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その十三 『新たなる王』

 その十三


 『新たなる王』


 やはり早々に斬り棄てるべきだったのだと愚かな正十郎は愚かな後悔に苛まれている。

 元より一城を陥とすなどという途方もない放言、信ずるほうがどうかしている。

 否、信じたのではない。今生に出でてより今この瞬間まで正十郎自身が抱いてきた心のささくれ立ちを、あの男は軽く刺激したに過ぎない。

 いずれそうした正十郎の内なる思いを見抜き、煽り、こうして今刑場の露と消えようとしている命を残雪はいったい何処から見ているのだろうか。


 鳥も通わぬ乾いた土地。

 雨もほとんど降らぬ。

 夏は短く冬が長い。

 風ばかりが強い。


 その日、蔵座を縦割りに流れる川の辺に急造にて作り上げられた刑場には、おそらく蔵座という国に住まう者そのほとんどが集まったといっても過言ではない。

 正十郎は緊縛された我が身を見、考える。自分はどうして主家に盾突こうなどと思ったのかを。蔵座国の頂点のまします城を陥落させて、さてその後をどうするつもりだったのかを。

 どうやら目的と手段は摩り替り、正十郎は手段にのみ腐心してしまったようだ。しかしそんなことすらあの時は気付かなかった。

 まるで熱病である。魘されている間はその重みが世界のすべてであるように錯覚し、ひとたび熱が引けば悉くが夢幻の如し。

 死に向かう怯えからすっかり熱の引いた今ならば、残雪の言動ひとつひとつに意味があったことが正十郎にでもよくわかる。

 すべてが罠であったことに。

 城を陥とすということ自体は成功した。確かに残雪は徹頭徹尾主城陥落の方策及び技術論のみを展開させており、陥落させて後のことをほとんど口にしていない。尤も正十郎を筆頭に、狗賓家の者誰ひとりとして細かく言及もしていない。


 正十郎は只管に、我が身に流るる父祖の血を忘れるよう、気にせぬよう生きてきた。


 酷く喉が渇いていた。


 痺れた眼球を無理に動かしあたりの様子を窺った。

 大都来襲の圧力に逃げも阿りもしなかった士卒がひとり、赤錆の浮いた槍を手に佇立し黙然と刑執行の命令を待っていた。

 この後、正十郎の罪状が読み上げられ、下層民には理解の及ばぬ中央の様式をそのまま流用した被支配階層への啓蒙的意味合いしかもたぬ文言を延々並べ立てる作業が残っている。

 正十郎が固まった喉を動かし、燃え滓のような唾を無理矢理に嚥下した時、飯綱が現われ手に持った書状を音を立て翻した。若干のざわめきの残っていた周囲が、そこでようやく静まり返った。

 飯綱の声はやや線の細い感じはするものの美声であった。

 罪状の朗読が終わった。

 正十郎の喉が鳴る。恐怖よりも先ず、光が閉ざされるが如き閉塞感の方が強い。

 その時。

 ざざと、正十郎を囲むように周囲に数人の男が立ち並んだ。

 その中に、

「ざ…残雪」

 居た。

 残雪は無表情である。

 小柄を手にしている。

 正十郎が贈った小柄。

「残雪!」

 残雪はこの国には珍しい金属色の長髪を埃まみれの風に散らし、一切の感情を乗せぬ独特の声音でいった。

「仕上げだ、狗賓」

 残雪の後ろには道了尊ならぬ宵待もいる。

 そして飯綱狗賓家の郎党らが、兵卒に囲まれ正十郎を見ている。


 桜はどこだ。


 正十郎は思い出したかのように妻の姿を求めた。


 いや、いい。

 このようなみっともない姿、桜に見せらりょうか。

 桜とて、桜とてこのような無様な姿見たくもあるまい。それでなくとも謀反人の家族、行く先にあるのは汚泥のごとき闇だろう。


 残雪が小柄の鞘を払った。


 民衆は再びざわめく。さんざめく。

 いっときは正十郎の紅い具足姿に蔵座の明るい行く先を投影し、慣れぬままに戦の真似事までした者たちもその中には大勢居よう。その者どもはいったい今、どのような思いでこの状況を見つめているものか。


 正十郎は未だ諦観を得られず、薄闇に支配された脳味噌を振り、迷妄の底へと音もなく沈み続ける我が心に歯止めもかけることもせず、それどころかもっと沈めと、もっと奥底へと希う。

 充血した眼差しで靴音も高らかに歩み寄る残雪の顔を睨みつけた。

 残雪は眉ひとつ動かさない。

 そういう、男だ。

 飯綱も同様、表情は冷たく固まっている。それでも残雪と違い、どこか感情を押し殺しているような風情があった。

 このまま死出の旅へと出るには、この寒々しい葬列ではあまりにも惨め過ぎる。せめて慟哭を、ひとりでもいい我が身の散るを惜しみ悲しんで涙のひとつも流してほしい。正十郎が痺れた頭で考えていると、眉間に凝った粘性の高い想いがどろりと溶け足元へと落ちていった。


 覚悟を決めるか。


 せめて最期だけは潔く散らねば、それこそ隔世で待つ父祖らに顔向けできないのではあるまいか。


 本当に待っているのか?


