●ぽんぽこ9-14 ライオンたちの帰り道
センザンコウおかげで組み合わせはスムーズに決まった。数えきれないほど回転したにもかからわず、終わった後のセンザンコウはふらつくことなく真っすぐに歩き、とげとげの甲冑を着込んだような力強い背中には大きな喝采が送られた。
最後に話し合いが必要なのは日時であったが、こちらについてはほとんど議論されることもなく、皆が同じ日にちを指定した。
近く訪れる、機械惑星の住民全員にとっての休み。星が生まれた瞬間から昼夜の区別なく延々と稼働し続けている惑星コンピューターの休養日。蓄積された膨大な情報を整理し、負荷を軽減するために設けられた一日。その日は学校も会社もあらゆる産業、娯楽が停止して、冠も最低限の機能しか使えない。
惑星コンピューターを休ませるために、人間たちは活動しないことを求められ、家に閉じこもって無為な時間を過ごすことを余儀なくされる。そんな空白の一日の朝にトーナメントを開始するということで全員が合意した。
すべてが終わると閉会のあいさつもそこそこに速やかに解散。集まっていた聴衆も、雲が烈風で霧散するようにあっという間にいなくなった。大量の敵性NPCが蔓延るようになって、プレイヤーたちはより安全な場所でログインできるように、皆きちんと縄張りに戻ってログアウトすることを心掛けるようになっており、それぞれの所属する山や川や野原に向かって、集まっていた動物たちの大移動がはじまった。
「初戦がキングコブラとは、嫌なところとあたりましたね」
サバンナへの帰りがけ、ブチハイエナが嘆息すると、リカオンが、くしゅん、とくしゃみで同意を示した。他の群れ員たちとはオアシスで別れて、ライオンに化けたタヌキ、ブチハイエナ、リカオンの三頭だけの帰り道。
「毒蛇どもか。シマウマにユニコーンのスキルを使ってもらえば解毒はできるが、ひとりじゃ手が回らなくなるだろうな。攻略側だから物陰だらけの熱帯雨林で毒蛇の奇襲を常に用心しなきゃならなくなるし、皆の集中力が持つかどうか。毒蛇以外にもアミメニシキヘビやオオアナコンダみたいな大蛇の存在を考えると、丸呑みされてしまう小動物は参加させにくいかもしれん」
リカオンは早くも群れ戦に向けて頭を働かせ、うーん、と悩ましげに唸る。
「あとはヤバいのはカバか。神聖スキル持ちをぶつけて攻略するか、それかシロサイあたりがタイマン勝負でなんとかしてくれないかな」
「それ以上に」とブチハイエナは渋い顔をして「ワタリガラスの存在が厄介です」
「……ああ」リカオンはライオンを横目に見る。ライオンは足を上げるのも怠そうに、肩を落として体を引きずり、肉球を雑草で擦りながらのそのそと歩いている。
「いっそのこと、この機会にライオンのことを正直に話しておいたほうが……」
リカオンが言い切らないうちにブチハイエナは激しくかぶりを振って、
「このタイミングで王が消滅しているなんてことが公になったら、まともに戦える群れ員がどれだけいるか」
「それは、まあ、そうだが」リカオンは当時のブチハイエナの落ち込みようを思い返す。ライオンの消滅を聞かされた衝撃よりも、それを告げる憔悴しきったブチハイエナへの心配の方が先にきて、リカオンはその事実をすぐに呑み込まざるを得なかった。以前からタヌキがライオンに化けていることがあったと言われても、騙されていたなどとは微塵も思わず、タヌキのこれまでの孤独な奮闘に想いを馳せただけ。しかし、他のプレイヤーたちがどう考えるかまではわからない。
リカオンは消耗しきっているライオンに目を向け、
「今日はよく頑張ったな」
「そうですね。素晴らしかったです」
