●ぽんぽこ8-7 鬼が出るか蛇が出るか
「おい」
真っ黒なワタリガラスが熱帯雨林の本拠地に降り立って、樹下に声を掛けた。羽を何度かはためかせて、翼にまとわりついた湿り気を払う。
くねくねとした樹の根が毛細血管のように絡まりあった樹の麓で、ワタリガラスの声を呼応するように、一本が動き出す。それはよく見るとヘビの胴体。黄褐色の体に太い黒縞の模様。巻いていたとぐろをといて、キングコブラが空にぎっしりと詰まった緑の梢を見上げる。
「なんだよ」
「客だ」
「あん?」
キングコブラは襟のような首元を広げて、
「どこのどいつだ? 適当に追い返せよ。毒でもまいとけ、毒」
面倒そうに言い捨てる。
「そういうわけにもいかない。向かい側の牧草地帯を縄張りにしてる群れの長、ホルスタインだ。うちの縄張りの外で待ってる。こっちの長、要するにあんたと話がしたいらしい」
「ああ、白黒ちゃん」声を上げて、首をひねると「俺、なんかしたっけ?」
「知らん。確かに伝えたからな」
言うだけ言って、ワタリガラスはすぐに空へと飛び上がった。
ホルスタインの群れとは数回、戦をしたことがある。涎がこぼれそうなぐらい、うまそうな連中。泣き叫ぶブロイラーほか数名をちょっと深入りして追い回したりはしたが、戦ではありふれた光景。そんなことでクレームを言いに来たとも思えない。
ゆらゆらと体を揺らしながら考えを巡らせていたキングコブラであったが、ワタリガラスの翼が遠のいていくのに気がつくと、
「おいっ! ここまで来たなら、連れて行けよっ!」呼び戻そうとしたが、もうスピーカーの音声が届かない空の彼方。
はあ、と嘆息して、
「お歯黒! 画家! どっちでもいい、俺を引っ張っていけ!」
ヘビの中でも最速を誇る二名を探して最大音量で呼び掛けた。その声はじっとりと湿り気を帯びた熱帯雨林の空気に呑み込まれ、泥のなかに消えてしまう。
透明の鱗に覆われたまばたきの必要のないヘビの瞳がぐるりと周囲を見渡す。先の割れた舌をチロチロと出し入れして、ヤコブソン器官で匂いの粒子を探る。さらには赤外線を感じ取るピット器官も使って、キングコブラが自分の足になってくれる仲間がいないかと探していると、近くを流れる川の水面から、
「長。ブラックマンバもサイドワインダーも今日はログインしてないよ」
オオアナコンダが顔を出した。オオアナコンダは、キングコブラの群れの副長のひとり。キングコブラの倍はある体長は人間五人分以上。胴体は人の太ももなどよりも太い。ヘビのなかでの最大種。緑褐色に黒い斑紋の鱗をまとった長大な体が水中で揺れる。
「じゃあ。お前が連れてけ」
「おっと藪蛇だったか。俺が連れていくぐらいなら、自分で行ったほうが早いんじゃないか」
「疲れてるから今は動きたくねえんだよ」
キングコブラがだらんと、とぐろを巻き直すのを見たオオアナコンダは、
「せっかく来てるホルスタインさんを待たせるとかわいそうだろ。さっさと行ってあげなよ」
すると、意見するな、と言わんばかりに、キングコブラは機敏な動作で頭をもたげて首を広げると、シャー、シャーと噴気音を響かせた。
猛毒が滴る牙を見せつけられると、キングコブラの十倍以上の体重を誇るオオアナコンダの巨体もさすがに怯んで、
「分かったよ。マムシを呼んでくるから、彼のスキル運んでもらってくれ」
「ああ。じゃあ、早めに頼む」
すっかり人任せで、キングコブラは再び顎を地面に置く。オオアナコンダはやれやれというように首を振って、のっそりと水中へ戻ると、マムシを探しに縄張り中に広がる水の流れを巡っていった。
「そうなんですか」
驚いたようなホルスタインの相槌。
「ええ。全くおかしいでしょう? お嬢さん」
ワタリガラスに同意を求められたが、ホルスタインは曖昧に微笑んでスピーカーを閉ざす。
談笑しているふたりの元へ、ワタリガラスとは別の羽音が向かってきた。ホルスタインが見上げると、翼が生えた太い胴体から細い頭と尾が伸びた奇妙な生き物が近づいてくる。有翼の蛇神ホヤウカムイ。それが頭上にまでやってくると、生臭い悪臭がぶわりと広がり、ホルスタインは眉を顰めた。
鋭く尖ったホヤウカムイの鼻先が風を切って地面を掠めるように滑空すると、その胴体に巻き付いて運ばれてきたキングコブラが着地した。ホヤウカムイは翼をひるがえして、本拠地の方へと戻っていく。
「おふたりさん。お邪魔だったかな」
キングコブラが長い体をどろどろと這わせながらワタリガラスがとまっている枝の下にやって来ると、
「ああ」とワタリガラスが返し、「いえ」とホルスタインが答えた。
「長の珍プレイ集を話して聞かせてたんだ」
「ほう。それはさぞかし笑えたんだろうなあ」
やや鋭い響きを帯びた声に、ホルスタインは「えっと……」言い淀んで、
「今日はキングコブラさんにお話があって来ました」
と、すぐに話題を変えて、さっそく本題に入ってしまうことにした。
「敵性NPCが攻め込んできませんでしたか」
