●ぽんぽこ9-1 参加者集う
鏡のように磨き上げられた巨大なオアシスの水面に、燦々と輝く太陽に引き連れられたいくつもの雲影が映り込む。水上から立ち昇るひんやりと心地いい冷気と、太陽から降り注ぐ肌を焦がさんばかりの熱気が中空で押し合いへし合いの終わらない争いをくり広げていた。
誰の縄張りにもならない中立地帯のオアシス。その畔に生える突き立てられた箒のようなナツメヤシの樹上で翼を休めていたワタリガラスの元へ、のそのそとマレーバクがやってきた。
「どうも」白と黒にぴったり分かれた体をどっぷりと落ち着け「キングコブラが一番乗りですか」とオアシスの一角へ視線を向ける。そこではキングコブラの指示のもと、群れ員のサイドワインダーとケープハイラックスが会議場設営に励んでいた。ケープハイラックスが小石や雑草を次々にどけると、サイドワインダーが露わになった砂っぽい地面を這って、自らの体を筆代わりにいくつもの線を描いていく。
ワタリガラスは墨を浴びたように黒々とした体をぐったりさせて、
「うちの長が発起したわけだから、あれでも体裁を気にしてるみたいだ」
「既にお疲れのようですが、なにか?」
「あの無駄にひょろ長い体を熱帯雨林からここまで運ぶ重要任務を仰せつかっていたんでね。しかも急げ急げとうるさくてかなわない」
黒い翼をいたわるようにくちばしで毛づくろいする。
「それはそれはご苦労様です」
「苦労のしっぱなしさ」
「お疲れのところ申し訳ありませんが、ひとつ確認を」
ブタよりも長く、ゾウよりは短い鼻が持ち上げられて、
「あなた。神聖スキルを持ってるでしょう」
「そりゃあ、いまどき大半のプレイヤーが持ってるだろう。あんたもそうなんじゃないのか」
確認の意図が読めずにいるワタリガラスをよそに、マレーバクはオアシスに到着しているトラの群れの一団からユキヒョウを呼び寄せた。
「なんだ副長」
マレーバクは鼻先で、梢の影に同化するワタリガラスを指して、
「彼がスキルを使うそぶりを見せたら狂わせなさい」
「なに?」
と、声を上げたのはワタリガラスとユキヒョウのふたり同時。
「やりなさい」
「断る。俺は会議を見物に来たんだからな」
ユキヒョウは灰褐色に黒い斑模様が浮かぶ肩をいからせて、長い尾で乱暴に地面を叩く。
「内容ならあとでお伝えします」
「生のやり取りが見たいんだ」
「ちょっと待てよ」
黒いくちばしが割って入って、
「狂わせる、ってなんだ。物騒なことはやめてくれ」
「俺だってやりたくない」
戦でもないのにスキルを使うなど、無意味に命力を消耗するだけにしか思えない。それにオセの神聖スキルは見せびらかすようなものでもなかった。
しかし、マレーバクは強硬な態度で、
「やりなさい」
ユキヒョウは、自身の四倍ほどの重量がある図体に迫られると、首を竦めて後退る。
この副長狂ってるんじゃないか、いっそこっちにオセの力をぶつけたいものだが、貘の力で無効化されるのが関の山、そもそもそんなに言うなら自分が見張って貘になって打ち消したほうが早いだろうに、と不満を次々に湧きあがらせながらユキヒョウが渋面を浮かべていると、
「何を気にしてるのか知らんが俺はこんなところでスキルを使う気はない。使わないと約束する」
「ただの口約束など信用できませんよ」
「戦でもないのにわざわざ命力を無駄遣いするわけないだろう」
ワタリガラスの言葉にユキヒョウも同意して頷く。
「あなたのスキルなら無駄というわけでもないでしょう」
ワタリガラスが持つスキルは相手の能力値を見通す効果。隻眼の知識の神オーディンの使いであるワタリガラス、フギンとムニンの力。マレーバクは各地で行われている戦の情報を収集しており、そのことを知っていた。
「情報は力です。特に群れの中核をなす長や副長の能力値ともなればなおさらでしょう」
語りは熱を帯び、コブのような短い尾が激しく振られる。
「狡猾なキングコブラのことです。この招集にかこつけて偵察を画策していてもなんらおかしくはない」
言いがかりとしか思えなかったが、トラの群れのような大規模な集団ともなると、対外的な態度をこれぐらいはっきりさせておかないといけないのかもしれない、とワタリガラスは想像してはみるが、それでも理不尽極まりないことのように感じられた。
カア、と鳴き声をもらして、
「俺にどうしろって言うんだ」
