私を捨てる気満々の王子がむかつくので、預かった聖女を悪役令嬢に育てる。
8000字ほどの、令嬢×聖女。今回は百合寄りの百合です。
※途中のアレは変換にもかけていますが、だいぶ怪しいですお許しください。
※ご指摘ありがとうございます。「どす」のみ「です」に戻しております。
※デピュタントは明言していませんが、かなり早いです。
ツイーディアは気づかれぬよう、テーブルの下でそっと両の手袋を奥まではめ直し、拳を小さく握り込んだ。
「ジェイド王太子殿下。それは……どういうことです?」
無礼とは知りつつも、ツイーディアは会食中に割り込んできた王子の言葉を、聞き返さずにはおれなかった。
「愚鈍なやつめ。お前を聖女ハルの教育係に任命する、と言ったのだ。
その間、婚約は維持しておいてやる。ツイーディア」
ツイーディアは宰相をも務める公爵の娘として、18年ほど前に生を受けた。
第一王子ジェイドの妃となることを期待され、幼少の頃から厳しい教育を受けてきた。
母は非常に厳しい人だった。至らぬところがあれば、傷が残らぬように鞭を打つのも辞さぬ人だった。
ツイーディアは幼いながらも、母の心根の底にある深い愛を感じ取り、信じて己が使命を全うした。
自分を罰する母の顔が、怒りのそれのように見えて――――目の端に涙が浮かんでいるのを、知っていたから。
果たしてツイーディアはその甲斐もあり、デピュタントの頃には完璧と称される淑女に育っていた。
第一王子とは無事に婚約。王族入りを見込んで登城、さらなる教育を受けることになった。
しかし王宮の講師たちは、誰もツイーディアに教えを授けることができなかった。ツイーディアは教養も完璧に備わっていた。
国一番の知恵者たちと議論を交わし、淑女たちの茶会への参加を許され、王宮の書庫に入り浸るのがツイーディアの日常となった。
貴族子弟の学ぶ学園にも6年行ったが、それも王城からの通いであった。
学園でも学びは少なく、ツイーディアはさる魔法の研究にいそしむ日々を送った。
少しの自由を得て、ツイーディアにとっては楽しくやりがいのある学園生活となった。
苦難多くも順調に人生を歩んできた公爵令嬢ツイーディア。
だが彼女は、知っていた。
どれほど研究を重ねても、それが日の目を見ることはない――――自分が女だから。
どれほど教養ある淑女と褒め称えられても、政治に参加することはない――――王妃は口を出すことを禁じられているから。
そしてそれがどんな理不尽であろうとも。
より力ある男の言うことには、従うしかない。それがこの国で、生きるということだ。
この日。
宰相である父が過労で倒れたと急報を受け、ツイーディアは忙しく駆けずり回った。
父の容体は重くはなかったが、それ以上の難事があった。第一王子派のケープ侯爵が、宰相代理に就任したのだ。
ツイーディアのグラジオ公爵家は、第二王子派なのだ。父は宰相として、ツイーディアは婚約者として第一王子……王太子ジェイド寄りではあったが。
どちらの王子が次代の王となっても家が存続するようにとの配慮ではあったが、それが裏目に出た形だ。
今は代理とはいえ、一度権力の座についたケープを引きずり下ろすことは、非常に困難となるであろう。
第一王子派の力が強くなりすぎることもあって、弟が継ぐことになっている実家が苦境に立たされる。
母は弟の補佐に忙しく、ツイーディアは一人王宮に残り、王太子婚約者として宮廷闘争しつつケープの権勢を削がねばならない。
そう、思っていた矢先。
ツイーディアは、自分の正面の席に座っている少女の肩に手を置くジェイドを、睨まない程度にじっと見る。
(急に王子が聖女を異世界から召喚した。それも驚きですが、私に引き合わせた上、教育しろ、などと)
