●ぽんぽこ8-6 修行の日々
ひび割れた荒野に「ふんっ!」とイボイノシシの気合の声が響き渡る。敵性NPCに三日月型の大牙が食い込み、その可動部を貫いた。体力がゼロになったオートマタは物言わぬ銀色の塊に成り果てる。
「次はこっちだ!」
空からトキが声を掛ける。真っ赤な顔から突き出した黒い長くちばしで風を切り、白翼の先にまとった夕焼けを思わせる深橙色の美しい羽根を空に滑らせる。
乾いた大地に幾筋も走る亀裂から亀裂へと渡っていくトキの影を追って、荒野と同じ灰褐色のイボイノシシが、たてがみを揺らし、尻尾をたなびかせ、二対のイボがある四角張った顔と巨大な牙を前へ前へと突き出していく。その足元では、もうもうと砂煙が巻き上がり、萎れかけた草花の香りを洗い流して、濃い土の匂いを荒野全体へとまき散らしていった。
不意に、目の前で巨大な砂煙が立ち昇った。膨れあがった砂の壁の向こうで鋭い音が鳴り響く。真砂の膜をまとい、飛来してきたのは石礫。向かう先にはトキ。射出したのはオートマタ。機械らしい正確な狙いで放たれた投擲は、完全にトキの胴体を捉えていた。が、トキは翼を振って、いとも簡単に礫を打ち返す。硬い音と共に、荒野に砕けた石の欠片がばらばらと落ちる。ステュムパーロスの鳥の神聖スキルによってトキは鉄の翼をまとっており、そのくちばしは錐の如き鉄のくちばしに変じていた。
「大丈夫!?」
礫が放たれた方向から声が飛んでくる。すぐに黄金の角が現れて、つむじ風を巻き上げながら、ふたりの元へと瞬時に駆け寄る。黄金の角に青銅の蹄、ケリュネイアの鹿のスキルを使ったキョンの姿。
「全然平気だ」トキが言いながら、キョンの背中に着地しようとしたが、するりと躱されて、がちゃん、と鉄の翼を荒野に不時着させた。
「そんな重いもん引っさげてアタシの背中に乗ろうとしないで!」
「おっと、ごめんよ」
「キョン。あと何体いる?」
イボイノシシの問いに、キョンは背後で戦っているウマグマを見やって、
「あれを潰したら、残り一体かな?」
と、言っている間にオートマタが、イエティの神聖スキルの力を上乗せしたウマグマの剛腕で叩き潰される。しかし、ウマグマも相当に消耗したらしく、どっしりと腰を下ろしてあぐらをかいた。
「一体でもきっついよ」肩で息をするウマグマに、イボイノシシが、
「これもまた修行だ」
「そうは言っても、せっかく集めてた装備品がさ……」ウマグマは口を尖らせ、砕けた装備品を見下ろす。
「また一緒に遺跡に探しにいこ。元気出しなよ」
キョンが言うと、ウマグマはキョンの明褐色の細い首に、褪せた茶色の太い腕を絡ませて、
「ありがとね心の友」と、もたれかかった。
「やめてよウザイし重いし暑苦しいし」キョンは首投げされそうな姿勢から脱すると、すぐに最後の一体のオートマタを探して鼻先を動かす。
太陽が、荒野をさらに痛めつけようとするように無数の光芒を乾いた大地に突き刺している。辺りには視界が歪むほどの熱気が満ち満ちていた。毛玉のようないくつもの砂煙が枯れ草を巻き込みながら、転がるように吹き流れていく。
「あっちだ!」
キョンよりも先にトキが空中からオートマタを発見した。細長いくちばしが指し示す方角へ、一斉に視線が向けられる。
「よし……!」とイボイノシシが走り出そうと蹄で土をかいた瞬間、
「うわあぁ」と、情けない声が響いてきた。
「助けてぇ」
オートマタに追いかけられているのは明褐色に黒い縞模様の獣。ハイエナ科における最小種のアードウルフ。くり出される銀の手から逃れようと、舌を口からはみ出させ、荒い息を吐きながら、必死の形相で逃げ惑っている。
「早くこっちに来い!」
助けに向かいながらイボイノシシが叱咤する。アードウルフは意識を半ば朦朧とさせながらも必死で四肢を動かした。アードウルフの体長はハイエナ科最大種のブチハイエナの半分にも満たない、比較するとその体つきはひょろひょろとして頼りなく、疲弊したその表情には力強さの欠片もなかった。
なんとか追いつかれることなくイボイノシシと合流したアードウルフは息も絶え絶えに、
「アニキ……」勇ましくそそり立つ双牙を見上げる。イボイノシシはそんなアードウルフを見返すこともせず、ただ迫りくる金属の固まりにだけ意識を集中させていた。崩れ落ちるように横たわったアードウルフとは対照的に、底なしのスタミナを持つオートマタは平然として二頭のもとへと接近してくる。
イボイノシシはスキルを発動させ、屈強かつ凶暴な化け猪、エリュマントスの猪の姿に変貌した。そうして一直線に荒野を猛進していく。オートマタは足を止めることもなく、両手を前に突き出して、イノシシの牙を掴み折ろうと関節を軋ませた。そんなオートマタの側面から、ケリュネイアの鹿、キョンが風の如き俊足で駆け寄って、銀色の脇腹を黄金の角で小突く。丸みのある金の短角は銀のボディにぶつかった瞬間に欠け、大したダメージも与えられない。だが、オートマタの体勢を一瞬でも崩させるのには成功していた。
