●ぽんぽこ3-4 ライオンvs鬼熊
ヒグマとシベリアン・ハスキー、ロットワイラーの三頭がライオンが向き合う。
「やるじゃないか」
動物界屈指の豪傑であるシロサイを撃破した戦略をライオンが素直に賞賛すると、
「どうも」
と、相手のなかで唯一スピーカーを装備しているヒグマが朴訥と答える。
「ライオン。あんた、えらく強いらしいじゃないか。地球でも百獣の王なんて呼ばれてたんだろ。一度戦ってみたいと思ってたんだ」
自信家の力自慢だな、とライオンは考える。こうやって挑んでくる輩は今までにもたくさんいた。その鼻っ柱をへし折って上り詰めたのだ。群れの長としてのメンツもある。こうした対面で逃げるわけにいかないのは、ライオンの弱いところでもあった。
ライオンとヒグマが睨み合う横を通り抜けて、ハスキーとロットワイラーがオポッサムを狙って駆けだした。ライオンは阻止しようとするが、ヒグマが太い腕が振り下ろしてそれを妨害。
おかしい、とライオンはすぐに気がつく。先程よりヒグマの体格が大きくなっている。元々クマは立ち上がることができるが、二本脚ですっくとバランスをとり、のっしのっしと歩く姿は人間のようだった。
ヒグマはほとんどのプレイヤーが見向きしない装備品を纏いはじめた。防刃チョッキ、巨大な牙のような爪がついた手甲、それに兜を装着する。足元が重量で沈み込んで、ヒグマの大きな足型が雪を貫通して地面に深く刻まれる。通常であれば重みで動きが鈍くなり、被われることで各感覚が阻害されてしまうものだが、ヒグマは平然と二本脚で立ったままライオンを威圧するように牙を剥く。
ついにこういう大っぴらな奴が現れたか、とライオンは苦々しく思う。動物離れした立ち姿の裏には神聖スキルの存在がありそうだった。神聖スキルは地球での動物にまつわる伝承を元に、それぞれの種に与えられている特別なスキル。最近になって広まりはじめたその特殊能力の受け取り方はプレイヤーそれぞれであったが、ライオンはあまり好ましく捉えてはいなかった。自然に超常を持ち込むのは美しくない、そんな考えが頭を過る。ただし、使えるものをすべて使って執念深く勝利をもぎ取る野性味もまた、ピュシスの醍醐味であるとは考えていた。
「あれはたぶん鬼熊です」
足元から声がした。地面に空いた穴の奥にプレーリードッグの顔が見える。しかし今回の群れ戦にプレーリードッグは参加していない。タヌキが化けた姿。穴を掘って逃げてきたのだ。
「なんだそれは」
「妖怪というやつです。人間みたいに直立歩行ができて、体がおっきくて、力も強いんだっていうのを見ました」
タヌキは自身が何故化けれるのか調べた際、妖怪の情報に行きついていた。化け狸と呼ばれる妖怪たち。団三郎狸、芝右衛門狸、太三郎狸の三名狸と呼ばれる面々や、隠神刑部、お袖狸などなど、化け狸の話はいくらでも見つかった。キツネが化けれるのも似たような伝承に由来するようだった。妖怪には鬼熊、犬神、鎌鼬、猫又などの妖しい動物たちがそろい踏み。化ける、というスキルが存在する以上は、他に妖怪の力を使えるものがいるだろうと、以前からタヌキは予想していた。
微かな地響きと共にヒグマがライオンに挑みかかるが、容易くに躱されてしまう。深追いはせずヒグマは後退。ヒグマは丘の上、ライオンは下。攻防において優位な場所を手放す気はなかった。背後は崖であり、シロサイのように滑落でもすれば危険だが、今は背後からの攻撃を許さない防壁として働いている。
鬼熊の力を使える神聖スキルは、人間のような動きを可能にする上に、体格や攻撃力が増加する。更には装備品を纏っていても動作が鈍くならない効果もあった。