しかも、明らかに婚約自体をエサにして。
引き受けなければ、即刻王城からは叩き出す、ということに他ならない。
加えて……聖女として呼ばれた少女への王子の態度が、あまりに馴れ馴れしい。
――――ジェイド王子がいずれツイーディアを捨て、聖女ハルに乗り換える気なのは、明白であった。
(引き受ければ、しばらくは婚約者として王宮に出入りできる。ですがその後はお払い箱でしょう。
引き受けなければ婚約は破棄され、私は放逐される。父は……さらなる苦労を重ねることになる)
ツイーディアは先ほど見舞った公爵の様子を思い出す。命に別状はなかったものの、憔悴しきった顔をしていた。
選択肢はない。そう思い顔を上げたツイーディアは、にやつく王子と目が合った。
「ああそうそう。ハルは学園に三年ほど通う。お前はそれを補佐しろ。
教養・礼法、それから聖魔法をきちんと教え込むんだ。
ハルには魔王の残した呪いを祓うという、重要な使命が待っている。
いいな、手を抜くなよ? ツイーディア」
「!?」
ツイーディアは、苦労して表情を取り繕った。だが王子のにやけ顔を見るに、誤魔化せたかは怪しいところだった。
学園に通うハルを助けるとなれば、政治闘争どころではない。
念を押されたところを見るに、手抜きは許さぬということでもあろう。
それなりに付き合いのあるツイーディアは、この男ならば定期的に監視や干渉を行ってくるだろうとも想像がついた。
(お父さま、お母さま……)
悩み、少し視線の下がったツイーディアの瞳に、怯えた様子のハルと、彼女の目の前の皿が映る。
怯える聖女、傲慢な王子、倒れた父、必死に家を支えるだろう母。
令嬢・ツイーディアの選択は。
◇ ◇ ◇
「先生、ではまた後程」
口元をいつの間にか拭った淑女が、そっと席を立って礼をとった。
「ご挨拶する相手も多いでしょう。時間はあります。急がずとも良いですよ……ハル」
ツイーディアが気を遣うと、黒髪黒目の聖女は薄くほほ笑みながら首を少し振った。
「高位元素とでも呼ぶべき、新たな魔素の可能性について、まだお話が足りていません」
「残りは準備をし、時間をとって行いましょう。すでに現在の示唆で、検討に値します」
「ほんとですか!? ぁ……ん。ご配慮、ありがとう存じます」
喜びの声がつい口をついて出たらしく、ハルは慌てた様子で淑女の顔に戻った。
「礼を失したついでに言ってしまいますが、私は単に先生ともっとお話がしたいだけです」
「知っています。行ってらっしゃい」
ツイーディアが応えると、聖女は華やぐような笑顔を頭を下げて隠し、テラスから出て学園へと戻って行った。
給仕の下げる食器を見ながら、ひとり残ったツイーディアは、この三年に想いを馳せる。
腰を締めたドレスを着ても、難なく食事も生活もこなすようになったハル。
たった3年で、自身と専門的な魔法議論を交わすようになったハル。
そして。
(嗚呼。本当に美しい……)
ツイーディアは下げられる最後の一皿を見て、瞳の奥に歓喜と法悦を浮かべる。
皿には僅かなソースと……皮と骨が残されていた。
白身魚の焼き物。骨の多い魚で、小ぶりのため丸ごと一匹で調理される。
その可食部が、すべて綺麗になくなっていた。ほんの小さな身も欠片すら残っていない。
(三年前から、変わらず……貴女は元々、真に淑女であった)
ハル自身も故郷でかなり躾けられていたらしく、姿勢もよく言葉遣いも丁寧で、作法の心得もあった。
当然にこの世界のものとは異なるため、教育が必要ではあったが、芯の部分はとうに出来上がっていた。
中でもツイーディアが目を奪われ、否、虜となったのが。
魚の食べ方、である。
(あの頃は箸。今はナイフとフォークで、完璧に魚を食べきる。
