●ぽんぽこ9-5 移籍者たち
「よう、イリエワニ。お前、自分の群れ作ったらしいじゃないか」
「あっ、先輩。久しぶり」
オアシスに向かう道中。イリエワニが振り返って、後ろから声をかけてきたコモドオオトカゲにあいさつをする。
砂っぽい土に覆われた枯れた草原を、巨大な爬虫類たちが大きな顎を前に突き出し、肩を並べてどたどた走る。セピア色のしなびた草がスコップのような灰緑色の四肢に土ごとかき出されて、二頭が通った後に残る溝の周りに散らかっていく。
コモドオオトカゲはトカゲにおける最大種。一方、イリエワニはワニどころか爬虫類における最大種であり、コモドオオトカゲの二倍ほどの体長。巨大な肉体を、ずしり、ずしり、と動かして、ピュシス会議の開始時間に遅れないように最大限に急いでいた。
「どうだ。苦労してるか?」
と、聞いたコモドオオトカゲは元トラの群れ員。新人プレイヤーだった頃のイリエワニにゲームの基本を指導してくれた。そうしてイリエワニが一人前のピュシスプレイヤーに成長したのを見計らったように、トラの群れを脱退して、自らの群れを立ち上げた。
その時のコモドオオトカゲはトラの群れの副長であり、空いた席に据えられたのがイリエワニだった。とはいえ、今のイリエワニはその副長の席をトムソンガゼルに奪われ、コモドオオトカゲと同じように独立した身。
「別に苦労はしてないな」
本当に苦労がなさそうな言い草に、コモドオオトカゲは速度を上げると、イリエワニの脇腹を小突いて、
「お前はホントにかわいくない後輩だよ」
「なにするんだ先輩」
「ちゃんと縄張りの地形把握はできてるか」
「そういうのは副長のムササビがやってくれるんだ。俺は飛べないからな。任せてる」
「自分で見ないと戦の時に作戦がたてられんだろう」
「作戦はもうひとりの副長のスイセンがたててくれるから問題ない。俺だと突撃しか言えないし」
「それじゃいざという時困るぞ。お前の群れなんだぞ」
「みんなで作った群れなんだ。俺の担当は体を張ること」
コモドオオトカゲは呆れたのか感心しているのか「はあん」と息をついて「のほほんとしてやがるなあ」
「先輩の群れはどうなんだ」
「おれが群れを作った当初なんか、群れ員全員の命力をきっちり稼いでやれるか不安でいっぱいだったよ。仲間が増えると、能力を把握して、うまく戦えるように群れ戦での配置を夜通し考えたり。もしも負けが込んだり、気持ちよく戦えないと、やっぱり不満が溜まっちまうからな。そのメンタルケアみたいなことも意識したりだな」
「先輩は真面目過ぎるんじゃないか? わーって体を動かすだけで楽しいと思うんだが。そういうゲームだろ。これって」
「そのぐらい無邪気に遊べればいいんだろうが、群れの皆がそうやって自由に遊ぶためには、おれひとりぐらいはちゃんとしてなきゃと思っちまうのかもなあ」
しみじみと語っていると、遠くにうっすらとオアシスの植生が見えてきた。
「水の匂いがするぞ!」
イリエワニがはしゃいだ様子で速度を上げる。水辺に棲むイリエワニにとって水のない長距離を移動するのはたいへんな重労働。そもそもワニは持久力がないので長時間を走り続けるのには向いていない。水神金毘羅のスキルで水を湧き出させようかと何度思ったか分からないが、スイセンから命力を無駄遣いしないように釘を刺されているので、イリエワニはぐっと堪えて、体中が渇くのにも我慢していた。
「あまり慌てるなよ」
声をかけてからコモドオオトカゲは、もうこいつは一人前なんだから、と思い直してあまりうるさくは言わないことにした。とはいえ長の集まる会議に参加するにはまだまだ経験不足に違いない。
「今日はお前ひとりで来たのか」
それとなく聞いてみると、
「いや」イリエワニはいったん休憩のために立ち止まって、
「ムササビがスイセンの球根を持って先に飛んでいってる。長とふたりの副長の全員で参加するつもりだ」
「そうか」内心でコモドオオトカゲは安心して、