今、攻撃力と防御力ではヒグマが上、しかしそれでも身軽さではライオンが大きく勝る。ヒグマは相手が攻めてくるのを待って、カウンターを狙う体勢をとる。攻めてこないならそれでもいい。防衛側であるオオカミの群れとしては、時間を稼ぎさえすれば勝利なのだ。
ライオンとヒグマの体長は僅かにヒグマの方が大きいという程度であったが、スキルを使用したヒグマは五割増しほどに膨らんでいる。太陽の位置が悪く、影がライオンに覆いかぶさってくる。容易に攻め込むことはできない。不利な要素が重なっているが、それでもライオンはこの巨獣の攻略方法に思考を巡らせる。足止め目的なのは分かっていた。あわよくばこちらを倒そうとしている。長のメンツもあるが、それよりもこの厄介な獣を、他の場所で進軍している己の群れのパーティの元に向かわせるわけにはいかなかった。相手できるのは自分しかいない。今ここで対処するべき。
お互いにお互いを引き留めようという利害が一致して、二体の獣は向かい合った。
不動の要塞として立ちはだかっているヒグマを見て、シベリアン・ハスキーとロットワイラーは後を任せても大丈夫だと判断する。二頭はオポッサムを見失っていた。オポッサムがいたはずの場所には、ぽっかりと空いた穴。そのなかは土の匂いが充満しており、鼻先を突っ込んでも敵の行方は分からなかった。その場を離れて拠点の警護に移ることを選択。守り切ればオオカミの群れの勝ち。オポッサムが隙をついて拠点を通過することがないように警戒しなければならない。そうして二頭は駆けながら、遠吠えを上げて群れ長に伝達を行った。
ライオンは足元の穴を見たが、プレーリードッグはもう姿をくらましている。これでは訓練にならないと、心のなかで呆れる。しかし、もたらしてくれた情報は有益だった。鬼熊の力を使うヒグマは単純に能力値が高い大型獣と考えていいらしい。無用な警戒をしなくて済む。防刃チョッキが胴体を守り、頭には兜があるので、大地を踏みしめている後ろ足を狙うしかない。
フットワークの軽さを生かして翻弄を試みる。ヒグマは中々の旋回力を発揮していたが、ライオンの動きがその上を行く。ヒグマの後ろ足に対して前肢の爪による攻撃。しかし相手が坂の上に位置しているため、僅かに突進力が削がれて届かない。ヒグマが手甲をはめた太い腕を振り下ろす。ライオンはすんでのところで回避。空を切った攻撃は大地を打ち、地面をえぐった。二頭を格闘技のリングのように取り囲む樹々が揺れて、葉を彩っていた雪が塊となって辺りに落ちる。
凄まじい怪力にライオンは一層の注意を払いながら、人間のように動作できるなら、装備品もこうして使いこなせるのだと感心していた。一進一退の攻防。と言ってもライオンが攻める一方、ヒグマは守る一方だった。ヒグマはシロサイが立っていた丘の上に陣取ったまま、地形的な優位を維持している。危なげのない見事な平衡感覚を披露しながら、背後を守る絶対防壁として崖を利用し続けていた。ライオンは背後に回り込めないので、せっかくの俊敏さを生かしきれないでいる。
ライオンの攻撃に積極性がなくなり、距離を取って観察に徹しはじめる。それにヒグマは退屈を覚えた。いっそこちらから打って出ようかと考えていると、ライオンは丘の下にある樹の根本に寝そべってしまう。一面を覆っていた薄い雪は、ライオンの激しい足さばきで踏み荒らされて、黒っぽい土が露出したブチ模様ができており、そこに落ちるヒグマの大きな影にいくつもの穴が穿たれているようにも見えた。
「この群れにはお前の他にも神聖スキル持ちは多いのか?」