同じことは私もできる。だが彼女の方が、ずっと美しい。
――――――――たまらない)
獣性すら宿す己が情欲を胸の内に飲み下し、しかしツイーディアは隠しきれぬ想いをほぅっとため息に乗せた。
出会った頃からそうだが、ツイーディアはハルが魚を食べる様子を見るとはっきり欲情した。
彼女自身も理由は分からないが、たまらぬものが腰の奥から全身を駆け巡るのだ。
フィライト王国は豊かな川が流れ、しかも南端は海に面している。
魚介の食文化は盛んで、美しく魚を食べられる者は密かに敬意を集めていた。
そうした文化的背景から来るもの……にしても特異な性質を、公爵令嬢ツイーディアは抱えていた。
なお箸については、東方から流れてきた食器の一つである。
海運が盛んなため、フィライトは広く国・文化の交流を持っていた。
「おい、ツイーディア」
三年前、初めて会って会食したときの衝撃と快絶を思い起こしていたツイーディアは、不躾な声に物思いを遮られた。
思わずテーブルの扇を手に取って口元を隠したのは、激昂したからではない。陶然としていた己の顔を、隠すためである。
遠慮なく自身の前の席に座った、己の婚約者から。
「おや、ジェイド第一王子殿下。かようなところにおいでとは」
「なんだその呼び方は。当てつけか? 貴様」
「いいえ、ただの区別です。それで?」
ジェイド王子は無作法にも片付いたテーブルに身を乗り出し、ツイーディアをじっと睨んだ。
「俺の聖女をどこにやった、ツイーディア」
「――――さぁ、なんのことでしょう」
「とぼけるな。ハルはどうも……俺を避けている」
ため息をつくジェイドに、ツイーディアはそっと笑みの籠った瞳を向けた。
王子の語った内容は、こうだ。
ハルになかなか会えないし、会ったら会ったで予定があると逃げられる。
時々、ツイーディアのような皮肉気な言い回しをして不快だ、とも。
ハルを今日の卒業祝賀会に誘っても色よい返事をしないばかりか、王城での別の会に出席するらしいと聞いて、ジェイドは気を揉んでいるようだった。
さらには王城の会が第二王子トライとハルを称えるものらしいと言い出し、トライ王子の愚痴へと発展。
ジェイドは自身がハルを召喚して魔王の呪い祓いを始めたのに、トライがそれを引き継いで完遂したことが気に食わないらしい。
おまけにその功績を認められ、王太子の座はジェイドからトライへと渡った。
そうして最後に、全部貴様が何かしたのだろう!?と席を立ってツイーディアに詰め寄るわけである。
酔客のように勝手に激昂しては勝手に人を貶める婚約者に、ツイーディアが心底うんざりし始めた頃。
「あら。せんせを差し置いて上座にいてはるなんて、王子殿下はたいそう出世されはったんですなぁ」
冬の大河を思わせる声が、オープンテラスの一瞬の静寂の中をすらっと流れた。
王子が素面の癖に管を巻いている間に、聖女ハルが戻ってきていた。
およそ怒りのためか、彼女の故郷の言葉が口をついて出ている。
「へ?」
ジェイドは立ってテーブルに手を付いた姿勢のまま、呆然とハルを眺めている。
店の入り口から奥までつかつかとやってきたドレス姿の聖女は、彼を冷たい目で見降ろした後。
「あぁでも、お立ちにならはったんなら、もうええいうことですか。せんせ」
「……ええ。今日はあなたが主役よ」
「おおきに」
「ぐあっ!?」
固まっている王子を遠慮なく突き倒し、椅子に優雅に腰かけた。
ハルは青紫の扇を広げ、僅かに仰ぐように口元を隠す。
「せんせのおかげでいろいろ恵まれて。人様のお役にも立てました。
廃太子されたお方よりは、私の方が偉いかもしれまへんなぁ?」
「な、な!? ハル、どうして君がこんな! やはりツイーディア、貴様が!」
