●ぽんぽこ9-7 命樹と毒樹
マンチニールの植物族が現れたあと、林檎の植物族の周りに集まっていたプレイヤーは三つのグループに分かれた。関わり合いを避けて立ち去る者。物珍しさで距離を取りつつも眺める者。林檎を守るように壁を作る者。
マンチニールは会議に参加するつもりはなかったものの、長であるギンドロに、せっかくの集まりだから副長もそろって参加したい、と頼まれてしまったのだった。ギンドロとしては縄張りに結びつく植物族は外部のプレイヤーと触れ合う機会が極端に少なくなるので、この機会に自分たちのことをアピールし、閉鎖的な群れにならないようにしたいらしかった。
ただでさえ渓谷の奥深くという縄張りの立地。そこに集まる動物とは異なる静物、植物族たち。空気が凝っているような感覚はマンチニールも感じていた。それが心地良くもあったのだが、ギンドロの言うことも十分に理解できた。説得されると副長としては協力すべきだという判断が優先されて、最終的に了承するに至ったのだった。
とはいえ、自分の存在が会議の妨げになるのは目に見えていたので、会議そのものには参加せず、プレイヤーのいないオアシスの隅にでも置いて欲しいとお願いしていた。が、そんな希望はまるきり無視されてしまった形。
ギンドロの意図はマンチニールにはなんとなくわかった。植物族が大部分を占めるのはピュシス広しと言えども稀有な群れ。それどころか、おそらくは唯一。多くのプレイヤーにとって、植物族は防御特化の縁の下の力持ちという印象が強く、動けないプレイヤーの集まりというのは、とかく地味に思われたりもする。そんな認識を少しでもひっくり返すために攻撃的な毒樹をセンセーショナルな広告塔として使うつもり。
マンチニールはそこまでギンドロの思考を読んで、心のなかで嘆息した。本物の樹のようにおとなしくしていようか、と黙りこくったマンチニールだったが、キリン三歩分ほどの距離を挟んで生える林檎の周辺のプレイヤーたちから痛烈な視線を浴びせかけられる。
似た果実を枝にぶら下げた二樹。林檎の果実が赤々として握りこぶしぐらいの大きさがあるのに対して、マンチニールの果実は未熟な青林檎といった風で、手のひらで握り込めるぐらいの大きさ。果実の大きさとは逆に樹高はマンチニールの方が高く、落葉樹である林檎とは違って常緑樹であるマンチニールの梢は、鬱蒼としたおどろおどろしい木陰を作りだしている。
場が騒然とするなか、林檎の葉の縁の鋸歯を細かくしたようなマンチニールの葉から甘い匂いが漂ってきた。数名が誘われるようにふらふらと近づこうとしたが、別の者によってすぐに引き戻されて正気に戻される。
キリンの背に乗るワタリガラスがマンチニールのことを放って会話を再開するものの、ほとんどの者が毒樹に意識を取られて、気がそぞろになっている。どうにも弾まないワタリガラスの弁が空回りするのをよそに、林檎がマンチニールに話しかけた。
「はじめましてマンチニールちゃん。あたし、林檎ちゃんよ」
「はじめまして林檎さん。ぼくはマンチニール」
「林檎ちゃんよ」
「……? 林檎さんだよね?」
「林檎ちゃん」
「……林檎ちゃんさん」
「ええ。あなたもお歌が好きなの?」
「まあね」
「植物族って音楽好きのプレイヤーが多いのよね。知ってた? 地球では植物に音楽を聴かせていたんですって。そうすると植物が喜んで成長が早くなってりするの」
「ぼくが調べたところだと、それって音を出す機材の熱で温度が変化した影響であって音楽は関係ないってあったけど」
「そういう失敗もあったかもしれないけれど、きちんと検証したデータもあるはず」
「そうかな。音なんて結局は振動でしかないんだし。植物が音楽を聴いている、だとか、それで喜んでるなんて決定づけることはそもそもできないんじゃない? データを見る限り、ぼくら植物族のゲーム内感覚は人間をベースにゲームプレイが可能なぐらいには五感めいたものを備えているけど、本物の植物とは全然違うものな気がするな」
「でもね」と言いさした林檎の枝にとまったワタリガラスが「ちょっと、お嬢さん」と耳打ちするように囁いて、
「毒持ちとはあまり親しくされないほうが……」
「まあ!」林檎は声を張り上げて「カラスちゃんのところには毒ちゃんがいっぱいいるんじゃないの?」
「だからこそと言いますか。我々の肉体は全てピュシスの賜物なわけでしょう? わたしは色んなプレイヤーとお話する機会がありますが、その人物のひととなりと与えられた肉体というのは無関係だと思えないんですよ。毒を有する肉体を与えられているプレイヤーというのは、どこかしら心に毒を持ってるんですね。いえ、それが悪いとは申しません。ひとの心なんてものは多かれ少なかれ、なにかが隠れ潜んでいるものです。でもね。全身があますところなく毒の肉体というのは、さすがに異常性を感じてしまうわけです」
こそこそとしながらも饒舌に語るワタリガラスに、
「カラスさん。教えてあげる」柔らかい物腰で「植物というのはね。すべからく毒を持ってるの。化学物質をね。林檎ちゃんだってそう。例えば種には青酸配糖体が含まれてる。毒を持ってないと生きられない。もし毒を持っていなかったら、動けない植物は動ける動物に簡単に食べ尽くされてしまうから」
林檎は空を仰ぎ見るような調子で、
