▽こんこん8-2 探り合い
リヒュとメョコは事務所の延長のような居間に案内されて、勧められたソファーに並んで座る。ソニナは”コーヒー”を注いだカップを三つ持ってきて、二人の向かいに腰掛けた。
「ロロシーお嬢様はご病気で臥せってらっしゃるんです」
ソニナが言うと、
「そうだって、私も言ったんだけど……」
と、メョコはリヒュを横目に見た。リヒュはサバンナを思わせる明るい色彩の壁紙や、棚に置かれた雑然とした小物類をじっくり眺めていたが、不意にソニナへ目を向けると、
「お見舞いしたいんですが」
「お医者様にあまり人とお会いしないようにと言われてるんです」
用意されていた返答がすぐさま出される。
「そんなに悪いんですか」
「少しぼうっとしているだけですよ。お疲れになってるんです」
「顔を拝見するだけでもいけませんか」
強硬姿勢のリヒュに、ソニナは「申し訳ございませんが」と頭を下げる。それに対して、
「……いないんですね」
リヒュがポツリと言葉をこぼす。かち、とカップを置いたソニナの表情は変わらないが、視線はしっかりとリヒュを射抜いていた。
「どういうことでしょう?」
メョコは二人の雰囲気が変わったのを感じ取ると、肩を引き寄せるようにして縮こまる。
「なにか、知ってらっしゃるのですか」
問い詰めるような強い声色。
「なにか、って?」
リヒュは少しとぼけてみせながら、相手の態度を窺っていた。
「ロロシーお嬢様のことです」
「ご病気なんですよね。ごめんなさい、無理を言ってしまって。やっぱり帰ろうと思います。”コーヒー”おいしかったです」
席を立とうと脇に置いていた杖を取り上げたリヒュを、ソニナが手を伸ばして止めようとした時、
「あれっ」
と、廊下側から声がした。
「あっ。カヅッチ」
第三者の出現で場の緊張が微かに緩んだのを見計らって、メョコが大きな声を出す。
「メョコちゃん来てたの? 久しぶり。元気そうだね」
「私はいつも元気だよ」
「いやあ。うらやましいな」
カヅッチは帽子の上から頭に手を置いて、まだ若そうな顔の目尻に皺を寄せる。
「分けてあげようか」
と、冗談めかして言うメョコに、
「その気持ちだけで元気になったよ」と返して「ソニナさん」と顔を向けた。
「主任を探してるんですが、どこにいらっしゃるかご存じないですか」
「北区の工場の方では?」
ソニナは冠を操作してロルンの行方を捜してみたが、どの工場記録を検索しても居場所は引っかからなかった。
「北区の工場は全部見て回ったんですけど、どこにもいないんです。主任の確認が必要な項目があって、そこから連鎖的に作業が止まってるものだから、ヂデさんがかんかんになってて……」
「あら、そうですか」と、ソニナはカヅッチと同じような困り顔になって、
「それはどの項目でしょうか?」
カヅッチが冠を操作して、該当の箇所をソニナの冠に提示すると、
「ああ。これならわたくしの方で承認できます」
「えっ!? それって……大丈夫なんですか?」
不安気なカヅッチに、
「なにかあってもわたくしの責任で処理されるので心配ありません」微笑んで「と言っても、ロルン様にわたくしがちょっぴり怒られるぐらいですよ」と、カヅッチの不安を消すぐらいに、声を出して明るく笑って見せた。
「はあ。それじゃあ、お願いしてもいいですか」
「ええ」
承認を確認すると、カヅッチはすぐに冠で工場管理をしているヂデに連絡をして、
「一応ちゃんと動いているか目視してきます」
と、通路の方を振り返った。向けられた背中にリヒュが、
「カヅッチさん」
「へっ?」驚いた顔。「ええっと……、リヒュさんでしたっけ」
「はい。少しお願いがあるんですが」
「なんですか」
「あれを」部屋の隅。棚に置かれた積み木のような小物の山が杖の先で指し示される。