「せんせに何の関係があるんです? ご存知ないようですからお伝えしておきますが。
私は最初からこうです、ジェイドはん」
「は、や!? そんな、はずは。最初の君は、おとなしく、て。こいつとは、違って!」
ツイーディアは、ハルが扇の内側で盛大にため息を吐くのを聞き流し、遠めから見ている給仕に手を少し振った。
気の利いた給仕は、少しの人払いに向かってくれたようだ。
扇の閉まるパチンっ、という音が響き、冷え冷えとした聖女の声がまた流れる。
「私もあの頃は右も左もよぉわからん小娘で。
故郷から突然呼び出して、自分の代わりに戦えと仰る気ぃのちごた方に怯えとっただけですわぁ。
せんせが心砕いてくださらなかったら、今頃どうなっていたことやら」
「ぇ、そん、な。君は、俺に、惚れて……」
完全にやり込めにかかっているハルに怯え、ジェイドは意味の分からないことを口走り始めていた。
ツイーディアからは扇の向こうのハルが淑女ならざる笑みを浮かべているのが見えたが、今日は見ぬふりをした。
「はぁ、えろう惚れっぽい女だと思われてたんですなぁ。
毎度毎度、手土産も持たず突然訪れて、何をするかと思えばせんせの悪口ぃを言うばかり。
私に気ぃの利いた言葉をかけるでもなく、不躾に肩を抱いたり頭を撫でたり……ぉぉ。思い出すと怖気が走りますわぁ。
それでも女が誉めそやしてくれると、そう思てはるとは。なるほど王子はんはほんまにえらいお方なんですなぁ?
せんせという婚約者がいてはるのに、いやはや。堂々とすごいことをしはります。
ああでもこれ、私が悪いんですなぁ。勘違いさせてごめんあそばせ?王子殿下」
「や、だが、俺は君がここで生きられるように、いろいろと!」
もはや回答にもなっていないことを呻くジェイド。
近くにある椅子に掴まってなんとか立とうとするものの、腰が抜けているのか足を何度も滑らせている。
「遊び回ってたの間違いでしょう? 私は王城を追い出されたせんせと一緒に王都の公爵邸住まいですし。
せんせはともかく、王家の方には取り計らいいただいておりません。
そもそも気ぃ遣わはるのなら王子はん、私ではなくてせんせ、あなたの婚約者にでしょう?
女は殿方のそぉいう筋ぃとおさんところ、よぉ見てるんですわぁ」
「はっ、ならば!」
何を思ったかジェイド王子は立ち上がり、背筋を伸ばし、真っ直ぐにツイーディアを指さした。
「グラジオ公爵令嬢ツイーディア・ブルースター! 今この場で! お前との婚約は破棄する!!」
「ぷっ」
ツイーディアが応えずにいると、ハルが風音に隠れるように笑いを吹き出していた。
もちろん聞かなかったフリをし、ツイーディアは肩が震えている淑女の代わりに答えを用意する。
「謹んでお受けいたします、ジェイド様」
「はぁ!? 婚約破棄だぞ! 俺がお前を捨てるって言ってるんだぞ? なぜそんなに落ち着いている!」
ジェイドの言動は、完全に支離滅裂であった。
聖女ハルの豹変ぶりは、かなり効いているらしい。
「破談のお話は、もう当公爵家と陛下、王妃様の間で十分進んでいるからです。
私から解消となると世間の風当たりも強いですが――――あなたから言い出してくれて、助かりました。
元婚約者殿」
「き、きさまぁ!! 貴様が全部、ぜんうべおぼおおおお!?」
テーブルを回ってツイーディアに詰め寄ろうとしたジェイドは、ハルに足を引っかけられて盛大に近くのテーブルに突っ込んだ。
元々腰が抜けていたので、ひどい有様になりながら転がり回っている。
無様な王子を下に眺めるハルの黒い瞳が、すいっと細まる。
「私を勝手に呪い祓いに連れ出してぇ、あまつさえ魔物の大群の中に置き去りにしたときは、もっとしゃっきりなさってたのに。