「林檎ちゃんは思うの。そんな毒を持つものを食べれるように進化した動物たちはすごい。毒が多様な生き物たちが存在する自然を育んだ」それから仄かに歌うように「食べられて毒は巡り巡る。もし誰かが毒を持っていても、別の誰かが食べてくれる。そうしようとしている誰かがいる。毒で結ばれる絆が誰かと誰かの救いになる」
子守歌のような優しい奏でに、ワタリガラスは長広舌をしまい込んでいたが、メロディが途切れると「毒薬変じて薬となる、という話ですか?」と尋ねた。それを聞いた林檎はころころと笑うと、首を傾げるワタリガラスの問いには答えずに、
「マンチニールちゃん。一緒に歌いましょうよ」
いつの間にか立ち直っているヤブノウサギが「林檎ちゃんのお歌聴きたい!」と声を大にした。
「いやだよ」
すぐさまマンチニールは断りを入れる。
「どうして?」
「君って自作の曲を歌ってるんでしょ。君は有名プレイヤーだから噂ぐらいは知ってるよ。ぼくはひとの作った歌を歌うのはイヤなんだ」
強い否定のこもった口調に、
「別に林檎ちゃんの曲じゃなくてもいいのよ。例えばマンチニールちゃんの曲はない? それを歌いましょう」
「無理だよ。ぼくの曲はぼくだけのものだし、いまはもう特別なひとにしか聴かせないように心に決めてるんだ」
二樹の間にキリンが割って入って、
「林檎ちゃん。あんまり無理強いしたらよくないんじゃない」と声をかけた。
「……そうね。じゃあ林檎ちゃんの歌を聴いていてね」
気を取り直して、スピーカーを調整すると、林檎がたおやかに歌い出す。そうすると、さざ波のような歓声が周囲に広がっていった。歌声はオアシスをゆりかごのように揺らし、それに誘われたプレイヤーたちがそろそろと集まってきた。ウルフハウンドとの衝突のあと、所在なさげに会議場から離れてウロウロしていたハイイロオオカミもやってきてキリンの足元で耳だけを立てて身を丸める。
ライブ会場の様相を呈してきた野原。そこに佇むマンチニールの樹下で、
「なにかを創造できるひとって羨ましい」
マンチニールが声に驚いて感覚を向けると、奇妙な生き物が根っこのそばに座っていた。
「君は誰?」
聞くと、
「誰なんだろうね」
曖昧な答え。
泥色の体。横幅のある黒っぽいくちばしの横に小さな目。くちばしがあるので鳥かと思ったが、手足には水かきがあるので水生生物のようだ。ビーバーのような尻尾が生えているが、やわらかな細毛に被われた毛衣はカワウソに近い。一口になんの動物なのか表現できない風貌。
しかも、その頭上にひょろりと伸びた植物のようなもの。長く伸びた毛が固まったにしては色合いが違う。白っぽくもある明褐色。
「わたしには心がないから、なにも創り出すことができないんだ。だからすごく羨ましい」
樹下の生き物が言う。その時、マンチニールは気がついた。喋っているのはくちばしのある毛むくじゃらではなく、その頭から生えているものが装備しているスピーカー。それぞれ別々のプレイヤー。
「君たちは誰?」
再び尋ねる。
「わたしは冬虫夏草と呼ばれてはいるね。頭を貸してくれてるのはカモノハシ」
カモノハシは、ぼーっ、と林檎の歌に耳を傾けている。
「ぼくはマンチニール。ぼくの足元にいると危ないよ」
「毒があるんだってね」あっさりと言って「でもカモノハシにだって毒はあるし、わたしは別に気にしないよ。それよりマンチニールも曲を作るの?」
まったく怖れる様子もない態度に、逆にマンチニールが気圧されつつ「うん」と返す。
「心がないわたしも曲が創りたいんだ。どうすればいい?」
マンチニールは困惑してしまいながら、
「心がないっていうのがよくわからないんだけど」
「オートマタに曲が創れると思う? 人間みたいに」
「音楽作成ツールはいくらでもあるけど、それとは違う話? 人間の脳より、オートマタの電子頭脳のほうが処理できる情報量で優れているし、指令を出せば曲なんていくらでも作ってくれるんじゃないかな」
「けれどそこには心がない」
冬虫夏草が言うと、マンチニールはしばし思考を巡らせて、
「機械っていうのは動物と人間の狭間の存在だと思う。身体機構じゃなく心の話だよ」
答えると、冬虫夏草の代わりにカモノハシが重々しく頷く。カモノハシは身じろぎしたものの、黙り込んだままで、冬虫夏草が言葉を返した。
「ちょっと分かる気がする。オートマタに組み込まれた電子頭脳の思考回路を単純化すれば動物になるし、複雑化にすると人間になる」
「そうそうそんな感じ。だから、なんていうか、うまく言えないけど、心が確かな存在と不確かな存在があるだけで、持ってないというのは違う気がする。ぼくはそんな風に思うってだけだけれど。だから、君が作りたければ作れるし、作ればいいと思う。不確かに思えても、心はあるはずだから」
マンチニールの言葉を聞くと冬虫夏草は黙り込んでしまった。マンチニールも同じようにして、自分が語った言葉について、自分自身にも理解しきれず悩み込む。しばらく、オアシスの潤いに満ちた風に身を任せていたマンチニールだったが、
「冬虫夏草さんは植物なの?」
ずっと気になっていた質問を投げかけた。
「違う。けど動物でもない」
「じゃあ……なに?」
「なんなんだろうね。でも夢を見るよ。夢を見る生命なのは確かだ」
それきりスピーカーは閉ざされて、林檎の歌だけが場を満たした。一時ラーテルが飛び込んできてヤブノウサギを引きずっていく一幕があったが、それ以外は穏やかそのもの。
そうして、いつの間にか月が沈み、太陽が昇り切ると、オアシスの対岸では林檎の歌を開幕曲にして、十六の群れの代表が一堂に会するピュシス会議が遂にはじまろうとしていた。