真正面からイボイノシシがぶつかっていく。激突音が荒野中にこだますると同時に、オートマタの重たい体が宙を舞った。鐘を打ち鳴らしたような音と共に地に伏したオートマタは数度、痙攣したが、すぐにダメージを感じさせない動きで、がばり、と起き上がり、敵を探して首を急回転させる。
スキルによって鉄の鳥となったトキが鉄の羽根を矢のように放つ。それはオートマタの金属の体に刺さりはしたものの、その外装を貫くほどのパワーはなかった。銀色の手が外装を撫でると、あっさりと抜け落ちていく。
オートマタが羽根に気を取られた隙に、イボイノシシは、再び全力のぶちかましをくらわせる。またしてもオートマタが宙を舞うが、底知れない頑丈さでもって不死身のように立ち上がってくる。
「硬いな」
言いながら、イボイノシシは三度目の助走の準備に入った。確実にダメージは蓄積している。銀のボディにはへこみができており、動作にもややぎこちない部分が現れた。
トキがイボイノシシの突進に合わせて空から攻めようという気配を見せると、オートマタは反射的に石を拾って投擲を行う。並みの鳥ならばひとたまりもないその攻撃も、鉄の鳥は僅かに体を傾けて、翼で石を砕いて防ぐ。
黄金の角を持つキョンが青銅の蹄を打ち鳴らして、オートマタの脇腹を掠める。そのまま勢い余って荒野の彼方まで突っ切っていった。それをセンサーで追うようにオートマタの体が反応した瞬間、背後から忍び寄っていたウマグマが、銀のボディをがっちりと羽交い絞めにした。
「今だよ!」
言われるまでもない、とイボイノシシは心の中で返事をして、一撃目、二撃目、に攻撃したのと同じ、オートマタの腹部に向かって、強烈な突進を浴びせかけた。ウマグマが後ろから押さえつけているので、今度は吹き飛ばされず、イボイノシシの牙の先へと集中した衝撃が、あますところのない強烈なダメージとなってオートマタの体力を削り取る。
しかし、頑丈なその体は動作を止めることはなく、がむしゃらに手を伸ばして、イボイノシシの牙を掴んだ。片手で引き寄せ、もう一方の手は喉元へと向かう。首をへし折り、イボイノシシの命力を根こそぎ奪い取るために。
「危ないっ!」
距離を取っていたキョンがイボイノシシを助けようと、全速力で駆ける。矢よりも速いケリュネイアの鹿であっても、僅かに届かない二頭の隔たり。ウマグマが後ろから引っ張り上げるようにして、オートマタの攻撃を阻止しようとしたが、フル稼働したモーターの馬鹿力によって振り払われてしまう。
前足が浮き上がったイボイノシシを救いに現れたのはアードウルフだった。イボイノシシの背後に隠れるようにして駆けよっていたアードウルフが、オートマタの腕に噛みつく。これが同じハイエナ科のブチハイエナであれば、噛み千切ることもできたかもしれない。しかし、アードウルフの顎は小さく、シロアリを主食にするというハイエナ科のなかでも特殊な食性のため、他のハイエナのように骨ごとバリバリと噛み砕くような咬合力は備わっていない。
攻撃の邪魔をした報いとばかりに、イボイノシシの牙から離れた手が、アードウルフに伸ばされる。アードウルフが万事休すと目を閉じて、体を震わせた瞬間、空から猛然と降ってきた鉄の鳥が、鉄のくちばしてオートマタの腹部を貫いた。イボイノシシが何度も攻撃を重ねた装甲が遂に破られ、その内側がえぐられる。
どっ、と倒れたオートマタからくちばしを引き抜いたトキが、はあ、と息を吐いて緊張を解いた。アードウルフはへたり込んで、もう立ち上がることもできない。
そんなアードウルフに、
「助かった」
と、イボイノシシが声を掛けた。
「珍しいじゃん」
傍に急停止したキョンが意外そうな声を上げる。
「確かに、アンタがお礼をいうなんて」
ウマグマが起き上がって、イボイノシシとアードウルフを見比べた。
「そうなのか?」
付き合いの短いトキが首を傾げると、
「……ふん」イボイノシシは鼻先をそらして後ろを向いた。その大きな背中を見上げながらアードウルフは舌を出して、安堵したように耳と尻尾をへたらせた。
イボイノシシは奇妙な心地良さに戸惑っていた。ライオンと群れを立ち上げた時のことを思い出す。ライオンの群れは無事だろうか、と脳裏に去来したものの、すぐにそれを振り払う。戦い続けること。それがイボイノシシの望み。それは未来へと進む行為であって、過去を振り返ることではない。
それにしても異常だ、と荒野に佇み、考える。
敵性NPCがこんなにも大量に襲ってくるなど今までになかった。
なにかがピュシスに起きているのかもしれない。
そしてその、なにか、とは歓迎できる類のものではなさそうだった。
銀色の亡骸のグラフィックが虚空にほどけていく。
大自然を前にしてわざわざ機械と戦いたくはないものだ、俺が戦いたいのはこいつらではない、とイボイノシシは思いながら、テクスチャが最後の一粒となって完全に消え去るまで、倒れ伏す人型をじっくりと眺め続けた。