●ぽんぽこ8-5 家畜たち
つややかな草が生い茂る牧草地帯。吹き抜ける爽やかな風に後押しされながら、白と黒の特徴的な模様をしたホルスタイン牛が駆ける。頭には立派な双角。その姿は輝かんばかりの神々しさが備わっている反面、瞳には凶暴な輝きが宿り、体躯はただの乳牛とは思えないほどに筋肉質で強靭。ホルスタインは今、神聖スキルによって神の牛、ミノスの牡牛の力を得て、自らの身体を強化していた。
猛突進したホルスタインがぶつかると、暴れ回っていたオートマタの体力がようやくゼロになる。その動きが完全に停止したのを確認すると、ふう、と長い息をついた。縄張りである牧草地帯を見回す。すると、仲間たちがそれぞれに戦闘を終えて戻ってくるところだった。
「長、無事か」
黒豚のアグーが真っ黒い体を転がすように走ってきて、ホルスタインに呼びかける。
「ええ。皆は無事?」
「ひどいもんだ」
ニワトリのブロイラーが答えながら白い翼を羽ばたかせ、真っ赤な鶏冠と肉垂をぶるぶると震わせた。その上空から、ワシの前半身とウマの後半身を持つ異形の動物ヒッポグリフが飛んでくる。みるみる影が膨らみ、ヒッポグリフの巨体が着陸すると、まん丸いアグーが転がり、羽毛のように軽いブロイラーも吹き飛ばされた。
どっしりと立つホルスタインが目を細めた瞬間、ヒッポグリフの体はワシとウマの境界線で真っ二つに割れ、一方は暗褐色の羽衣を持つイヌワシに、もう一方はイエウマの重種、白馬のペルシュロンになる。合成獣の神聖スキル。複数のプレイヤーが一体の生き物になるという希少なスキルをふたりは持っていた。
「俺のところだと、ひとりがやられた。消滅」と、牧草まみれのブロイラーが飛び上がりながら報告する。
「こっちは四がやられて、そのうち二が消滅。すまん、守り切れなかった」ペルシュロンが頭を下げると、その背にとまったイヌワシも悲しそうに顔を伏せる。
黒豚のアグーは丸い体いっぱいに怒りを張り詰めさせながら「僕の方も消滅が三。被害が大きすぎる。なんなんだこれは」
「まるで天変地異みたい」イヌワシが翼を広げると、その基部にある光沢のある羽根が黄金色に輝いた。渦巻く風に呑まれて吹き上げられていく牧草を見上げる。アグーは同じようにその視線の先を辿ろうとしたが、太い首は上に回らず、諦めて鼻先を地面に落とす。
「オートマタの大量発生か……。ピュシス初のイベントがこれだとしたら悪趣味極まるな」ペルシュロンは風の声を聞き取ろうとするかのように、その行く先に耳を向け、消滅した仲間たちのことを想って、悔しい気持ちを滲ませた。
ホルスタインの群れの大部分を占めるのが地球で家畜、家禽と呼ばれる動物たち。野生を失った動物。自然を再現するピュシスというゲームにおいて滑稽とも思える肉体を与えられた者たちが、野生を持たぬ弱者と軽んじられ、見くびられ、それに嫌気がさして作り上げた理想郷。その規模も大きくなりはじめ、家畜や家禽以外の者たちも居心地のいい場所を探して、この群れにやってくるようになっていた。皆でもっともっと群れを盛り上げていこう、と鼻先を突き合わせた、その矢先の出来事。
「これが続くようなら……」ペルシュロンが不安気な声を漏らす。
「私たちは神聖スキルがあるからまだ戦えるけど、群れ員全員を守り抜くのは……」
ホルスタインも思わず弱音をはいて、耳をしおれさせる。
「スキルがあっても僕はてんで戦えなかった。仲間に助けられたけど、僕の代わりに消滅するはめに……」とアグー。
「オートマタは魂がないんだろうね。動物相手だったら股を潜れば即死させられるけど、機械相手じゃ無理だったよ」
アグーはカタキラウワという豚妖怪のスキルを持っていた。カタキラウワに股の下を潜られると、魂を抜かれて死に至ると伝えられる。アグーはその力を使ってオートマタの股の下を潜ったものの、体力を奪うことはできなかった。
「このままだとすぐに限界になる。スキルを使う命力が足りない」とブロイラー。
「そうね。悔しいけど、その通り。ずっとログインしてられるわけでもないから、その間に群れ員がやられていってしまうかもしれない。となると……」
「助けを求めるしかないか」アグーの言葉にホルスタインは頷きを返して、
「そうなる」
「群れを解散しようってことじゃないよな」ペルシュロンが驚いたように白い体を引き絞り、ホルスタインを見ると、
「違う。対価を支払って用心棒を雇うとか、縄張りの外の中間地帯を協力して見張るように共同戦線を張るとか、やりようはいくらでもあるでしょ」
「なるほど」ペルシュロンは太い首で頷いて「けど、協力してもらえるかな。それに対価を支払うと言っても、命力以外のもので済ませられないと意味がない」
「そこなのよねえ」と、ホルスタインの深い溜息。
「まあ、なんにせよ、近隣の縄張りの様子を見てこよう。向こうも危機感を持ってくれていれば交渉も円滑にいくだろうし」
アグーが言うと「どこの様子から見に行くの」とイヌワシ。
それに応えて「やっぱり」ホルスタインがある方向へ首を向けると、他の者たちはそれぞれに嫌そうな表情を見せた。
「俺は行かないからな!」嫌悪感を丸出しにして、ブロイラーはばさばさと翼を広げながら、青々とした牧草地帯を羽ばたき去っていく。
「別のところからにしないか」
アグーがぶうぶう鳴き声を上げて、考え直すように促したが、
「どうせ全部に声を掛けるんだから、大変なところは先に終わらせちゃいましょ」
もおぉ、とホルスタインが嘶いて、気合を入れるように尻尾で自分の腿をびしびしと叩いた。
「……じゃあ、俺が行こうか?」ペルシュロンが立候補したが、
「いいえ。こういう時は長が行かないと恰好つかないでしょ」
「私もついていくよ」イヌワシが言うも、
「みんなは他の群れ員を守ってあげて」
と、ホルスタインはつっぱねた。
アグーとペルシュロン、イヌワシの三名は心配げな視線を交差させる。不安は当然であった。なにせ相手は捉えどころがないやつら。にょろにょろとした怖ろしいヘビの大群。キングコブラの群れなのだから。