ブチハイエナも微笑んで、大勢の前でライオンを演じきったタヌキを労う。リカオンは周囲にプレイヤーの気配がないか用心深く確かめると、
「あそこの茂みで一度変身をといたらどうだ。俺が背中に乗せてサバンナまで運んでいってやるよ」
鼻先で示された高草を見て、ライオンは会議中は尊大だった口調を崩して、リカオンに耳を向けた。
「……じゃあ、そうさせてもらっていい?」
リカオンが快活に頷きを返す。ライオンが草をかきわけて身を隠すと、ぽん、と小さな破裂音と共に白い煙が薄く漂った。草むらがガサガサと揺れて、リカオンにとってはずいぶんと懐かしいオポッサムの姿が現れる。伏せたリカオンの肩をよじのぼって背中に腹を乗せると、ぐったりと身をまかせる。
子供をあやすような足取りで、リカオンは再び歩き出しながら、
「しかし、みんなどれぐらい本気で戦うと思う? 遺跡の最深部とやらに行って、本当にオートマタ工場があるならさっさと破壊しないといけないが、願いが叶うだの、ピュシスが消えるだの、って話は正直なところ信じられないな」
「それぞれの長がどう受け取ったかは未知数ですね。ラーテルやカンガルーはかなり乗り気のようでしたが」
「あのへんのバトルマニアはそうだろうが、敵性NPC騒動が二の次になりそうで俺は心配だ。こっちが目下のところ確実な脅威だってのに」
やや憤慨して、リカオンが黄黒白に色づいた尻尾を振り回すと、ブチハイエナはリカオンの二回りは大きなブチ模様の体を寄せて、
「仮にも群れの長を務めている方々なので大丈夫ですよ。それに、そんなに心配なら私たちが優勝して、私たちが調査すればいいだけの話です」
「簡単に言ってくれるよ」
丸耳を伏せてリカオンは、ふう、と息をはく。
「しかしギンドロが優勝したらどうするんだ。最深部には植物族が入るのは難しそうなんだろ」
「その時は……、植物族以外の群れ員でなんとかするんでしょう。植物族が大半といっても、動物が一頭も所属していないわけではないでしょうし。現に会議前にはタゲリを見かけましたよ」
「でも、それで最深部のオートマタ相手に戦力が足りるのかな」
「それは、私たちにはわかりませんね」
二頭はスピーカーを静かにさせて、黙々とサバンナへの道を歩き出す。砂のなかに細長い根っこを張り巡らせた強靭な雑草たちを踏みしめながら、青々とした匂いを鼻先でかき分ける。
オアシスから離れると、命の息吹が途端に途絶えて不毛な砂漠が広がっている。いま三頭がいるのはそんな砂漠を抜けて、緑の大地と砂が入り混じりはじめた地点。ここからいくつかの丘と原を越えればサバンナに帰り着く。まだまだ道のりは長い。丘を登っていると、背中のオポッサムがごろんと寝返りをうったので、リカオンは体を伏せて落とさないようにバランスを取る。乾いた風が靄のような砂を運んできたので、目を細めて、吸い込まないように息を浅くしながら進む。
「キングコブラとの群れ戦ではライオンはお休みしてもらうってことでどうだ」
「できれば避けたいですね。優勝を目指すなら、王の戦線参加による士気向上は重要ですよ。特に初戦となればなおさらです。短期間に連続で戦う以上、決勝まで士気が影響するでしょう」
ブチハイエナが強く言ったので、リカオンは少し首を傾げて、
「ブチハイエナ、お前結構、優勝にこだわってるのか?」
するとブチハイエナはふいに動きを止めて、黒ずんだ鼻先と大きな耳をリカオンに向けると、口を半開きにした笑い泣きのような表情できょとんとした。
「……そう。そうかもしれません。願い事が叶うなんて、嘘だとしても、信じたくなるような素敵なことじゃないですか」
ロロシーのこと、自分のこと、様々な願いが去来して、手の届かない場所でゆらゆらと揺れた。
