●ぽんぽこ3-5 三頭のイヌ
敵縄張りから戻ってきたホロホロチョウが、アフリカハゲコウが消えたことを報告した。それによってブチハイエナは戦略の変更を迫られる。王であるライオンに任命された軍師としての役割を果たすべく、早急に現状を正確に把握して、最善の手を打つ必要があった。
敵地へ送り出したパーティの進行具合を頭のなかで整理する。オオカミの群れの本拠地は縄張りの中央付近、カバノキが密生する地帯。カバノキは縄張りの大部分を構成している常緑の針葉樹とは異なり、落葉広葉樹。なので、やや明るく陽が射し込む森になっている。通過しなければならない拠点は、本拠地から同心円状に広がりながら各地に点在しており、全てを線で結ぶと歪んだ蜘蛛の巣のようになる。外側の円の拠点から、内側の円の拠点へと、さながらあみだくじのように順番に進み、中央に到着すれば勝ち。同じ円を描く線状に複数の拠点があるので、こちらが選択できるルートはその数だけある。
最後の報告によるとライオンたちは三分の二程を踏破。別方向から進攻しているキリンたちは半分を越えた辺り。残りはまちまちだが、そのなかではヌーが一番進んでいる。
伝令役を走らせて、キリンのパーティへコショウボクの植物族、ヌーのパーティへピスタチオの植物族を増援として送る。持参したそれぞれの植物族の種が蒔かれると、すぐに地面を突き破って芽が頭を出す。そうして成木にまで成長すると、キリンやヌーが作った真っすぐの道に自ら種を蒔く。一本、一本、並木となって増殖し、ゆっくりと破線を引くように進軍していった。
次にブチハイエナは、カラカルを呼んで敵地で陽動を行っているトムソンガゼルの元へ向かわせた。言伝を預ける。トムソンガゼルはカワウソとペアになって活動している。今回の群れ戦では鳥類プレイヤーの都合が中々つかず、ホロホロチョウとアフリカハゲコウ以外は参加していなかった。なのでハゲコウがやられたのは大きな痛手。手が足りなくなった伝令の役目を、走力に優れるトムソンガゼルに務めてもらうことにしたのだ。そしてそれとは別にカワウソに授けたい指令があった。
ホロホロチョウに各パーティの位置を改めて確認して、現状を伝えるように指示する。ただしライオンのパーティとトムソンガゼル、カワウソには近づかないように注意を与えておく。空からの伝令は手軽ではあるが、敵にも察知されやすい。三頭の位置はできるだけ隠しておきたかった。その他のパーティには近くにいるパーティ同士で合流するように伝えてもらう。敵本拠地近くまで包囲の輪が狭まれば、敵も戦力を集中させてくる。こちらもそれに対抗できるようにしておく必要がある。
空色の頭についた赤い突起を掲げ、スパンコールのような煌めきがある黒い翼を広げてホロホロチョウが飛んでいく。
「今は踏ん張ってください!」
ブチハイエナが寒空を飛ぶ背中に激励すると、肩越しに振り返って、視線で頷いた。ホロホロチョウは寒さに弱い上に、普段は地上で暮らすので長距離の飛行には慣れていない。かなりの負担であることは承知だったが、他に代わりがいない以上は頑張ってもらうしかなかった。
サバンナに本拠地を置くライオンの群れには、他に比べても大型で、個の戦闘力に優れた動物が多い。真っ向勝負で大味な試合をするのには慣れているが、搦手は不得意な者がほとんど。オオカミを相手に選んだのは群れ員たちにそういった戦いの経験を積ませようというライオンの意図もあったのだが、見事にしてやられているようだ、とブチハイエナは嘆息する。しかし、それは敵が大型の獣の対処に注力している証拠でもある。その裏をかくことができるかどうかが勝利の鍵だった。
最後の一手。秘密兵器を敵地へと送り込む。小さな背中、ふさふさとした尻尾、泳ぎも得意な獣だ。川をなかを進めば匂いでの索敵を逃れられる。案内役はカワウソに任せるつもりだ。いい潜入ルートを見つけてくれていることを期待する。
もうこれ以上、敵縄張りに進軍させようとすると、戦力過多でシステムに弾かれてしまう。ホロホロチョウやカラカルが戻ってくるまで、ブチハイエナにできることは残されていない。
ライオンのパーティのことが、ちら、と頭を過るが、大丈夫なはずだと、すぐに脇に押しのける。ブチハイエナは今までの戦でライオンがどんなに窮地に立たされても、決して救援する策を練ったりはしなかった。冷酷だ、と誰かは言った。長を蹴落として、自分が長になるためにわざと激戦地へ送っているのだ、と邪推もされた。使い捨てのように戦略に組み込まれるのではないか、と心配して指示をはねのける者もいた。そんな者たちをライオンは一喝した。