ずいぶん足腰がお弱りになられましたね、ジェイドはん。ああ、逃げ足はお得意とかそういうことですかぁ。
確かにいつもいつも、せんせにやり込められては華麗に退散してはりました」
「あれは、ちが!?」
王子が言い訳をしにかかり……ツイーディアは、ハルの横顔が笑みを刻んだのを見た。
ツイーディアは、少しの悪寒が背筋を駆け抜けるのを感じた。
そして悟った。
これまでのハルは、言ってしまえばただの様子見。
彼女は今はっきりと、ジェイドに対して――――怒ったのだ。
「はぁ、違う? さてはお忘れになったんです? そうですなぁ。
王子はん、私やせんせが、犠牲になった兵士の家族全員に頭下げに行ったのにもついてきぃはりませんでしたし。
あんさんが勝手に連れてったのに、逃げ出すためにみーんな盾にしてもうて。
私は身を挺してかばってくれたみなさんが、残されたご家族のことが心苦しゅうて、頭下げずにはおられませんでしたが。
なるほどジェイドはんは図太いんではなく、いろんなことをよぉお忘れなんですなぁ」
「そ、そんな、こと、は……」
ツイーディアは二人の様子を見ながら、案外的を射ているのではないかとそう思った。
ジェイドがハルを勝手に呪い祓いに連れ出したとき。彼は12名ほど兵士を適当に見繕い、同行させていた。
そしてそのすべてが……帰らぬ人となった。
ハルは犠牲者たちのことを嘆き、助けられなかったと自身に憤り、以降は鬼気迫る様子で訓練に取り組んだ。
呪い祓いに赴く際は彼ら12名の墓参りを欠かさず、そして彼らに誓って以降は一人の犠牲者も出さなかった。
それに比べればジェイド王子の態度は、事件そのものをなかったことにしてるかのようですらある。
もちろん、最初にやらかして以降、ジェイドは呪い祓いには参加していない。
2回目からは第二王子のトライ、ハル、ツイーディア、そして精鋭の騎士や兵士たちが赴いた。
「足腰も弱ってはるし、頭もよぉおボケになって、おまけに嫁はんになってくれそうな人は自分から捨てて。
もう王子なんやめてしもて、陛下より先にご隠居なされたほうがよさそうですなぁ? ジェイドはん」
ジェイドはもう、涙目で弱く首を振るばかりである。
「そないなお顔しとったら、祝賀の席におれへんやないですかぁ。
んん。失礼、そこの衛兵殿。王子殿下は具合がよろしくないご様子ですので、学園の救護室にご案内を」
ハルは口調を直し、騒ぎに何事かと駆け付けた兵士に告げる。
怯えた様子のジェイド王子は、兵士たちに担がれるようにして学園の方へ連れていかれた。
ツイーディアは給仕に多めの銀貨を渡して茶の注文をし、ゆるりと待つ。
運ばれてきた茶にハルが優雅に口をつけ、半分ほど互いに飲んだところで。
ゆっくりと、口を開いた。
「気は済みましたか? ハル」
気持ちが落ち着いた様子のハルにツイーディアが声を向けると。
「…………はい、先生。
ありがとうございました。
私にたくさんのことを、教えてくれて。
私にたくさんの、勇気をくれて」
答える彼女の声は、まだ少し感情の高ぶりが残っていた。
ハルはテーブルの下で、震える手を押さえている様子だったが。
ツイーディアは視線の下を扇で隠し、そっと告げる。
「ご家族と引き離されたこと、本当に気に病んでいましたからね。
それで貴女の気持ちがいくばくかでも楽になったなら、私はそれでいいのです」
時に王子に対して呪いの言葉を吐くくらいには、ハルは召喚されたことを恨んでいた。
これで好かれていると思っていたなどと、ツイーディアは元婚約者の頭の軽さに呆れる一方である。
「そんな! ただでさえ先生は、私が帰るための方法を探して、研究してまでくれたじゃないですか!