「意外だ。いや、別にいいけど。俺は、もっとお前は現実主義者だと思ってた」
「現実は悲しみばかりですから」
珍しく弱音を吐くブチハイエナに、リカオンは砂を踏みしめる音しか返すことができなかった。
しばらく風の音だけがブチ模様たちの間を吹き抜けて、それぞれの想いの行く末が合わさることなく渦巻いた。そうして完全に砂漠地帯を抜けようかという頃、ふいにブチハイエナが来た道を振り返って、
「私、ちょっとオアシスに戻ります」
「どうした?」
「すこし勧誘活動でもしようかと思いまして」
「カピバラみたいにか? いまさら多少戦力を増やしてもそんなに変わらないと思うが」
「しかし、やれることはやっておきたいんです」
リカオンは、トーナメントに向けたブチハイエナの積極性に少々驚きつつも、
「そうか。じゃあ俺はこいつをサバンナまで運ぶから」
「ええ、お願いします」
言って駆けだすと、ずんずん距離が離れていく。見送って、ふうん、と鼻を鳴らしたリカオンはサバンナへの道へと足を向ける。そうして、足元でうねる木の根を乗り越え、まばらに連なる梢のアーチを潜りながら、黄昏時の空を眺めた。
「なあタヌ……、オポッサム起きてるか?」
「起きてるよ」
まどろみ半分といった声の響き。
「お前はどう思うんだ。キングコブラ戦だけでも休んだらどうだ?」
「できれば出ておきたいな。もし負けてしまった時、トーナメント初戦で手を抜いて負けたなんて言われたら、群れのみんなが可哀そうだし」オポッサムはリカオンの背中の毛衣に鼻先をうずめて「それに……ぼくも、みんなと戦いたい。みんなを勝利に導きたい」
「……そうか」
本物の長みたいな考え方をするようになったタヌキに感慨と物寂しさを同時に感じる。いつかブチハイエナが長を譲ろうかと考えた時、タヌキはそれを断ったらしい。けれど、実際に長になったとしても問題はなさそうだ、と今この時リカオンは思った。
リカオンはタヌキに寄り添って考え方を変えることにする。なにかいい手段がないか頭をひねっていたが、ややあって、
「全員とは言わないからさ。ひとりかふたりぐらいにはお前のことを話しておかないか。ライオンについては消滅と言わずに事情があってログインできないとか言っておいてさ」
「でもそれってトーナメントが終わったあと、嘘だってばれちゃうんじゃないかな?」
「優勝すればいいんだ。そして最深部のオートマタ工場を破壊する。それから影の球とかいう場所に行って本当に願いが叶えてもらえるなら、ライオンの消滅をチャラにしてもらえばいいだろ」
オポッサムに化けているタヌキはリカオンの意見について思案していたが、
「……でも、誰に話すの?」と、少し前向きな考えを示した。
「クロハゲワシだ」
今日、ナマケモノを運ぶのに力を貸してくれた仲間。大きな翼をひるがえして、先にサバンナへと帰っている。
「うーん。あのひとはきちんとしてるし、口が固いってこともよくわかってるけど、大事なことだからブチハイエナと相談してから決めたいな」オポッサムは言葉の端々にありありと不安を滲ませながら「わざわざ話す必要あるかなあ」ふうと息をはくと、リカオンの粗いブチ模様の毛が揺れる。
「今日、会議がはじまる前にホルスタインと話してたんだが」
「そうなんだ。知り合いだったの?」
「いや。知り合いの知り合いだ。そこでたまたま面白い話を聞いたんだ。ホルスタインとキングコブラの群れが群れ戦をした時、ワタリガラスが正体を見破れなかった奴がいるんだと」
「へえ」オポッサムは興味を惹かれ、リカオンの頭の方によじ登って、黒い丸耳をスピーカーに傾ける。
「できるかはわからないんだが、試す価値はあると思う」
そうしてリカオンはそっと耳打ちするように、作戦を語りはじめた。