●ぽんぽこ8-3 遺跡から湧き出したもの
「ああっ、なんていいところに!」
高草をかき分けて現れたブラックバックはハイイロオオカミと紀州犬の傍に素早くすり寄って、さらに後ろにいるブチハイエナを認めると、
「あっ、副長まで。助かった……」
深い安堵の吐息を漏らした。
「また、大げさに喚き散らしてるのか下っ端」
オオカミが払いのけるように灰色の尻尾を振って嘆息すると、ブラックバックは
「俺は下っ端じゃないっ!」
黒い顔の上にある白い耳と角をツンと尖らせ、心外だ、という気持ちを瞳いっぱいに湛える。しかし「じゃあダチョウの子分」と紀州犬に言われると、
「……それなら、下っ端のほうがいい」しぶしぶといった風にうなだれて、すぐに顔を上げると「そんなことより、大変なんだよ!」
「まーた思い込みの嘘っぱちか? トラの群れに命を狙われてるとかいう」
「オオカミにオオカミ少年扱いされたくないっ。あれはガチの身の危険だったんだよ。草食にしか分からんだろうなあ、あの感覚は。肉食獣に取り囲まれて、肉を捌くためだけにあるギラギラ光るでっかい牙を見せられながら、些細な失敗をチクチクとさあ。ちょっとトラを見捨てたぐらいがなんだよ。アンタ強いんだから自分でなんとかしなさいよ、って。カトブレパスなんてもの俺は知らないよ。がみがみ言ってくるのから、とんずらかましたら、さんざんに追いかけまわされて、怖かったのなんのって」
ぶつぶつ不満をこぼしていたブラックバックだったが、ぶんぶんと首を振って、
「敵性NPCが来るぞっ!」
その言葉にすぐさまブチハイエナが反応して、
「どこからです」
「たぶん例の遺跡が発生源だな」縄張りを賭けた群れ戦でトラがライオンから奪った場所へ目を向けて、「ちゃーんと俺は命令通りに見張ってたんだよ。縄張りの境界線ぎりぎりに身を潜めてさ、危険を顧みない勇敢な心を持って」ぐっ、と顎を引いて螺旋状の角を誇示して「そしたら悲鳴が聞こえてきて、いきなりわらわらーっと」
「わらわら、って一体じゃないのか」
「ヤバイぐらい大量」ブラックバックが首を横に振る。
「十体ぐらい?」
「そんなもんじゃきかない。と、思う。たぶん。すぐ逃げたから正確な数は分からないけどな」
「勇敢な心ねえ」呆れたような紀州犬の視線。
「逃げたのは正解ですよ。それで、こっちに向かってきているんですか」
「一体、追っかけてきたのがいたけど……」
振り返って草原の向こうへ視線を投げかける。くるくるとせわしなく動く耳が、やがて一方向に絞られた。ブラックバックの喉から鋭い嘶きが迸る。
「来たっ!」
蹄で土を深くえぐり、肉食獣たちの後ろに隠れるように跳躍する。赤褐色の大地を被う褪せた緑の草原の向こうに、銀色の頭がひょっこりと見えた。雲間から伸びた光の帯がつるりと輝く表面を撫で、いくつもの光の円をその周囲に落とした。がちゃん、がちゃん、と滑らかな動作で足を踏み出し、草を踏みつけ、右へ左へ規則的に腕が振られる。
「どうする?」
オオカミが鼻先をブチハイエナに向ける。
「おふたりはいま戦えますか?」
「ああ」「うん」
同時の頷きが返されると、三頭の尻尾が開戦の狼煙のように天に向かって立ち上がった。オオカミの遠吠えが高らかに空へ伸びていく。それに誘われるように、一直線に銀色の人型がやって来る。
まず飛び出したのは紀州犬。白い毛衣が矢のように駆ける。紀州犬は自分の牙の攻撃力では金属の体が貫けないことを理解していた。ダメージを与えるのはオオカミ、もしくはオオカミよりも更に優れた咬合力を持つブチハイエナ。その隙を作るために囮になるのが紀州犬の役割。
一頭と一機が草原の真ん中で相まみえる。銀色の手。現実世界のオートマタとは違って人工皮膚が張られていない剥き出しの金属。剃刀のように煌めく細長い銀の指が開かれて、紀州犬の首に向かって振り下ろされる。首を狙うのは肉食動物の常套手段。首は全ての動物にとっての弱点。オートマタもまた弱点を見定めて、鋭い攻撃を放ってくる。