「大人しくユキヒョウに見張られていてください」
「いやだと言ってるだろう」
ユキヒョウが反発する。そんな三名のやり取りに、
「ちょっと、よろしいですか?」
と、割って入ってくるブチ模様の獣がいた。
「ワタリガラスさん。お久しぶりです」
言いながらブチハイエナは親しみを込めた鳴き声を上げた。
「やあどうも。相変わらず素敵なたてがみですね」
「ありがとう。あなたとっても口達者だと色んな方の噂になってますよ」
「まあそれほどでもあるからね」
「それで、お願いがあるんですが……」
ブチハイエナの鼻先が向けられた先、オアシスを挟んで向かい側に、到着したばかりのライオンの群れの数名がたむろしていた。その一頭、ひときわ目立つサバンナの花形アミメキリンと、中立地帯のアイドルでありソロプレイヤーとして活動している林檎の植物族が会話に花を咲かせている。
「先程、キングコブラに言われたんですが、会議場に使う場所が思ったより狭かったとかで長と副長以外は参加を控えるようにと」
これを聞いたユキヒョウは、なんだと、と心とスピーカーの間で不服を躍らせて肩を落とす。
「賑やかしで来ていたこちらの群れ員が少し暇を持て余しているのですよ。よろしければ話し相手になってあげてもらえませんか」
「そりゃあいい」
ワタリガラスは願ったり叶ったりという風に声を弾ませて、
「俺はお嬢さん方と話でもしてるよ。あそこなら会議場から離れていてスキルも届かない。それでいいだろ」
「ふむ」マレーバクは鼻を鳴らす。
「なにか問題でも?」
ブチハイエナが尋ねると、
「まあいいでしょう」と、頷いた。
ワタリガラスは内心で、なんでこんなに偉そうなんだ、と小さな反感を覚えたが、すぐにうきうきと黒い翼を広げてオアシスの水面に影を滑らせていく。三頭の視線が向けられる先で、洗練された流線形のフォルムが風を切ってみるみる遠退いていった。
「役職持ち以外は近くにいるのもダメなのか」
ユキヒョウが聞くと、ブチハイエナは、
「邪魔にならない範囲ならいいんじゃないでしょうか」
「ううむ。それなら……」
オアシスの会議場の周辺を視線で探って、
「あの岩ならよさそうか」
と、ユキヒョウはさっそく特等席を発見して駆けて行った。
残されたブチハイエナとマレーバクは視線を交わし、しばしお互いの匂いや姿、息遣いに感覚を集中させていたが、
「直接お話するのは初めてですね」
間合いを詰めるようにブチハイエナが言うと、
「我々はいつも後方にいて、戦場にはでませんからな」
探るようにお互いの丸い耳が向き合う。マレーバクの瞳が僅かに棘をはらみはじめると、ブチハイエナは鳴き声を上げて笑って、ひりついた空気を霧散させた。
「アメとムチという言葉を知っていますか。飴という食べ物が地球にはありましてね。それがこの上ない褒美だったそうですよ。人を動かすのは褒美ということです」
オアシスの向こう側でプレイヤーに囲まれて、さっそく会話に興じているワタリガラスに視線を投げかける。ブチハイエナもワタリガラスのスキルのことは知っていた。タヌキから聞いていたのだ。そしてこの後、会議にライオンに化けて参加するタヌキのために、ワタリガラスの気をそらしておくつもりだった。奇しくもマレーバクの思惑と一致したので、それに乗じさせてもらった。
「人参と棒ですか。政治の話なら良く存じていますよ。しかし今の私は人じゃない」
マレーバクは自身のずんぐりした肉体を見下ろして、
「人の動かし方などここでは通用しません」
と、切り捨てた。
「しかし、その肉体を動かしているのは人でしょう?」
言ってから、ブチハイエナはふと悩むように空を見上げる。
「どうだか」
マレーバクは自身の群れに足を向け、
「心のよりどころは肉体と脳、どちらだと思いますか?」
ブチハイエナの答えを待つわけでもなくのっそりと去っていく。
「肉体は脳を作る。脳は肉体を作る。その狭間に心がある。そのバランスが崩れた時、心は……」
そのあとの言葉は小さな砂嵐に呑まれて、ブチハイエナの耳には届かなかった。
ブチハイエナは、衣服にも見えるマレーバクの黒と白のコントラストをしばらく眺めていたが、
「心、か……」
ひとりごちて、つい、と鼻先をそらすと、寂し気にたてがみを揺らし、自身の群れ、今はもういない本物のライオンの面影が濃く残る居場所へと戻っていった。