それなのにこんな……私、貰いすぎです」
感極まった様子のハルに言われ、ツイーディアは……返事を飲み込んだ。
そんなことはない、自分の方が多くのものをもらったと言いたかったが。
やれ自分が見たいからあれこれ魚を食べさせ続けたこととか。
やれ訓練や教育のたびにハルが奮起して下から見上げた視線にぞくぞくしていたとか。
やれ実は居眠りしているときやたまに同衾したときに存分に吸っていたことがあるとか。
そんな話は台無しなので、心の奥底にしまい込んだ。
そして……扇を置き、テーブルの下で密かにぎゅっと、両の手袋をはめ直した。
(王子のせいで少し時間がおしてしまった。もうこの場でやるしかない)
ツイーディアは、お茶の最中に練り上げていた魔力を、密かに大地に浸透させていく。
「研究はしたものの、私が見つけたのはあなたを元の世界に返す方法、だけ。
同じ時間、消えてすぐにというのは……魔法の範疇では不可能だった」
「いえ、それだけでも、いいんです。いずれ一度、帰れれば。たぶん、お墓はあるから……」
ハルは、急病で倒れた家族の元へ駆けつける最中に召喚されていた。
最初にツイーディアに預けられた際はそのこともあり、本当に気もそぞろであった。
「ダメです」
ツイーディアは瞳に強く力を込め、真っ直ぐに愛弟子を見る。
「何のために、聖魔法の各種癒しを極めさせたと思っているのです。
それはすべて、あなた自らの手で理不尽を乗り越えさせるためです。
同じ時、必ず間に合うように帰さなくてはなりません」
「でも、帰還の魔法じゃ」
「違います。私が使うのは、聖女の最後の魔法」
「……………………え? この魔力、まさか!?」
ハルの足元から、仄かな青い光が立ち上る。
彼女は逃れようとするものの、もう体も動かない。
「私があなたに教える、最後のものです。よく聞きなさい、ハル。
聖女は己の聖魔法の技の、すべてを引き換えにする代わりに。
一度だけ、愛する者の願いを、叶えることができるのです」
「! !? !!」
表情くらいはまだ変わるが、ハルは声も出ない様子だった。
ツイーディアは己のすべての魔力を――――注ぎ続ける。
「見届けなさい、ハル。
聖女ツイーディア、一世一代の大魔法を」
聖なる魔法の適性者だから、ツイーディアは王子の婚約者候補となった。
それが茨の道だとわかっていたから、母は厳しくツイーディアを教育した。
父もまた、全力でツイーディアが王妃となれる道を整えた。
その魔法の適性者でありながら王妃の道から外れれば、あとは使いつぶされる末路があるだけだったからだ。
なぜか王子がハルを召喚したため、いろいろおかしなことになったが。
これで、聖女はいなくなる。
聖女として呪いに立ち向かい続けるツイーディアの宿命も、結果的には、なくなる。
だがそれは。
(ごめんなさい。お父さま、お母さま。皆、ありがとう)
自分のために腐心してくれた者たちへの、裏切りでもあった。それでもツイーディアは、ハルを故郷に帰したかった。
父母を始め、幾人かには話してある。対面でも当然頭を下げたが。
彼女を許し、背中を押してくれた人たちに、ツイーディアは胸のうちでもう一度謝罪と感謝を述べた。
そして、愛する聖女に。
「いってらっしゃい、ハル」
別れの言葉を、向けた。
消えゆく彼女の瞳を、最後までじっと見ながら。
見送り終わったツイーディアは、席を立ち、振り向いて。
「――――――――早い戻りでしたね、ハル」
地球とこの世界を行き来する元聖女、ハル。
研究の末、ついに魔王の残した呪いの力を聖魔法によらず、根本的に打ち払った偉人。
その傍らには常に、聖人と称えられる師・ツイーディアの姿があった。
二人は王国を呪いから救った後。
その後も大陸中を周り、多大な功績をもたらしたという。