●ぽんぽこ9-15 毒鳥ピトフーイ
ビーバーが会議の結果を長のカピバラに話すと、ずんぐりした大きな体が、ぐっ、と伸ばされ、瞳がらんらんと輝いた。
「それはいい。ぜひ優勝を目指しましょう」
「いやいや長。優勝しちゃうと遺跡の調査なんて面倒事を任されるわけですから、せめて決勝までいったらそこで負けときましょうよ」
「なんてことを言うんです。我々の手で解決しましょう。そうしたら英雄ですよ。我々の名はピュシス全土に轟き、そうすれば各地に散ってしまった同胞の齧歯類たちも、須らくわたしの元へと集うことでしょう。初戦のイボイノシシを速やかに葬って……、ふむ。順当にいけば次はライオン、決勝であたるのは……おそらくトラですかね」
やる気みなぎるカピバラに、ビーバーはこうなったらもう止められないことを承知しつつも、
「やめましょうよ。ライオンとトラの両方に勝つなんて無理。まともにやるだけ損ですって」
「時に遭えば鼠も虎になる! 為せば成る為さねば成らぬ何事も!」
「その言い方だとちょっと……、はあ」
ビーバーは大きく溜息をついて、無意識のうちに近くの樹に口を向けて、鉄分を含んだオレンジ色の硬い出っ歯を幹にあてた。ビーバー本来の性質に影響されているのか、樹を齧っていると気持ちが落ち着く。
しかし、力を入れようとしたその瞬間、
「おやめなさい!」
見れば歯を突き立てようとしていた樹はギンドロ。反射的に身を引いて、「これは失礼しました」と、平謝り。
ぺこぺこと頭を下げるが、ギンドロの怒りの念が伝わってきたので、ビーバーはカピパラを連れて、逃げるようにプレイヤーたちの波間に飛び込んだ。
ビーバーとカピバラが去ったあと、改めてコンドルが、
「今日は枝を貸してくれて、ありがとう」
ギンドロとコンドル以外のそれぞれの群れの仲間は先に縄張りへと戻ったが、ふたりは会議場の隅に残って話し込んでいた。
ギンドロは齧られかけた怒りなどなかったかのような落ち着いた態度で、
「こちらこそ運んでいただいたこと感謝します。マンチニールの毒は大丈夫でしたか」
「ああ。運んでいる途中、うっかり爪を立てて果汁が出てこないかとひやひやしてたんだが、葉っぱで何重にもくるんでもらえていたおかげでなんともなかったよ」
コンドルが首を竦めると、ギンドロの種子と同じぐらいふわふわとした首回りの白羽毛が膨らむ。鋭い黒翼が広げられると、雪を汚す墨のように漆黒の羽根が舞い落ちた。
「おれたちがあたるとしたら二回戦か、もしそうなった時はよろしくたのむ」
「そちらの初戦のお相手はモグラでしたね。両群れのご健闘をお祈りしております。わたくしは初戦、ウルフハウンドという方の群れとあたるんですが、よく存じ上げませんの。どんな方なのかしら」
「確かハイイロオオカミが治める群れで、長の役職を譲り受けたとかなんとか」
「あら、それならよほど信頼のおける方なのかもしれませんね」
噂するふたりの元に、張本人が、
「そうだとも」
と、やってきた。白灰色の長毛を揺らして、人懐っこそうな瞳を梢に向ける。
「どうもウルフハウンド。会議前はごあいさつできませんでしたね。群れ戦の際はどうぞわたくしの縄張りにお越しください」
「ああ。そのことなんだが、ちょっといいか」
ウルフハンドが声を低めたので、コンドルは長同士で内密の話がしたいのだと察して、
「おれはこのあたりで失礼させてもらうよ」
気を遣って飛び去ろうとした、その時、
「待って!」
必死な声が空から追いすがってきた。飛んできたのはピトフーイと呼ばれる鳥群のなかの一羽、ズグロモリモズ。強力な毒ガエルであるヤドクガエルと似た神経毒を持つ鳥。頭と翼、尾羽は黒いが、胸から背中にかけては美しく鮮烈なオレンジ色。そんな小鳥がギンドロの枝にとまると、コンドルに黒いくちばしを向けて、
「コンドルさんは副長ですよね。私をフクロウさんの群れに入れてください。前の群れは脱退してきました」
その懇願にはピトフーイの必死さがひしひしと滲みだしていた。しかし、コンドルは冷酷な声色でそれをすげなく断る。
「脱退までしてきたところすまんが、うちは長の許可なく副長が申請を受けることはしないように決めてるんだ」
すぐに大きな黒翼は空を離れて遠のいていく。それを悲しげに見送ったピトフーイはギンドロの幹に目を向けて、
「ギンドロさんの群れに入れてくれませんか」
「節操のない方をお迎えする気はありません」
「しつこい奴だなお前も」ウルフハウンドが樹上を見上げて、追い払うように尻尾を強く振り回す。
