▽こんこん7-10 カヅッチの生き方
脳に二つ目の中継器を埋め込み、両手が義手になったカヅッチを学友は温かく迎え入れてくれた。それは彼が我慢強く人間関係を構築した成果でもあった。けれども、今度は彼のほうがそれを拒絶するようになっていた。
彼の心は疲れ、すさんでいた。彼自身が彼を異物として追い出したがっていた。
休学していた詳細な理由を話すことはなかったが、人の口に戸は立てられないように、ネットワークに流れる一滴の雫をせき止めることはできなかった。
ある、噂が流れた。
中継器を二つ使えば他人の冠の機能に割り込みができる。二個の中継器を介在する冠とリンクしてしまうと、感覚偽装の機能に影響を受ける可能性がある。例えば視界を強制暗転させられたり、轟音を耳の奥に閉じ込めたり、悪臭を鼻孔に塗りたくられるような。
根拠はなかった。事実でもなかった。けれど、無実であることの証明は、罪があることの証明よりも遥かに難しかった。
彼は噂の出所をさぐり、ある生徒と諍いになった。
口論が発展し、取っ組み合いへ。彼は手出しするつもりは毛頭なかった。けれど、カヅッチが虚弱であることを差し引いても、相手の力はあまりにも強かった。相手の大きな拳が振り下ろされるたびに、激痛が走った。恐怖に突き動かされた彼の腕は、相手の頭に振り下ろされていた。相手が崩れ落ちる瞬間、彼の目は映写機になり、遠のいて、ただの観客の一人となってその光景を見た。
傷害事件。
彼の義手は金属の塊。
まごうことなき凶器であった。
子供の喧嘩では済まされなかった。
カヅッチは更生施設に収容されることになった。
面会に来た父に、カヅッチは尋ねた。
「こんなことをやってしまっても、僕は普通の人のような人生が送れるのかな」
「もちろんだ。物事を刹那的に考えちゃいけない。失敗は取り返せる。一度の失敗がなんだ。償って、前に進めばいい。そうできるように、この世界はできている。できていなければならないんだ」
「僕はこの世界がとても生きずらいものに感じる」
と、言って彼は父の前で涙した。
「どうして世界は僕が生きやすいようにできていないんだろう」
「そんなことを考えてはいけない」
父の瞳の奥には微かな怒りの炎が宿っていた。
「社会というのは個人のためにあるんじゃない。みんなのためにある。それを独り占めしようという考えは、傲慢で、恥ずべきものだ」
「でも、僕も『みんな』の一人じゃないの? なぜ社会が僕のためにあっちゃだめなの? 『みんな』のためにある社会と、僕のためにある社会のなにが違うの?」
「いいかい、よく聞きなさい。『みんな』というのは社会に属している人のことだ。社会は人と人とが触れ合う関係性のなかに存在するんだ。『みんな』とは大きな大きな輪の一部になっている人だ。そういう人になりなさい。そういう人を目指すんだ」
彼は納得した。
彼は父が言わんとしていることを理解した。
「普通の人になるんだ」
執拗に、その言葉はくり返された。
青春を施設で浪費した彼は、そこを出たあと、家には帰らなかった。
彼にとっての失敗と、父にとっての失敗を、直視せずに済むように。
父に買ってもらった帽子だけが、彼の今までの人生で得た全てだった。
施設にいる間に、彼はピュシスに出会っていた。
自然は彼を包みこみ、慰めてくれた。ピュシスをプレイしている内に、虚弱だった体質も少しずつ改善されていた。
ピュシスでの彼は草食動物。同じ草食たちとは気の合うものを感じた。肉食たちとはそりが合わなかった。植物族たちは尊敬すべき相手であった。
彼はピュシスに属することを好んだ。
ピュシスでは広い視野で、物事を考えられるような気がした。逆に、肉食動物たちは、矮小な視野でもって、世界を見ているように思えてならなかった。
与えられた仮初の肉体はピュシスの宣託。目が横にある者、草食動物たちと、目が前にある者、肉食動物たちは、精神の形が根本的に異なる、と彼は考えていた。
彼は仕事を探し、やっとのことで就けたのが機械工場の運搬屋であった。
工場の持ち主はカヅッチの脳の中継器について、商品のオートマタと干渉しないように、と注意こそしたものの、特別視はしなかった。彼の娘や、雇われのメイドも親切にしてくれた。仕事仲間ともうまくいっており、彼はその職場が気に入った。
工場の宿舎で寝泊まりして、日々を過ごした。
ある夜。
彼は激痛で目を覚ました。
義手の接合部がひどく痛む。
彼は頭に装着している冠をむしり取って、投げ捨てた。
子供の頃に起きた、中継器の不具合によって起きる幻痛だと考えたのだ。
けれど、それは違った。
痛みはまごうことなき現実。
一向に治まる気配はなかった。
彼は部屋を飛び出して、全力で駆けた。
病院に連絡しようにも、冠を自ら捨ててしまったので、それもできない。
痛みは思考力を低下させ、工場地区を激情のままに駆け回った。
彼の走りはトムソンガゼルの俊足。嗅覚や聴覚も変質していた。
頭には鋭利な角の蕾が膨らんでいた。
彼の鼻は、ある香りにすがりついた。
彼のなかの草食動物は、その香りを捉えて離さなかった。
匂いに導かれて彼は走った。
かぐわしい香り。
現実世界でありながら、仮想世界にいるのではないかと錯覚させる匂い。
植物。トネリコの樹の匂いだった。
そうして、彼は奴隷に出会った。
奴隷の一員、博士の難解な話をカヅッチが苦労して読み取ると、痛みの原因は、半人として変質する体と、義手の接合部がかみ合わなくなったことらしかった。博士はカヅッチの義手を、迅速かつ、少々手荒な方法で外した。
義手を外せば両手の痛みはなくなったが、まだ痛む箇所がひとつだけ残っていた。それを尋ねると、
「双子の赤色矮星が平たい眼窩からこぼれ落ちたがっている」
博士の言う星とは中継器のことであるらしかった。義手と同様に、中継器も変質する体に適応できず、痛みの原因となっていた。
カヅッチの目に博士は半ば狂っているように映ったが、腕は確かだった。義手を調整して使えるようにしてくれた上に、ちょうど余っていた偽冠を彼に譲り、セットアップと、脳の痛みを知覚しないようにする感覚偽装を施してくれた。
「半人化というのは止めようがないんですか」
ヘビのような男、ヲヌーに尋ねた。
「だめだね。君、死ぬしかないよ。ご愁傷様」
彼は二つの世界から拒絶された。
だが、それは彼だけではなかった。
消滅によってピュシスでの席がなくなり、機械惑星ではお尋ね者になった半人たちも同じ。彼らは真の意味でカヅッチの仲間だった。
コンテナに納まったトネリコの樹の香りを嗅ぎながら彼は考えた。
この世界全ての人間が、どちらでもないものになればいいのだ。
半人が『みんな』になればいい。
もし半人の社会が作れるとすれば、その時、上に立つべきはトネリコの樹のような者がよかった。が、問題は植物は対話ができないということ。
ならば、視野の広い者がいい。視野の狭い者ではうまくいくわけがない。
彼はピュシスで同士を集った。ピュシスプレイヤーたちはいつかこの世で生まれ直し、動植物としての生を得る。その時、王になるべき半人を、彼はピュシスのなかで探していた。
彼はきたるべき日を、ずっと、ずっと、待ち望んでいる。