「簡単に助けなどすれば、長としての実力が疑われかねない。そもそもそれが必要なかったのは今までの戦の結果で分かっているだろう。副長が長に信頼を示してこそ、群れ員たちも安心してついてこれるはずだ。ブチハイエナは誰より俺様を信頼している。今まで連戦連勝してきたのは、俺様が強いからじゃない。こいつが信頼して俺様送り出したからだ。お前たちも同等の信頼を受けていることをよく肝に銘じて励むんだな」
嬉しかった。反対意見はぷっつりと聞こえなくなった。ライオンはずっとブチハイエナの信頼に応え続け、その結果が今の群れの規模にも繋がっている。
大丈夫だとは分かっているが、ちょっぴり心配が頭をもたげてしてしまうのは、どうしようもなかった。今までの報告で、進軍させているパーティはそれぞれに力を削がれているような印象を受けた。相手はかなりやり手のようだ。一筋縄ではいかない。そもそも群れ戦は自分の縄張りを戦場として使える防衛側が基本的には有利。勝利するためには多少強引に攻めなければならない。それにはやはりライオンの力が必要だった。
きっと、終わった後にはひどく疲れているだろう。ただでさえ、かっこつけたがりで意地っ張りな人なのだ。現実世界に戻ったら安らげる演奏でもお聞かせして、たっぷり癒して差し上げないと、とブチハイエナは思いながら、薄い雪に覆われた暗く深い針葉樹林の奥へと、揺らぐ瞳を向けたのだった。
その頃、三頭の超大型犬に囲まれながら、リカオンは進むことを選んでいた。
キリンは己ひとりで高所から拠点を発見し、樹を取り除いて進むことができる上に、能力値が全体的に高い万能戦士。敵は足に食いつこうとすれば蹴り飛ばされ、胴には高すぎて攻撃が届かない。弱点を挙げるとすれば足が四本しかないこと。攻撃は一方向に限られ、蹴っている間は他の足で体重を支えなければならない。敵はそこを狙って集団で襲い掛かり、空振りを誘って軸足を噛みちぎり、キリンの無力化を図ってくる。リカオンのしなければならないのは、そんな状況を防ぐこと。
「陣形を組む!」
リカオンの号令でキリンの前をオカピ、左右の両翼をリカオンとサーバルキャットが固める。オカピが盾になり、リカオンとサーバルキャットが剣になる態勢。
「キリンさん。次の拠点までどれぐらいある」
「丘をあと二つ越えたあたりだね」
キリンはクレーン車のように頭を持ち上げて、リカオンが見通せない丘の向こうへ視線を向ける。
「僕は一旦引いて別パーティと合流したほうがいいと思うな」
サーバルキャットがリカオンに進言する。敵本拠地に近づく程、抵抗が激しくなるのは必至。確かに一理ある意見ではあった。
「キリンさんはどう思う?」
迷いを感じたリカオンは、先輩プレイヤーに助言を求める。キリンはオカピの頭上から首を伸ばし、濃紫色の長い舌で葉をべろべろと舐め取り、枝を引っ張るようにして邪魔な樹にダメージを与えながら、
「今は周辺に敵増援は見当たらない。副長のことだから私たちのところに追加要員を送ってくれてるよ。私の首が目印になるから、合流はこちらからよりも別パーティからしてもらった方がいいと思う。攻略戦は押せる時に、押しとくべき」
と、落ち着いた態度で首を前に向けた。聞いていたサーバルキャットが納得したようにリカオンに頷きかける。
「キリンさんに賛成だな。リカオンの指示に従う」と、オカピも同調を示す。
「よし、俺たちで行けるところまで道を作ろう」
「ゴールを貫いて、縄張りの反対側まで行っちゃおう」
キリンが言うと全員が笑って、パーティの緊張がほぐれた。
敵はアイリッシュ・ウルフハウンド、グレート・デーン、チベタン・マスティフの三頭。今は距離をとって様子を窺っている。
「基本はキリンさん以外のメンバーで対応する。三頭が一気に襲ってくるようなら、進軍の歩みを止めてキリンさんも戦闘に加わってくれ」
「うん。分かった」
作戦が筒抜けになるが、リカオンはわざとスピーカーを使って声として伝えた。相手を焦らせるため。キリンを止めるには三頭がかりでなければならない、という忠告。グレート・デーンはキリンのネッキングを食らっているので、多少なりとも体力が減っているはず。四対三の有利な混戦に持ち込めば、集中的に狙って仕留める算段だった。こちらの作戦は口にこそしないが、老練なキリンや、勘のいいサーバルキャットは合わせてくれるだろうという確信がある。のんびりしているオカピは心配だが、このなかでは大柄な体格故に、いるだけで圧力のある盾として機能しているので伝わっていなくても問題ない。