 人など死ねばそれまでなのではないか?


 やはり怖い。


 怖い。


 死ぬのは厭だ。


 宵待のみが若干の憐れみを瞳に宿し正十郎を見つめていた。そのような目をするのであれば、ひとこと。ひとこと残雪にいってはくれまいかと正十郎は声に出さず強く思った。


 殺さないでくれと最後の力で叫ぼうと息を吸い込んだ瞬間だった。

「それでは最後の審判だ」

 残雪は群衆に向き直ると、大声朗々と言葉を発した。


「この中には、過日狗賓正十郎に付き従って蔵座の城へ攻め入った者が大勢居よう。下を向くことはない。ただ思い出せ、その時諸君らはどのような思いで城へと続く山道を登ったかを。その一歩を踏み出すに至った気概は川に流れる木端の如しか。違うだろう。暮らしを良くしたい、家族を幸福にしたいと思ってのことではなかったか。これから諸君らの中心に立った狗賓を刑に処す。罪状は先に読み上げられた通り謀反の咎である。そして今後この国を領するのは正式な三光坊家支配、三光坊宵待公であることを伝えておく」

 残雪は一度藪睨みに民衆を見回した。皆下を向く。

 そして矢庭に堕府は来ぬといった。


「重ねていう、堕府は来ない」


 残雪の言葉でざわめきが弥増しうねるように天に昇り、やがて風にまかれ霧消した。

 謀反人を炙りだすにしても、

 暗帝を引き摺り下ろすにしても、

 民衆もいいように扱われたわけである。正十郎がそうであるように。

 結局残雪の目的とは頼益を国主の座から陥落させることだったのだろうか。

 未だ理解及ばず難しい顔を見せている者、呆気にとられ口を開けたままにしている者、怒りをあらわに残雪を睨みつける者、反応は様々であるが一様に場を支配しているのは負の空気である。いったい残雪はこの後どのような幕引きを考えているものか。

 このままでは暴動も起きかねない。なにせここに集まった者たちの中には、自分たちでも寄り集まれば物事を、国を変えることができる可能性のあることを体感した者たちが多くいる。

 すると、それまで赤黒い顔で沈黙していた宵待が憤懣やるかたないといった表情で残雪に近寄っていった。

「人を…」

 人を馬鹿にするのもいい加減にしろと、多分そう叫んだのだろうが言葉の大半は唇を離れた途端に破裂した。ただ酷く憤っていることだけは知れた。

 残雪はそんなもの意に介さず、

「この場で狗賓を処刑し、華々しく新政権の誕生を宣言する」

 宵待にのみ向け、そういった。

 残雪は集まった民衆に目を遣る。

「場は整っている」

 宵待は怒り心頭に発し、勢い残雪の胸倉をつかんだ。その様に歓声をあげる者も多い。

「貴様は蔵座の王へと戻りたいのだろう」

「俺はこの国を救いたいだけだ」

「思いで国など変えられぬ」

「違う!」

「青二才め」

 宵待は思いきり残雪を突き飛ばした。

「お前は…」

 宵待は背に負った大鎌を手に取った。

「お前は人の気持ちがわかっちゃいねえ」

 そうだ殺せとどこかから怒声があがった。

 宵待はおのれを後押しするその声に一瞬たじろぎ、動きを停めた。堰を切ったようにそちこちから声が上がる。そうだそうだ殺してしまえと。

 残雪はゆるりと煙のように立ち上がり、乱れた外套の襟を正した。どうあっても動じない、その鉄の心はいったいどのように作り上げられたものか。


「ひとの気持ちなど知ってどうなる」


 まるで声など張っていない。それでも残雪の声は怒声まみれの広場の隅々まで染み入るように行き渡った。

「私を殺して、サテどうする」

 残雪は問う。

 宵待は唸る。

「とく答えよ」

 問うて答えねば愚か者、残雪はよくそういう。ならば考えても答えの得られぬ者はどうすればいいのだろうか。

「答えるのだ、三光坊宵待」

 宵待は何もできずにいる。

「考えのないまま何かをしょうとするなど愚の骨頂であると、どうして学習できん」

 まるで嘆いているようであるが、その表情は微々とも変わっていなかった。

「私の命を奪うのは、この先をどうするのか語ってからだ」

 宵待は得物を放った。残雪の言葉通り感情に流されて行動為しても良果は得られぬと思ったものか、話の続きが聞きたくなったとでもいうのだろうか。


「俺は、


 狗賓さんを殺さねえでくれ


 遠くのほうで声がした。

 見れば老爺が両拳を震わせていた。

 残雪は老爺を見た。宵待も老爺を見た。

 老爺は人込みを掻き分け掻き分けして残雪に近寄ってきた。宵待はああ爺さんと声をもらした。いつだったか二三言言葉をかわした老爺であったからだ。しかし相変わらず名を失念している。わざわざ自分から誰何したというのに。

