映えて今日はいくらか調子が良いのかと思えてしまう。しかし、全身から発散される倦怠感と病人特有の臭気があたりに浮遊していた。

「飴買、残雪様はどこへ」

「すみません、わからない」

 もう本当に時間はないのだろう。

 飴買鴻は桔梗を直視することができない。


 この顔も、


 この声も、


 永遠に失われるのだ。


 今の蔵座は、はたして桔梗の望んだ蔵座であるのか。その意を汲み取ってか、

「わたくしは満足しております」

 桔梗はそういった。

 切れ切れの掠れた声。

 それでも甘ったるい。

「これで良かったのか」

「はい」

 飴買は今、丁寧な語を話す時間すら惜しいと思っている。

 桔梗の長い睫は濡れたように艶めき、熱もあるのだろう目の縁は紅い。

「皆でよくしていくのでしょう」

 これからです、これからと桔梗は自分にいい聞かせるように呟いた。その、よくなった蔵座とやらを桔梗は見ることはできないだろう。

 飴買は気の遠くなるような思いを寸でのところで抑え込み、やや距離を置いて立つ女を見た。


 愛しいというならこれ以上あるだろうか。


 狂い死にしそうだ。


「桔梗様」

 休んだほうがいいと繋ごうと思ったが不意に酷く無為な心持ちとなる。本当に目の前の女の命は残りわずかだろうからだ。今身体を休めたところで、それはもう些細な気休めに過ぎない。


 ならば。

 抱きとめて死出の旅へと送りだすか。


 千代千代と山鳥が啼いている。


 飴買は半歩だけ桔梗に近寄った。

 桔梗は痩せ細った指を出す。

 飴買も手を差し出した。


「残雪殿はおそらく、その先に興味がない」

「その先?」

 指先は指先と絡む。

「おのれの頭の中の理論や理屈を実地で試したかっただけだ。そして蔵座もまた、あの男の言葉に乗り、僅かなりともより良いと思える地平を手に入れたかった」

 たとえ待っているものが真闇であろうと、自らの意思で切り拓く往く先のほうがいいとこの国の民衆は選択したのだと、飴買も、そして桔梗も認識している。もしかすると民衆個々の思いは違うのかも知れず、そのようなこと考えても詮方ないことなのかも知れず。


 ぎう、と桔梗は飴買の手を握った。

 飴買は過敏になっている。


 吐息がもれた。


 涙が。


「桔梗、様」

「鴻、今まで本当に」

「やめてくれ。礼など…」

「鴻」


 飴買の冷たい仮面に滴が落ちる。


 握った手のひらから桔梗の命の鼓動が伝わってくる。

 それは気が遠くなるほど緩やかで、気を失いそうになるほど弱々しい。


「わたくしを見て」


 飴買の想いは桔梗に伝わっているものか。

 いや。

 想いなど、思いなど。

 おのれの想いですらおのれ自身で識知しきれていないものを、どうして正確に他人に伝えることができよう。


 コウ、みたび桔梗は名を呼んだ。


 飴買は殊更緩慢に顔をあげた。


 伝わらぬから人は幾万もの言葉を費やす。


 それでも、


 伝えるべき言葉が見つからぬのなら。


 この狂おしい想いが伝わらぬのなら。


 せめて触れ合って居よう。


 せめてその唇を、腕を、

 その身のすべてを抱きとどめて居よう。


 飴買は桔梗の身体を掻き抱き噎び泣く。


 桔梗は飴買の頭を撫で穏やかに微笑む。


「いやだ…貴女と離れたくない…貴女を失いたくないのだ…」

 涙は次から次へと止め処なく飴買の幾重にも重ねられた仮面を剥いでは落ちていく。

「いずれ死ぬ定めなれど、わたくしは人を呪いました。報いは受けるべきでしょう」

「呪いなど報いなど…」

「ごめんなさいね、わたくしはもう、あなたと共に居てあげることができません」

「いやだ…いやなのだ」

 飴買は桔梗の頬にむしゃぶりつく。まるで幼子が母の乳房をねぶるかのように。

「僕も、自分も死ぬ」

 共に。

「永遠の愛を誓うのですね。なんて素敵なことでしょう。わたくしはあなたのその想いを持って旅立てる、それだけで十分です」

「桔梗…」

「鴻、あなたは死んではなりません」

「いやだ…」

「あなたにはまだやらねばならないことがあるのでしょう? わたくしが蔵座の行く末を委ねられるのはあなただけなのですから」

「そんな話、」

 もう時間もないのに。

「わたくしもとても寂しいのです」

「ああ桔梗…」

「それでも」

「嗚呼…天よ、どうして」

「それでもわたくしは」

「どうして」

「貴方に逢えてよかったと、そう思います」

「もっと早くこのひとと逢わせてくれなかったのだぁぁッ!」


 飴買鴻は天に向かい、痛みに耐え切れぬ手負いの獣のごとき咆哮をあげた。


 そして桔梗は、飴買に抱かれ、その胸の中で静かにこと切れた。


 未練など人と繋がらねば生じぬもの。


 死ぬことは禁じられた。

 最愛のひとを失い、目的も定まらぬ闇夜に放り出され、それでも生きるのだと命じられた男は、女の亡骸をそれは愛おしそうに、愛撫するように抱擁し、そして尚血を吐くほどに慟哭した。


 いったいどれほどの刻が経ったろう。


 飴買の胸の痛みはまるでひかぬ。それどころか時間を追うごとに増していくような気さえしている。

 それでも飴買は立ち上がった。

 目指すは蔵座の城。

 桔梗のいうとおり飴買には蔵座にてやらねばならないことがある。

 不甲斐なき国主を支え、守り立てねばならぬ。それが蔵座のためならば、それが桔梗の願いであるならば、捨て去るつもりだった飯綱の面を再度被ることなど造作もないことだった。


 飯綱が立ち去るのと同時に泣き顔を袖で覆った女たちが桔梗の抜け殻に群がった。泣きながらも女たちは西の館の女主を送り出す手筈を滞りなく整えることだろう。


 もう西の館に飯綱の居場所はない。

 元よりこの世におのれの場所のある者などいないのかも知れぬ。

 遍くそれは幻想だ。

 おのれの居場所など多分、自分で見定め、宣言し、守っていくものなのだ。


 後悔止め処なく。


 いちを振り返れば二も三も、少しはましだったのではと思える考えが頭を過ぎる。あの時ああすれば良かった、こういえば良かったと。本来的に飯綱はそうした無為なる思考に時間を費やすことのない人間であったのに。これはいったいどうしたことだろうと若干の戸惑いを覚えるものの、桔梗の死に、おのれの根幹が揺さぶられるほどの喪失感を受けたのだということまでには飯綱は思い至らなかった。

 頼益が去り、東の館の住人は消えた。

 やがて後背に佇む西の館も跡かたもなく消え去ることだろう。


 其処に在った記憶諸共。


 飯綱の中の飴買鴻は、胸の深奥に冴え冴えと横たわる甘美な刃物を抱き抱え、今を永遠に、愚直にこの山間の寒国を良き方向へと導いていくことだけを考える。


 轟、と一陣それは強い風が吹いた。


 残雪がいっていた。

 残雪の父の生国の言葉であるという。


「エエンレラ」


 意味は寒風。

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