「おれのところも副長のムカシトカゲが先に行ってる。それともうひとり、今日は参加できない副長にナイルワニってのがいるんだが、お前のこと話したらえらく気にしてたぞ」
「へえ。ワニ同士会ってみたいな」
「お前に負けないぐらいでっかいやつだから、たぶん気も合うんじゃないか。そのうち宴会でもしようか」
「宴会もいいけど群れ戦しようぜ。まだ作ったばっかりの群れだから相手を探すのも大変でさ」
「いいぞ。あとで日程相談しよう」
「助かるよ先輩」
イリエワニはいくぶんか回復した体力で再び動き出す。それにコモドオオトカゲが並んで走る。豊かな水の香りが濃くなり、水に誘われた植物たちが青々と生い茂る。オアシスは最も活気のある中立地帯。多くのプレイヤーが入り乱れる。そんなすべての生命にとっての楽園へと、二頭はそろって飛び込んでいった。
「よーう。おひさ」
頭の上にムササビを乗せたキョンが、オアシスに集まる動物たちのなかにトムソンガゼルを発見して声をかけた。ムササビは会議場近くの水辺にスイセンの球根を置いて、久しぶりに会ったキョンと一緒にオアシスを見て回っていたところ。キョンが軽快に蹄を鳴らして近寄ると、ナツメヤシの木陰の下で、明褐色のふかふかした毛衣を持った動物たちが向かい合う。
「どうも」
気乗りしない様子であいさつを返すトムソンガゼルに、
「アタシたちが出ていったあと、トラの群れはどんな感じ?」
キョンが聞く。
「もう部外者になったあなたたちにペラペラ内情を話すわけないでしょう」
「ちょっとだけでいいからさー。あたしたち仲良しでしょ」
ムササビがキョンに負けないぐらい軽い調子で尋ねる。
「僕がライオンのところから戻ってくるのと入れ替わりにあなたたちは出ていってしまったのだから、たいした付き合いでもないでしょう」
言われてムササビが「そっかー。そうだったね」と、小刻みに頷いていると、
「おい、そろそろ席に……」
副長を呼びに長のイボイノシシがやって来た。キョンの体の向こうにトムソンガゼルの姿を認めると、
「……裏切者も来てるのか」
「あなた、ひとのことを言えますか」
すぐさま反論されて、むっとした表情でスピーカーを閉ざす。
「うちの長、イラっとするとすぐに黙り込むの」
キョンが頭上にこそこそと言うと、ムササビが「へー」と目をまん丸くさせる。
「うるさいぞ」
イボイノシシに睨まれても、慣れた調子で受け流して、
「んで、つっこまれるとすぐにこうやって怒るの」
「怒りんぼなんだね」
イボイノシシは生来、当たりが強く見られがちなだけで怒ってなどいなかったが、それをわざわざ説明するのは煩わしく、黙って四角い顔を更に四角張らせた。そんな様子にトムソンガゼルは薄く笑っていたが、ふと、真顔になって、
「イボイノシシ。あなたどうしてライオンの群れを脱退したんですか」
「……俺には俺の闘いがあると思っただけだ。俺はピュシスとは心を鍛えるゲームだと思っている。あそこにいたら俺はダメになる。そっちこそわざわざトラの味方をするのには理由があるのか? お前には窮屈そうな群れに見えるが」
「闘争本能に呑まれただけの方が、ずいぶんと僕について知った風な口をきくんですね」
「思ったことを言ったまでで、たいした意味はない」
トムソンガゼルは曲角の横にある長い耳をイボイノシシに向けて尖らせていたが、ふいに視線をそらすと「キョン」と呼びかけた。
「なに?」
「イボイノシシの長としての資質はどうです」
「うーん? そうだなあ。まあ面倒見はいいし、よく気がつくからそれなりに慕われてるんじゃない。けど、なんか思ってたより細かい性格してるんだよね。この間も縄張りの草を食い過ぎるなってチクチク言ってきたし。自生植物なんてすぐ生えてくるのに」
「あれは、あの場所の景観が崩れるから言ったんだ」
「ほら。細かいでしょ。景観だなんて芸術家みたいなこと言うんだから」
「それは……」
思わず語気が強くなりかけると、
「また怒ったー」
と、ムササビに揚げ足を取られ、再びスピーカーをつぐむ。トムソンガゼルは、今度はキョンの丸みのある短角に掴まってケタケタと笑っているムササビに鼻先を向けて、