イヌたちは時折接近して唸り声を上げたり、牙を剥き出して威嚇してくる。しかしそれを正面から踏み潰すようにしてキリンが前に進むと、相手は道を開けざるをえない。雪に染まる緩やかな丘。そこへと追いやろうという敵の魂胆が見え隠れしていた。キリンは遠回りだとしても丘を登らず、その外周を回って進むルートを選ぶ。簡単に敵に斜面を利用させはしない。
二つ目の丘を半周程した時、開けた場所に出た。樹の生えていない平らな園が広がっている。樹に遮ぎられない陽射しを一面に受け、雪解けを浴びてつやつやと輝く緑が生い茂っている。久しぶりに温かい草の香りを嗅いで、リカオンは力が漲るのを感じた。
広場の中ほどまで進んだ時、急に三頭のイヌたちが周りを取り囲んできた。一斉に遠吠えを上げはじめる。いままでそうしなかったのをリカオンはずっと不思議に思っていた。敵にとって不利を解消するもっとも簡単で手っ取り早い方法。数を増やすこと。仲間を呼べばいい。しかしその判断が少し遅かったのではないか、と考える。こちらの増援の方が早そうだ。味方であるコショウボクの植物族の香りが近づいている。相手も同じくそれに気がついて、慌てて増援を呼んだのかもしれなかった。
あと二頭ほど増えれば厳しいかもしれない、とリカオンは頭のなかで戦力差を計算する。
「みんな止まれ、ここで戦う」
相手の増援が来る前にぶつかっておくほうがいい。それにここはサバンナと同じ開けた平地。他の場所よりもずっとうまく立ち回れる。相手が一旦引くなら、コショウボクと合流してから、万全の状態でまた進めばいい。仲間たちから「うん」とか「ああ」とかいう返しが来て、リカオンは気を引き締める。
敵の態度も変わった。勝負を決めようという雰囲気が漂ってくる。三頭のイヌが駆ける。そうしてリカオンたちの周りをルーレットの玉のように回りはじめた。キリンを囲む陣形は、その三方を守っているが、一方は空いている。背面。そこから一頭のイヌが襲い掛かってきた。
「キリンさん! 後ろ!」
サーバルキャットの声に合わせて、キリンが後ろ蹴りを放つが、すんでのところで敵は飛び退く。そして再び回転に加わると、同じようにキリンの背中を狙って飛び出してくる。
「キリンさん!」
またも声を掛け合う。蹴りは空振り。キリンの視野は広いが、流石に真後ろは目の届かない範囲。仲間同士助け合って、それを補う。キリンだけを執拗に狙うヒットアンドアウェイ。ヤケになったのかとも思える攻撃に、リカオンは困惑する。多少キリンを疲れさせることができたとして、これをくり返してもダメージを負わせられるとは思えなかった。
しかし、とリカオンは考える。敵は相談もなしに、このような一糸乱れぬ連携をとっている。イエイヌという同じ種であることが、こうした連携を可能にしているのだろうか。同じイヌ科として、少しだけ嫉妬や羨望に似た感情が芽生える。
ピュシスの体を脱ぎ捨てれば同じヒト種であるはず。機械惑星に存在する唯一の種。だが、そんな同じ種であっても、リカオンはヒト同士で意思が通じ合えたと思えたことはなかった。けれどピュシスでは違う。ピュシスでリカオンは群れる喜びを知った。リカオンは他の多くのプレイヤーとは異なり、自然そのものよりも、群れるということに惹かれていた。けれど、それもまた自然あってのものだろうとも考えていた。
ヒトは群れるか、群れないか。つまり同じ意思の元で一個体になれるか。この質問にリカオンであれば、群れない、もしくは群れることができない、と答える。理由として、ヒトは動植物たちに比べて共感能力が低い、と考えていた。種としての目標を持たない。種が生きるという目標。だから分かり合えず、群れることができない。個人としてなら別だ。個人として生きようとはしている。その利害が一致して、協力し合うこともあるだろう。だが往々にしていがみ合い、時には殺人事件なんてものも起こす。こんな種が群れを形成できるわけがない、とリカオンは思う。ピュシスにいるとリカオンはサバンナという本拠地の生態系に組み込まれているのを感じる。種の目的は、属の目的、科の目的、目の目的、綱の目的と遡っていき、自然の目的という巨大な奔流に昇華されている。その奔流に身を委ねるのは、種の目的がないヒトでは得られない心地良さだった。そして、そんな根っこで繋がっているからこそ、ピュシスプレイヤーはヒトという枠組みを超えて群れることができるのだ、と考えていた。