「なあに? こっちの消耗具合を確かめにきたってワケ?」
「違います!」と、はっきり否定して、
「実は私たちの縄張りに大量のオートマタが現れたんです」
「ふうん」と、気のない返事のキングコブラを横目に「それは大変でしたね」と、ワタリガラスが紳士然として言う。
「ええ。大変でした。それで、こんなことは前例がない原因不明の出来事ですから、次、いつ同じことが起きるか分からないわけです」
「なるほど」ワタリガラスがキングコブラの代わりに応じる。
「それで……」言いさしたホルスタインの言葉を引き継いで、
「協力して対策を行わないか、ということですね」と、ワタリガラス。
「ええ」
ホルスタインは頷いて、赤黒い舌をちらちらと覗かせているキングコブラをじっと見る。キングコブラはまばたきもせずその視線を見返していたが、ややあって、
「俺はもう原因知ってるんだよね」
「えっ!?」ホルスタインは驚愕して「どういうことです?」
ワタリガラスも初耳だったらしく、目を見開いて樹下のキングコブラへ視線を向けた。
「それがさ。誰かさんが虎の尾を踏んじゃったのさ」
くつくつと愉快そうに笑って、「トラだけにね。ひひっ」
怪訝な表情でホルスタインが話の続きを待っていると、
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってな気持ちだったんだろうけど、あら残念ってワケ。トラが虎穴に、笑えるよね」
ホルスタインとワタリガラスはお互いに目を合わせて、首を傾げた。
「長。要点を言え」
ワタリガラスがせっつくと、
「はいはい、お小言くん」とキングコブラは一気に冷めてしまったようにシャーと噴気音を吐いて、
「やるなら、こんなちっちゃい内輪でなんとかしようとせずに、全部巻き込むべきだな」
「全部って?」ホルスタインが聞くと、
「全部は全部だ。全群れ、全プレイヤー」
「そんなことが……?」
「まあ俺に任せておいてよ白黒ちゃん。俺、けっこう顔が広いんだぜ」
キングコブラは頭をもたげて、黄色い頚部を見せつけるように広げる。
「蛇の道は蛇。まっ、大げさに言ったが、実際こまかいところまで全部は無理だろうな。だが大手は集まるだろ。それで、主要な群れの長を集めて大ピュシス会議を開くのさ」
自信満々な態度にホルスタインは呑まれる。
縄張り内に入られてしまえば各自での対応が求められるが、その外にいるうちに敵性NPCがどこにいるかという情報共有ができるネットワークが構築できれば大いに助かる。縄張り外にいるオートマタを群れの垣根を越えて協力して討伐できる体制が作れればなおいい。弱小であるホルスタインの群れがその輪に入れなかったとしても、主要な群れが対策してくれれば、オートマタの絶対数も減るだろうから、それはそれで問題はない。
そんな会議が開けると言うなら、開かれるというだけで意義がある。
「……分かりました。じゃあ、お願いしても?」
そううまくいくだろうかという疑いもあるが、信頼し、任せるという態度でホルスタインは鼻先を突き出し、耳をばたばたと震わせた。
「すぐに連絡をよこすよ。白黒ちゃんのところも参加してくれよな」
白黒ちゃん、というのは私のことなのか、とホルスタインはやっと気がついて、
「あっ、はい。ぜひ」と返答すると、
「それでは、失礼します。ありがとうございました」
すぐに辞去することにした。これ以上話すことはなさそうだ。自分の縄張りのことも気にかかる。それにどちらにせよ、周囲にある他の群れの縄張りにも声掛けはしておくつもりだった。
地面に蹄の跡を残しながら離れていく背中に、「何かあればわたしが連絡に行きますからね」ワタリガラスがカアカアと声を掛ける。するとホルスタインはふり向いて、もおぉ、と鳴き声を返し、走り去って行った。
白と黒の模様が見えなくなると、先程までの愛想のよさを忘れてしまったかのような冷徹な声色で、
「長。さっき言ってたようなことは本当にできるのか? 連絡役を派遣するだけでも大変な手間だぞ」
「俺がプーンギを吹けばみんな魔法にかかって踊り出すのさ。ひひっ。お前にもそのうち分かるよ」
意味ありげな視線を送られたワタリガラスは思わず目を背け、しばし、からりと晴れた青空を流れる雲を見上げていた。が、そのうち、のびのびと翼を広げ、湿った本拠地の方向へとくちばしを向けて飛んでいく。
翼の影が遠のく下で、キングコブラは各群れにいる奴隷たちをどのように動かして、思い通りの展開にしようかと心を弾ませていたが、
「さてさて鬼が出るか蛇が出るか……、あれっ?」
ワタリガラスはもちろん、神聖スキルでホヤウカムイになっていたマムシもいなくなっているのに気がつくと、
「誰か俺を運べっ!」
自分が治める縄張りに向かって声を張り上げた。しかし、その声は熱帯雨林の湿った空気にとろりとくるまれて、誰にも届かない叫びが虚しく響くばかりだった。