●ぽんぽこ8-1 影の群れの現在
「あいつ、ちょっと変わったか?」
サバンナの木陰で腰を下ろしたハイイロオオカミが、ブチハイエナに尋ねた。
「まあ色々あったので」
ぼやかした返答をするしかない。
「元長は長とそんなに古い付き合いなのか?」
舞い落ちる木の葉を追いかけていた紀州犬が立ち止まって鼻先を向けると、
「元っていうな!」
「だって……」
ハイイロオオカミは元々、雪の降る冷たい針葉樹林に本拠地を置く群れの長。だがアイリッシュウルフハウンドの策略によって追い出された今はライオンの群れの一員となっている。
群れの役職を設定できるのは通常であれば長だけ。しかし、副長が群れ員の過半数の票を集めれば、その座を奪うことができる。オオカミの群れの副長は紀州犬とヒグマであった。
そのヒグマがウルフハウンドの誘いに乗った。二頭は他の群れ員たちに根回しをして、群れをオオカミから奪った。ヒグマは自らが長となった後、長権限をウルフハウンドに譲渡。オオカミからは一切の権限が剥奪。鮮やかな交代劇は、オオカミが呑気に居眠りしている間に全てが終わっていた。
「俺のことは元長じゃなく、オオカミさん、と呼べ」
「はいはいオオカミさん」
面倒くさそうに紀州犬は耳と尻尾を垂らす。
「もっと赤ずきんちゃんみたいに言え」
「意味わかんねえ。なら、おばあさんの変装をしてくれたら考えるよ」
紀州犬が飛ばした冗談に、オオカミは節ばった白っぽい草を噛みちぎると、自分の頭の上にまき散らし、装備しているスピーカーの音声をしゃがれ声に調整した。
「これでどうだい。赤ずきんちゃん」
「……まあ。おばあさんのお口はどうしてそんなに大きいの?」
「そうじゃねえ! オオカミさんと呼べって言ってるだろ!」
怒ったように牙を剥き出したが、ぷっ、と笑うと、次の瞬間には、わっはっは、と大笑いして駆けだした。紀州犬も笑いながら、低木の周囲をぐるぐると回って、お互いの尾を追いかける。二頭の対格差は大人と子供ほど。ハイイロオオカミが子オオカミをあやしている風でもあった。そんなふたりのやり取りを見ていると、ブチハイエナもおかしくなってきた。
ひとしきり走り回ると、オオカミは立ち止まって首をぶるぶると振った。頭の上の白髪もどきが振り払われる。紀州犬もその隣で同じように首を振ると、草の匂いがふわりと巻き上がって、乾いた土に降り積もった。
「ふふっ……、あなたたちはいつもそんな風なんですか?」
「ああ。適当に遊んでるよ」
オオカミはのっそりと寝そべって大あくびをする。ブチハイエナはその言葉にどうにも物寂しい気持ちを感じざるをえなかった。もうそんな風にピュシスを楽しむことは絶対にできない。ライオンはもういない。影だけが玉座に残り、記録映像の虚像を永遠に上映し続けている。
ブチハイエナはライオンを探していた。現実世界のロロシーを。父親であるロルンは捜索願を出さなかった。家出だ、少し一人にさせてあげよう、もうあの子も子供じゃないんだから。そんな言葉が並べられた。ロロシーを伴って出かけた仕事先で、親子喧嘩をしてしまったらしかった。走り去ったロロシーを散々に探したが、どこにもいなくなっていた、とロルンは語った。事故で怪我をした子供が見つかり、捜索がままならなくなったが、その事故とロロシーは関係ない、とも。
ソニナはロロシーが行きそうな場所を隅々まで探した。けれど、ロロシーはどこにもいなかった。ロルンの言っていた事故に遭ったというリヒュにお見舞いに行って、話を聞いたが、そもそも記憶が定かでないらしかった。
メョコが家にやって来て、学校を休んでいるロロシーのことを心配していた。病気で倒れていて、冠による返信もできない状態なのだと、嘘の説明をした。メョコは大人のような賢しさでソニナの話を呑み込んで、物分かりよく帰ってくれた。プパタンもやって来た。彼女はお見舞いすると言ってきかず、水を十杯ほど飲んだあと、やっと帰ってくれた。レョルが来た時は非常に困った。警察関係者。とはいえ捜索願も出していないので、ロロシーの不在を知らないようだった。レョルに捜索を手伝ってもらったら、見つかるかもしれない。そんなことも頭を過った。しかし、レョルに借りを作ることをロロシーが好まないであろうことは分かっていた。だから、いつも通りに追い返した。
ロロシーの身が無事であることは信じて疑わなかった。一人でも逞しく生きる力を持っている子だ。案外、そのうちあっさりと帰って来るかもしれない、とも思う。
けれど、引っかかることがある。ブチハイエナだけはピュシスでのライオンの消滅と、現実世界のロロシーの失踪が同時に発生したことを知っている。親子喧嘩したからといって、ロロシーは簡単に家出するような性格だろうか。きちんとした親子での話し合いを求めるはず。なら、帰ってこないのは、もしかして、ピュシスでライオンが消滅したことに、なにか関係があるのではないか?
