▽こんこん9-1 待合所
病院の待合所は真っ昼間の機械惑星の街並みよりも鮮明な輪郭を持っている。外では第一衛星が相変わらずの暗くないだけの明るさを振りまいており、灰色の人々が灰色のビル群に溶け込むように道を行く。もちろんのこと完全な一色に塗りつぶされているわけではない。色にはゆらぎがあり、赤も青も緑も存在している。冠が偽装にした視覚装飾だってある。けれどそのどれもがどこか褪せていて、寂れている。そんな色彩たちが、輪郭も朧に重なり合って、結果として灰色に感じられるのだ。
病院の入口はビルの三階にあり、入ってすぐが待合所なので、透過壁面から正面のバイパスが良く見渡せる。単調な幾何学で構成された建造物たち、道、そして巡回オートマタ。遠目にぼんやり眺めていると、そこに混ざって歩く人々もまた幾何学模様の一部に見えてくる。さらに眺め続けていると、人間とオートマタの区別は曖昧になって、動く機能を備えた四肢を持つ何かという、同質の影へと変貌していった。
リヒュが朝早くに病院を訪れてから、もう昼だというのにまだ検査が終わらない。人工臓器の検査には専用の医療機器を使う。特殊性の高い医療機器なので調整に時間がかかる。それに待たされている。人工臓器をひとつチェックしては、診察室から追い出されて、待合所で待ち、準備ができれば呼ばれて、別の人工臓器をチェックする、というのをくり返している。
人工臓器は、街中で起動している無数の冠の影響を受けないようにした上で、自分の冠からのアップデートは受け入れるようにしておかなければならない。リヒュの場合、それが複数あるので、自分の人工臓器同士で干渉しないようにする必要もある。万全を期すため、慎重に調整しているが故の待ち時間だと説明されては、リヒュは大人しく待合所に囚われているしかなかった。
待合所は正方形の簡素な椅子が等間隔に並べられており、その廊下側の角にリヒュは腰かけている。廊下の奥に診察室があるので、その往復の手間を省くためにできるだけ近くにいたかった。リヒュ以外の患者もまばらにいるが、リヒュが診察室と待合所を往復するたびに、その人々は入れ替わる。長時間居座っているのはリヒュだけだった。
とん、とん、と床を棒で突く小さな音が背後から聞こえてきた。リヒュはほんのすこし首を捻って、視線だけで振り返る。そちらにも廊下があり、先は病室になっている。ロロシーにはらわたを噛み千切られたあと、リヒュは長い間、入院していたのでよく知っている。
音が近づいてきて、棒の先がまず見えた。傾いた棒が真っすぐになり、反対側に倒される。その棒は杖。杖が支えるのは子供。痩せた少年が両手に杖をついて、船をこぐような調子で一歩一歩、足を踏み出す。
病衣をまとったその少年はリヒュが入院している頃にも見かけた。機械惑星の住人はだれもかれも灰色じみているが、この子に関しては土気色と言ったほうが正しい表現。
危なっかしく歩きながら、少年は待合所に並ぶ椅子の密集地帯の周囲をぐるりを回ってリヒュの座っている方までやってくる。杖、右足、杖、左足、順にくり出される。その動きを横目に見ながら、四足獣と比べたらずいぶんとぎこちない、なんてくだらないことをリヒュは考えたりしていた。
そうして少年がリヒュの前を通り抜けようという時、ちょうど冠に診察の呼び出しが通知された。網膜に情報が照射され、通知が早く来いというように明滅している。リヒュはその通知を凝視しながらも、身を縮こまらせて、少年の邪魔にならないように足を引っ込めたまま動かなかった。
一生懸命に足元を見つめる痩せこけた横顔が完全に通り過ぎて、ようやく腰を上げようとした瞬間、廊下の奥からヨキネツ医師が顔を出す。
リヒュと少年を一瞥して、
「リヒュさん。通知がいったらすぐきてください」
苦言を呈すると、せかすように手招きする。
「すみません」
リヒュはすぐに立ち上がり、ゆっくりと角を曲がる少年の脇を追い越した。ヨキネツ医師は甲高い靴音を鳴らして、診察室へ体を向けて足早に歩き出すと、
「あの子に邪魔にならない場所で歩くように言っておきますよ」
と、忙しなく片手で冠を操作する。
「別に僕は大丈夫ですから」
「私どもが困るんでね。ウロウロされてると。いつ死ぬかもわからないのに」
「えっ」
思わず立ち止まり、耳を疑う。そんなリヒュを振り返って、医師はまた手招きすると、
「体のなかが毒だらけなんです。免疫系の病気でね。毒抜きにも限界があります。ちょっとずつ溜まりますからね」
あらゆる配慮をかなぐり捨てた暴言を臆面もなく発して、
