▽こんこん8-1 ほんの小さな思い出
「もう大丈夫だから」
リヒュが人工喉を使って電子音混じりの声を出すと、
「そうなの?」
杖を持っているのとは反対側の腕を支えているメョコが、リヒュの横顔を見上げた。
「むしろバランスが崩れるから危ない。それにメョコが荷物を落とすといけないから」
やんわりと振りほどくと、手は離れ、また少し伸ばされたが、結局は閉じて引っ込められた。
メョコの片手には大きな袋がさげられている。よく行っているらしい服飾店の前を通りがかった時、店主が外を歩くメョコを見つけて声を掛けてきたのだ。そうしてあれよあれよという間に何故かプレゼントを貰っていた。
一部始終を見ていたはずなのに、リヒュはどうしてそうなったのかよく分からなかった。それでなくともメョコはよく人から物を貰う。なにか施したくなる力場でも発生しているのだろうか、とリヒュは不思議に思っているが、理解不能のまま、メョコ七不思議のひとつとして数えている。
これとは別にリヒュが勝手に決めたメョコ七不思議のひとつに、嘘が通じない、というものがあったのだが、それについては現在まるで機能していないようだった。以前であれば、どんな些細な嘘をリヒュがついても、すぐに看破して非難したり、白い眼を向けたり。とはいえ、じゃれつきのようなもの。本気の糾弾ではなかった。
食物を食べていこうか、と言われた時に、もう食べたから、と嘘をついた。本当は朝食を抜いた。休学している間の授業内容はギーミーミに教えてもらった、と嘘をついた。本当はなにも知らない。今は学校や授業というものに興味を失っている。人工臓器は完全に安定している、と嘘をついた。本当はまだちょっと不安定で、日に何回か病院のネットワークに接続して調整プログラムを処方してもらわないといけない。調整プログラムは冠を通して人工臓器に送られるが、それがないと誤作動を起こす可能性があるらしい。
くだらない嘘たち。
メョコはそれをすんなりと信じた。
これでは七不思議ではなく、六不思議になってしまう。
リヒュは自分が、メョコに嘘を見破られることに、一種の安心感を持っていたことに気がついた。化けていたキツネが、化けずに済んだときのような安心感に似ている。でも、それは不安を伴った感情でもあった。
退院して久しぶりに会ったから、少し勘が鈍っているのかもしれない。
それとも、とリヒュは自分の喉に触れる。人工皮膚が張られているので、本物と似た感触だが、強く指で押すと、その奥に骨とは違う硬い金属があることが分かる。肉食獣に噛み千切られて損傷した部位の代用品として移植された人工物。
しばらくは怪我の後遺症で喋ることができなかったものの、訓練と人工喉のチューニングを重ねて、今では以前とほとんど変わらない声を出すことができている。けれど、声を発した時の微かな電子音は消しきれない。ピュシスのスピーカーで出る音声のような具合。この声の変化が影響しているのかもしれない。
足音、足音、杖の音。
灰色の金属の壁。闇で象られたスリットの木立。風も匂いもない。こん、こん、と杖が道にぶつかる音が、闇色をした木立の奥へと吸い込まれていく。リヒュが前、メョコはその数歩後ろを歩く。いつかのように、二人で工場地区を歩いていく。向かうのはロロシーの家。リヒュが行くと言うとメョコは勝手についてきた。
「そういえば」リヒュが歩きながら道の両側の壁にある隙間を覗き込んで、
「前来た時に、ここで子供に会ったなあ」
「……あっ」メョコが思い出して、
「会った、会った。全身どろどろのべたべたの子で、私ぶつかりそうになっちゃったんだよ」
「そうそう」
「すごい匂いしてたよね。えーと、たしか……、スウちゃん、と、ラアくん、だっけ」
「よく覚えてるね」
「私、人の名前を覚えるのは得意なの。一度聞いたら忘れない。顔は覚えてないけど」
「あれだけ汚れてたら、そもそも顔の判別なんてできないよ」リヒュが言うと、
「たしかに」と、メョコは薄く笑って頷いた。
リヒュは左右に首を振って、隙間のひとつひとつを確認しながら、
「この奥に秘密の遊び場でもあるのかな」
「そうかも。でも危ないよ。こういう運搬用レーンはぐるっと大回りして地区の外側の未開発地区を通ってたりするの。そこまで工場地区が拡張される計画だったけど、止まっちゃったりして、そのままになってるんだよ」
「へえ」思わぬ博識ぶりに驚きながら、
「メョコはさ。子供の頃なにして遊んでた?」
「……どうしたの。急に」
メョコは小走りに追いついてきて横に並ぶと、杖をついて歩くリヒュの歩幅に合わせて足を踏み出す。
「なんとなく。最近昔のことを思い出すことが多いんだ」
「どんなこと?」
メョコが丸っこい顔を向けて、今日もしっかりとアイメイクがほどこされたくりくりとした瞳でリヒュを見る。
「別に、大したことじゃないけど」リヒュは少し迷って、しばらく、こん、こん、と杖を道路に打ち付ける音だけを響かせていたが、
「死んだ父さんのこと」
言った瞬間、メョコが息を呑んだのが分かった。メョコに家族のこと、昔のことを話したことは今までに一度もなかった。子供の話をしていたから、昔のことが想起されたのかもしれない、と自己分析してみるものの、その分析はまるで的外れだということは分かっていた。
「父さんは穴掘り屋だったんだけどさ」
「……うん」
「だから、滅多に機械惑星には帰ってこなかったんだ」
「……うん」
「多分、会ったのは片手で数えられるぐらいなんじゃないかな。それもすごい小さい頃」
「……うん」
「病室に縛り付けられて、ぼーっとしてると、急にパッと父さんのことを思い出したんだ。父さんはえらく嬉しそうに笑ってて、なにが欲しい、って僕に言う。そうしたら僕は電子パネルを触って、表示された石を指差す」
片手をポケットに入れて、なかのものを取り出すと、手のひらの上で転がす。
「それ?」
「そう」
目が覚めたら病室に置いてあった鉱石。
「父さんがどんな人だったのかまるで知らないのは当然で、それでいいと思ってたんだけどさ」
「……」
「事故で死ぬとき、なにを考えてたんだろう、ってなんだか気になってきて……」
「……」
音がなくなった。足音すらも。杖をつく振動だけが感触として残っている。
きっと、今はメョコが嘘を見破れないから、こんなことを話したんだ。
いま言ったことが本音なのか、嘘なのか、知りたくなんてない。
……少し、卑怯だったかもしれない。
微かな匂いが妙に濃く感じる。
もうすぐ到着する。
喉が渇いた。
「んじゃ。失礼しまーす」
ロロシーの家の前で、扉の脇にある呼び出しボタンを押そうとした時。軽い調子の声がなかから聞こえてきた。
「おっと」
扉が開いて、滑り出てきたスマートな男がリヒュとメョコを見ると、
「こりゃどうも」
ドリルみたいに巻いたリーゼントをぶるんと揺らし、その髪型とは明らかにアンバランスな中折れ帽を持ち上げると、気取ったしぐさで会釈をした。
にっ、と笑って軽快な足取りで去っていく。
二人して目をぱちくりさせながら、離れていく男の後ろ姿を眺めていると、
「あら。お二人ともいらっしゃいませ」
先程の男を見送っていたソニナが立ち尽くす二人を見つけ、柔らかい笑顔を浮かべた。