ブチハイエナは消滅したプレイヤーについて情報を集った。けれど大っぴらにはできない。今のライオンの群れを支えるのはハリボテの柱。脆く、いつ崩れるとも分からない。なのでライオンの名はおくびにも出さず、同時期に群れから消えた仲間、アフリカハゲコウのことを気遣うという名目で聞き込みをしていた。もちろんハゲコウのことも心配ではある。自分をよく慕って、常に力になってくれた。けれど、なんにせよ、いまだ有益な情報はない。
「それで、どうなんだ」
オオカミが再度、尋ねる。
「どう、とは?」
「ライオンのことだ」
「色々と考えてらっしゃるだけですよ。私たちのことを」
「まあ、おせっかいな奴なのは変わってないが、戦線に加わらないのはどうもなあ」
というのは、ライオンはこのところの群れ戦に参加していない。トラに敗北を喫した事実を受け、ライオンは「俺様がいなくても勝てるようにするんだな」と群れ員たちに言い渡した。そうして最前線を走り回っていた以前とは異なり、指示役のブチハイエナの傍でどっしりと身を横たえて、皆を鼓舞するのに注力している。
オオカミは、ぶうん、ぶうん、と尻尾を振りながら、
「あれじゃあ感覚がなまっちまう」
「俺だったら、ずっと不参加だなんて耐えられないな。狩りは肉食動物の醍醐味だし」と紀州犬。
「そんなに楽しいものですか」
いつも参謀として戦いそのものへの参加は少ないブチハイエナが丸い耳を向ける。すると紀州犬は空を流れる雲を見上げ、少し考え、オオカミよりも更に一回り大きな体のブチハイエナの鼻先に自分の鼻先を向けた。
「……狩りそのものじゃないかもな。みんなで協力して何かするのが楽しい、んだと思う」
「なるほど」
それならブチハイエナにもよく分かった。リカオンも似たようなことを言っていた覚えがある。リカオンは現在ライオンの群れの副長。意見を交換し合う機会は多い。ライオンの群れというのは名ばかりで、本当の長がブチハイエナで、ライオンはタヌキが化けたものだということを知っている唯一の仲間。
サバンナの乾いた風がびゅうびゅうと吹いて、三頭のブチ模様、灰色、純白の毛衣を撫でると、晴天の空に舞い上がっていった。しばしの沈黙が訪れ、心地良い梢のざわめきと、草原の草々がふざけあうようにぶつかる音が満ちていた。
ブチハイエナの心はピュシスの自然のなかにいながら現実に囚われていた。ロルンはすっかり塞ぎ込んでしまっている。それに、意固地になっている。こういう点は親子でそっくり。ロロシーも簡単に意思を曲げる子ではなかった。
家出から随分と経った今であっても、ロルンは捜索願を出そうとしない。親として薄情、とも思うが、ソニナはそれを責められないでいる。これがただの家出ではなく、ピュシスが関係しているに違いないという思いは日に日に強くなっていた。警察の関与があると、無事に見つかってもピュシスプレイヤーとして罰せられてしまうかもしれない。
「……そう言えば副長」
紀州犬の声でブチハイエナの心は仮想に引き戻される。
「こないだ消滅したプレイヤーのこと聞いてたじゃんか」
「ええ」
大きく丸い耳を広げて、紀州犬のスピーカーから漏れる音を聞き逃さないようにする。
「知り合いの超古参プレイヤーから聞いたんだけどさ」
紀州犬はそう言って古ぼけた噂話を語りはじめた。