会社では同期が先に出世して上司となった。別に構わなかった。使われるのには慣れていたし、使う側になるなど、そんな面倒そうなことは御免こうむりたかった。けれど最近は出世を希望している。長に「お前は周りが良く見えているから、まとめ役に向いている」と言われたからだ。群れ戦でパーティを任されるようになり、やってみると面白かった。それは、自分でも意外であった。ライオンは前線に出ていたはずなのに、自分の活躍を見ていたかのように知っていて、褒めてくれた。それを嬉しく感じるなんて、今までの自分では考えられなかった。会社でもライオンの言葉を自信として、前より仕事に打ち込めるようになっている。そうして奇妙だが、自分が獣に近づいていることを感じていた。
リカオンは今はとにかく、このパーティを導きたい、とだけ考えていた。三頭のイヌたちが回転しながら弾き出されるように次々と襲っては引いていく。こちらの足並みが乱れないように視野の広いキリンとオカピを前後、背中合わせに配置。そして飛び出してくるイヌを捉えたら、その方向を知らせてもらい、リカオンとサーバルキャットで仕留める体制をとった。
「右後ろ!」「前!」「左前!」声が飛び交う。キリンを絶対的な位置として、その前方が前にあたる。二頭の肉食獣が反応しているのは声が届くよりもっと前。草食獣たちが視線を向けたり、体を僅かに傾けた瞬間。そのぐらいの速度で反応しなければ、実戦においては対応できなかった。
それでも相手の引く足が速く、捕まえることはできない。この激しいが無意味と思える攻撃に何か意味があるに違いない、とリカオンはその意図を探ろうとするが、さっぱりであった。我慢比べの様相を呈してきたが、スタミナが切れるのは動き続けている相手の方が早いはず。遠目に味方の姿も見えてきた。ピンク色の小さな実を枝先にたっぷりと携えたコショウボク。同じ群れの植物族は付近の味方に能力上昇効果、敵に能力低下効果を与える。合流できれば勝利は目前であった。
ふと、気が緩んだ瞬間、今まで執拗にキリンばかり狙っていた敵が、オカピの前に飛び出した。白灰色のウルフハウンドが、その足元で牙を剥いたので、オカピは押されるように数歩後退する。
「キリンさん! 後ろ!」
反射的な蹴りだった。単調な敵の攻撃を捌いているうちにキリンの判断力はやや鈍っていた。リカオンは、ダメだ、と止めようとしたが、到底間に合わない。ウルフハウンドの首元には、いつの間にか首輪のようなスピーカーが装着されている。イヌたちは今まで一切喋らずにいたので、この行動は全くもって意識の外であった。
オカピがキリンに蹴り飛ばされる。後ろ、と叫んだのは敵であるウルフハウンド。味方同士なので蹴りによるダメージはないが、接触による衝撃はある。オカピが悲鳴と共に宙を飛び、冷たい緑の園に横たわる。動揺したキリンにグレート・デーンとチベタン・マスティフが素早く迫った。
「サーバル!」
リカオンは声を掛けながらオカピの元へ向かう。今、一番危険なのは体制を崩しているオカピ。肉食獣二頭が助けに走る。
足をもつれさせながらもオカピが跳ねるように起き上がる。食いついてくるウルフハウンドの牙を頭でいなして、首同士が押し合う形になった。よく耐えた、とリカオンは心のなかで褒める。前足がまだ伸びきっておらず、前に倒れ込んでいるような姿勢だが、なんとかオカピは堪えている。敵他二頭はキリンが相手をしている。今なら三対一、ウルフハウンドを倒す絶好の機会に違いなかった。
肉食獣たちが駆ける軽快な足音が園に荒々しく響く。あと一歩。しかし助けが到着する直前、ウルフハウンドは一瞬身を引くと、つんのめったオカピの下に頭を滑り込ませ、喉元に牙を突き立てた。熟練の早業。僅かに救援は間に合わなかったものの、足止めにはなった。こうなれば痛み分け。リカオンとサーバルキャットが敵を討つべく左右から攻める。
相手の口はオカピを咥えているので塞がっている。鋭く尖った二頭の牙が閃いて、白灰色の長毛に被われた首元に照準を定めた。一瞬のうちに深く牙が食い込む。
声もない。喉元に噛みついている獣。噛みつかれている獣。
噛みついたはずだ、とリカオンとサーバルキャットの瞳は驚きに満ち溢れていた。噛みついたはずの自分が噛みつかれている。同時に飛び掛かった仲間も噛まれている。オカピもまだ噛まれたまま。リカオンは以前、もう二頭いるような不気味な気配を感じた理由を知る。
三つの顎が三頭を咥える。三つ首のイヌ、ケルベロスと呼ばれる怪物。ウルフハウンドの姿は禍々しく変貌し、歓喜の遠吠えを上げるように三頭の獲物を高々と掲げた。