 老爺はちらと宵待を見、構わず繰り返す。

「殺さねえでくれ」

 残雪は腰で手を組み、老爺を見下ろし鷹揚に答える。

「彼の男は謀反人である」

「それでも殺さねえでくれ。俺にゃうまくいえねえけど、なんかその、狗賓さんがこの国を治めてくれたなら、うん…貧しいのは変わらねえかも知れねえけど…」

「出来上がった言葉を持ってくるがいい。まるで要領を得ぬ」

 残雪は老爺であろうと容赦ない。しかし老爺は老爺で、

「いちいちかっきり答えなんか出せんです」

 黄色い歯を見せいう。

「狗賓さんはな、俺たちと同じもん喰って生きてきたの。先代さんもそう、先々代さんもそう。そんなひとであったれば、上に立っても俺らの苦労がわずかなりともわかってらっしゃろ?」

「価値観が近しい故、まず国民を第一に置いた治世が期待できると。そういうことか」

「そんなもんはわからんて…。でも、なんつうか蔵座にゃ必要な御仁であるような気がするのですよ」

「印象で人を判断するなど、愚かしい」

 考えてみれば残雪は誰が相手でも無礼な口を利く。それはそれである意味平等である。


 拙かろうと、要領が得られなかろうと、老爺の言葉はその後ろに群れ立つ群衆に伝播していった。


 そうだ殺さねえでくれ


 殺すな


 殺すな


 殺すな殺すなと群衆から大合唱が巻き起こった。

 残雪は鼻を鳴らし、再度群衆のすべてと対峙した。

「ならば問おう。諸君らはここにいる三光坊宵待と、狗賓正十郎そのどちらにこの国を運営してほしいという」

 宵待が言葉を挟んだ。

「馬鹿な! み、民衆に国主を選ばせるってのか?」

「如何にも」

「そんな話聞いたことねえぞ」

「ならば先駆けとなれ」

 残雪は宵待の尖った肩を叩き、

「蔵座の歴史にその名を刻むのだ」

 そう呟いた。

 宵待は化け物でも見るような目で残雪を見て、言葉を返せぬまま酷く緩慢に民衆に目を遣った。

 こいつらに選ばせるだと?

 声に出さぬままそう思っている。

 残雪は小柄で狗賓正十郎を束縛していた縄が切った。そしていう。

「蔵座建国の祖狗賓家の血脈である狗賓正十郎。片や現支配三光坊家の正統なる継嗣である三光坊宵待。どちらを選ぶかは諸君らの自由である。さあ、蔵座の未来を託したい者の名を声高に叫ぶがいい」


 衆愚は大いに戸惑った。

 戸惑って、おのれの中や周囲に言葉を求めるも、結局口火を切ったのはやはり先ほどの老爺だった。

 まるでそう設定されたように。 


 な、ならばやはり狗賓さんよ


 一度言葉が放たれれば後は奔流の如し。


 儂も狗賓さんになら


 儂も


 私も


 だが三光坊は


 いや


 大丈夫だ


 私らにゃ力がある


 ああそうだ


 力がある


 支えながら共に歩めばええ


 おのれの思いを風に乗せ遠くに運ばせるなどはじめての経験であるはずだ。

 意見を述べる民衆たちの顔は、寒気のせいばかりでなく一様に上気していた。

 声はやがて轟々と、狭く固く干乾びた山間の寒村を席巻した。


「審判は下された」


 果たして民衆に残雪に操られた意識があるかどうかは別として。


 宵待は呆然としている。


 正十郎は只管呆気にとられていた。

「じ、自分には無理だ…」

「貴様に選択の余地はない」

「なんと」

「蔵座の民は狗賓正十郎を謀反人ではなく新国主として迎え入れるといっているのだ」

「しかし自分は…」

 煮え切らぬのはこの男の常套。そうして態度を曖昧にし続け、おのれの思う最良の時機を計っているのだ。

 否も応もいわずば成果は得られずとも、最悪失策することもない。卑怯な処世であるがおのれで判断を下した結果が先ほどまであわや磔にされる憂き目に遭い、今はまた国主になれという。そのような浮沈を繰り返すというのであれば、倹しく暮らしているほうが何層倍もいいだろう。

「自分には無理であると、宣言するか」

「ああいや…しかし」

「ならば宣え。我が新たな王であると」

「しかし」

「しかしはおやめなさい旦那様」

 鞭のようにしなやかに、正十郎の心の拠り所である女の声が飛んだ。

「桜? どこにいた」

「ずっとここで見ておりました。残雪さんがそうしろと仰るので」

 僅か憔悴しているようだが顔色は良く、目に活力がある。いったい今までをどこで過ごしていたものか。それを問おうとして、正十郎は口を開けた。しかし残雪にいわれてとくだりが引っ掛かり、結局口を噤んだ。賢妻が謀略に絡んでいるのではといった疑団ゆえではない、もっと卑俗な単純な嫉妬心である。

 桜は正十郎を見詰めている。

 正十郎は口中繰り返す。

「…残雪…残雪…残雪…」


「残雪っ!」


 残雪の姿は既になかった。


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