しばらく粘ってみたものの、無理を悟ったピトフーイはがっくりとうなだれて、ギンドロの梢から飛び去っていった。
小鳥の姿が見えなくなると、ウルフハウンドはギンドロに向き直る。
「群れ戦の前にすこし話す時間をとれないか」
「かまいませんが、いまお話するわけにはいかないんですか」
「ここではちょっとな」
言いながら、息を潜めるようにウルフハウンドは、まだプレイヤーたちが多く残るオアシスを見回した。
ギンドロたちがいる場所からオアシスを挟んだ対岸。マンチニールと冬虫夏草、カモノハシが別れのあいさつを交わしていた。
「それじゃあぼくは帰るよ」
「またお話しよう」
冬虫夏草がカモノハシの頭上から言うと、
「うん」
と、やや親しげに返して、マンチニールは縄張りへ戻るための操作を行う。
植物族は複数存在する己の分身の一本を選んで、プレイヤーが憑依して操作するという肉体。縄張りに生える一本を選べば、瞬間移動のようにすぐ帰還ができる。そして、縄張りの外に置いていかれた意思なき植物は、すぐに枯れてばらばらのグラフィックとなって消えてしまう。
そうして操作を完了させようとした瞬間、マンチニールを呼び止める声が空から降ってきた。猛毒の果実が連なる枝にピトフーイがとまって、
「マンチニールさんですか?」
「そうだけど。君は誰?」
「私はズグロモリモズです。でも言いにくいから、よかったらピトフーイって呼んでください。地球のとある島に棲んでいた、私を含む固有種の鳥たちをピトフーイって呼ぶんです。ほら」
鳴き声を響かせて、
「この声がピトフーイって聞こえるからピトフーイって名前になったそうです。マンチニールさんには毒があるんでしょ。私にも毒があるんです。羽一枚で人間が死んじゃうんですよ。毒持ち同士、お揃いですね」
「そう、だね」
ピトフーイの押しの強さに、マンチニールが自分の毒を注意するのも忘れて、たじろいでいると、やにわに、
「私をギンドロさんの群れに入れてください」
「それならギンドロが向こう岸にいるから直接頼んでくれないかな」と、マンチニールはスピーカーの声を対岸の方角へと向ける。
「いまお忙しいから副長のマンチニールさんにと言われたんです」
ピトフーイは証拠だと言わんばかりに、ギンドロの枝にとまった時に摘み取っていた白い花の一輪を黒いくちばしの先にかかげた。
「ふうん」
めずらしく縄張りの外に出かけて、ずっしりと疲れが溜まっていたマンチニールは、ふわりと漂うギンドロの花の香りに、ピトフーイの言葉をあっさりと信じた。自身の梢のなかにいるピトフーイにアイテムトレードを申請すると、渓谷の縄張りの群れ員の証を渡す。
「じゃあぼくは帰るから、縄張りでまた会おう。場所はわかる? 陽の沈む方向にずっと行くと谷があるからその底だよ」
「はい。ありがとうございます……」
張っていた気が抜けたようにピトフーイが力なく返事して、マンチニールの枝から地面に下りる。すると、すこし離れた位置に生える林檎の植物族が別れのあいさつを投げかけてきた。
「マンチニールちゃん。またね」
しかし、マンチニールは突き放すように、
「いや。もう会うことはないと思う」
「そう……、林檎ちゃんの歌はどうだった?」
「ぼくは嫌いだな」
それだけ言い残して、プレイヤーの意思が抜け落ちたマンチニールはゆっくりと枯れて、崩れ落ちると、テクスチャの破片となって毒の一滴も残さず消え去った。
「なんだあいつ!」
会議終わりに戻ってきていたヤブノウサギが憤慨する。
「次に見かけたらぎったんぎったんに……」
と、意気込んで分厚い前歯を剥きだしたものの、一度浴びたマンチニールの毒を思い出して、尻すぼみに黙り込んだ。
遠目に林檎と林檎を取り巻くヤブノウサギをはじめとするファンのプレイヤーたち、それからキリンにワタリガラスといった面々をぼんやり眺めていたピトフーイに、カモノハシの頭に乗った冬虫夏草が、ふいに尋ねかけた。
「嘘をつくのってどんな気分?」
ピトフーイはびくりと体を震わせ、
「嘘じゃないもん!」
「別に責めてないよ。牙も爪も角もない植物族が長だと、一度入った群れ員を強制脱退させられないんだよね。ピュシスってちょっと植物族に不親切。そうやって入り込むには一番の群れだね」
つらつらと語る冬虫夏草をピトフーイはしかめっ面でねめつけて、ばっ、と翼を広げると、太陽が沈むその場所へと飛び去っていった。
黒にオレンジのアクセントが眩しい小さな背中に冬虫夏草は、
「いいなあ」
と、心底羨ましそうな声をこぼした。