「イリエワニはどうです? 長として」
「自分の群れのことは教えないのに、ひとには聞くんだ?」
ムササビが言うと、
「内情ではなく、個人の性質を聞いてるだけですよ」
「教えてあげよっかなー。どーしよっかなー」
もったいぶるムササビに、
「なら結構。しょせん肉食の率いる群れのことですから。たいして興味はありません」
あっさりと引っ込める。
「あーん」
構ってもらえなくて寂しそうな声を上げたムササビは、
「教えてあげるって」とキョンの頭からジャンプすると、滑空してトムソンガゼルの背中に飛び乗った。
あとの話はもう関係ないと判断したイボイノシシは、
「キョン。行くぞ」
会議場へと促す。
「はあい」と、キョンはイボイノシシのずっしりとした背中に続いて、首で振り返ると「じゃあね。ムササビ、トムソンガゼル」
「じゃーねー」
ムササビが飛膜をはためかせて手を振ると、キョンは手を振る代わりに、耳をパタパタとはためかせた。ふたりが立ち去ると、ムササビはトムソンガゼルの背中から頭へと駆け上り、鋭利な曲角を握ってバランスを取ると、
「ワニくんはそうだなあ。一緒に遊んでて楽しいよ。群れのみんなも楽しいって言ってる」
「楽しい、とは?」
「楽しい、とは、とは?」
オウム返しに少々苛立ったように、
「ふざけないでください」
「ふざけてないよ」ムササビはトムソンガゼルの頭の毛をかき混ぜて、
「楽しいって楽しい以外の言い方があるの?」
「僕が聞いたのは、どういった要素に享楽を覚えているのかということです」
「なんでも楽しいよ」
「原始的で話になりません。まあ、図体だけの単細胞の元に集まった集団など、その程度ということでしょうかね」
つっけんどんな言い草にすこしカチンときたムササビが、
「ワニくんはあれで結構ちゃんとしてるのよ」
と、言い返したが、その瞬間、オアシスの一角から凄まじい水音が響き渡ってきた。
水面が大きく波打って、押し寄せる水に全身をずぶぬれにされたプレイヤーたちがどよめく。
視線を向け、鼻で笑うトムソンガゼルの頭上で、ムササビは頭を抱えた。
驚いたプレイヤーたちの注目が集まる先には、
「生き返ったあ」
と、激しい水飛沫を上げながらオアシスの水面に巨体を浮かべるイリエワニ。
頭から水を被ったプレイヤーたちの怒声に平謝りして、ざぶん、ざぶん、としばらくオアシスを泳ぎ回っていたが、トムソンガゼルを見つけると、
「おう」
と、近づいてきて、雫を滴らせながら岸に上がってきた。
トムソンガゼルは副長の座を奪った手前、なにを言われるかと身構えたが、予想していたような恨み言が飛んでくることもなく、
「うちのムササビと遊んでくれてたのか、ありがとう」
「……いえ」
拍子抜けしてピンと立っていた尻尾を垂れ下げる。
ムササビはトムソンガゼルからイリエワニの背中に滑空して飛び移ると、
「せっかくワニくんのこと褒めてあげてたのに」
と、頬を膨らませた。そんなムササビを怪訝そうに上目で見て、
「開始には間に合ったのか? それともはじまってるか?」
「まだ大丈夫ですよ」トムソンガゼルが答えて、
「いま昇っている月が沈んで、次の太陽が真上に昇るぐらいが会議の開始時間です」
「ああよかった」イリエワニは安堵して、
「トムソンガゼルも参加するのか?」
「ええ」
「じゃあ一緒に行こうぜ」
「結構です」
「そっか、じゃあ後でな」
イリエワニがのっそりと方向転換しながら、
「スイセンはどこだ?」
ムササビに聞く。
「あっち」と、鼻先で指された方へと、どしん、どしん、と向かっていった。
ムササビは別れのあいさつとして飛膜を振ったが、トムソンガゼルはそれに応えることはなくオアシスの周辺に集まるプレイヤーたちへと首を向ける。
王に相応しい者、王の器はいずこか。
鼻、耳、目を鋭く働かせる。
来るべき日に向けて、一刻も早く準備を。
トムソンガゼルはただそれだけを考えていた。




