▽こんこん8-3 探偵が行く
ドリルのみたいなリーゼントの男が、鼻歌混じりで街を行く。リーゼントの上には中折れ帽が乗っかっている。ひどくおかしな恰好だが、本人はこれがラギットでイカしたファッションだと信じて疑っていなかった。
「ふんふふーん」
すぐそばを人が通り過ぎていくが、どうせ他人の脳に音として感知される前に、大抵の冠にはノイズとしてに処理されるので好きに歌う。歌いながら眼球運動で冠を操作して音楽を再生。形成された疑似音が聴覚に作用して、美しい調べが脳に溢れた。
音楽に合わせて軽く体をゆすりながら、男は何気ない風を装って雑踏を観察する。商業地区、オフィス地区、住居地区、工場地区、どれにも分類されず、ゆるやかに入り混じる緩衝地帯。太い十字路のそれぞれの角には各地区を代表するように趣きが異なる灰色の建物があり、道から道へ、地区から地区へ、人と巡回オートマタが行き交っている。
男は輸送箱の乗り口の近くの壁に背を預け、値踏みするように人の顔を飛び石のようにして視線を渡らせていたが、住居地区のほうから走って来る一人の女性を見つけると、そちらに向けてぴたりと止めた。
ジョギング中のようだ。スポーツ用の軽装。綺麗なフォーム。走り慣れている。顔はまっすぐ。ルートに迷いがない。習慣的にジョギングをしていることが分かる。その女性が、すっ、と目の前を通り過ぎようとした時、男が、
「すみません」
小走りに駆け寄って声を掛けた。訝しげに足を止めた女性に、
「この女の子を見かけませんでした?」
電子パネルを差し出す。依頼人から拝借した写真を加工したもの。目や口元、鼻の形といった特徴だけを残して、別人にしている。依頼人から、これがロロシーという少女だということはなるべく知られないようにして欲しいと要請されたのでこのような処置をした。それについて、工場運営などしている金持ちの家には色々とあるのだろう、と男は勝手に納得している。
女性はジョギングで温まった体に汗を伝わせながら、無言で写真を確認すると、微かに首を横に振った。
「そうですか……」
肩をがっくり落として、明らかな落胆のしぐさ。
「いやね。これ俺の妹なんですよ。ちょっとしたすれ違いがあって、家出しちゃいましてね」説得力を持たせるために、画像加工をするついでに顔を似せておいた。基本的に探偵だとは名乗らないことにしている。これまでの経験に則ると、同情を買ったほうが情報が集まりやすい。「もしよかったら俺の連絡先を送信してもいいですか。見かけたら知らせて欲しいんです。よかったらあなたの連絡先も……」
とまで言って、疑わしげな視線が返されると、
「無理にとは言いません。ごめんなさいね。おひきとめして」
男はすっと身を引いて潔く諦める。すぐにジョギングに戻った女性は汗を煌めかせながらぐんぐん速度を上げて、商業地区の方へと走っていった。
ちょっとよくばったか、と男は反省する。しなやかにくり出されるチーターみたいに無駄のない足さばき。今までずいぶんと怖いものに追われる機会があったが、あんな子になら追いかけられてみたいものだ、などと考えながら見えなくなるまで視線を向ける。
ついでに相手の連絡先が聞ければコンサートにでも誘えたんだが、と思いながら、公私混同かな、と苦笑する。けれどどうせ個人でやってる事務所なんだから好きにしてもいいだろ、とリーゼントの男、ノニノエノは開き直った。
ノニノエノ探偵事務所というのが男の勤め先。この男、ノニノエノが所長でありたった一人の従業員。閑古鳥が鳴く日々に飛び込んできた一件の依頼。それが家出少女を捜索する、人捜しの依頼。
「ちょっと失礼」
今度は三人組の会社員に声を掛ける。目の周辺にブチ模様みたいな大きな隈ができた疲れた雰囲気の男と、鼻の高い痩せた男、目が粒のように小さな男。近寄った瞬間に隈がある男に他二人の視線が向いたので、こいつが一番立場が上だな、と分かった。
電子パネルを取り出して、先程と同じようなやり取りをする。三人が順番に写真へ目をやったあと、隈のある男がおもむろに、
「何故、画像に加工が施されてるんですか」
「えっ?」と、言い淀んでしまう。
目の小さな男が写真を覗き込むと、太い首を傾げて、
「加工なんですかこれ」
と、疑わし気な声。
やばいなあ、普通は気がつかないのに、たぶん映像関連の仕事だな、それで目が疲れ切ってあんなに荒々しい隈ができてるんだろう、とノニノエノは矢継ぎ早に考えて、相手が冠を操作しようという気配を察知すると、
「ごめんなさい」不審者として通報される前に謝罪。今までに何度か警察を呼ばれたことがあるので、このあたりの変わり身は素早い。そして「俺は探偵でして」と身分を明かしてしまう。
「へえ」と、痩せた男が骨董品でも見るような声を上げる。
「これ、俺の探偵事務所です。ご依頼があればどうぞお気軽に」
冠で事務所情報を提示して、ついでに一応宣伝。こういった宣伝の効果が皆無だということは知っている。どうにも胡散臭さを助長してしまうらしいのだ。自分の態度が悪いのか、事務所情報にろくな実績がないのがダメなのか、それとも事務所の映像が小汚いからか、はたまたその全部かもしれない。
「人捜しですか」
目の小さな男が聞くと、
「そうなんですよ」と、差しさわりのない部分だけ説明して、
「おっしゃる通り特徴だけ残して画像加工してるんですが、プライバシー保護のためなんでご了承ください。それで、この子っぽい雰囲気の子を見かけたりしませんでした?」
「……いや」と三人はそろって首を横に振る。
「見かけたらノニノエノ探偵事務所にご一報ください。この子を捜してるご家族が喜びますので、人助けだと思って是非」
調子よく言って、すぐに三人組から離れる。三人組は微妙な顔つきをしてオフィス地区の方へと去っていった。
四辻を見渡す。人の流れはいずれかの地区へと呑み込まれて、まばらになってきていた。場所を変えようかとしばし悩む。
女の子が行きそうな場所。オフィス地区はないとして、住居地区か商業地区。一人で生活するためにどこかに部屋を借りているだろうから、住居地区を確認すべきだろうが、なにぶん広すぎる。一介の探偵の力では入居者名簿を確認することもできない。コネを使えばなんとかなるが、ちょっと危ない橋になる。最終手段といったところ。
母親みたいな佇まいの依頼人の女性は、商業地区で立ち寄りそうな場所は全て見て回った、と言ってたが、探偵の目と耳と鼻でもう一度確認するのは無駄ではないだろう。
ノニノエノは商業地区へと足を向ける。
事前の調査費用はもらったが、解決できないと追加の料金が発生しない。今回の依頼は絶対に逃さず、まともな収入につなげたい。そしてできれば早めの解決が望ましい。費用が浮けば、新しい音楽データが買える。
今、冠に登録している音楽はどれもお気に入りで、何度聴いても聴き飽きないが、時には新しい奏でに身を震わせたくなることがある。音楽を聴くこと。それがノニノエノのなによりの楽しみだった。