「早く診察室に来てください」
と、無感情に言いながら、先に扉を潜っていった。
診察室は奥の壁が全面検査用の装置になっていて、壁と一体化した椅子がせり出している。リヒュがその椅子に座ると、オートマタがきびきびとやってきて、リヒュの腕と脚にベルトをはめて固定したあと、冠に注意しながら頭の両側に棒をあてがった。
透明のシールドが下ろされると、その向こう側でヨキネツ医師と二体のオートマタが操作盤とにらめっこしはじめる。指先が走るたびに、ヨキネツ医師の骨ばった顔の両側に離れた目がぎょろぎょろと動き回る。狂気にも似た集中力で機械の操作を行う医師の姿を、リヒュは縛り付けられた状態で見つめる。
ヨキネツ医師は機械惑星における数少ない人間の医者のひとり。機械惑星の一般的な医療といえば、冠による診断機能と、医療オートマタの治療。そこに人間が介在する余地はない。医者になるには最低限、医療オートマタの医療技術を越えていなければならない。その最低限が果てしなく高い壁となっている。
そんななかで医師として認められるには、類まれなる才能が必要。リヒュはヨキネツ医師のことを、人としては信頼に値しないと思いつつ、患者としては信頼していた。
「楽にしてください。ちょっと数値が乱れてますから、深呼吸して、落ち着いて。冠は操作しちゃだめですよ」
廊下での動揺が尾を引いているリヒュは、言われた通りに深呼吸する。
「まだ乱れてますね。薬が必要ですか。これでだめだったら薬を打ちますからね。もう一回、深呼吸。深く吸って、吐いて……。もう一回、吸って、吐いて……。はい。大丈夫ですね。やりますよ。じゃあ。いきますからね」
ヨキネツ医師はいうやいなや、なんの溜めもなく装置を起動させた。内臓がぎゅっと握られるような感覚、しかし、すぐに楽になる。それから医師が操作盤の上で素早く指を滑らせると、本日最後の検査が終わった。
「はい。終わりです。次の検査日は受付で日程を確認してください。それじゃあ、終わったんで早く出ていってくださいね」
手足のベルトと頭の固定をオートマタに外してもらうと、すぐに椅子から立たされる。
「また来てくださいね。はい。じゃあ、さようなら」
電子パネルでカルテを確認しながら、ヨキネツ医師はこちらを見もせずに、払いのけるように手を振った。
待合所の片隅にある無人受付で精算を終えたリヒュは、再び椅子に腰を下ろすと重労働が終わった直後という風情で、はあ、と大きく息をつく。そうして、帰るでもなく外を眺めていると、また少年が歩いてきた。同じ場所をぐるぐると歩き回っているらしい。
いつか本当に転びそうだ、とリヒュが思っていると、不意に少年が立ち止まった。よくよく見ると、ついた杖の先が、つめて置かれた椅子の隙間に引っかかったらしい。それを抜こうと、もどかしそうに肘が動かされる。
リヒュが手を貸そうと立ち上げると、椅子が軋んだ音に過敏に反応して、少年が振り返った。近づいてくるリヒュを見て怯えたようにのけぞる。
その拍子に、
「あっ」
ふたりの口から同時に声がもれた。
鳥のように細い足がもつれる。リヒュの手が空を掴む。撃ち落された鳥のように、少年の体がくしゃりと崩れ落ちたが、幸いなことに椅子にもたれかかるように倒れたので怪我はなさそうだった。
「大丈夫?」
声をかけて、肩を支える。その肩があまりに細かったので、リヒュは驚いて、ぶかぶかになっている病衣を見つめた。
椅子に座らせると、引っかかっていた杖を外してあげる。驚かしてしまった気まずさを感じながら、リヒュが、
「病室まで送ろうか?」
聞いてみると、首が横に振られて、
「お兄ちゃんが掃除してくれてるから」
「そっか」
隣に腰を下ろすと、体がすこし遠のいて、あからさまに距離を取られる。かといって放っておくのも心配だったのでリヒュは少年が言う、お兄ちゃん、とやらの掃除が終わるのを待つことにした。
お互いになにも言わず、淀んだように停滞した外の風景を眺める。病院のなかでは待合室と診察室の間を絶えず人が行き交っているが、どことなく生気の失われた歩みは、影が揺れるほどのざわめきしか持たなかった。
そんな風にしばらく待っていると、水を打ったように静かな待合室に、聞き知った声が投げかけられた。
「ん。リヒュじゃん」
振り返るとルルィが病室側の廊下から顔を出して、きまり悪そうに眉を下げている。
「お兄ちゃん」
と、呼ぶ声に、隣の少年とルルィを見比べ、どう声をかけたものかと逡巡していると、
「いや。ごめん」と、深く頭を下げられた。