▽こんこん7-5 王の零落
「よぉう、最強ちゃん」
ドスの利いた声。コートの襟を小高く立たせた厳つい男。
「そろそろやめてくださいません? その呼び方」
ロロシーが払いのけるように言うと、コートの男、ヲヌーは細い肩を竦めて、
「いやあ、最強ちゃんに最初に会った時の啖呵が頭から離れないんだな、これが。『この場で最も強いのはわたくしです』だなんて痺れるぜ。かっこよかったねえ」
どことなく馬鹿にしている風な口調に、ロロシーは尖った視線を向けた。
「事実を申し上げたまで。わたくしにはロロシーという名前があります」
「俺は人の名前を覚えるのが苦手なんだよ。それに、あだ名のほうが都合がいいんじゃないの。最強ちゃんもさ、俺たちと一緒の奴隷。お尋ね者なんだぜ」
「お仲間になった覚えはありません」
「まあまあ。覚えはなくても事実というのは変わらないからなあ。冠を捨てたらもう俺たちと同じ。博士が最強ちゃんのために作ってる偽冠も必要だろ? それに偽冠が完成するまではろくに出歩けなくて、お腹も空くでしょお?」
両手に持ったものをロロシーの目の前に差し出す。
「仲間としてのおすそ分け。どっちがいい?」
一方には灰色の泥饅頭、食物。もう一方には、肉。
肉から血が滴り落ちて、ロロシーの足元で弾けた。喉を刺激する音。芳醇な香り。ロロシーは肉から目をそらして、食物を手に取る。
「ほんとにそっちでいいのかなあ?」ヲヌーは襟に深く顔をうずめて、おちょくるように言う。
「我慢は体によくないぜ。肉食動物でしょお? 最強ちゃんはさあ。運がいいんだよ肉食だってことはね。草食や植物族を見な。特に植物族。あそこに赤おててちゃんと、棘はっぱちゃんがいるでしょ。あの子たちはさあ、第一衛星なんていう太陽の偽物以下で己を慰めるしかなないんだよ。水はあるけど、まともな土はないし。苦しそうでねえ。そんな子たちが頑張って生やした葉っぱを奪い合う草食動物も憐れなもんだ。俺はさあ、見てると可哀そうになってくるんだなあ。最強ちゃんはそんな可哀そうな草食動物を襲ったりしないでよね」
「そんなことは、致しません」
口にはするが、正直なところ確固たる自信はなかった。けれど、そうしたくはないという気持ちは、はっきりしていた。
ロロシーは冠の味覚偽装のない食物そのままの無味乾燥とした味と風味を感じながら、辺りに視線を向ける。
中央にへこんだコンテナが置かれた広場。巨大なコンテナの上部には内側から大砲で撃ち貫いたような大穴が開いており、穴の外周には尖った金属の花弁が垂れ落ちている。そんなコンテナを中心に、広場にはありとあらゆるガラクタが集められていた。ガラクタはガラクタを引き寄せ、積み重なって、崩れ、際限なく増殖する。ガラクタの山が周辺に連なり、ガラクタの尾根が張り巡らされ、ガラクタの麓で、ガラクタの野原と、ガラクタの湖ができていた。そんなガラクタ広場で、奇妙な生き物たちが暮らしていた。
半人と呼ばれる異形たち。重度の半動物には尻尾や長い毛に包まれた尖った耳が生えていた。骨格が変わって常に四つ足で歩く者もいる。重度の半植物は皮膚が木肌のようになり、節のある枝の如き指先を第一衛星に向けている。指の一本一本を使って太陽の模造品からエネルギーを得ようという試みはどうやらうまくいっていないらしい。なんだかその姿は溺れているようでもあり憐憫の情を抱かざるをえなかった。枝の節からは蕾のような膨らみや小さな葉っぱが見えているが、それらはヲヌーが話していた通り、常に草食動物の半人の物欲しげな視線に狙われている。
半動物のほとんどはガラクタに埋もれて身を丸めているか、ひたすらにウロウロと歩き回っている。それ以外の者は集団になって、広場の真ん中に鎮座するコンテナを拝んでいた。
巨大なコンテナのなかにあるものを、ロロシーは鋭い嗅覚で感じる。重度の半人たちからは獣や植物の匂いが滲み出ているが、それでも人間の匂いがその根幹にはある。それに対して、コンテナのなかからは、微かな人の香りすら漂ってこなかった。
ピュシスでしか嗅いだことがない香り。完全で、完璧な、植物の香り。コンテナのなかにあるのは、植物そのもの。植物そのものになった人間。至人と呼ばれる唯一の人。トネリコの樹。
「第二衛星の加護がありますように」
ヲヌーはコンテナに向かって祈りを捧げ、ロロシーが手に取らなかった肉を口に放り込んで丸呑みにした。先が割れた長い舌で手についた血を舐め取る。
ロロシーはヲヌーの喉を通って胃に落ちる肉を横目で盗み見ながら、押し寄せる羨望を嫌悪で拭い去ろうと努力していた。
肉。それが何の肉かロロシーは分かっていた。機械惑星にある肉は一種類しかない。ロロシーは一度だけそれを味わった。その記憶はあまりに鮮明で、忘却でいくら包み込もうとしても、すぐにこぼれ出てきてしまう。牙で寸断された柔らかい肉。喉に流れ込んでくる、とろとろとした血。心を惹きつける味、食感、薫り。
リヒュは生きているらしい。会って謝りたいが、いざ目の前にした時、我慢できるか分からない。
自分があんなことをするなんて、とロロシーは思い返して、ほとほと狂気の沙汰であったと感じる。けれど、今はその狂気の源である本能と同居し、生きることを余儀なくされている。
結局、奴隷の一員として、ずっとここで暮らすしかないのだろうか、とロロシーは憂鬱な気分で灰色の空を仰いだ。今は理性が本能を押しとどめている。草食動物の半人を前にしても、彼らを喰らおうだなんて思わない。けれど、いつ天秤が逆に傾くかは自分にも分からない。
普通の人間として、かつての生活に戻れたら、と想像こそするものの、本能は飼いならすにはあまりにも獰猛で、いつメョコやソニナ、それに父を、リヒュのように傷つけてしまうか分からなかった。自分は罪を犯した、自首すべきだ、という理性の声も頭の片隅にはある。しかし、捕まった半人が受ける陰惨な扱いについて何度も聞かされると、そんな声は耳に届く前に霞んで霧散してしまうようになってしまった。
どうすれば。
どうすればよかったのか。
どうしようもなかった、と。
ロロシーはリヒュを噛んだ日のことを、何度も何度も思い返した。