真剣勝負の合間での呑気な世間話にヒグマは虚を突かれる。
「詳しくは知らないよ。なんとなーく、見かけたりすることはあるけど、それについて話したりはしないなあ。隠したがる人が多いからね。切り札は最後にとっておくものだろ?」
「その割には簡単に切ってきたじゃないか」
「そりゃあ、王者と言われる相手に出し惜しみなんてしないよ。勝ちたい、って衝動が漲って、止めることができないんだ。すごく闘争本能が高まってるのを感じる。戦いたくてしょうがない。それも全身全霊でね」
弾んだ声を徐々に荒げながら、興奮した様子で語るヒグマを、ライオンは冷静に眺める。戦いに酔ってしまうプレイヤーは多くいる。ヒグマも同様らしい。ライオンは強者ではあるが、ただピュシスの自然に浸る時間こそを愛していた。戦うのはこの世界に居続け、ささやかな楽しみを得るのに必要な命力を稼ぐため。そして今や思ってもみないほど大規模になってしまった群れの仲間を守るためだ。ふと、本物の動物たちはどんな気持ちで戦っていたのだろうかと、この仮想世界で考える。本物の動物はこんな無為な争いなどはしないだろう。憧れに似た気持ちがそんな風に思わせる。ライオンは急に氷を呑み込んでしまったかのように、感情が冷めるのを感じた。
ライオンが腰を上げると、ヒグマは逆に腰を落として足元への攻撃を用心した。ネコ科の身軽さで体が左右に振られる。それに対してヒグマはカウンターだけを狙って意識を集中させる。
たてがみを振り乱し、巨大な顎が鋭い牙を剥いた。足元を狙った強襲は先程とまるで代わり映えがない。ヒグマはすぐさま反撃。両腕を思いっきり叩きつける。ドン、と大きな音が響き渡って森が揺れると、雪の塊がいくつも落ちてくる。モグラ叩きのように、迫りくるライオンの頭をヒグマが狙うが、それらは全て空振りに終わり、もう樹の上から雪が落ちてこないぐらいに、地面が何度も打ちのめされた。
突然のことだった。足元が滑るような感覚にヒグマは驚く。己が立っている丘の切っ先、その地面が崖側にこぼれ落ちようとしている。しかも攻撃に夢中になっている間に、ヒグマの足首は土のなかにがっちりと沈み込み、大地に絡めとられていた。
「うわっ!」
と、両手が宙を泳ぐ。しかし、その手が掴んだのは小さな雪の結晶だけ。スキルによる巨大化と重装備によって重量が甚だしく増していたヒグマの体は、奈落に吸い寄せられるように一瞬で崖へ呑み込まれていった。
「二本脚で立ったりするからだ。獣らしく四本の足で地面を踏みしめてりゃあ、体重も分散されたろうによ」
ライオンが言い捨てると、ヒグマが立っていた辺りの地面がもぞもぞと動く。土が押しのけられて、顔を出したのはプレーリードッグ。
「よくやったぞ」
褒められたプレーリードッグは少し照れくさそうにする。ライオンがヒグマに世間話をしていた時、腰を下ろしていたのはプレーリードッグが掘った穴の傍。プレーリードッグが穴のなかから作戦を提案したので、ライオンはそれに乗った。そうしてプレーリードッグがヒグマの足元に工作する時間を稼いでいたのだった。掘り抜かれて緩くなった地面を怪力で何度も叩けば、崩れるのが必定であった。
「でも、ちょっと卑怯だったかも……?」
「野生の世界に卑怯も高潔もない。それに俺様たちは所詮人間だ。人間らしく勝てばいい。奴も人間らしく敗北したんだからな」
ピュシスプレイヤーらしからぬ言葉を口にしながら、ライオンは鼻先をあちこちに向けて次の拠点を探す。再びオポッサムの姿に化けたタヌキが、寂し気に揺れるたてがみを縄梯子のように登ってその背に飛び乗ると、雪が舞い落ちる黄金色の毛衣をほんのりと温めた。