紀州犬は身を翻して、一度攻撃から逃れると、横っ飛びに後ろに回り込もうとした。オートマタは腰の関節ごとぐるんと回転して、周りの草をはね除けながら白い尾を追随。
尾を掴まれそうと見るや、紀州犬は奇策にでた。反転して、自らの首を差し出したのだ。銀の手は躊躇なく、白く柔らかな喉元へ。機械の万力によって縊られればたちどころに体力が尽きることは必至。
だが、銀と白が交わろうとしたその瞬間、紀州犬の首は、居合の一刀を受けたかの如く胴から分離した。斬首された罪人のように、首だけが宙を飛ぶ。オートマタは二つに分かれた敵の体のどちらを攻撃すべきか判断を要し、動作を止めた。オートマタの背中に首だけの紀州犬がかぶりつく。胴体は、その間に草原に紛れて距離を取っていた。
妖怪犬神の神聖スキル。首と胴を分離させ、別々に操作が可能。牙を突き立てた相手を呪いの状態異常にして、能力値を下げたり、一部の操作を無効にする効果もあるが、機械属性のオートマタは状態異常に対する強力な耐性を持っており呪いの効果はなかった。機械属性は肉食、草食、植物族の全てに相性有利。牙のダメージも微々たるもの。
オートマタの肩の関節があり得ない方向に曲がって、背中に張り付いたイヌの首を捕らえようとする。すぐさま牙を離したが、唸りを上げる銀の手は精密な動作で追いかけてきた。
「こっちだ!」
オオカミが吠えた。オートマタの右肩に灰色の獣が飛び掛かる。反対側からはブチ模様の獣。肩の接合部を正確に捉え。強靭な顎が引き絞られる。
岩を噛むよりも硬い感触。牙が欠けそうになりながらも、限界まで力を込める。銀の指先は紀州犬の頭に届く前に停止し、ぶるぶると小刻みに震えた。
ブチハイエナの牙が、相性不利をも貫通して、オートマタの片腕を破壊することに成功。しかし、オオカミは力及ばず、上体を力任せに回転させたオートマタに振り払われて、草原に吹き飛ばされる。ブチハイエナは堪えていたが、オオカミが破壊しそこなった右腕に襲われそうになって飛び退く。
微かな異音を響かせながら、銀の体がモールス信号のように、きらっ、きらっ、と陽の光に瞬いた。痛みを知らぬ隻腕の人型は、攻めることだけがが刻まれた電子頭脳によって無限に足をくり出してくる。
狙いはこの場で一番大きな獣であるブチハイエナ。硝子玉のような瞳がブチハイエナのずんぐりとした鼻面を覗き込み、銀の腕が突き出される。紀州犬の首がそれを押しとどめようと周囲を飛んでかく乱するも、勢いが削がれることはなかった。
まっすぐに伸ばされた腕が、ブチ模様の首筋を掴むその寸前、ブチハイエナは低く上半身を伏せ、迎え撃つ体勢を取ると、牙を剥き出してがちがちと鳴らしはじめた。
次の瞬間、夜闇より暗い霧が、ブチハイエナの周囲を包み込む。
黒霧に銀色の機械の腕が呑み込まれる。高性能センサーが霧の奥を見通し、その奥に潜む異形の獣の息遣いを聞き取り、悍ましい臭気を感知していた。しかしオートマタはただ突き進むのみ。
闇から現れたジェヴォーダンの獣が常人であれば恐怖を抱かずにはいられない深淵の顎を開いた。誘われた銀色の獲物の硬腕が薄布のように噛み千切られる。が、オートマタはそれでも止まる気配を見せない。両手を失っても、両足があるとばかりに、鋭い風切り音と共に蹴りを放つ。軌道にある高草の上部が刈られては飛び散っていく。このしぶとさには異形の獣も驚いたものの、真横に振られる足を冷静に屈んで潜り、軸足を牙によって破壊した。それでも、オートマタは止まらなかった。ぐらついて、倒れる寸前、不安定な体勢から踵落としをくり出す。例え足一本であっても、関節部にある強力なモーターよって増幅された力は、十分な殺傷能力を備えている。
ヒールのように尖った銀の踵が振り下ろされる。異形の獣は避ける間もなく身構える。けばだった剛毛に、鋭い切っ先が触れるかと思えた。が、踵は空を切り、だらんと垂れ下がった。