「取ってもらってもいいですか」
メョコが、それなら私が、と言おうとしたが、そ、の音が出る前にリヒュに視線で制された。カヅッチはテーブルを囲んでソファーに腰を落としている三人と、細長い杖を順ぐりに見て、それからリヒュの喉と腹部辺りに一瞬、視線を走らせると、
「……どれです?」
部屋を横切って照明の下を潜り、部屋の隅に移動する。
「三角形のやつです」
「三角形のなら、ふたつ……、みっつありますけど」
小物の山を探っているカヅッチの後ろ姿をリヒュはじっと眺めていた。ソニナはその視線を辿り、しばし見つめた後、あるものを発見した。それに、視線が吸いよせられ、離すことができなくなる。
「黄色いやつ」
「みっつのうちふたつは黄色いんですけど」
カヅッチは両手に一個ずつ黄色い三角の小物を持って、
「どっちですか?」
と、振り返った。そうして背後を見た瞬間、カヅッチは声もなく驚いて首を竦めてのけぞった。自分の背中に向けられていた視線たち。それに既視感を覚えたのだ。捕食者に値踏みされている感覚。
「左手のほうのやつです」そんな様子を気にも留めずにリヒュが言う。
「……こっちですね」
テーブルまで持ってきて「どうぞ」と手渡すと、気味悪げな表情でリヒュの表情を窺って、
「僕は急ぐので、それじゃあ」
廊下の方へ向かう。
「カヅッチ頑張ってね」
メョコに声を掛けられると、
「ありがとね。メョコちゃん」
少し疲れを滲ませながら、足早に去っていった。
メョコが廊下側からテーブルに視線を戻すと、リヒュとソニナが目を見合わせていた。メョコは二人の顔を見やって、首を傾げる。
ソニナはリヒュとまっすぐに向かい合いながら、この子はあれに気がついていたんだろうか、と考えていた。頭脳が激しく働く。カヅッチの後頭部。ぐるりと後ろに向けられた、いつもかぶっている帽子のつば。微細に観察すると、そのつばが、少し、破れていた。あれは噛み痕。ピュシスで見慣れた形。冠で映像を記録、拡大、分析すると、六本の門歯と大きな犬歯の痕だと分かった。人間の門歯は四本。それに人間の犬歯はあんなに大きくはない。人間じゃない。肉食動物。おそらく、ライオン。
カヅッチの帽子をライオンが咥えたことがある、ということ。
機械惑星で、ライオンに会った?
ソニナは立ち上がって、カヅッチが去っていった廊下を覗き込んだ。その後ろで、こん、こん、と杖をついて、リヒュは立ち上がると、
「僕らは帰ります。また、お見舞いに来てもいいですか」
「……ええ。いつでも歓迎いたします」
「ありがとうございます。メョコ。帰ろう」
「えっ? うん」
カップを一気に空にしてメョコは立ち上がる。
「リヒュってカヅッチとどっかで会ったの?」
「どうして?」
「いや。リヒュの名前知ってるみたいだったから。前に来た時ロロシーに聞いたのかな」
「そうなんじゃない」リヒュはあっさりと返して、
「それじゃあ。ああ。ここでいいです。扉はオートロックですよね」
玄関まで付き添おうとするソニナを止めて、手を差し出した。握手の求め。ソニナは少し困ったような笑顔を浮かべてしばらくリヒュの手を見つめていたが、ややあって応じて、そして、すぐに離した。リヒュは軽くソニナの手に目をやって、歩き出すと、自分の喉にそっと触れた。
「ソニナさんじゃあね。あっ、これ、お土産」
服飾店の店長からもらった新作の服を渡して、
「店長がくれたの。着て歩いてくれたら宣伝になるからって。私とロロシー、プパタンの三人分もらったから、ロロシーの分ね」
「まあ。ありがとうございます。もし機会がありましたら、その店長様にお礼をお伝えください」
「うん」
メョコがリヒュのあとを追いかけると、
「メョコ様。リヒュ様。またおいでくださいませ」
精密な動作でお辞儀をして、ソニナは二人を見送った。