見上げると、オートマタの頭部は、巨大な灰色獣の大口に砕かれていた。オオカミが神聖スキルで変貌した姿。世界の終焉ラグナロクでヴァルハラの主である神オーディンを呑み込んだ怪物フェンリル。その一噛みでオートマタの体力は尽き、やっとその動作が止まったのだった。
ぺっ、と銀色の鉄くずを吐き出すと、
「はじめっから使えばよかったのに」
と、紀州犬が駆け寄ってきた。今は頭と胴が元通りに繋がっており、何の変哲もない純白のイヌの姿。戦闘が終わり、ブチハイエナとオオカミの二頭もスキルを解いて、息をついた。
「使わないに越したことはないだろ。戦でもなけりゃあリターンもないし、消費が馬鹿にならないぜ」
「ちぇっ。俺は真っ先に使ったってのに」
「私も使わなければ、やられるところでした」
二頭が言うと、オオカミはいじけたように耳を垂れさせて、
「ふん。悪かったよ。ひとりだけ慎重すぎてさ」
「そんなことは……」
と、ブチハイエナが首を振る。そんな三頭に、
「いやあ」と快活な声がすり寄って来て、
「お三方、強うござんすねえ」
ブラックバックがにやっと笑った。
「なんだい、お調子者。まだいたのか」
「へっへっへ。皆さんのご活躍。このおめめでばっちり見させて頂きまして」
「気持ち悪い喋り方するんじゃないやい」紀州犬が顔を顰める。
「まあまあ。それにしても、お前さんえらく器用なことができるんだなあ。首と胴体を別々に操作するってどんな感覚なんだ?」
バスケで頭と体を別に動かすトリックプレイを練習してるから慣れてるんだよな、と紀州犬は考えつつスピーカーでは、
「冠の操作しながら、食事してる時と同じさ」
「ほほう。それなら俺にもできそうだ」
ブラックバックは首を捻りながら、蹄を打ち鳴らしてみる。
「あなたは怪我してませんか」
見るからに元気そうだったが、一応ブチハイエナが確認すると、
「こっちの副長は優しいなあ……」
と、ブラックバックはほっこりとして、
「改めて、こっちに移ってよかったって思うね」
しゃんと背筋を伸ばすと妙に感慨深そうな遠い眼。
「誘ってくれたダチョウの親分に感謝だな」
その様子を気味悪げに眺めていた三頭が顔を見合わせると、
「ひゃあ!」
と、螺旋の角が空気をかき混ぜた。
「また来た!」
銀の人型が一体、二体。規則正しく手足を動かし、草を踏み締め、サバンナに機械音を響かせる。
「これは……きついな」
オオカミが後ずさる。
「逃げた方がいいんじゃないか」
紀州犬が言って振り返った時には、既にブラックバックは小さな黒点になっていた。
「あいつ、逃げ足早いなあ」
「彼の美徳ですよ。駆け回って、危険を言いふらしてくれるでしょう」ブチハイエナは言って、
「まずは何体のオートマタが縄張りに入り込んでいるか把握しないといけませんね。戦うのはそれからです」
「なんにせよスキルを乱発できるほど命力に余裕はないぜ。こういう時は数の暴力が一番だ」
オオカミの言葉にブチハイエナは頷くと、
「紀州犬は戦える者を呼び集めてもらえますか。私たちであのオートマタを見張りながら引きつけておきます。足の速い者は縄張り内に他のオートマタが入り込んでいないか確認へ。鳥類にはオートマタの石礫の投擲攻撃に注意するように伝えておいてください。得た情報はあなたが集約して必要であれば独自に追加の指示をお願いします」
「分かった。けど、先に長に知らせた方がいいんじゃないのか。今、確かログインしてるだろ?」
「いえ」と反射的に否定してしまってから「……いえ」と言い直して「戦闘能力の低い者は王がいる本拠地へ向かうように言ってください。王の庇護があれば余計な混乱は起きないでしょうから」
「まあ確かに、あちこち逃げ回って散られると困るしな」紀州犬は納得して、すぐさま駆け出した。
「それにあいつのことだから、よっぽど危なそうだと思ったら勝手に戦いに出てくるだろう」
オオカミの言葉に、ブチハイエナは沈黙を返す。そうして、ややあってから、
「……そうです。我らが王は群れ員のことを最優先で考えてくださっていますから」
自分の命よりも、と心の中で付け加えて、ブチハイエナは目の前に迫る敵を見据えた。